1月
1月1日(水)
年賀は元旦配達から元日配達になったので巨然より20分遅く出勤する。通数は37万余通で前年の6割強くらい、だいぶ減った。suiuの歌会のお題「会」へ〈もっと字に力をこめて滲めたらいまごろ君と会えていたかな〉という短歌を投稿する。帰宅するとベトナムのちまきであるxôiがバナナの葉に包まれビニール紐でくくられてあったけれど南部のものらしく甘くて受けつけなかった。夜に詩歌のたねを公開する。
1月2日(木)
朝に月齢計算機を作る。インターネット短歌会FLATLINEで「天空率」が公開された。昼は於呂の利葒縁で刀削麺を食べ、二俣の森のマルシェきころへ寄る。それから国道152号線を走り、スーパー林道を対向車へ譲ったり譲られたりしながら登り、階段の参道を神門まで駆け上がって秋葉山本宮秋葉神社へ初詣する。厄除祈祷をしてもらう。金の茅の輪くぐりもした。法多山尊永寺の方が火も使って厄除祈祷は派手であったが、秋葉神社は奉納帳ももらえてお得感がある。それからどこも寄らずに帰宅する。
1月3日(金)
静岡新聞の新春読者文芸、野村喜和夫選の一席で私の詩「小石」が掲載される。野村喜和夫の評は毎回勉強になるのだが今回も良かった。
冒頭の一行にまずどっきり。「舞阪の浜辺を」の間違いではないかと一瞬思いましたが、先を読んで「浜辺が」で正しいと納得。言葉の連合関係の狂いで全編を律するという作者の知略に圧倒されました。/野村喜和夫
1月4日(土)
土曜出勤。12月の静岡新聞・読者文芸「詩」の野村喜和夫選オノマトペの回でご一緒した中澤佳央梨さんからポエデイの問い合わせメールをいただく。それと年賀葉書を出した恩田侑布子さんからも厳しくもあたたかいメールをいただく。『京都ダイナマイト!』みたいな遠州詩歌アンソロジーを20人くらいの50句/首・10篇くらいと数人分のインタビュー記事+コラム数篇で編めないだろうかと考えはじめる。
馬首向何處
夕陽千萬峰(權德輿「嶺上逢久別者又別」)
1月5日(日)
中日歌壇の小島ゆかり選〈光射すメタセコイアのむこうから野球部員が駈けぬけてくる/菅沼貞夫〉はアクト通りか美薗中央公園か。午前は駅前の谷島屋書店浜松本店に寄って絶望する。紺屋町の絵本の店キルヤへ赴く。店を通りすぎたときに前原本光さんらしきベレー帽を店内に見る。11時の開店前に入店し、竹内舞さんのat kirja vol.56 TAKEUCHI MAI solo exhibitionサンダンスを観る。ありえないくらい歪んだ骨が吊るされているのが彫刻ならではでおもしろい。展示を見ていると骨がいのちそのものに見えてくる。キルヤの旧姓のままの星野紀子さんと竹内さんとのつきあいは浜松学芸時代の竹内さんがグループ展をキルヤで開催して以来十年ほどという。帰りに前原本光さんの第2詩集というLa Plumeを購う。昼は磯辺焼きとあんころ餅と餅にケチャップとナチュラルチーズを載せた餅ピザを食べる。午後は掛川市大池のきみくらカフェへ行く。帰りにいつもの袋井市のココチに寄る。
ぼくたちには
明るいニュース
が必要だ
(前原本光「ぼくたちのニュース」『La Plume』一期堂)
1月6日(月)
久しぶりの雨配達。だが物数は3日→4日→6日で4万通→2万通→1万通と減衰しているので午前で配達終了する。午後になって雨脚が強まるなか、着ていたジャケットのファスナーが壊れたのでワークマンプラス磐田店でイージスの防水防寒ジャケットを買う。それから事務キチ磐田店に偶々いたコクヨの担当者と話してPERPANEPのザラザラが磐田にも浜松にもないことを確認する。リベロ三島店で買い物をして帰宅したら、妻が来ないと言っていたはずの生協が来ており、納豆もヨーグルトも牛乳もブロッコリーもミニトマトも卵もかぶってしまう。
世の中ハ時雨のやとり宗祇てもめてたい事のふり来れかし/四方赤良(『万載狂歌集』角川ソフィア文庫)
1月7日(火)
非番、雨上がりなので風が強い。静岡新聞の新春読者文芸を読みなおす。水野満尋さんの「ドリームホテル遠江」がおもしろい。この方は散文詩の書き手だろう。内容はぶっ飛んではいるけれど「俺は耳小骨を意識する」などの身体感覚が現実味を帯びさせる。午前は高塚謙太郎『量』を読む。昼過ぎにWest Goat CoffeeでクラシックショコラケーキことC.C.C.を食べる。それから谷島屋書店浜松本店でやる気もないのに『短歌研究』2025年1+2月号を買う。今年から『短歌研究』も年6回刊行となる。そういえば、新聞歌壇への投稿はいつか区切りをつけて辞めなければならないだろう。夕に妻が今度は追突されたのでこども園へ児を迎えに行く。風邪気味の老婦人が外食した帰りに嘔吐したためブレーキを踏めず追突したという。
谷川俊太郎のたましひぐんぐん遠ざかるおほきな空をなほ孕みつつ/米川千嘉子(「はにわ展と菊まつり」『短歌研究』2025年1+2月号)
1月8日(水)
風が強く冷たい。suiuの歌会のお題「眉」へ〈顔をまだ思い出せない眉毛ってマダガスカルの雲とかだっけ〉という短歌を投稿する。帰局したときM嬢が私を先輩と呼ぶけれど、たぶん歴はM嬢の方が長いと思う。豊﨑由美+広瀬大志『カッコよくなきゃ、ポエムじゃない! 萌える現代詩入門』思潮社を読んで気になった詩集を浜松市立図書館へ蔵書提案する。現代短歌・現代俳句・現代川柳・現代詩の主要な著作は浜松市立図書館で揃え、いつでも借りて読める状態にしたい。
1月9日(木)
目覚めたときに寒さを感じた。風が強く冷たい。帰りに南図書館へ行き『津村信夫全集第一巻』角川書店と『吉岡実全詩集』筑摩書房を借りる。津村信夫はおおげさではない詩で良いな。「その頃私は靑い地平線を信じた。」(「ローマン派の手帖」)、「或る日 花芯が戀しかつた。」(「臥床」)、「私は遠眼鏡を出した、私の胸にも、釦の上に蝶がゐた。」(「春の航海から」)、叙景が童心をくすぐる。
私は心に遠く湖をもち、こんなに近く波音を聞いてゐる(津村信夫「若い旅で」『愛する神の歌』『津村信夫全集第一巻』角川書店)
1月10日(金)
寒さと尿意とで目が醒める。浜松は雪なんて降らないけれど名古屋は積雪したという。バイクに乗ると風が吹き荒び頬や首をひりひりと痛めつける。帰りに南図書館へ寄り松田政男『風景の死滅 増補新版』航思社を借りる。帰るとペルパネプA5ザラザラ4mm方眼ドット罫が届いている。純喫茶でこれに自由詩を書こう。かつて眺めていた、近畿や下北沢や代々木のざわめく景色を書写していこう。
風景に対する人間なんかではない、風景と非風景について頭を痛めるべきであろう、と加藤郁乎は喝破する、眺められるもの、あり得べきこととしての風景は、すでに北を指したままの磁石のようにその確実な用途を使い果たした、と加藤郁乎は言い切るのだ。(松田政男「風景」『風景の死滅 増補新版』航思社)
1月11日(土)
子守、昼前にバスで駅前へ行き浜松科学館に入る。昼は科学館のカフェでパスタとキャッシュを食べ、サイエンスショー「燃焼」を観てからプラネタリウムで映画を観て、またサイエンスショー「液体窒素」を観る。再び咳が出るようになる。左膝が微かに痛む。駅前から歩いて南図書館へ赴き、大崎清夏『指差すことができない』青土社を借りる。シェーキーズのフライドポテトを再現して、よりやさしい味で作る。
ぜんたいに糖分の足りない終電の車内に
今夜も前後の文脈が迫ってきてた
(大崎清夏「ここにないものについての感情」『指差すことができない』青土社)
1月12日(日)
中日俳壇の高田正子選〈花八手母亡き日々のうすみどり/山下美佐子〉色彩がよい。中央図書館駅前分室で新聞を閲覧したあと、千歳町の喫茶室Room112に入り400円のコーヒーで詩を書く。灰皿が置いてあり、煙草にやさしい。隅のテーブルで若い男性3人がトランプをしており、カウンターでは老人たちが肺病の話をしている。いつかミルクセーキや赤だしやクリームあんみつを試してみたい、2月から高齢のため火水木が定休日というけれど。ちなみに週刊誌フライデーの隣に、なぜか春夏秋冬叢書の『そう』2024年夏号だけが置いてある。昼はカレーハウスブータンでポーク大盛りを食べる。かぎやビルまで歩き、小雨のなかふらふら歩いてシネマイーラで堤幸彦監督「私にふさわしいホテル」を観る。のんの箸と万年筆の持ち方が役柄に合っていて、すごい。帰りに寺脇町のコイン精米所から米糠をひとつかみ持って帰る。からだが冷える。

1月13日(月)
最初は咳だけだったが夕に38.3℃を超え、悪寒と頭痛がはじまる。
1月14日(火)
37.5℃の発熱のため休む。寺島町のけいクリニックで検査してもらうとインフルエンザは陰性だったが、イムノエースで新型コロナは陽性だった。もう検査後に結果が出るまで一時帰宅しないで済むようになっているらしい。18日まで自宅待機となる。
休むなどたやすくできぬこの世にて橋桁は網におほはれてゐつ/楠誓英(『薄明穹』短歌研究社)
1月15日(水)
2時過ぎ、妻の胸と背が痛むということで#7119からも浜松市夜間救急室からも救急に架けろと言われる。3時半過ぎに妻が救急車で浜名区小林の浜松赤十字病院へ搬送される。児を連れて車で病院北の駐車場へ赴きそこで待機、4時半に新型コロナウィルス陽性と診断された妻を載せて帰る。帰宅後、児が発熱する。葉冠記の2022年8月以来2年5ヶ月ぶりに新型コロナウィルスによる一家全滅となる。コロナ禍は過ぎ去ったとしてもこのように周期的に流行して罹患していくものに新型コロナウィルスはなるのだろう。
腐れかかった半身をひきずって
幾千種の魚が游泳する
(吉岡実「挽歌」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
1月16日(木)
児を通院させ新型コロナウィルスの検査をしてもらいすぐ陽性と診断してもらう。このとき児の鼻腔内で細い棒をなかにとどめておくのは一瞬だった。私のときは10秒とどめていたのに。午後は駅南あたりを散歩する。
1月17日(金)
「してね!」への返答としての児の「しれるよ!」は「するよ!」の言い間違い。「する」「しろ」と「できるよ」からの類推だろう。『言語の本質』中公新書を思い出す。詩的交友圏はゲマインシャフト Gemeinschaftとも言える。それは既存の地域アーティスト集団がゲゼルシャフト Gesellschaft的であるのとは対照的なものになるようにしていかなければ、やがて同化してしまう。散歩をしつつ同時に連作を3つ同時並行で作業する。夜にsuiuの歌会のお題「旧」へ〈旧作のなかに花托を秘めたなら全ては果樹の匂いでないと〉という短歌を投稿する。
1月18日(土)
児がカボチャのスープを飲んだときの感想「ほっとら」は「ほっこり」と「ふっくら」の融合だろう。ポーカーのテキサスホールデムとソリティアのクロンダイクの練習をする。安間川公園にある、こどもが描いただろう大蛸のすべり台で児を遊ばせ、カインズ市野のHA/COで焼芋を買って食べ、成子町のプスプス by ZINGで精算をする。でするなさんのマンガ『街と先輩』を買う。雰囲気を読むタイプのマンガだった。
1月19日(日)
朝日俳壇の小林貴子選で私の俳句〈かつて海のかつて田んぼの冬木立〉が掲載されている。中日歌壇の島田修三選〈万物が我に囁く私語且つ且つ蔵む歌の嚢に/斉藤佳彦〉森羅万象を歌の種子とするのだ。小島ゆかり選〈現役中積もる予定を嘆きしが今や予定にこころが踊る/南出秀重〉自分が決めた予定はワクワクする。中日俳壇の高柳克弘選〈柚子風呂や両手にだきてよかよかと/内野しず子〉は冬至の景。午前は雄踏文化センターへ雄踏歌舞伎保存会「万人講」定期公演を観に行き、寿式三番叟と釣女を観る。解説の安田文吉先生が釣女の前ですべり転倒する。釣女は歌舞つきの喜劇で笑える。昼は金寅の赤飯とみそパンを食べる。午後はこども歌舞伎の弁天娘女男白波稲瀬川勢揃いの場と鬼一法眼三略巻一条大蔵譚を観る。幕間に警備が物々しい城内実経済安全保障担当大臣が挨拶をする。吉岡鬼次郎と一条大蔵卿長成の衣装替えが鮮やか。
1月20日(月)
味覚と嗅覚が回復して立体的に感じられる気がする。とくに味噌などの発酵食品のにおいに敏感になった。今日はとくにあたたかく、仲春めいた土や花のにおいを感じる。毎日歌壇の伊藤一彦欄に私の短歌〈ゆびさきも自分なんだとわかるんだ冬の配達おわりの夜は〉が掲載される。先週の休みを有給休暇や計画年休としないで病気休暇にするためには診断書が必要とのことで、クリニックへ架電すると診断書を書いてくれそうな気配がある。とりあえず頼んでみる。夜に第7回山頭火ふるさと館自由律俳句大会に〈手話の歌うバスは海へゆく〉が入選したとの知らせが来る。また、静岡新聞新春読者文芸の詩1席の賞品は図書カード7000円分だった。
原始的な感情に浸りたかった 午前4時に焚べた脳みそ/カヒ
なにか問うこともなくしているきみと真冬の空に星屑吐いて/芝澤樹(毎日歌壇2025年1月20日水原紫苑選)
1月21日(火)
歩くと頭蓋骨に響く。事情はよくわからないけれど同僚が昼休みのうちに失踪し、19時になっても行方がわからないという。帰りに総務部長が地下駐車場の防犯カメラを調べていた。
1月22日(水)
今朝は珈琲の即効カフェインとマテ茶の遅効カフェインでバキバキにキマった。そういえば伝聞だが、昨日の同僚は部長から作業指示を受けたあとに失踪しでまだ音信不通とのこと。suiuの歌会のお題「図」へ〈あおいろの直線を引く古ぼけた都市図はあすの航路となった〉という短歌を投稿する。M嬢が私を昼に呼び捨てにした件で夕にチョコレートをもらい、何度も謝られる。19時からアクトシティの浜松市文化振興財団事務室にて、ドコデモアルトによるクリスマスのまえのよる反省会をする。ふりかえりののち、アーティストではなく企画者として評価されうるような企画を次々と打ち出せる企画者集団になっていきたいねという未来像を語った。運営と企画の違いも明確にしていきたい。毎年4~5月にドコデモアルトの定期会合を持てたらいい。
1月23日(木)
有休消化。午前に静岡文化芸術大学へ赴き、建築・環境領域の卒業研究・制作を観て小池奈緒「幸田駅前商店街再開発計画」の曲線や酒井駿太「集落の居の間で」の類型化した部材の操作方法や「流住都市」のPlatform3中田島砂丘や村岡凛「居場所が見つかる学び舎」の中庭などが気になった。単なるジオラマ模型好きかも。それから西ギャラリーで2025年展示プロデュース論「めぐる、」を観る。鮫島海里「100円=X時間」の県の選択や齋藤咲李「必要と不必要」の刺繍デザインの意図や一ノ瀬龍星「それぞれの時間感覚」の黴などが気になった。けいクリニックで新型コロナウィルスの診断書を1330円でもらう。まちなかへ戻り、彫刻磨きの中村主幹らとすれちがったあと、肴町の珈琲BENIにてプリンとブレンドコーヒーで詩を数篇書く。さらに足を伸ばして尾張町のみかわや|コトバコへ赴き、行商バロックで虹釜太郎『カレー野獣館 黄』円盤を買う。ここでしか買えない本がある。来年は、というより今年の冬あたりから餃子詩を書こう。
臓品である薬草がひどくあたったカレーを食べ過ぎたせいか内臓が季節外れの蟬に直鳴かれしてじきじき焼けるように痛んでくる(虹釜太郎『カレー野獣館 黄』円盤)
1月24日(金)
最近仲春の陽気がつづく。浜松市のアーティスト界隈を企画の軸で再編する意図を込めて第一回くわだてとたくらみ賞を発表する。南図書館で岡本啓『ノックがあった』河出書房新社を借りる。
1月25日(土)
朝起きたら深水英一郎さんから毎月短歌の選者をやらないかとXのDMがあったので半ば睡りながら3首連作部門の選者を、とりあえず次回だけ引き受ける。3首連作はいろいろ選に工夫ができるだろうから。子守、午前はKAGIYAビル3Fのgallery kairaiで玉谷天音さんの邂逅場を観る。青みがかった手焼きの写真と木炭で書き散らした詩とが濃淡を介して同化する瞬間があった。失敗したという手焼き写真もシアンが散って水彩具になったような色調になり、おもしろい。頭痛がまだ続く。夕方から体調がすぐれない。児は15時から3時間も昼寝していた。
満天の星空を前にして
気持ち悪い
と叫んでみたい
(玉谷天音「アンバランス」『無色透明のゆらぎ』)
1月26日(日)
午前は舘山寺まで足を伸ばし、平松観光アグリス浜名湖へ赴き浜松学院大学の清水講師らと苺狩をする。しばらく苺は遠慮したい。それからフラワーパークを北の池にあるジム・キーリングのファイブ・エレメンツまで散策する。「風」が風の通り穴で表現されているのが興味深い。昼は大山町の荒野のラーメンで済ます。頭痛は副鼻腔炎かもしれないので辛夷清肺湯を杏林堂で買う。夕に高橋洋品店へ行き衣料を注文したあと龍禅寺へ参る。公会堂で子ども育成会の年間計画を聴く。節分のお菓子撒きがあった。
生まれたことに、息はいま驚いているようだ(岡本啓「オールトの雲」『ノックがあった』河出書房新社)
1月27日(月)
今日から改区になり局の国道150号から南はすべて私が担うことになる。津波が来たらまず私が呑まれるだろう。新しい町を憶えるので午後を使い切る。私の能力では一日で配りきれない配達区になったけれど1割ほどを残しながらなんとかやりくりしていくしかない。他班は夕に松葉杖で整形外科から帰る人もいて、波乱の予感がある。明日からの人員の融通をめぐり班長同士の鬩ぎ合いもある。3B鉛筆を買って帰ると浜松市民文芸第70集の結果が届いており、定型俳句と自由律俳句で市民文芸賞との結果だった。表彰式をどうしよう。
1月28日(火)
雨上がり。静岡新聞読者文芸欄の恩田侑布子選で私の俳句〈まぶたなき人形たちのどんど焼〉が、尾藤川柳選で私の川柳〈陰謀に陰謀論が勝っちゃった〉が、野村喜和夫選で私の詩「天体の音楽」が掲載される。風が強い。夕からいたく冷たく吹く。配達中にはじめての企業で受取人払後納のお金をもらってしまい、翌日返金することになる。帰宅すると第16回永田青嵐顕彰全国俳句大会で私の俳句〈花みかんラジオは朝をつれてくる〉が入選とのお知らせが届いている。賞ではなく入選なら淡路島に行かなくていいだろう。
北塞ぐ模型のやうな親子丼/鈴木総史(『氷湖いま』ふらんす堂)
1月30日(木)
新区では前日一周・物数一万台前半・前日大区分済という前提条件でとりあえず午前に字Kをトバシ配達で終わらせられれば残りの字S・字Hまでなんとか一周して17時に帰局できる。定時上がりはもう夢のまた夢。でも、ひとつでも前提条件が欠けると困難になる。だから月火は無理なのでドミノ式に水木金も自然と困難になる。もし月火に2パスを順立せずそのまま持ち出せばなんとかなるかもしれないけれど。夕に特に冷える。大寒だ。
1月31日(金)
強風で寒い。特殊室から交付される書留は新区ではなく旧区で来るため移動に失敗し40分も朝の時間をとられる。さらにS海岸ちかくに午前指定があり苛々しながら13時までトバシ配達をして字Kをむりやり終わらせる。昼の帰局時に誤配回収を頼んできたM嬢へ「誤配なんて回収している暇なんてねーよ」と言って半泣きさせてしまい反省。五行歌を考えながらぼんやり帰宅する。
2月
2月1日(土)
朝は藪内亮輔『心臓の風化』書肆侃侃房を読む。朝食は森田町のカフェレストランざぼんにておぐらクリームパンセットで済ます。それからコバックへ向かい、立て続けのもらい事故でフロントバンパーとリアバンパーが新車同然となった車をとりにいく。戻ってきた慣れた車で井伊谷宮へ赴く。姫街道はやはり渋滞なので浜松環状線から金指街道で行く。だが金指街道もところどころ混む。井伊谷宮では事故有りの車祓いをしてもらう。拝殿はここが古めかしくて好き。龍潭寺の庭園も観て、細江町中川のマリーザ浜名湖で昼を済ます。有玉のマリーザには入ったことがありそこは閉店、浜名湖は2年前に全焼したらしい。まちなかへ戻り鴨江アートセンターへ立ち寄るとつじむらゆうじさんを見かけ握手する。鍛冶町の茶房いちばんの半地下の店内へ入ると白い犬マイちゃんが吠える。500円のコーヒーで詩を書く。老嬢犬はしばらくすると落ち着くけれどときどき吠える。さらにプスプス by ZINGへ歩きすずしさんと相談しながらマンガ募集企画にエントリーする。
きつと遠くで雨が一滴降つてゐるこんなにとても静かな夜に/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)
2月2日(日)
節分。朝は四コマ漫画「一般職タロー(仮)」のネームを進める。子守、昼にまちなかへ出て、漫画の画材などを漁る。帰宅して児とマンガの作業をしながら映画「ルックバック」を観る。
2月3日(月)
雨上がりだけれどあたたかく風も弱い。suiuの歌会のお題「別」へ〈ポケットに手を入れたままさようならグーを出したら勝っていたかも 〉という短歌を投稿する。
2月5日(水)
大寒波、朝がとくに寒く指先が痛い。午後は寒風吹き荒ぶ。夕方に天竜川を渡る時に春雪をぱらぱら見る。卒園した祖師谷の泰成幼稚園が閉園になるらしい。時代とともになにもかも移り変わる。suiuの歌会のお題「礼」へ〈おじぎしているあいだだった 青白い電気を帯びて銀河は過る〉という短歌を投稿する。
2月6日(木)
寒い。早朝に深水さんから第19回毎月短歌の詠草リストをもらう。朝のうちにExcelに貼り付けて無記名で縦書きに印字する。帰宅後、夜に選歌する。22時前に第19回毎月短歌3首連作部門蛻骨賞選評を公開する。意外とすんなり決まるものよ。
2月8日(土)
前の晩は窓へ叩きつける激しい風が吹く。大雪で名阪間の高速道路と国道25号線は7日21時から通行止めとなる。朝は睡蓮鉢が氷結している。淡い風花のなか国道1号線バイパスを通り富士山静岡空港へ向かう。だんだん晴れてきて茶畑の上に富士山が見えた。1時間半弱で着くと、出雲空港行の便は出雲空港が雪のため天候調査と掲示されている。昼はあさふじ厨'sで葱塩豚丼を食べる。出雲空港は雪で何便か欠航、引き返しているらしい。ライブカメラを観てやきもきしながらThis Is Cafeのアフォガードを食べる。FDA185便(オレンジ)は静岡へ引き返すこともある条件付きで遅延しながら離陸した。空から見下ろす関西地方はずっと雲に覆われていた。着陸すると機内でパラパラと拍手が鳴った。雪に覆われた出雲縁結び空港からワゴンでニッポンレンタカー出雲空港店へ運ばれる。FITを借りて松江市街地へ行き、宍道湖畔のホテル一畑に泊まる。浜松市でいうところのホテルコンコルド浜松だ。夕から雪が降ってきて、積雪のなか中原町の町中華、千恵で晩飯にする。
2月9日(日)
朝から雪が降り、対岸の島根県立美術館が見えない。朝食のビュッフェを食べたあと雪降るなか松江城天守閣を登り、興雲閣の亀田山喫茶室で休む。児は城内で雪遊びをする。松江レイクラインのバスでホテル一畑へ戻る。昼前に宍道湖北岸伝いに出雲大社へ向かう。道の駅秋鹿なぎさ公園に立ち寄る。雪国の道の駅は人も少なく不思議な空間だ。出雲市に入ると凍結している道があり数メートル滑走するもすぐ持ち直す。市によって除雪状況は異なるようだ。昼は大社駐車場脇に並ぶそば処おくにの釜揚げそばで済ます。出雲大社へお参りしたあと、南下して出雲民藝館へ赴く。袖師窯の器や布の素朴な色合いが良い。斐伊川和紙七代目井谷伸次の名刺入れを妻に買ってもらう。帰りに山陰自動車道を通り宍道湖SAに立ち寄る。東名の少し大きめなパーキングエリアの規模だった。それからさらに東進し美保神社へ行く。寒漁村の氏神である。17時前にスピーカーで演歌が鳴り響く漁港から対岸に大山が見える。北浦や七類などむかし島根半島を彷徨していたときに立ち寄った漁村を思い出す。松江市に帰り、みしまや中原店で晩飯を買ってホテル一畑へ戻る。

2月10日(月)
朝は松江レイクラインのバスでカラコロ工房へ行く。地下ギャラリーの金庫扉の頑丈さに驚く。それからまた松江レイクラインで巡り、島根県立美術館でコレクション展を観る。レイクラインの若い女性運転手は銀行の副頭取の曾孫という。下村観山「錦木」の構図や草光信成「四人の児等」の擬似楽園感や平塚運一「兵営附近A」の禍々しさや松本竣介「鉄橋付近」の錆びついたにおいやベルナール・フォコン「燃える雪《夏休み》より」の危うい明暗や戸谷成雄「森Ⅶ」の秘儀めくさまに惹かれる。松江レイクラインでまた松江城へ行く。二の丸下ノ段ちどり茶屋でぼてぼて茶を食べる。ぼてぼて茶は旅の暴食で疲れた胃腸にやさしい味だ。ホテル一畑へ帰り、スターバックスコーヒー松江玉湯店のドライブスルーに寄ってニッポンレンタカーへFITを返す。雲州の鳥は車に不慣れですれすれを飛ぶ。F186便(ピンク)は1時間弱で富士山静岡空港へ着く。かなり風に揺れながらの着陸となる。

2月11日(火)
強風。尾崎弘子さんに教わっていたのだが、2月9日の中日歌壇島田修三選第二席に私の短歌〈郵便のバイクに乗ってさざんかの紅濃き闇へつっこんでいた〉が採られていた。同第三席は〈そのときの思いをやっと言い当てて考えるとき無限のひとり/小原温子〉、湖西市の方、言葉があてはまってしまった深淵。また中日俳壇の高柳克弘選に〈困っちゃう出たくないんだこたつから/大塚心乃〉こちらは浜松市、句が若い。出雲から帰ってから、民藝やぼてぼて茶を介して、有名なアーティストや高名な芸術家がつくっているように演出されている文化と無名の群衆による層の厚みがつくる文化について考える。どちらかも同じ文化だけれど、どちらかといえば私は後者を支える人でありたい。午前は高町の古橋商会へスーパーカブ110で行き、走行距離4万2175キロ余でエンジンオイルを交換してもらう。それからまちなかへ戻り火曜定休なのに営業していて閑古鳥の鳴いているラッキー浜松駅前店で貸し切り状態で理髪してもらう。側面はバリカンで5㎜、上は3㎝残し、もみあげは耳の真ん中から1㎝上までといういつもの注文で。南図書館で今井恵子『短歌渉猟』短歌研究社や山田亮太『誕生祭』七月堂などを借りて帰る。午後は子守、可美公園で児を運動させたあとMEGAドン・キホーテ浜松可美店で地方郊外女子の生き方を示す。カードゲームのワードスナイパーを買って帰宅したら遊ぶ。未就学児には難しいお題もあったけれどかなり楽しめる。数年後はワードスナイパーイマジンもやってみたい。
白黒の異国人達が
無口で行き交う交差点で
早歩きの恋人をみつけたりもする
(水下暢也「ところによって雨」『亡失について』思潮社)
2月12日(水)
久々の仕事で廃休、そのため定時で退勤しないとならない。でも9時前に面談をした。結果から言うと私は敗れた。勝利条件が厳しすぎたけれど、まさに一敗地に塗れた。でもそのことは予め知っていた。それに局で何が起きているのかは支社に問題視してもらえた。なのですぐに気持ちを切り替え是正指導をお願いした。それに、問題を内々に留めず外部に現状を伝えるという役目は果たせたと思う。夜に雨が降り、寒い。
すべての国民は健民の顔で、誰であれ役に立ったと告げる
われらの仕事を上回る力を得るための、泥の、復活の文字、ひとつに結集する
(山田亮太「報国」『誕生祭』七月堂)
2月13日(木)
雨上がりのため西風が強い、疾風と呼べるくらいに。suiuの歌会のお題「疲」へ〈身のうちかそとかは泥でできている電子書籍へ沈む文字たち〉という短歌を投稿する。第1回浜田到顕彰きりしま短歌大会の結果が届いており私の短歌〈君のいた時間は鳥のなりをしてときどき湖を影で彩る〉は佳作だった。
2月14日(金)
風も弱く穏やかな日、配達先の字Kには猛禽類が2羽棲んでいる。鳶のようには鳴かない。今日はそのうち1羽が烏に逐われていた。
2月15日(土)
子守、バスで中田島車庫まで行き、そこから歩いて卸本町のアリィの冬と夏2025 Re.15 Remembranceリ・メン・ブランスへ赴く。珈菓でLily's cakeの金柑マフィンとかもめの珈琲屋さんの珈菓ブレンドを買う。一ノ瀬龍星プロデュースの展示「汗」では、関口陽大による酸素吸入器をつけたパンダのぬいぐるみが危機感と和みの均衡を崩しており、おもしろかった。昼はPATICANAのバターチキンカレーを食べる。酸味があり複層的で旨い。本町公園で遊んだあと文藝フルーツのリッチピスタチ王を食べて濃厚な一句と思う。それから大阪にあるというデパートのカカオニブとココナッツのクッキーチョコかけを非常食用に買って瓜内町1937のスーパープランニングへ向け、多肉屋黒田の横をとおり歩く。目的地に到着したら倉庫のような1937galleryにてDOCUMENTATION YER!YER!YER! ドキュメンテーション/ヤー!ヤー!ヤー!を観る。私が富塚で制作した「重力の分裂症、色彩はやがて脊椎を生やすだろう」が生贄として吊るされていた。また、ダンボール内ミニシアターのなかで鑑賞しているミニチュア宇宙人たちが気に入った。アルミニウムのリベットで簡易製本もする。

2月16日(日)
暖かい日、子守。あらゆる美術作品はタイトルと説明に詩歌を使うために創られる。つまり無印良品のカレーが詩歌であり、無印良品の皿や服や家は美術作品なのだ。朝日歌壇の馬場あき子さん選第一首に〈絵本から絵がなくなって本になるように幼なは子になってゆく〉という私の短歌が採られる。投稿した元歌は〈~子どもは子になってゆく〉で群体から個体への成長という表現もしたかったのだけれど、ひねりはひとつで良いと判断されたのだろう。朝日歌壇の肝は分かりやすさである。でも実家と義実家が朝日新聞購読をしているのでしばらく、ときどき投稿しよう。朝日俳壇大串章選〈凍蝶はアルプス越ゆる夢見つつ/新美幸二〉浜松市、越えてから絶える。中日俳壇高柳克弘選に湖西市のふたり〈北風に向いて散歩まだ死なぬ/山下静湖〉〈虚脱・怒り・後悔・自立日記果つ/市川早美〉終末への予感。遠鉄バス12浜名線は浜松シティマラソンの影響を受けず、よろい橋停留所で降りてMEGAドン・キホーテ浜松可美店へ赴く。昼は近くのラーメン魁力屋で済ませる。キッズメニューがあるのは意外だった。森田停留所から旅籠町停留所までバスで行き、松尾小路をぬけて鴨江アートセンターへ赴く。画家・柴田智明さんの作品展示/公開制作/パフォーマンスを観る。記憶の廃布が画鋲で壁になんとか留められているような展示に救いを見出した。しがみつく夢の肢を見たような感触がある。こども館を経て帰宅する。
アートは誰も私を止められない盲目のジャングルだ。私は、世界が牡蠣になる地点を捜している。(柴田智明「時計仕掛けの三ヶ日みかん」)
2月17日(月)
朝の国道1号線上り、7時前なのに事故なのか新天竜川橋から渋滞していた。暖かいと思っていたら午後から風が強くなり雨がパラついて寒くなる。18時半過ぎに退勤して谷島屋書店磐田店へ行くけれど宮崎拓朗『ブラック郵便局』新潮社は浜松本店にしか在庫がないらしくkindleで買うことにする。
2月18日(火)
日差しはあるけれど風は強く、寒い。紅梅が咲いている。つじむらゆうじさんから今年7月の詩幣に詩創造者としてふたたび招聘される。また、あくたんこと水飼心さんから「汀心 vol.2 生命について」の短歌募集について連絡をいただく。
2月20日(木)
夕方、福田西病院南のエネオスから歩道まで出たとき、南へ向かう赤い乗用車の運転席と助手席の女の子ふたりが私に向かって笑顔で手を振ってきたので手を振り返したけれど誰か分からない。帰局すると書留が一通ないので落としたかと思い捜索に出かけたら字Sの受箱へ投函していた。改区で環境が荒れているため起きたミス、現状の環境のままであれば今後もっと大きなことが起こるだろう。伎倍の茶屋の金子母から万葉の森公園桜まつりのチラシが届いていた。大切に撒いていこう。
2月21日(金)
静岡新聞の岡本さんと電話で話す。静岡新聞読者文芸の「詩は、600字以内で入力してください」は実は原稿用紙1枚半つまり20字30行の規定だと教えてくれた。そう書いたほうがいい。今夜はゆうパケットの不着で夜まで残る。2個口の大口の受箱へ余計にひとつ放り込んでいた。改区の弊害がでている。減区になったらますます誤配は増えるだろう。
2月22日(土)
寒い日、風が強い。9時に小池さんにはままちプラスを開けてもらい、10時から出店者が集まり始める。11時にポエデイ2開場、道に迷いつつの中澤佳央梨さんと品田まむさんが来場する。それから麦の田中編集長と笹木弘さんが来場、麦を図書館に置く案と青年部の案を受ける。それからチャリコフや俳句をひとりでつくっているという袋井市の桑原さんが来場する。浜松オンライン読書会の持ち寄り詩歌鑑賞会に口をはさんだあと遠鉄百貨店地下のサンマルコでかきフライカレーを食べる。しっかり辛い。まちなかを春雪が舞う。アトリエ茶葉のマツノヤユウヤさんが来場する。佐々木さんが来場、谷脇さんと会わせる。13時から出店者によるポエトリー・リーディングが始まる。だんだん晴れてくる。谷脇クリタさんの「渋谷スクランブル交差点」朗読中に泉由良が倒れ救急車に載せられしばらくの吹雪ののち泉由良は自分の足で歩いて戻る。会場がひとつになったころ、白川ユウコさんなどが来場。出店者のパフォーマンスのあと沼津からの品田まむさんは短歌と詩をしっとりと読み上げる。桑原さんはエドガー・アラン・ポーの「鐘」を英語で、チャリコフはブロークのロシア語詩と誰かの英語詩を読んだ。最後に私が「象遣い」を読んでしばし歓談ののち16時に閉幕。

公衆電話を使っていた桑原さんを待って撤収ののち16時半ごろにはザザシティのはままつ楽市へ移動して泉由良・にゃんしー・壬生キヨム・品田まむ・谷脇クリタ・今田ずんばあらず・櫻庭彩華・浩太さん・石野さん・桑原さんと餃子や越南料理やフルーツで会食。品田さんから芽部の話を聞く、品田さんはポエデイが去年6月から気になっていたという。そして皆へポエデイ主催譲渡案を話す。それから18時過ぎに壬生キヨム・谷脇クリタ・今田ずんばあらず・櫻庭さん・桑原さんとWest Goat Coffeeで飲む。今田ずんばあらずの独立後4年でのちゃんとしすぎた声優オーディションの話を聞き、桑原さんの生い立ち要素のひとつひとつがすべておもしろいことを発見する。20時前に解散した。そのときもデジタルサイネージのポエデイ短詩はまだ流れている。雪と寒さのためか前回より来場者は減った感触はあったけれど届くべき人に宣伝が届いている実感はあった。桑原さんは「詩 オープンマイク」で検索して来たという。なにより静岡県にチャリコフ・品田まむ・桑原さんといった詩人がいると知った収穫は大きい。
誰に何を託すのか今日も明日も明後日も全部自分で決めるんだよ(山田亮太「タイム」『オバマ・グーグル』思潮社)
2月23日(日)
中日歌壇島田修三選第二席に私の短歌〈くやしさに夕日の赤くにじむ帰路ハクキンカイロの火口は甘い〉が採られていた。午前は鴨江アートセンターで永田風薫さんの「家政-部屋と声、動作のためのサウンドトラック」を観て、音のなかにちいさなイエを建てる。それから田中マサトの藍スクリーム屋さんも観る。藍の茶をいただき、バナナの追熟防止ハンモックが楽しい。また、柴田智明さんがさまざまな廃材でケーキを作っていた。自由でかつ創意にあふれている。午後は卸本町にまだ残っている本町ビルのことゆく社へ行きことゆくラックを受け取る。本町公園の蛸型遊具にて、Nu-tria Skateparkで遊ぶ姉の付き添いで名古屋から来た同い年のゆずちゃんと児を遊ばせたあとPAOで丹波栗ジェラートを食べる。PAOは北海道牛丼やイタリアンチョコレートなどが並ぶふつうのジェラート屋になっていた。
こんなにも長い間
私の地図を覗こうともしなかったあなたが
(清水とき枝「郷愁」『還らない日々』浜松詩人社)
2月24日(月)
臙脂色をしたピアニカのケースの留め具がゆるくなったので午前はヤマハミュージック浜松店へ行き、ケースの替えだけを注文する。浜松駅北口広場にウクライナの国旗を掲げたスラブ系の険しい顔つきをした若者4人が募金で立っている。午後は瓜内町のCOFFEE SHOP マニュウへ行く。駐車場は10は停めてはダメで、11から14までは停められる。マニュウのテーブルゲームは麻雀牌を表示する台が2台ある。アイスチーズケーキと紅茶で詩を書く。紅茶に檸檬一片がついていて嬉しい。
2月25日(火)
あたたかい日、静岡新聞読者文芸欄の野村喜和夫選で私の詩「生協」、大辻隆弘選の特選に〈雲ひとつなくきれいとか言うときの雲ってそんなにきたないのかな〉が掲載される。帰宅すると第7回浜松「私の詩」コンクール受賞のお知らせ葉書が届いており、浜松市長賞だった。妻に「生協」を読ませると小言をもらう。
2月27日(木)
風もなくあたたかい穏やかな日、白梅が目立つようになる。夕刻に字Hで東局時代にお世話になった先輩と会って立ち話をする。三ヶ月入院して今日退院したという。しばらく投稿は静岡新聞読者文芸4詩型・中日歌壇島田修三選・中日俳壇髙柳克弘選・朝日歌壇・朝日俳壇、それと現代詩の余波としての毎日歌壇水原紫苑選だけにしよう。それも毎回ではなく思いついたタイミングだけの投稿で。
3月
3月1日(土)
のどかな陽気。朝はクリエート浜松五階の浜松文芸館の鷹野つぎ展を観る。平塚らいてうや生田春月の書簡があり女性作家としての、あるいは女性解放運動との関連の展示が新しい。四階の放送大学事務室で学生証を更新する。はままちプラスで開催中のチャノイロポスカへ行き、マツノユウヤさんとイベントについて話す。受託もしており事務がたいへんそう、しかし色彩のある展示会場で賑わっておりたのしげ。千歳町の喫茶室Room112に入り、420円のアイスコーヒーで作業と読書をする。富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報社は名著である。瓜内町のCOFFEE SHOP マニュウでアイスチーズケーキとコーヒーの650円のセットで小幡玲央『飴細工』を読み、アッシュルバニパル王の詩を書く。ヤニくさい店に女子高生二人組が来店し、動揺する。しかもよく食べる。こういう地方の駅から離れた昭和な喫茶店で、漏れてくる会話を聴きながら過ごす時間は地方都市生活における醍醐味だ。
これから出会うものはみな20代で出会ったものの変奏でしかない。そのことに気づくまでに随分ときみは遠回りした。(小幡玲央「黄昏」『飴細工』)
3月2日(日)
暑いくらいな日、燕をはじめて見る。中日歌壇島田修三選に私の短歌〈いにしへの海岸線を辿ろうと川鵜の列はほぐされてゆく〉が採られていた。投稿は「いにしえ」だったかも。午前はMEGAドン・キホーテ浜松可美店で児のアトリエ・エム用に筆記具を買う。昼は魁力屋。そういえば西図書館がイオンスタイル浜松西伊場の東へ移転するらしい。あまり使っていなかった図書館だけれど駐車場が狭かったから利用しやすくなるかな。帰りにザザシティ前停留所で降り、ヤマハミュージック浜松店でピアニカの蓋を買い、谷島屋書店浜松本店でアッシリアについての新書2冊を買い、West Goat Coffeeでおやつを飲み食いして南図書館でトニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社を借りて帰る。手持ちの本が帝国と群衆になってしまう。夜に群馬県から送られた玄米を白羽のJAで精米する。
蓬山此去無多路
靑鳥殷勤爲探看(李商隱「無題」)
3月3日(月)
雨、電話で浜松文芸館と市民文芸表彰式の席について話す。定型俳句と自由律俳句と2つ席を用意してくれるらしい。長野小学校の東で狸を3頭見る。道を渡ろうとするけれど私がいるため渡れず生垣に戻って様子を窺うさまがかわいい。配達区が平準化されて重くなったので4マス補助されたくらいでは雨の日には残さざるをえない。帰ると児が胃腸炎らしく寝込んでいる。もう腸に下りてきているようだ。
3月4日(火)
冷たい雨が降り続け午前は手指が濡れて冷えて刺身のようになり痛んだ。午後はワセリンを塗りたくったからか雨が止んできたからか手指はさほど痛まなかった。
3月5日(水)
ぐずつくけれどややあたたかくなった日、朝にチャリコフの詩を書く。俳句より短歌より自由詩はつくりやすい状態にある。来年度から班員がひとり減ったり十月あたりから減区がはじまったりするという。廃休などで減る作業時間を確保するためにも勤務時間中の作業は必須になるだろうし、減区をするとひとりで完配は難しくなり残は当然出る。品質は下がる一方だ。貧すれば鈍するの状態に弊社はある。とは言え、なるようにしかならない。
只慙無補絲毫事
尚費官家壓酒嚢(蘇軾「初到黃州」)
3月6日(木)
まだ防寒着を脱ぐのには早すぎた。雨合羽でスーパーカブを乗り回していたら海岸近くの風でからだを冷やしてしまう。帰宅して「獣になれない私たち」を観る。小道具がいい味を出しているドラマである。劇中店の5tapは映画「パターソン」みたいな夜の形式がある。テイストはやや異なるけれど。
歩くときは散文で
止まるときは韻文の厚皮動物たち!
(セサル・バジェホ、松本健二訳「土と磁気の」現代企画室)
3月7日(金)
クレジット機能付きキャッシュカードを失くす。昨日の昼に磐田郵便局のATMで使って、今日の昼にローソン磐田豊島店で気づくまでの間で落としたのだろう。不安で貝になりたいけれどローソンからの利用履歴はない。遠州詩歌アンソロジーについてすこし考える。出版機能をもてばみんなの詩歌叢書も出せる。西鮫島の側溝には痩せ狸や野良猫が棲んでおり、ときどき尾を見せる。ゴルフ場には狸が2頭いる。
3月8日(土)
徳島新聞のジェンダー短歌田丸まひる選に私の短歌〈児の看護休暇をとれば奥さんは何者なのか問う面談へ〉が入選していた。未就学児の看護休暇を限度までとった一年だった。午前は入野町のツインギャラリー蔵で「明日と泳ぐ『ことばのまわり――10年目を歩く』刊行記念展」を観る。11時開場を勘違いして10時過ぎに行ってしまう。空閑美保による解説の練習台になり、フェイヴァリットブックスL高林さんのときたま書房設営風景を観る。展示は新聞一面を鉛筆で塗りつぶしたりアンネ・フランクの日記のn/o/w/a/rの5字以外をホワイトで塗りつぶしたりなど乾さんの時間と根性の注ぎようの茫漠さを体感した。2階に展示されていた12ヶ月の新聞アーカイブは時の安置所と思える。その場で買った『ことばのまわり――10年目を歩く』荒蝦夷に乾久子さんのサインを書いてもらう。駅前の吉野家でねぎ玉牛丼あたま大盛りを食べRoom1102で『マルチチュード』を流し読む。13時からザザシティ西館地下のFUSEで開催の浜松オンライン読書会によるジェンダー関連本読書会へ『闇の左手』を持ち寄る。みきさん、足立区から高速バスで来た加藤さん、石野さん、浩太さん、壬生キヨムが参加。15時過ぎからジェンダーロールの再生産について和風シンデレラストーリーや異世界転生などを題材に話す。また私は双系制の話をする。カネスエで牛豚合挽肉を買って帰る。
「われわれだって二元論者だ。二元性は根源的なものではないのか? 自己と他者がいるかぎり」「われと汝」と彼は言った。「ええ、そうですね、性よりももっと広範な意味で」(アーシュラ・K・ル・グィン、小尾芙佐訳『闇の左手』ハヤカワ文庫)
3月11日(火)
有給消化。先週末から馬込川沿いの河津桜が見頃となる。ザザシティのスターバックスで『石川信雄全歌集』書肆侃侃房を読んでから鴨江アートセンターで10時ごろからつじむらゆうじさんと7月の詩幣について11時半まで話す。メモには「宇宙のしくみへ触れる」や「伝わらないと思い言えなかったことばが詩になる」などと書いてあった。アーティスト個人でも集団でもなく、群衆で芸術をやりましょうということを述べたと思う。小雨の降るなか北上して中央図書館へ赴く。調査支援室で2018年1月19日朝刊「浜松・遠州」ページのここすとに関する記事を撮影する。そこから東へ歩き池町の典昭堂で佐佐木信綱編の『万葉集』岩波文庫の上下巻を200円で買い、常磐町のDayaでマトンカレーとチーズナンとまちがえたバターナンを食べる。鍛冶町の浜松たばこセンターやしまで黒チェを買い、中央図書館駅前分室で杉勇『楔形文字入門』中公新書を借りる。詩・短詩の掲載ページ「ギルギナック」を構想する。まちなかを離れる前にメイワン8階の谷島屋書店で、『全共闘晩期』航思社の余波として村上春樹『1973年のピンボール』講談社文庫を買う。川口大三郎事件は1972年11月、1968年から1975年まで村上春樹は早稲田大学第一文学部に在籍していた。瓜内町のCOFFEE SHOP マニュウまで廻る。ZIPPOを忘れたのでマニュウの燐寸をもらう。そして650円のアイスチーズケーキとコーヒーのセットで『1973年のピンボール』を読む。冷凍倉庫に並べられた、スクラップ寸前だった七十八台ものピンボール・マシンは、自由を求めて果てた人たちの安置所と思う。砂利とホソバ垣の径を歩いて帰宅する。
一日ぢゆう步きまはつて知人にひとりも遇はぬよき街なり/石川信雄(「シネマ」『石川信雄全歌集』書肆侃侃房)
3月12日(水)
有休消化、また木の芽雨。午前はまちなかへ車で落としてもらう。谷島屋書店浜松本店で入沢康夫『詩の構造についての覚え書』ちくま学芸文庫を買い、同じ階のエクセルシオールカフェで読む。それからメイワン7階のハッピー浜松店で豆カレーとチーズナンを食べ、肴町の珈琲BENIにてブレンドコーヒーで『詩の構造についての覚え書』を読み、煙草を欠きながらも詩を書く。晩はフィール白羽店で買ったイサキ・かます・さよりの刺身を食べる。
3月13日(木)
府八幡宮北辺の桜が咲き始める。それと木蓮がほころびはじめる。kindleに萩原朔太郎『詩の原理』青空文庫をダウンロードする。
3月15日(土)
午前はアクトシティ浜松コングレスセンター5階で浜松市民文芸賞の表彰式に参加する。小説・児童文学・詩の内山文久さん、定型俳句の宮田悦自さん、自由律俳句と短歌の河合香織さん、短歌と定型俳句の峯村友香里さん、自由律俳句のちばつゆこ(『茉莉花』)さん、それに選者の宮本卓郎(『山頭火の会』)さんなどと話す。自由律俳句は後継者不足になやんでいるようだ。懇談会のあと複数部門受賞の内山・峯村・河合諸氏らとともに浜松ケーブルテレビウィンディの沢根さんの取材を受けた。
沈黙に耐えかね蛇口が気を利かせエイトビートを奏で始める/峯村友香里(『浜松市民文芸第70集』)
閉会ののち浜松駅で12時9分発の東海道本線に乗りこみ掛川駅へ。かけがわストリートテラスで露店から掛川ハヤシライス大盛800円を買って昼食とする。城下のこだわりっぱで抹茶&さくらソフト450円を買うけれど両者がうまくかみ合わなかったようで、コーンに抹茶、カップにさくらと分けてもらう。さくら味ソフトクリームは桜餅のようにほんのり苦みがある。それから掛川市二の丸美術館へ行き、短歌の種展2を観たあと14時から河原こいしさんの吟行at美術館に参加する。参加者の山本起也さんも掛川城観光俳句短歌へ投稿していたという。展示は一角獣のウニコール製根付、とくに椎茸と蝸牛などのヌメリ感が好み。15時からみなさんの俳句や短歌を見聞きして感想を述べあう。詩歌の解釈は詐術にも似る。解散したら雨降りとなっていた。浩太さんの軽自動車に便乗させてもらう。はゆき咲くらさんを掛川駅へ送ったあと東名と中田島交差点経由で自宅まで送ってもらう。
ほんものの龍よりもなお龍らしくウニコールより掘り出した息/甲太郎
3月17日(月)
日差しはあるけれど冷たい風が吹き寒い。久しぶりに防寒衣を着た。毎日歌壇の水原紫苑欄に私の短歌〈配達は闇を怖れるポケットのなかのジッポは桐に鳳凰〉が掲載される。クレジット機能付きキャッシュカードが見つかり南部交番で受け取る。
3月18日(火)
ゴルフ場にまた狸がいた。私に慣れたのか茂みのなか、手近なところから私を伺っていた。佐鳴台の佐鳴湖病院が閉院になるという。2021年から2022年にかけて適応障害で休職したとき宮田先生にお世話になった。私のカルテはどうなるのだろう。
3月20日(木)
春分の日。13時過ぎにクリエート浜松の一階広場でムラキングさんらしき人影を見て、エレベーター前で糀谷未有さんと会う。第7回浜松「私の詩」コンクール表彰式の会場である浜松文芸館講座室へ入ると鈴木和子さん、内山文久さん、熊谷文昭さんらが主催側にいる。私の席は右前の熊谷文都くんの隣になった。表彰のあと受賞者による詩の朗読がある。私は一般の部浜松市長賞の「ひまわり」を朗読する。中日新聞社賞の中道陽介「november」が、ボソボソとした読み方を含め印象に残る。そのあと旅人さんがギター演奏をする。つよい御方だ。会は果て、さとう三千魚さんと挨拶・名刺交換する。
冷たい水が欲しいのです
ヒヤリと甘い、未知の味のする、未来の井戸から汲まれた、ありきたりなものがいいのです(中道陽介「november」)
3月21日(金)
あたたかい日、でもまだ風はややつめたい。コールサック社のアンソロジーはタイトルがやたらと長いけれど、それはなぜなのかを考える。図書館などの検索にひっかかりやすくするためか? 世界詩歌記念日なので昨日いただいた『遠州灘』136号を読む。
駅 頭
黄昏を積み込んでしまった郵便車。(瀬川東二「短詩集・小景散歩」『遠州灘』136号)
3月22日(土)
午前は卒園式、先生も和装の妻も泣いていた。児の手つなぎペアだった年少さんがサプライズで見送りに来てくれて、児は慕われていたのだと感じる。式が終わったあといちごカフェでの女子会に加わり唐揚げ定食秘伝ソースを食べる。午後は蜆塚の浜松市博物館へ赴き、伊場遺跡群出土品の重要文化財指定速報展を観る。三重の環濠が確認されている伊場遺跡は弥生時代後期の銅鐸などの分布の東限に位置しており、首長が住み、他の集落を従えていたのかも。台付甕は台部付根に粘土帯があるのが西遠江地域の特徴だとか、下膨れの器などは東遠江地域の特徴だとか、文様や形で地域の特徴があるのがおもしろい。まだ手袋なしパーカーだけでスーパーカブの運転は寒い。帰宅して低体温症のように悪寒がして歯の根が合わず震え頭痛がする。白湯と蜂蜜湯を飲み、湯に入り布団に包まり、いちごカフェの牛筋煮込みを食べて体温が戻る。切痔で血を失っているのも一因か。
春愁をおくべき雲のひとつなく/田丸千種(『弄花』朔出版)
3月23日(日)
バスと東海道本線を乗り継いで二川駅で降り、豊橋総合動植物公園のんほいパークへ赴く。放送大学の学生証を持っていたので入場無料だった。3月は学生が無料らしい。自然史博物館で映画「おしりたんてい コズミックフロント」」も無料で観る。水戸黄門の印籠とおしりたんていの「しつれいこかせていただきます」は物語のなかでの位置づけが類似している。あたたかい日で北極熊が姿を見せない。河馬の出目吉が丘の上で昼寝をしている。小爪獺が水に降りそうで降りない仕草が可愛らしい。猿山の隅に毛のない傷だらけの赤猿がいてたぶん敗残者なのだと思い同情する。二川駅発15時30分の東海道本線で帰浜する。
3月24日(月)
のどかな日、毎日歌壇の水原紫苑欄に私の短歌〈アッシュールバニパル王も戦争を恐れていたと唄う海豚は〉が掲載される。『麦』誌上で滝浪武さんの逝去を知る。短詩の組織に属するということは多くの死と直面することでもある。
3月25日(火)
とてもあたたかく黄砂のとぶ日、静岡新聞読者文芸欄の大辻隆弘選の秀逸に〈春風に終わる命の匂い混ぜ午前六時の北へゆく豚〉が掲載される。中郡福塚線で毎朝見るか臭いを嗅ぐ家畜運搬車についての歌だ。
星は描かれていないので燃えかすは残らず(中澤佳央梨「朝は焼ける」静岡新聞2025年3月25日朝刊読者文芸)
それと同じ静岡新聞朝刊教養の『詩はいま』に杉本真維子さんの印象深い言葉が載っている。
それによって作者が繰り返す「死にたい」という言葉がことごとく「死にたい」の比喩であることが露呈される。言葉にならない言葉をすくい上げるのはやはり詩なのだ、という思いを深めた。(杉本真維子「目に見えるものの先へ」『詩はいま』静岡新聞2025年3月25日朝刊)
これは先日、つじむらゆうじさんに話した「伝わらないと思い言えなかったことばが詩になる」と似ている。伝えるという他者とのかかわりを考慮にいれるかいれないかだけが異なる。
3月26日(水)
風強く霾る日である。すこし焦げ臭かったのは韓国の山火事の流れてきた煙らしい。岐阜県が特に臭ったという。ロサンジェルスや大船渡、岡山と今治など最近山火事が多い。そんな森林火災のようにとんでもなく詩を読み、とんでもない詩を書いていたい、そんなことを思う。そしてすぐに忘れる。
いろいろなむかしが
私のうしろにねている。
あたたかい灰のようで
みんなおだやかなものだ。
(天野忠「私有地」『天野忠詩集』思潮社)
3月28日(金)
朝は雨、昼に初夏のような日差し、夕は強風。帰りに南図書館で『入沢康夫詩集』思潮社と『続・入沢康夫詩集』思潮社を借りる。足裏のうちがわがひどくいたむ。nesさんの第1回川柳句会アイリス句会報で私の句〈音漏れは肺のアイリスからだろう〉を平抜きの初鳴きで披講していただく。川柳句会用語は魅力的である。
3月29日(土)
朝は雨が少し降り、駐車場に磯鵯がいた。平口の万葉の森公園の桜まつりへ行くため、Googleマップ頼りに浜北駅の北口ターミナルへ来たら時刻表が改正されたのか8時台のバスがなく、新浜松駅から遠鉄に乗り、浜北駅から西へ歩く。汗ばみながら10時前に万葉の森公園にたどり着き、工房の西にある藤と桃のあいだに敷いたブルーシートで担当の古木さんとともにカードゲームのゴーシチをする。カンタン短歌と題して、こどももまじえて57577や575などをつくり、感想を言い合う。浜松ケーブルテレビウィンディの沢根さんの取材も受ける。それから浜松ゆる読書会のスイさんとお嬢さんも加わる。昼は万葉亭で万葉食をいただく。鯉の酒蒸しに醤酢をつけて食べるのが旨い。それと蘇も味わい深く、なにより菱の実を食べられるというのが驚きだった。午後もゴーシチをする。望月さんから昔の思い出などもポロリとこぼれ、詩歌の場って人柄がにじみ出るのでおもしろいね。信藤洋子さんとも挨拶する。14時過ぎから胡蝶之夢さんの中国琵琶の演奏と舞踏、眉南边や忆江南を観て、伎倍の茶屋で手作り桜餅と抹茶をいただき、グリーンアリーナ入口のバス停から15時22分発のバスで浜松駅へ帰る。万葉の森公園のみなさんは静岡新聞や中日新聞を読んでおり、私の名を知っている。他分野のイベントに出るにしてもこうした詩歌や文芸に関心のある人たちがやっているイベントの方が参加し甲斐がある。
醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ吾にな見せそ水葱の羹/長忌寸意吉麻呂(佐佐木信綱編『万葉集』岩波文庫)

3月30日(日)
午前はサントリーのらくなりいちごの苗を植えつける。それから向宿の畑懐で畑懐の土1リットルと不断草の種といろいろな雑穀や豆の種を買う。家に帰っていろいろな種を蒔く、何が発芽するのか楽しみだ。それからまちなかを徘徊し、鍛冶町の浜松たばこセンターやしまで赤チェを買う。13時にKAGIYAビルの喫茶さくらんぼに入り、ポメラで作業をする。稲吉オサム作陶展「連」のチラシやこれを企画している小林慶太朗さんの「理のさき、心をのぞく」のチラシを入手する。小林慶太朗さんは化学研究職とのこと。2階のBOOKS AND PRINTSにも寄る。マヤコフスキー叢書の脚本が置いてあった。West Goat Coffeeにも寄ってポメラ作業をして帰る。不断草の種を蒔く。
旧潜戸は「子供たちの死霊の窟」で、
ここで母たちは死んだ子の足音を聞き、
砂に残された微かな足痕を数へる、
(入沢康夫「Ⅰ潜戸から・潜戸へ」『続・入沢康夫詩集』思潮社)
3月31日(月)
冬の寒さ、午前は小雨がぱらつく。毎日歌壇の水原紫苑欄に私の短歌〈学校へ渡す感情調査票 名のない感情はくもくれんと書く〉が、加藤治郎欄に私の短歌〈国道の渋滞のさきゆっくりと帰省してゆくトリケラトプス〉が掲載される。夕は小雨がサーと降る、とても冷える。妻子は東京に行っておりいない。米不足であきたこまち5キログラムが4380円もする。去年の8月くらいまでは2000円前後で買えたはずで、政府備蓄米の放出はどうなったのだろう。
4月
4月1日(火)
新年度、雨がぱらつき肌寒い。ここ4日で詩を5篇書いて、4篇を出した。自分の書きたい領域が見えてきた感じがするのでそこから離れたい。
4月2日(水)
朝まで小雨だが、昼は日差しがありあたたかい、のどかな日。遠藤ヒツジさん企画の生成AIによる詩作品アンソロジー募集へ応募する。geminiで2回指示してできた詩である。喉が痛く脚も懈い、自律神経が弱っているのだろう。20時にウィンディニュースさんちょく!で万葉の森公園桜まつりを観る。夜はまた雨、東京についての小詩を3篇書く。
4月3日(木)
朝は雨が長びく、昼から晴れるけれど風はやや冷たい。米トランプ政権の輸入自動車に対する25%の追加関税が今日からはじまり27.5%になる。中京工業地帯から東海工業地域にかけての自動車関連産業に少なからず打撃はあるだろう。ほかに相互関税として24%が課される。さて、詩歌でもやっていこうか。
4月5日(土)
子守、午前は栄町の青葉幼稚園内でやっているアトリエ・エムへ児を預ける。元魚町の南北に伸びる小路にある喫茶軽食たじまでそのあいだ一服する。93歳になるたじまのおばさまから蒲郡で戦中の東南海地震・三河地震に遭遇した話を聞く。昼はザザシティはままつ楽市の華楽で醤油ラーメンとチャーハンで済ます。それから浜松ジオラマファクトリーへ行き、第12回ハイスクールジオラマグランプリの入賞作品を観る。ゴジラに壊される名古屋城の崩壊過程が良い。KAGIYAビル304号室nauで稲吉オサムさんの作陶展「連」を観る。腸を抜かれたような陶器に隕石味がある。隣室のRohanにて飛松灯器さんと小駒眞弓さんの2人展を観る。0型の陶磁器や磁器の照明器具など陶という素材を用途や既成の型にとらわれず自在に操ろうとする意志が見える。これは稲吉オサム作品にも見られたものだ。夕に詩季用に詩を2篇用意する。夜にホテルJinについての詩を書き、気に入る。
4月6日(日)
子守、午前は雨で午後から晴れる。NotebookLMに読ませるため現代詩関係のブログを漁っていたら小笠原鳥類つながりでHerb Port of Poetsという英語詩を募集しているブログを見つけたので昨日の詩を翻訳して応募するとすぐ掲載してくれた。Richard Brautiganの原文詩を読むと、頭文字をあまり大文字にしなくてもよかったかもしれない。
春陰易成雨
客病不禁寒(陸游「春雨」)

4月8日(火)
非番、桜は葉が目立ちはじめるなか小学校の入学式。午前は児と川沿いを歩いて小学校へ赴き、現地で和装の妻と合流する。入学式のあと組ごとに先生と児と保護者とで集合写真を撮影をする。児童会の入会式も済ませ一旦帰宅する。集合住宅の同じ階段の家族は午後に中学校の入学式である。昼メシをコメダ珈琲浜松領家店で済ませたあと卒園して改名されたこども園へ行く。そこから妻子とわかれシネマイーラでモハマド・ラスロフ監督の「聖なるイチジクの種」を観るためまちなかへバスで向かうけれど時間をまちがえていたために観られず。ちなみに原題はدانهی انجیر معابد、観ていないので種が無花果なのかは謎のまま。朝の広末涼子事件を題材に詩「広未涼子」を書き、投稿する。
4月10日(木)
午後から雨の予報だったが降り始めは夜へずれ込む。連日の選挙の投票所入場整理券と介護保険料の郵便配達で脳が熱い。午後、磐田市の仿僧川と磐田停車場長野線が交わるあたりの畦で赤い頭をした雉の雄を見る。水田では鳶・鳧・青鷺・白鷺・烏・雀・椋鳥などをよく見る。
蟷螂の眼も枯れ尽くして
ここは錆色の廃都 錆色の舌に載せて
一気に吐き尽くす虹の魚
(「星痕観測」『時里二郎詩集』思潮社)
4月12日(土)
昼は駅の一風堂で赤丸を啜り、新川モールのBON COFFEEで買った珈琲焙煎所やくし中煎り珈琲を片手に13時からクリエート浜松4階文芸講座室での詩季に参加する。熊谷さん・内山さん・竹原さん、そして鈴木和子さんが参加。私は「変調の石」を朗読するけれど自作について語ることがあまりなくひたすら意見を拝聴する。自句自解は野暮という意識があるのかもしれない。熊谷文昭さんの「水」は神話的側面で影響を受けそう。そのあと鈴木和子さんのもってきた駒瀬銑吾「メタファを使った中学生の詩」を用いた学習会、独特なメタファをつくるためには頭を使う。そのあと同じ部屋で豊橋/浜松読書会があるらしく参加したかったけれど予約していなかったため佐藤さんに参加を拒まれてしまう。場には場のルールがあり尊重するしかない。プレオープンのコメダ珈琲店浜松駅エキマチウエスト店に寄って帰宅する。
終点が始点になる。また始点が終点になる。(尹東柱、伊吹郷訳「終始」『空と風と星と詩』書肆侃侃房)

4月13日(日)
子守、一日中雨。砂山銀座サザンクロス商店街のサザンクロスほしの市でメロンパンとOKAMO DOLL COOKIESのバラ売りクッキーを買う。ソラモのHello!台湾フェス2025with浜松台湾夜市の準備を見ながら鍛冶町のザザシティ6階こども館へ赴く。昨日妻子が頭陀寺公園で遊んでいた幼稚園の姉妹と11時半にこども館のホールで会う約束をしたという。こども館は雨のこどもで大混雑、ドッヂビーをしながら待つけれど時間になっても来ない。そういうものかと思い、メロンパンを食べボールプールで遊ばせながら待つと12時半すぎのホール前にそれらしい家族連れがいたので「きのう頭陀寺公園にいましたか?」と訊くと然り、再会する。昼はザザシティ2階で食べ放題、それから再びこども館で遊び17時に解散する。
4月14日(月)
まだ風は冷ややか。昨日のドッヂビーのため左肋骨が筋肉痛である。ホテルJINについての詩をさらに一篇つくる。
4月15日(火)
午前はいっとき小雨がぱらつき風は冷ややか。市長選挙と市議会議員選挙の選挙郵便の山場の日、普通郵便の三倍、一区で千百通ある選挙郵便を二丁拳銃で配達する。候補者たちは古い名簿で出しているので還付も多く、でもその日のうちに配達しなければならないので苦労する。こんな慣習は早くやめればいいのに、と思う。午後は黒い雲が迫り雨と突風、急に寒くなる。それからすぐ日差しが出て不安定な天候となる。更地についての詩をつくる。
4月16日(水)
左の下部肋骨の痛みがひどいので昨夜ロキソニンテープを貼ったけれど、起き上がるときはまだ痛く、貼って12時間経った昼ごろにようやくゆっくり効き始める。選挙郵便は一区あたり五十通程度、現職の草地市長は楽観視しているのか選挙郵便を出さないので山場はもう過ぎる。第三十六回伊藤園お~いお茶新俳句大賞の本人確認をウェブで済ませる。
4月17日(木)
あたたかい日、左脇腹になお引き攣る感じがある。枇杷の詩をつくる。ほかの果実かあるいはほかの物体かに変えようと思う。
島は何処にあるのか
皮肉っぽくわたしは通訳に聞いた
「おれのことばのなかに」
(「通訳」『時里二郎詩集』思潮社)
4月18日(金)
あついくらいにあたたかい日。結局枇杷のままの枇杷の詩をこれでもかこれでもかと推敲する。ふと、眾という漢字は衆よりも人のうごめく感じがすると思う。
4月19日(土)
掛川の松浦さんへメールを書いて送り、プスプス通信に載せる再詩丼の広告を作成する。新川モール高架下で開催されている浜松古本市へ行き、書肆フラヌールや古本zzzやtayutau magazineや移民の歌や浜松オンライン読書会や政熊商店などのブースでもろもろ話し、去年の冬に寄稿したZINE『フェイヴァリットブックスLがマンションの一室にあった頃の話』や田村隆一『インド酔夢行』日本交通公社や『未遂 第26号』谷島屋書店や『tayutau magazine vol.01』などを買う。古本屋サイダーハウス・ルールにはムラキングが座っておりムラキングが書いたという書評を読んだけれど、これらは書評というより帯書き文であろう、と伝える。例の鈴木さんと話していたyoutubeをやっている神谷さんに会う。
この町に本当はなく僕たちは箱に詰まった海を見に行く/鳥居(『キリンの子』KADOKAWA)
それから歩いて成子町のプスプス by ZINGまで赴く、そこではプスプス市2025春が開催されている。イベントの梯子となる。hiさんのホンデュラスをアイスでいただき中井拓人さんの写真がどこで撮られたかをすずしさんらと談義する。りいぶる・とふんの『百年のわたくし巻六・七』にさとう三千男さんと時里二郎さんと素潜り旬さんが寄稿しており、買う。荒木みどりさんは吉田朝麻さんの母君という。餃子を食べ、West Goat Coffeeに寄って帰る。『フェイヴァリットブックスLがマンションの一室にあった頃の話』は妻にも好評、淡々と文章が綴られている素朴さがいい。夜は19時過ぎに隣町の公会堂へ赴き、法被のサイズを確認する。交差点の詩をつくる。
銭湯には身長計がない
銭湯に来る子供がいなくなったからだ
ちぢみゆく老人には、身長計は不要と言うのだろう
(扉野良人「ノヴェッラや、昔話 或はまた火の用心」『百年のわたくし巻六・七』りいぶる・とふん)
4月20日(日)
書籍という似た媒体を扱っていても詩人の国と商人の国は異なる、大きく異なる。そういえば、私は名辞と結果の不一致には甘いけれど、名辞と手続きの不一致には厳しいのかもしれない。しろくま古本市に限った話ではないけれど、リノベーション界隈はときどき秩序を乱すためではなく秩序を維持するために名辞に反する手続きを選びがちだ。子守、ふたたびプスプス市2025春を訪れる。筆談の知里さんに託児し、曽布川祐さん関連で一人芝居の脚本を書いている塚本千花さんから『さいたまからパレスチナを想うZINE』を、こながやさきさんから『なんの因果か夜道を走っていた』を買う。夜に昨日の公会堂へ行き、大人とこどもの法被とワッペンを購う。〆て三万三千円。
私はランプを吹き消そう。
そして消されたランプの燃殻のうへに鷗が来てとまるのを待たう。(「帆の歌」『丸山薫詩集』思潮社)
4月21日(月)
午前は暑いくらいだったけれど午後はひんやりとする。局の屋上にある辞めていった人たちの喫煙所をテーマにカノンの詩をつくる。
4月22日(火)
曇りの日。狸が白拍子の若宮八幡神社の南を走っており、仿僧川沿いに動いているのかと思う。承認欲求というより自分の内だけだったはずのことばが外の世界へ通じて嬉しいという感情が詩人にはある。四元康祐『詩探しの旅』日本経済新聞出版を読み翻訳できる詩、翻訳してもそのおもしろさが伝わる詩は強いと思う。
4月23日(水)
午前は雨、午後は曇り。夜は疲れてすぐ眠る。健康である。
百粒の黒蟻をたたく雨を見ぬ暴力がまだうつくしかりし日に/浜田到(『浜田到作品集』青磁社)
4月24日(木)
晴れの予報だったけれど昼は霧雨。ゴルフ場の北には二匹、南には三匹の狸がいる。素朴な詩誌、あるいは新詩・短詩・漢文・評論・随筆の文芸誌をつくりたいとふと思う。たとえば詩誌『断食月』とか。
星たちの言葉の林に眠りおち夜明けには拾ふ夥しき鳥/浜田到(『浜田到作品集』青磁社)
4月25日(金)
詩誌というより八百文字前後の短文と短詩と自由詩で窮屈に埋め尽くされた人文誌『断食月』がいいと思う。でもそんな暇があるのか、自分に。
八時間労働をはりし虛空に夕月は遠き異国の紋章のごとし/浜田到(『浜田到作品集』青磁社)
4月26日(土)
午前は鴨江アートセンターでつじむらゆうじさんの展示、あなたとわたしとみんなのハートをつなぐ絵を観にいく。文字やハートマーク以外の図案は書いてはいけないと言われたので、その場のおもいつきで敢えてアラビア文字のقلبをハートマークに図案化して描く。つじむらさんと昼まで地球祖語あるいはProto-Earth languageの話などをとりとめもなく話す。そしてザザシティ中央館の新しくできたCREMA CAFEでぬいぐるみを踏む詩を、歩きながら一箱古本市の詩をつくる。差し札に遠州と彫られた喧嘩札が届く。つじむらさんに勧められた「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」の3話まで観る。シャアの「見せてもらおうかこのモビルスーツの性能とやらを」で痺れる。

4月27日(日)
気持ちのいい快晴の晩春。群衆に期待しているということは、そもそも私はアーティストやクリエーターといった他者を有象無象と同じくらいにしか期待していないということであり、それはなにより私自身を信用していないということの証左にもなる。子守、今日は近所の公園やスーパーマーケットへ行ったり、balatroの派生となるalice card episodeに苦戦したり、した。郵便配達の詩を書く。何らかのテーマが自分というフィルターをとおることで自分が想像しえなかった様相を呈することが詩作の楽しみだ。ほら、自分自身を信用していない。
欲窮千里目
更上一層樓(王之渙「登鸛鵲樓」)
4月28日(月)
ふとポスト・ポエデイ時代という言葉が思い浮かぶ。午後から雨、左足だけ濡れる。『断食月』の詩部分はもっと個人的にして、文章だけを公募するという単純化をしないと続かないかもと思う。
イメジとイメジをむすぶものは王の権力
イメジとイメジをうみだすものは天使の栄光
(田村隆一「恐怖の研究」『田村隆一詩集』思潮社)