むかしのことば
ぜんぶで 4253 こ / 9 ぺーじ / いま 1 ぺーじ
昨夕同様、けさも涼しい。コウモリが2匹(?)舞っていた。
静岡新聞の昨日の記事の内容、位置、立候補者の顔までそっくりに見えて仕方無い中日新聞の今日の記事。
先例を捻るのも楽しいですが、緩めた時に自然と出来るものが一段抜けていることが多いです。
日の入り時に、西の空に三日月と宵の明星が見えた。女のうすい唇とホクロみたいに。月はいよいよ西へ沈み、星との距離がひろがるなか、雲のテリトリーもひろがって、月も星も見えなくなった。
たぶんオリジナルを参照してつくる作業に飽きたのかな
ダダイスムやシュルレアリスム等の骨子は学ばされる事への抵抗であって、学びの放棄ではない。アンドレ・ブルトンは博学洽聞であったし、自動書記(automatism)や糊付け(collage)を事とする芸術家も普段は意識的に観察蒐集修練しているものである。
19:50浜松駅バスターミナル発都田駅前ゆきバス発車。車中、痛袋あり。
18:17静岡駅4番ホームに浜松ゆき6輛連結の電車が入線。空に雨雲。
伊藤左千夫の〈池水は濁りに濁り〉は、ぜったいこの古今集夏歌巻頭歌を下敷に、と言ってわるければ作歌する左千夫の脳裡にきっと泛んだはず。
いわゆる〈国風暗黒時代〉を経て完成した『古今和歌集』だから〈完璧な法則意志〉を感じさせるのでしょうか。
『天使の誘惑』p.193〜194。古今和歌集を評して〈弱々しく世界を撫でまわしているように見えながらその実いつでも世界と取って代われる透徹の極みの綜合性と、宇宙の摂理すら影薄い見事なまでに完璧な法則意志をこの歌集はもっている〉〈完璧な法則意志、しかも徹底的に無個性な法則意志、と書き表わすよりほか仕方ないと思う〉のロゴスが凄い。
浜松市福祉交流センター裏の塩町公園。かつては有名だったらしいけれど今はふつうの公園になったというのだが
16:38大浜麻機線が来たので静岡駅まで乗る。16:39発。
はままちプラスの0円スタジオ、ドラムを叩いている子たちがいる。
16時すぎの静岡市葵区追手町。江川町交叉点あたりから、終戦記念日にちなむ街頭演説の声が聞える。
15:48栄町で2人下車。15:50〜51静岡駅前で5人下車。15:54…55終点新静岡バスターミナルでわたしを含めて3人降車。わたしのルルカが残高30円不足。その支払に手間どった。
15:39曲金7丁目で1人乗車。15:41曲金ーーするが視覚総合特別支援学校前で1人下車。発車してアンダーパスで柚木交叉点へ出る。15:44静鉄春日町駅まえでつんのめるように停車。信号待ち。15:44静岡朝日テレビ局舎まえ通過。
15:31聖一色西バス停で2人下車。いずれも東南アジアから来たっぽい若い男性。15:33池田橋で1人下車。15:36だだっ広い東静岡駅南口で3人下車。15:37発。
「文学者がファシズムに参加できるのはムードの側面しかない」#革命 p85 とあるが、機械によって文体と論理構造を抽出し独裁者の思想に挿げ替えて伝播する事は既に技術的に可能だろう。悪意のある学習指示、文字通り毒する(poisoning)と言うが、これに無知であると危ない。弊網録にも機械除けを付けようか知らん。
15:24プロムナードバス停でさらに2人乗車。新静岡ゆきだからか。1時間に1本しか無い貴重な便りだ。15:27静鉄スタジアム草薙バス停で1人乗車。15:29聖一色バス停で2人乗車。
〈わが宿の池のふぢ波咲きにけり山ほととぎすいつか来鳴かむ〉"の「か――む」が絶対に反語ではなく疑問、それも狂気に近い背水の疑問だという、その構造全体を私はいつの日か必ず組敷いてみせるだろう。"新木正人「遠い意志(二)」『天使の誘惑』論創社。個ではなく筋の意志として
依然晴れているが、午後3時すぎのせいか、風が涼しい。谷田の山から時折猪おどしの銃声がきこえる。県立美術館発新静岡ゆきのバス、わたしを入れて11人の乗客。15:23発車。
森町の遠州森駅。侠客の名「森の石松」と書いてある。私もよくわからないのだけれどむかしは森町村だったという。実は日本画家・松井冬子の出身地
静岡市駿河区谷田の静岡県立美術館で「NHK日曜美術館50年展」を鑑賞した。前期後期と展示作品の一部入替えがあるので、9月あたりにまた来ないといけない。昼まえに晴れて蒸し暑くなった。あたりの木立からツクツクボウシが聞える。
"男性的とか女性的とかいうイメージをはるかに超えて、古今和歌集こそは、千年以上にわたる日本の黙示録だったのである。"新木正人「遠い意志(二)」『天使の誘惑』論創社。そう言われるとそうかも。
ひとつの番組に太田光がふたりいたらそれは問題でしょう
吉川由利子展@遥懸夢(ザザシティと鴨江アートセンターのあいだ)2026年8月24日〜8月30日10:00-17:00 藤人形作家?
座談会での安部公房の言動は、まあ喩えが不適切かもしれませんが爆笑問題の田中裕二みたいなものでしょう(つまり太田光がふたり居る状態)。
掛川城のあとぶらぶら中町商店街を歩いていると袋井高校の生徒に勧められて入った最小限文化健康複合施設かけがわ「」front。9月1日にカフェmoi!がオープンするという。
ちくま学芸文庫版『増補 革命的な、あまりに革命的な』p.84の「文学者とは(3)」は「群像」が1958年7,9,11月と隔月で〈大正、昭和、戰後と各時代の作家の出席を得て催した三回の座談會〉(1958.12編集後記)。第1回は伊藤整(司会)、佐藤春夫、室生犀星、第2回は高見順(司会)、伊藤整、舟橋聖一。そして第3回の件の3人。原文は旧字新かな。
掛川城天守閣、中学生のころから二桁は登っているので割愛。後続の中学生たちが「磐田は草と木でできている!」とか「豊岡駅は台風でじきふっとぶ!」とか吉田所長みたいなことを叫んでいて微笑ましい。
上野部は葛バー推しみたい。シルクロード・ミュージアムでも売っていたけれど、大坂屋の前で
ミュージアムショップもあり激甘のbaklavaも楽しめるシルクロード・ミュージアムでした。秋は紅葉も楽しめるとのこと
シルクロード・ミュージア厶、今の企画展は「シルクロードの商人」でした。寒冷地にもつよいフタコブラクダに乗ったソグド商人の俑
党派=セクトとして束を結ぶかぎり、ファシズムにはなりえると考えます。
磐田市にある浜名梱包輸送シルクロード・ミュージア厶、駱駝の石像がお出迎え
ニューレフトでさえも〈ファシズム〉に傾く虞れがある。だからこそのノンセクト・ラディカル、でしょうか?
遠鉄電車、優先席かと思ったら「殿のシート」である。
天浜線と遠鉄の共通1日フリーきっぷ、何気に東ルートははじめて。はままちプラスでは若者が考えるまちプロジェクトの企画で、ドラムセットや楽器が置いてあった。フリースタジオとして自由に演奏できるそう。楽器が弾けたらな。
もう一つの眼目はファシズムを理解しないとファシズムに陥るという点。大江はノンセクト的な作家として知られ、三島は文化の全体性への全体主義の嫉妬による弾圧に抵抗した。大江と三島は、ファシズムを単なる悪と見なさず構造と見なしておりかつ自分たちの扱う文化はときにファシズムに傾きやすいと知悉していた。 #革命
埼玉県にはドレッシングは到達していなかったのかも?
"保守的な思想"の用語は"保守革命"『#革命』p.89 と混同しやすいですね。本書の立ち位置としては安倍公房のファシズム把握は戦後的後退と批判的に捉えつつ小説家としてのあり方は肯定しうるものです。この部分の眼目は、全学連のような左翼的党派はファシズムを悪の隠喩として把握しつつもファシズム的に振る舞っていたという点にある。
保守的な思想を振り翳して済まないが、私は結束主義に対して距離を置きたい。大江健三郎や三島由紀夫のような人々は大衆的情報媒体の中枢にあったという意味でファシストであると言わざるを得ないが、どうせなら安部公房の立ち位置かそれ以上に隠れた位置であり続けたい。
藤枝を発ったらまた小雨。西焼津てまえでまた止む。8:11西焼津着発。どんどん空席がうまってゆく。岡部、丸子のあたりに雨雲がのしかかっている。8:14焼津着8:15発。8:21用宗着8:22発。小雨。8:24安倍川着。ここで満員となる。8:25発。曇天。雨は止んでいる。安倍川をわたってからまた小雨。8:30静岡下車。
新木正人「遠い意志(一)」『天使の誘惑』論創社の「ドレッシング!!」がかわいいです。 #革命
六合を発ったら雨は止んだらしい。この電車は前方2輛と後方4輛を連結してあるので、走行中は連結部の軋む音が絶えない。8:07藤枝着。8:08発。
金谷から大井川をわたるとき、雨は止んだようだったが、7:59島田に着いたらまた雨だ。8:00島田発。8:03六合着発
菊川を発ってから、雨はパラつく程度だったが、7:55金谷に着いたら雨が降り頻っている。
7:46菊川てまえで雨が降りだす。東に雨雲が厚く垂れこめている。
7:11浜松発熱海ゆきの各停にのる。土曜日なのに空席が目立つ(磐田駅を定時発車したところ)。
"安部公房の立場は、まさにそのような戦後的後退に規定されており、そこに(略)代表作『砂の女』(一九六二年)以降の時代においても、三島や大江に比して、六八年革命へのインパクトを持ちえなかった理由がある。"『#革命』p.86 安部公房は好きだけれど、〈ノーベル賞作家〉大江健三郎や三島由紀夫と比して小粒感があるのはそうだろう。
中央区住吉2丁目にて。昨日は雲が多く蒸し暑かった。雨は降らなかった。きょうは早朝から日差しが強く、昨日よりも暑くなりそうだ。
ファシズムに流れてしまう或いは取り残される自分が腹立たしいのか、ファシズムそのものを憎むのかは闡明にした方が良い。前者なら立派なファシストである。
「ファシズム」と聞くと考えなしに瞬発的に激昂する人がいる。それはいまのポリティカルコレクトネスとかの風潮などではなく戦後民主主義に端を発するのだろう。 #革命
この議論に安部公房は「とにかく今のようなファシズム論は困る。それ自体困るんだよ」と、その立場を表明している(略)いうまでもなく、安部の思考は、ファシズムをア・プリオリに「悪」の隠喩と見なす戦後的なパラダイムのなかにあり、橋川が『日本浪漫派批判序説』を執筆するような当時のコンテクストを理解していない。『#革命』p.85
"それを指して仮空の対話者が「あれは面白かったな。三島と大江がお互いにお前こそファシストだといってほめあっているんだよ。安部公房がおろおろしてね」と言う"『#革命』p.84
中野煙火祭のため、いつもより歩行者のいる新天竜川橋。むかしはバローの買い物ついでに観たけれど毎回駐車場から出られなかった。
巻頭言「われわれの闘いーー」承前〈我々が深く体験せざるをえなかったのは、党派の運動と学生自身の闘いとの怖るべき亀裂・隔絶である。この党派の重圧によって圧し潰されてきた学生の闘いに自らを置く。/現在、党派に属さず、しかも闘う学生はますます拡大している。その存在自体がすでに今日の党派の時代の変革可能性を意味している〉
「われわれのー」承前〈機動隊と死力をつくして闘っているとき、このわれわれの闘いとはおよそ無関係に、断えず党派と党派の間の力学的打算が働いている。/そしてまた、党派(革共同)の指導のもとで、われわれ自身が、枯渇していくのであった。(略)我々は党派の壁にぶつかり敗れた。(略)党派は残り、三派全学連が崩壊することになった〉
「遠くまで行くんだ…」創刊号p.6巻頭言「われわれの闘いの出発にあたって」〈われわれは、十・八羽田闘争以後の闘いの中で、様々に闘い、また様々に既成の組織から離れたのであった。(略)闘えば闘うほど、己れの闘いの実存と党派の思想・論理との亀裂が激しさをましていく現実ーーここにわれわれの問題意識の凝結した統一性があったのだ。〉
この〈竹芝といふ寺〉につたわる女宮と衛士の駈落ち話をはじめて聞いた『更級日記』の作者が当時かぞえ年十三であったことに注目したい。物語が好きすぎて「いつか『源氏物語』全巻をコンプリートしたい!」と強く望んでいたくらいだから、そういう性愛がらみの話にも興味をもっていたはず。だから何十年経っても憶えていたのだ。
新潮日本古典集成『更級日記』(秋山虔・校註)p.18から改めて、火焚く衛士の〈ひとりごちてつぶやきける〉。〈などや苦しきめを見るらむ。わが国に七つ三つ造り据ゑたる酒壺に、さし渡したる直柄(ひたえ)の瓢の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ〉。
ここに言う〈更級日記の少女〉は〈みかどの御むすめ(女宮)〉であり〈火焚く衛士〉が日々の憂さをまぎらわせるため〈ひさごの、南風吹けば東に靡き〉などと戯れ唄をうたう。ひさご(瓢簞)の形状は男性に似ているから性愛にちなむ古来の民謡であろう。女宮は〈われ率てゆきて見せてよ、さいふやうあり〉と衛士に懇願、武蔵国へ駈落ちする。
わたしの路傍流瞥。中央区幸3丁目。画像手前から奥へ、三角形の敷地にアパートが3棟建っている。そこはかつてトウモロコシ畑だった。毎年夏にここを通りかかると、鬱金いろのヒゲをおもいだす。
北東から台風が近づくと北風が吹くので遠州地方は雨が少なく気温が下がるのだと思う。今日は残暑が厳しそうです。
聖隷浜松病院から朝空をあおぐ。石川啄木では無いが「雲は天才だなあ」とおもう。
黛ジュンは1948年生れで、新木正人より2つ歳下なのですが「天使の誘惑」でブレイクしたのが二十代のころなので〈少女〉というよりは〈若い女性〉というイメージが強いとおもいます。
旧・東洋ローア・キリスト伝道教会浜松伝道所。2019年8月21日撮影。
朝6時すぎの住吉4丁目。ゆうべ、大雨のあともそうだったが、けさも涼しい。おとついあたりから鈴虫が叢で啼いている。太陽の位置が高くなるにつれて日差がつよくなり、暑い一日を予感させる。
〈少女〉のみならず、年うえの(若い)女性(たとえば「のすたるじや」の看護婦や黛ジュン)も新木の〈特権的なフェティッシュ〉と言えるでしょう。
夜の路傍流瞥。中央区幸2丁目。しばらく更地だったのが、ついに分譲地となったか。そこはかつて小さな畑で、その奥に平屋が建っていた。東洋ローア・キリスト伝道教会の浜松伝道所になっていたが、看板だけ残して誰も居なくなり、取りこわされた。
"「少女」は新木の一貫して特権的なフェティッシュであり、「少女論」とは少女が無であることを知るがゆえに、それを「敗北」として享受しようという態度を指す"『#革命』p.83 革命組織でもない、故郷でもない、無としての少女でもきっとなかったのだろう
21時すぎ、すっかり晴れてしまった浜松市の空。中央区幸4丁目にて。
20:15ごろ、浜松市中心街は雲間に星空が望まれる。NHKテレビでは頻繁にゲリラ豪雨のニュースを報じつづけている。
19:50ごろ、雨は止んだらしい。夜空は雨雲が立ちこめて、非常に蒸し暑い。
浜松市中心部も、この画像のようにいい天気だった。夕方、東の空は晴れていたのが、19:15すぎから急に土砂降りとなる。19:30ごろ、勢いは弱まったが、まだ雨が降りつづいている。
ノンセクトの文体、ノンセクトの詩型、ノンセクトの表現があるのかもしれません #革命
新木正人の『天使の誘惑』を読んで(ちがうかもしれないが)高橋源一郎氏の初期三部作『さようなら、ギャングたち』『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』をおもいだした。従来の小説作法を逸脱したような(トイボックスの中身をぶちまけたような?)文体。高橋氏も「遠くまで行くんだ…」を愛読していたのかもしれない。
Mの手記「セント・ヘレナ」。1960年6月19日午前0時の新安保自然成立から〈虚しいシュプレヒコールがまだ耳にこびりついて離れない。午前四時四十分、おそらく僕は負けたのだろう。少なくとも勝ちはしなかった。けれども、これは前からわかっていたことではなかったのか。ここまで僕を引っ張ってきたのは、他ならぬ僕自身ではなかったのか。〉
「更級日記の少女(一)」Mの第三の手記「セント・ヘレナ」〈衆院の南通用門前に集結を終えた早稲田内の主流派約千人の先頭に立って、その時僕は何を考えていたのか。僕は多分賭けをしていたのだ。僕にとって、衆院南通用門は、明らかにワーテルローの丘である。〉Mは筆者新木正人と同じ1946年生れ。1960年安保闘争の頃は14歳のはず。虚構か?
「更級日記の少女(一)」のMに於ける〈貴族と不良〉。〈「平俗低徊の文学が流行している。日常微温の饒舌は不易の信条を昏迷せんとした。僕ら茲に日本浪曼派を創めるもの、一つに流行への挑戦である。」と言えば不良であり、「最も美しいものの擁護のため、最も崇高なものの顕彰のため、……伝統芸術人復興の使命」と謳えば貴族なのである。〉
『天使の誘惑』p.90〈彼には(略)貴族であると同時に、不良であることの誇りがあった。貴族と不良は同じものである。(略)けれども、彼の誇りは実に悲しい誇りであった。更級日記の少女の手をとって、保田與重郎描くところの「日本の橋」を、どこまでもどこまでも歩いていく、そんな孤独な誇りであった。〉
ゆうべの大雨、そして明けがたの小雨など忘れたかのように晴れた空。蟬の声はミンミンやジージーにまじっておとついあたりからツクツクボウシも聞えている。
『天使の誘惑』p.87承前〈彼は非行少女を愛した。彼にとってその少女たちの突詰めた瞳だけが、この世で美しいと呼べるただ一つのものだったのである。彼は、自分自身を、おそらくその少女たちに賭けるであろうと思っていた。賭けることのない人生は無意味だ。もしも薄汚い革命組織に自分を賭けられないとしたら、果たして何に賭けたらよいのか〉
『天使の誘惑』p.87「更級日記の少女(一)」より。〈十七歳の少年(M)は、彼の懐かしく輝かしき革命のイメージと、現実の革命組織のあまりの薄汚さとのギャップに悩む。そして、日本の左翼には、なにか致命的な欠点があるのではないかと考える。しかしそれが何であるのか、まだ彼にはわからない。彼はますます酒と薬に親しんでいく。
いわゆるノンセクト・ラディカルの形成ですね。"ここから単に党派に入っていないだけでなく、新左翼諸党派をも否定の対象として独自に革命・社会変革を追求する「ノンセクト・ラディカル」の潮流が登場するわけです。"
18:16雨宿りしていた中央区幸1丁目にて。しかし18:21からまた小雨。
遠州の天空率、西と南は曇り(ときどき稲光)東と北は明るい
『天使の誘惑』p.85「更級日記の少女」より十七歳の夏にMの書いた三つの手記のうちの一「のすたるじや」〈いつだったか、レントゲン撮影の最中に急に泣き出して、あの花壇に逃げ込んだことがある。/一人の若い看護婦が追いかけてきて、薬の空箱やこわれた注射器を私に与えた。/私は泣きながら看護婦の胸に飛込んだ。/看護婦も泣いていた。〉
朝の通り雨が嘘のように晴れている。雲は風に乗って東から西へ動いている。
‘M’って、筆者の新木正人本人かもしれませんね。作中の看護婦(ナース)や不良少女は、少年自身の、薄幸そうな女性への憧れでしょうか?
新木正人、難解ですよね。Мと看護師のエピソードは好きです
新木正人『天使の誘惑』p.81「更級日記の少女 日本浪漫派についての試論(一)」〈日本浪漫派は、ナルプ解体後の頽廃の中に咲いた異様なアダ花ではなかった。咲くべくして咲いた、ある意味では鮮やかな花であった。美しく悲しい花であった。僕たちは、その美しさと悲しさを受けとめねばならぬ。僕たちの全存在を賭けて受けとめねばならぬ。〉
きのう、田中食品のふりかけ〈旅行の友〉などと共にAmazonから〈評論集〉『天使の誘惑』が届いた。著者は新木正人(しんき・まさと)。早速ページをひらいて読みはじめるも難解きわまり無い。タイトルどおり、黛ジュンや中森明菜などのサブカルや、リルケ、伊東静雄、堀辰雄などが入りみだれる。散文詩集として通読すればいいのかもしれない。
ゆうべは雨が降らないまま、夜明けまえの空は雨雲におおわれていた。東風はすずしい。日の出につれて、雨雲が西へ追いやられるように流れてゆき、東の空に晴れ間がひろがる。
高校野球のナイトゲーム(ナイター)って、どうなの?
〈中核派や社青同解放派から別れた活動家たちによる機関誌〉というのがミソかもしれませんね。だからこそ保田與重郎を再発見できたのかも…
亀和田武『60年代ポップ少年』。「遠くまで行くんだ…」という〈中核派や社青同解放派から別れた活動家たちによる機関誌(というか同人誌)は、それだけでも注目された。しかしなにより内容の斬新さに圧倒された。なかでも新木正人の「更級日記の少女ーー日本浪漫派批判序説」は初めて目にする攻撃性と感傷性をあわせもつ、衝撃的な文章だった〉
『述史新論』承前〈又神話の源流は現實の國の中心として、血脈の本流として、われわれの歷史の記憶を超える以前より今日に及んでつゞいてゐる。わが天皇の御存在である。わが建国に於ては、生活の確立を先とした。その生活は、神話に示され、天上の神々の行ふところを地上に再現するといふ信念に發したものであつた〉
三島が『文化防衛論』なら保田は『述史新論』だ。〈わが國の精神に於ては、國は支配でなく生活であつた。國土は領土でなく生產生活の樣式であつた。國家は權力でなく、道德であつた。その生活は又道德の實體だつたのである。さういふ「生活」を以て、國の根基とした。その生活の源流に於て、我々は神話を傳承し、これを歌ふ代々の詩人を持つた〉
"ニューレフトが真に保田的(そして、ある意味では三島的)イロニーを思想的に自覚しえたのは、六八年革命のさなか、新木正人という学生アクティヴィストの書き散らした見事な雑文をとおしてである。"(『#革命』p.80)先週の亀和田武「ポップ文化世代の保田体験」ですね。
昨日の夕立から、夜間は雨が降らなかったようで、けさ6時ごろまで地面はほぼ乾いていました。それが、8時すぎ(?)からいきなり土砂降り。9時ごろに治まってのち晴れ。今度の颱風のせいで、浜松の天気も迷走しているようですね。
文化の権威はいてもいい。でも実権のない空虚であってほしいというのは私も思う
"三島の「文化概念としての天皇」(『文化防衛論』)が、天皇(制)の、その空虚ゆえのフェティシズム的性格をあえて肯定し、そのためにこそ三島が死んだのだとしたら"(『#革命』p.79)空虚ゆえ実体は不要ということか
ケモいいですね。創作物の中くらい自称賢人の裸虫には絶滅して頂きたい。
装丁家・画家・俳人の間村俊一氏の鉛筆画でした。訂正し、お詫びします。
「春秋覇者」の今の楽しみは、北京あたりの燕兵を四川省あたりの巴蜀まで派遣すること
17:40ごろ、まだ小雨は止まないが、ビッグ富士を出発する。北の雲の流れが異様に早い。
17:30ごろ小雨。現在和地山のビッグ富士で雨やどり中。雷鳴頻り。上空の低い雲の流れが早く、上のほうは逆に西から東へゆっくり動いているらしい。
細野晴臣氏の音楽もふくめて、なつかしい!高校生のころ、図書委員会主催でヴィデオ上映会をおこない、そこではじめてアニメ版をみました。キャラクターが猫で、登場人物の台詞がほぼ原作どおりだったのが印象にのこっています。ますむらひろし氏の〈猫〉は『宮澤賢治語彙辞典』の装画(2種類あるんですよね)に於いて極まった感があります。
17:20ごろから、いきなりの大雨。雷鳴も聞える。
そんな公園で突如はじまった日本共産党村田ゆうやの演説。浜松市政と某大手自動車企業の癒着について
中野市政を問う! 公園の遊具4つのうちブラコン以外が使用禁止とは
〈てつがくの措定・反措定におぼろ月いまは西洋料理のソテー/室井光広〉こんな作風の人、中遠にいるぞ
鍛冶町の棒屋パーキングビル(かつての丸井浜松店)。1、2階が結婚式場からビジネス関係のオフィスになり、バス停まえも御覧のとおり様変りした。これなら雨が降ってもだいじょうぶ!
中央区鍛冶町、ZAZA西館1階のスタバにて。静岡県立美術館も浜松市美術館もそして浜松科学館もそうだが、オープン〇〇周年記念でみんなの声募集しがち。
中央区大工町の旧〈スカイ・チルドレン〉店舗。ここは隠れ古本屋でもあり「レコード・コレクターズ」「ミュージック・マガジン」のバックナンバーはもちろん、百科事典を読破した人の体験記(?)とか、とにかく古本も買ったことが一再ならずあった。いまは浜松科学館の近くで〈スカチル2〉として営業中とのこと。
中央区利町、はまホール跡を見あげる。欄干がまだ残っている。城跡みたいだ。
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区鹿谷町。姫街道から東へ、街なかのけもの道みたいな小路が伸びている。旧奥山線亀山トンネルのある谷間へと落ちこむような坂は足場がわるく、子どもでも歩くに危うかろう。ブロックの使いかたが独特で、土留めの役を果しているのかどうなのか。とにかく、生活道路としては不適切だとおもう。
"とまれ孝標の女という作者も自讃をかくために哀愁の詩を描かなければならなかった可憐の文章人であったことだけは間違いなかろう。"「更級日記」『保田與重郎文芸論集』講談社文芸文庫 王朝の不安、不安の文学
"更級は一人の女性の運命の身上話ではない。一つの典型としての本来のかあいそうな人々の物語の一つである。その物語としていまも極めて美事な作品である。こういう人間はこうなるという報告ではない、こういう人間の原始からの心情を描いているのだ。変貌もなく信念の更生もない、一つの宿命の詩である。"『保田與重郎文芸論集』講談社文芸文庫
1925(大正14)年に純情小曲集』を上梓した朔太郎の齢は数え四十。令和の四十代とはちがって〈初老〉の自意識が強く、追憶の詩句をもって帰らざる日々の純情のよすがとしたのでは無いか?
清水銀行支店新築工事現場。暑いなか、お疲れ様です。
とにかく蒸し暑い。浜松の夏はまだまだ終らない!和地山の図書館にて。
〈私〉の感情を、駅-汽車-海という三つの位相のイメージによる手の込んだ比喩で表現していますね。「愛憐詩篇」と同じ文語自由詩ですが、『月に吠える』『青猫』を経て書かれた「郷土望景詩」は言葉の強度が(ダジャレではないですよ為念)違う気がします。
"われひとり寂しき歩廊の上に立てば/
ああはるかなる所よりして/かの海のごとく轟ろき 感情の軋りつつ來るを知れり。"萩原朔太郎「新前橋驛」。群馬県の駅で海の連想というおもしろさ
"スターリン批判と六〇年安保は、既成共産党が科学的真実を体現するものではなく、フェティッシュにすぎないことを明らかにした。だが、それに代わるニューレフトの「党」がフェティッシュではないという保証はどこにあるのか(略)党はフェティシズム的欲望の対象(無たる「もの」)であることによってのみ、党でありうる。"『#革命』p.78
国道1号バイパスは血の気が多い。赤信号で停まりつつあるトラックの前へ軽自動車が割り込む。軽自動車とトラックは1メートルの車間もなく停車する。トラックから運転手が出てきて、軽自動車の運転席側窓ガラスへ、何か怒鳴りながら拳を振り下ろす。軽自動車の運転手は「え~だめなの~」と言う。トラックの運転手は静かにトラックへ戻る。青だ。
だからこそ「ありのまま」は物神fetishなのでしょう。誰もがブラジャーという現象を論じはじめたらそれはもうエロティシズムではなく、ただの布になるように。 #革命
〈情〉には①人間の生れながらの心、②ありのまま、の意味があると言います。〈土着〉〈情念〉〈情況〉というタームで、吉本隆明はありのままの社会現象をとらえ、論じようとしたのでしょうか(しかし、吉本のみならず、誰もが〈ありのまま〉の社会現象を論じはじめたら、そこでもう〈ありのまま〉で無くなってしまうのですが)。
"吉本隆明に由来する「土着」や「情念」といった根源的な概念"『#革命』p.76と第三章(注3)"吉本隆明とその周辺の人々が愛用する「情況」というタームは、サルトルの「シチュアシオン」からの転用であるだけではなく、それが「情念」と通底する概念であるがゆえに用いられた" 現実=情況へengagementするSartre、détournementするGuy Debord
けさの幸3丁目。早朝は涼しかったが、もう太陽がジリジリ照りつけている。
"ここにおいて故郷とは、空虚な「もの」であり、空虚であるがゆえにいやおうなく吸引される「物神」フェティッシュにほかならない。そして、ここで「故郷」なるものを、「アジア」や「ナショナリズム」、「民族」と置き換えても事態は変わらないのである。"『#革命』p.75 物神fetishなのだから故郷は、お金やブラジャーと同じ
神祕の紅卍教、Hakenkreuzに見えないこともない
認知行動療法や行動心理学は人間を機械化する応用科学だろう。突っつき(nudge)などが典型である。とかく行動させようと促す者に対して疑いを持って損はない気がする。
『述史新論』承前〈宇宙開發といふ誇大な表現は、戰爭目的に奉仕する學的努力と尨大な國力の消費の僞瞞的表現とさへ感じられる。その所謂宇宙開發の第一步として、無人の彈丸が月の周圍を一周した時に最初に口にされた言葉は、月の領土權所有權であつた。今日の觀念で領土權は(略)戰爭のため戰略にもとづく欲望の對象となつてゐるのである。〉
與重郎1961年執筆『述史新論』より〈人類五千年の歷史を通じて、學問の發生以來その最高目標は、德とは何かの探求にあつた。德を明らかにし德に化すことは一貫する東洋の學問の最終目的であつた。近代の學問の目的と價値は戰爭に有效か否かによつて決定されるのである。今や宇宙物理學すら戰爭に有效な學にその進路をかへつゝある。〉
ポストモダニズムはモダン(近代)の超克、それが近代以前への懐古に似るのは温故知新の常か #革命
承前〈天文學的數字を以て數へられる人力の浪費、かの所謂人海作戰を可能とするものは、人間を零化する權力と恐怖の魔術によるのである。人間を零化し、機械の部分に變へる作業は、社會主義と稱して近代國家の一つの事業となつたのである。この現代の社會主義には、昔日十九世紀の考へた社會主義にたゞよふヒユーマニズムの何の名殘もない。〉
與重郎の黙示録。『述史新論』より〈近代の科學は、機械を生產すると共に、人間を機械とする心理學を構想し、その最も精巧を極める共產圈の恐怖の魔術は、神祕の紅卍教さへ行ひ得なかつた人間の零化の完成に近づいてゐる。近代を追ふ側の共產圈が、この人間酷使をあへてするのは當然のことである。〉
與重郎「時論」承前〈しかし「紅衞兵」の行動はこれを理論的に美化して考へることも出來るが、わが「全學連」の暴力行爲の方には、どこにもよいところがない。/しかし、あれほど多くの男女學生があつまつて暴力行爲をなし、しかもそれが普通の暴力團といはれる者の場合にくらべて非合理だ、また不合理だといふことは、をかしいと思ふ。〉
與重郎コラム1967.12.1承前〈これらを倂せ破壞する「革命」を、まづ彼らの同質の、中共内部の「實權派」に對し行ふといふ考へ方は、今日の權力鬪爭の根柢の若者の心情にあると見たい。それでなければ、「全學連」にしても「紅衞兵」にしても、あまりにもあはれである。歷史と人間に對する大失望の因となる。〉
改めて保田與重郎全集第29巻所収、教育日本新聞コラム「時論」1967.12.1附。〈中共が、「革命」によつて政權を樹立したといふ、明白な契機といふ點では曖昧だと考へる純粹な若者が、現狀の醜惡に嫌惡して「革命」について反省することは、ありうることと思ふ。さうして、アメリカはよくない、同じやうにソヴエートロシアもよくない。〉
音楽に限らず色々な人が思い思いの表現をしているので毎回同じ人と会う訳ではない。演奏もコンサートホール、ライブハウス、路上とあらゆる場所で聞けるので探すと良い。但し、良くも悪くも名利に貪欲でない傾向があるので内向きと言うのは強ち間違いではない。懐かしくなったら顔を出すのも付き合い方の一つだろう。
文書中の表外漢字の飛びはマイクロソフト社の繁体字フォントに切り替えてPDFファイルに出力する事で殆ど解消する。簡体字だと大半がずれる。
これは #蜂起 ですね。1968年革命の思想にちゃんと対応している文学者・保田與重郎
保田與重郎全集第29巻p.300。「東風西風」は讀賣夕刊コラム。1970.1.10附〈人間を番號にかへるのが、現在の唯一の大「思想」である、時代の斷絶とか價値變革などといつても、高尚な思想の背景などどこにもない。浮き草のやうな流行と、それをささへてゐる忘れつぽい情報產業的企業が、今や政治も文化も無きものとしてゐる。〉あれ?#蜂起?
與重郎「東風西風」1970.2.14〈進歩主義とか革新派といつてゐる旣存勢力者たちが(略)どんな恥しい世渡りをしてきたか(略)若者たちが知るやうになつた。(略)腹を立てる若者に私は同情する。しかしそのあとで彼らが新しい革命を口にして、暴力をシヨー化するやうなことはほとんど信用しない。そんな發想から實現した革命などどこにもない〉
#革命 1968年は当時の佐藤榮作内閣が徴税のために(? べつな目的もあったのでは?)〈国民背番号制〉導入をくわだてるも国会ではげしい反発に遭い頓挫した、のだそうです。
自分の幸せの刺戟の原因が衣食住の充足と具体的な人の笑顔や安堵から数値が増える事に移ってしまう。道を違えた後暫く経たないとこの錯覚に気付かないのが歯痒い。序でにこの投稿自体が大して素直な表現に思えないのももどかしい。
與重郎「現代青年論」承前〈自身を喪失した結果の、過剩行動のむなしさを救ふためにすべきことは、自分の目で、自分の心で、自分の志で、歷史を學ぶことである。學ぶ態度には、人類文化の世界史に對決する自覺と權威を自覺すべきである。この自己確立が、人間尊重の第一歩である。人間尊重は、天秤にかけた計量を意味するものではない。〉
與重郎全集第29巻p.524「現代青年論」讀賣1969.1.18夕〈わが國の若者が、近代の世界支配的權力の下の奴隷制化から脫出するために、目下の世界の權力の制度一切を否定することは純粹で正しい。その方法が否定され、また正しくないと自覺した若者は、今自分らが無意識に進んでゐるまだ幻の新しい惡の制度から脫却することを考へねばならない。〉
與重郎1967.12.1〈狂氣のやうな暴力を振つた學生たちが、みな狂人とも考へられぬ。また彼らが何かの「思想」を實踐してゐるとはとても認められぬ。もう少し正直に素直に(略)自らのおもひを表現することばを見出さうとは出來ないのか。本當の氣持をありのままに言はうと努力せねば、結局他人を傷けまた自分らの心を傷けることになる〉
與重郎1967.12.1〈(米ソ)倂せ破壞する「革命」を、まづ彼らの同質の、中共内部よ「實權派」に對し行ふといふ考へ方、今日の權力鬪爭の根柢の若者の心情にあると見たい。それでなければ(略)あまりにもあはれである。歷史と人間に對する大失望の因となる。しかし(略)わが「全學連」の暴力行爲の方には、どこにもよいところがない〉
與重郎1967.12.1〈中共でも政權確立この方、權力の座についてゐるものをみると、一樣に適當な近代性を身につけたインテリで、一樣によく生活をしてゐて、言ふこととしてゐることに、「革命」といふ見地からは、何か醜惡不潔といふ感が、若者の氣持としては起るのであらう。〉
一行目の交以外は全て豪の韻です。手許の韻書には六十字余りが記載してあるがこの詩を読む前は使い方の解らない字が多かったです。よくも描写しきったと思います。個人的には「兵營猶不徹豹韜」の表現が良いと思います。脚韻としての韜は六韜の韜で兵法に関連する用法が多く見えます。
與重郎コラム1967.12.1〈(大学教授たちが左傾的)風潮に追從して(略)一身の保身としてきたものが、その生活もやうやく安定してきた上に、國際情勢の激變の中で、世渡りの態度が曖昧となつてきたので、これに對し、若い學生が、本當に今も「革命」をするつもりか、口先だけでよいことを言つてゐるだけでないのか、と責めるのは無理でない〉
與重郎コラム「時論」1967.6.1〈共產主義」的だと自認してゐる「學生」が、棍棒をあげてなぐりあつてゐるのは、悲慘である。「#革命」といふものには、眞の生タヒを超える大勇氣と正しい現實分析の冷嚴な理性がなければならない。(略)今日の情態で「暴力團」化した學生たちの動向を、「革命」の可能性といふ觀點で怖れる必要は少しもない。〉
イオン人が少ないですね。さすがに行くの躊躇します。
中央区志都呂2丁目、イオンモール浜松志都呂にて。もし震度7の地震がきたらどうなるだろう。ここはかつて養鰻池だったはず。爆発もだが液状化も怖い。
読みました(書き下し文と共に)。序聯、現在ビーナスなんとか言う吊橋がかかるあたりに〈點秋毫〉、それがみるみる巨艦のすがたをなして視野に迫るあたり、むかしの長崎港湾の様子がうかがわれる〈水淺船大動欲膠〉〈蠻船出水百尺高〉、黒人乗組員の〈漆黑蠻奴捷於猱/升桅理絛手爬搔〉の描写がおもしろいですね。
少なくとも酷暑日は懲り懲りです。夏の土用が一番なので後はましになると信じたい。
いやいやいやわかりませんよ。去年も10月あたりまで暑かったように記憶しています。
鍛冶町(と伝馬町との地所が混在している雑居ビル)のgraffiti。
立秋は広島忌と長崎忌に挟まれて忘れられがち。大分涼しくなってきました。
清水銀行の工事現場。交通整理のおじさんも元気いっぱい働いている。
きょうは立秋で蒸し暑い。空には雲が多く、時折晴れて地上も真っ青になる。
文豪とアルケミストで保田與重郎が擬人化されていないのが不思議なくらい
「木曾冠者」をおさめる『改版 日本の橋』は昭和十四年九月二十七日附発行。著者與重郎は将来の日本の戦況を予感していたのだろうか。
「木曾冠者」〈保元以降平治壽永に亙る時代は、たゞ秀れた日本の武士を無數に杀した歷史である。誰が杀したのでもなく自らタヒんだのである。それは又武士たちが、つねに袖をしぼつてゐた時代である。杀戮と落淚の時代である。(略)不世出の人物が歷史の齒車の下に、損ぜられひしがれ、立派なものも、卑劣なものも、同じやうにタヒんでいつた〉
きょうが立秋とは、この掲示板が無かったら気づかないままでした。中央区住吉1丁目にて。ここも朝7時ごろから小雨が降っています。
中沢新一は南朝に悪党・芸能民・下層民のネットワークを見出しました。そのように権威=党派に代わるものを南朝に見出す傾向はあります。そして遠州には龍潭寺に墓所のある宗良親王や龍雲寺に縁のある木寺宮(大覚寺統)などの事跡があり、そういった南朝の歴史的土壌が静岡県西部の文化状況をおもしろくしています。 #革命
社会の潮流を読み己の保身と利益を考えれば頼朝や北朝につく方が理論的で有利なはず。でも木曾冠者や楠木正成はそうしなかった。そこに自滅性の批評精神を見たのかもしれませんね #革命
きのう紹介した「武士道と浪曼精神」は『太平記』の楠木正成にまつわるエッセイだ。與重郎は木曾冠者(義仲)や楠木正成といった非業の武士に強く惹かれるものがあったのか。だからこその〈浪曼精神/主義〉なのか。
松尾芭蕉は義仲寺無名庵に住み、保田與重郎は「芭蕉」で蕉翁を再評価し、両者とも源義仲へただならぬ思いを寄せる。〈木曽殿と背中合せの寒さかな/島崎又玄〉 #革命
保田與重郎「木曾冠者」の初出は「コギト」第65号(1937.10)。平家物語論の一部として執筆した由。
この直前の文もいいんだ。與重郎全集④p.264〈彼らは劍戟の場しか生成の境地としてもたなかつたのである。〉〈劍をとつた二人の間に、修身教室の倫理から正義と不義の現れをとくなどは、概して後世墮落の民の習俗である。瞬間の切迫の中にさういふ空論はない。たゞ勝つことが現實である。それは無常に押し流されたときに發見される。〉
「木曾冠者」〈鬪ひは人力のきづいた線を突破した非常であり無常である。源氏ならば賴朝のために肝腦地にまみれさすが正しく、平氏なら清盛のためにタヒすが正しい。今日私がソヴエート人ならばスターリンの完全奴隷となつていさゝかもスターリンにヒユマニズムがないなどの愚言を云はないし、現に私は日本人であるから(略)敢へて云々せぬ。〉
亀和田武「ポップ文化世代の保田体験」より〈どこをどう突ついたところで困窮化したプロレタリアートや人民を見出すことのできない高度成長下のこの国の闘争にあっては、既成のマルクス・レーニン主義的な理解よりも浪曼派的な美意識と心情の方が私の肌にはしっくりと馴染むように思われた。〉
詳報。亀和田武「ポップ文化世代の保田体験」。『保田與重郎全集』第二十七巻月報(1988.1)掲載。何の気無しに月報を繰ったらこれですもの。ほんと意外ですよ。ただ、亀和田武氏のエッセイで保田與重郎とニューレフトとの繋がり(ほだし)の一例を知ることができました。
#革命 與重郎全集月報に驚く。亀和田武は1968年與重郎の著作に出会う。党派下部活動家となった彼が暗記するほど繰返し読んだ『日本の橋』「木曾冠者」〈鬪ひは人力のきづいた線を突破した非常であり無常である。源氏ならば賴朝のためにタヒすのが正しい。今日私がソヴエート人ならばスターリンの完全奴隷となつて(略)愚言をいはないーー〉
「武士道と浪曼精神」〈浪曼的イロニーは、極端の形でいへば正義と不義の、勇氣と卑怯の、建設と破壊の同時的存在である。そこを貫いて生き、人間の美しさを完成するものは、行爲と表現と創造意外にない。しかし彼らはそこをこのやうな形で理論的に生きるのでなかつた。(略)イロニーを生きることによつて、行爲の美しさだけがあつたのである〉
保田與重郎「武士道と浪曼精神」の初出は生長の家の「いのち」1938年12月号。講談社版全集④p.358〈浪曼的イロニーとは、變革の住所である。混沌の住所である。變革の時代が舊時代の理論のはづれをはみ出したところばかりで進行するやうに、このイロニーは今日の社會と個人の修身と倫理のことばのつねの外周をゆくのである。〉
中央区住吉1丁目。この建物の1階右側に洋菓子屋があった。1990年代は、ショーケースにはシュークリームがあるだけの、営業しているのか否かはっきりしない状態だった。主人はヒゲぼうぼうのおじいさんで、白い肌着にステテコという出立ちが印象にのこっている。〈日本橋トロイカ〉の通い箱と店内におかれたヴァイオリンも。いつ閉店したか不明。
ゆうべも涼しかったし、けさも日差は強いもののやはり昨日とおなじ涼しさだ。中央区住吉3丁目にて。
與重郎「武士道と浪曼精神」。〈我々の浪曼精神は、一つの雄大な未知の感覺として現れ、すべてに比べて新しいものとして出現する。それは一の變革として現れるのである。その變革は從つて一切の改新である。前代の社會修身の秩序と、及びそれを表現する理論的語彙の示す束縛をまづ破棄して(略)一つの原始のイロニーとしてあらはれるのである〉
"日本浪漫派の「復権」とは、そのようなものだったのである。そこにはマルクス主義(反スターリン的なものも含む)の思考に欠落していたものを埋めるというモティーフがあり、主観的にはマルクス主義の放棄ではなかった。"『#革命』p.71 マルクス主義の思考にある欠落とは?
以前この掲示板で取りあげられた〈三ヶ日のおバカ小説〉を超えるおバカ小説を書きなぐってこの世を終えたい!
路上観察:ヘリコプターJA6410(磐田市)なんだろう
中央区幸3丁目、あいホールまえにて。ゆうべは涼しかった。けさも「秋か」とおもうくらい涼しいが、だんだん蒸し暑くなるだろう。
わたしの路傍流瞥。中央区住吉1丁目。旧奥山線住吉駅跡。何に生れかわるのか。そこはもと山田青果。隣合せの2店舗をぶちぬいた恰好で、毎週土曜日の特売日は大いに賑った。その山田青果は、もともと倉本歯科をはさんださきに店をかまえていた。
浜松市中央区幸5丁目、四ツ池Reborn整骨院にて。燕の巣。雛を4羽確認できた。
與重郎全集別卷四。週刊読売臨時増刊1972.4.5号「連合赤軍事件を文化人はこう見る」より。〈言いたいことはあまりありません。(略)恐ろしい、よう判らん、考えられない、想像すらできへん、といった単語の羅列程度のことしかありません。事実、人間的な問題も含めて、彼らのことがよう判らん状態でしょ。簡単には言えない問題だと思いますね〉
與重郎全集別卷四。愛媛新聞1966.10.13附「人生清談」より。〈下等なことを聞いたり言ったりすると耳や口がけがれる。戦争中でも発言してないですよ。同じ政治家でも秀吉や家康、博文などへの批判なら、こっちからハシゴかけて登っていく必要がある。しかしいまの政治家についていうとなると、相手のところまで降りていかんならん。〉
そう来ましたか。"禁制はすくなくとも個人からはじまって、共同的な〈幻想〉にまで伝染してゆくのだが、個人がいだいている禁制の起源がじつは、じぶん自身に対して明瞭になっていない意識からやってくるのだ"(吉本隆明『共同幻想論』角川ソフィア文庫)
シェーマだからドイツ語schemaだろうけれど、禁忌と侵犯はジョルジュ・バタイユ。
作家を上下で分類するのではなく、役割(アイドル・界隈を回す・癒す等)で分類する。
なるほどダチョウ倶楽部の「押すなよ押すなよ」ですね! #革命
"しかし、禁忌とその侵犯というシェーマは、たちまち惰性化するというパラドックスをはらむ。禁忌はすでに侵犯されているがゆえに禁忌であることしかできない(侵犯されえなければ禁忌ではない)。それゆえ実際には、侵犯は侵犯ではなく、禁忌は禁忌でありえない。"『#革命』p.69 ドイツ語shcemaは図・図式。この手の絓秀実節は好き。
椎名和『「平凡パンチ」の三島由紀夫』によると、三島は「平凡パンチ」および’Pocket Punch'に1968年から登場する。当時の三島は(自他ともにみとめる)スター的存在で、出版社も三島を必要としていたのだろう。『若きサムラヒのために』という保守的な長篇エッセイも’Pocket Punch’が初出。〈楯の會〉結成式、観兵式(?)の模様も記事に。
#革命 1968年に保田與重郎は満58歳(数え年五十九)ですからね。
わたしの路傍流瞥。中央区松城町、旧時代舎。解体工事中。敷地内の立木も切られた。
浪漫派・保田與重郎は現場へおりず、手をつながないでしょうね #革命
#革命 保田與重郎は〈諸君が『天皇』とひとこと言ってくれれば、喜んで手をつなぐ〉ことをしただろうか?
磐田上万能の新しいラーメン屋さん、えびす。開店は10時半からでした。
川根本町千頭〈てんでんこ〉の川口好美『不幸と共存』法政大学出版局には"「批評」=「運動」としての革命へ 杉田俊介『橋川文三とその浪漫』"という書評が掲載されている。橋川文三は『日本浪漫派批判序説』(『#革命』p.65)の作者、保田→三島→橋川→杉田→川口という"他者との躓きや屈折にみちた関係の星座としての「批評」=「運動」"
2026年10月にオルタナティブスペース「オルタコ」がオープンするらしい。
『改版 日本の橋』(全集④p.164)〈まことに羅馬人は、むしろ築造橋の延長としての道をもつてゐた。彼らは荒野の中に道を作つた人々であつたが、日本の旅人は山野の道を步いた。道を自然の中のものとした。そして道の終りに橋を作つた。はし(傍点)は道の終りでもあつた。しかしその終りははるかな彼方へつながる意味であつた。〉#革命
#革命 人文書院のnoteにいう〈「詩的なもの」のイメージ〉とはこれか。〈今も私は專ら東西の文化が交通した最も太古の通路を考へてみる。アジアの東と西に於て同じ太陽の下に同じ日に生れた、これこそ旣往に省み將來を慮って、なほ唯一といふべき宗教と藝術の文化は、又唯一の古代の姿に於ける世界文化であつた。〉『講談社版』全集④p.163
中央区住吉5丁目、ひそかに〈住吉さいはての地〉とよんでいる、城北工業高校北にある’CARAVAN’。〈つちや餅cafe〉で宇治抹茶あずきパフェをいただく。「自転車で来てくださったので」と100円お負けしてくれた。
店の外観は〈しまうま〉のままなので、あげるのをやめようかどうしようかまよってけっきょくあげます。
オープンは明後日という居抜き… 失礼、Reborn Cafe「つむぎ珈琲」浜松幸店。
中央区高町にて。こぢんまりとしたgraffiti。
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区八幡町、文化芸術大学バス停にて。新旧の六間道路。わたしが立っている側は、昔から歩道が無かったとおもう。
せいれい病院バス停にて。うろこ雲というより、皮膚疾患にみえる青空。
"本稿で多く言及したエッセイ「〈冬の大三角〉座で正しく不安を学ぶ」は震災への遅ればせながらの応答として書かれたものだ。"(川口好美『不幸と共存 魂的文芸批評』法政大学出版局)川口の「非商業的著作家」という用語
宮川"ロマン主義的イロニーの否定性は、純粋な絶対的自我の表出に向かう無限の自己否定として現れてくるものであるはずだが、保田はそれを主観主義的な思惟形式の絶対化として捉えている。そしてそうすることによって、マルクス主義的文学理論におけるリアリズムの概念を裏返し、思惟の純粋性と抽象化の中にリアリズムを見出していくのである。"
観光まちづくりと文化まちづくりは目的と方法論が違う。同じ町で両者を同時にやると効果が相殺される
この文章で他に大事な所は「文化、芸術というのは、人間の暗闇や精神の揺れも扱います。「教育的」でないことを扱うのです。文科省の教育とは相反しています」 学校で教えられない事を生身の人間が伝え合うのが理想的。
「或る地域に文化の自己決定能力が無い」とされるとき、そう見なす側がその地域に文化の自己決定能力があると活動しにくいという側面もある。
路上観察:壊れたキーボードを叩く路上ミュージシャン(浜松市)新浜松駅
つむぎ珈琲の2店舗目となるつむぎ珈琲浜松幸店が2026年8月3日(月)にしまうま珈琲跡地に新規オープン
秋野不矩美術館、たたら場とか山岳要塞の感じがある。
中谷ミチコのDrawingは詩を水彩へほぐしたの感がある。
中谷ミチコ〈産む人とそれを助ける人たち〉「影とぽっこり」@秋野不矩美術館。ちょっと微笑ましいかたちたち
秋野不矩美術館、中尾ミチコ「影とぽっこり」展に来ました。
近所のコンビニに入った途端、お客が長い列をなしている。何を待っているかとおもったらポケモンカードだった。朝7時から販売。
けさ6時すぎ、西の空にブルーインパルスみたいな飛行機雲。
八百徳には「浜松百撰」ならぬ「うなぎ百撰」
https://www.unagi.co.jp/ が置いてある。うなぎ百撰会は八百徳のほか藤田浜松店・かんたろう・丸浜が加盟。三島の桜家や博多の吉塚も名を連ねる。寄稿者のなかでは「磯田道史のうなぎの細道」が読ませる。
土用丑の日には数日遅れたけれど八百徳本店の上うな重です。
文化芸術の配置に関わってはいけない人は文化芸術よりも大事な価値を持つ人
"夕暮れ時の台南公園で、インドネシア人の詩人二人が架空のラジオをはじめる""ベトナム人女性労働者たちが台湾の雇用主と仲介者に対してストを決行。"現代日本社会にも通じる設定かつエモい
鹿島の花火@天⻯川河川敷(浜松市天⻯区⼆俣町⿅島地内)8⽉1⽇(土)19:00〜。中野町煙火大会@天竜川河川敷(国道1号天竜川橋南)8月14日(金)19:15〜。いわた夏まつり花火大会@福田漁港特設会場8月22日(土)19:30〜。
こっさりは頂けない。こてさらの方が伝わる。美味しそうだが物理的にも経済的にも火の車だろう。
本田勝一、いつだったか週刊金曜日発刊の際福祉文化会館にきました。日頃、カツラをかぶって変装していると言っていました。
6:50あたりから雨がパラつき、またひとしきり降って8時あたりには止んだらしい。いっとき涼しかったが、9時をすぎてからムシムシと暑くなる。
けさ、外へ出ると明け方の雨のあとで地面がぬれている。6:05すぎに雨が降りだし、6:10ごろ土砂降りとなる。東の空は晴間があるというのに。
路上観察:東芳川の下飯田橋で釣りの少年(浜松市)夏休みである
鶏そば・から揚げ専門店えびす(磐田市上万能)。4月に旧国道1号線沿いにできた「丼と麺」がもう閉業、改装している。
島田宿どめ(通信)俳句大会(主流社)、8/10まで
きのうは、まず板東英二さんの訃報におどろき、東海道線の電車遅延になやまされながら熊本地方の地震におどろいた一日だった。きようのスポーツ紙は、中日は当然として、日刊スポーツも1面に板東さんの訃報をとりあげている。わたしとしては「ズームイン!朝」の中京テレビからの中継で、きくち教児さんと共に出演していたころがなつかしい。
けさの路傍流瞥。浜松市中央区萩丘2丁目。ゆるい下り勾配の歩道が好きだ。西風も涼しく、さわやかな朝をむかえられた。
燠火のような夕照。住吉1丁目にて。小雨がわたしの肩をたたく。
19時すぎの中央区住吉1丁目から南の夕あかねを仰ぐ。住吉はまだ雨が降りつづいている。
18:49西空が晴れてきた。雨はまだ降っているが傘はいらないだろう。
18:37浜松磐田信金本店まえ。いま小雨。曇天の雲が切れはじめている。
18:21浜松駅北口タクシーのりば。シマエナガのように並んで待っているひとたち。
〈足どめを喰らう〉なんて言っちゃいましたが、無事に戻って来られました。話は変りますが、椋鳥がいま18:15プラタナス広場に蝟集しています。
18:06@浜松駅バスターミナル14番のりば。雨は小降り。上空は厚い雨雲におおわれている。
17:56@浜松駅ホーム。ホーム上屋で頻りに雨音。時折遠い稲光、遅れて cannon ballとユーミンが喩えた雷鳴。ホーム上では次の電車を待つひとたちが列をなしている。
17:34'25舞阪発車アナウンス。' 35 ドア閉。 '55発車。その後に車掌の怖いアナウンスあり。17:38から徐行。徐行で踏切安全確認か。17:40ごろ速度をあげる。17:41'45高塚着。17:42'10発車。17:46'40すぎ浜松着。3番ホーム混雑。
日本語の車内アナウンスの〈舞阪〉のイントネーションが上調子でおかしい。つづく英語アナウンスはオーストラリア訛りであの新幹線のと同じ女性らしい。17:31'55舞阪着。しかし17:32’30でまたも「この先の踏切で安全確認をおこなっております」17:35'35「この先ふたつの踏切で安全確認。そのため遅れます」と車掌は怖いことを言う。
17:24ちょうど新居町着。17:24'25発車。熊本県内で震度7!信じられない!とおもううちに弁天島17:28'20着。雨が降っている。17:28'45発車。
新所原発車後のアナウンスがまたよく聞きとれん。もちろん新快速の人とは別の♂。電車はかなり遅れている。中島みゆきの「バス通り」のバスもこれほど遅れんだろうというくらいに。17:21'05鷲津着、乗客が多い。17:21'50ごろ発車。
17:08’50アナウンス「ただいま踏切の安全確認を」17:08'30「只今確認が取れました」すぐあと「このあと再度安全確認のためもうひとつの踏切で停車します」と。17:10’45ほんとうに停車。最後尾の運転台で車掌が立ち働いている。17:13’15「お待たせしました」徐行。17:15「まもなく新所原に到着します」17:15'50到着。17:15'30すぎ発車。
17:00二川で足どめを喰らう。何て日だ!17:00'50「ただいまこのさきの踏切にて安全確認をおこなっております」。17:01'35やっと発車。発車後のアナウンスがまた小声で聞きとれん。発車してしばらく速度をおとして進行するうち録音(AIか?)のアナウンスが新所原が近いことを告げる。17:05’35、駅てまえで停車。「安全確認のため」とのこと。
この電車は新型らしいが運転席以外の窓ガラスが紫外線防禦仕様なのか車窓の景色が暗くみえて仕方無い。16:54二川着。15秒乗降でドア閉。発車するかとおもったらなかなか発車しない。16:56'45「発車までしばらくお待ちください」とアナウンス。16:57発車しない。16:58あれ?どうしたんだ発車しないよ。16:58'30「準備がととのい次第発車します」
16:44西小坂井-豊橋間。渥美半島上空が夕空。とおく浜松方面の空はグレー。北の空も然り。16:47豊橋に安着。豊橋駅8番線にちょうど浜松行普通電車が待合せで停っていた。16:49豊橋発。
16:41愛知御津駅てまえの踏切。雨はすでに止み、アスファルトの鋪装面がところどころ乾きはじめている。
16:32三ヶ根通過。いま浜松が雷雨らしい。ここらは雨は止んでいる様子。16:35蒲郡着、16:36発。
雨はまだ降りつづいている。16:10大府着発。乗降の時間は15秒ほどか。大府発車後のアナウンス♂、木曽川駅構内の信号機故障うんぬんの件りが早口で聞きとれない。JR東海の車内アナウンスではよくあること。画像はかつての尾張三河の国ざかいにあたる境川。16:14刈谷着発。発車後のアナウンスがまた早口だ。
雷鳴が鳴りやまない、浜松駅近くにも落雷、雷光が眩しい。突風と豪雨の浜松市中心部。静岡県西部で竜巻注意報も。
帰浜。北西は暗雲、雷鳴は聴こえるものの、まだ雨は降っていない。
15:16名古屋発予定の新快速豊橋行6輛編成が15:53についた。あわただしく15:54発車。15:59金山着、16時ちょうど発車。おもしろいのは、名古屋と金山発後に〈なぜ遅れているのか〉事由を説明するときに音声が遠くなること。わざとじゃ無いんだろう、とおもいたい(ほかのアナウンスでもおなじく声が遠くなることがあった)。
丸山薫は〈郷土の詩人〉なので、かれの文業を宣揚するつもりで〈さわやか〉と言ってしまったのでしょう。おっしゃる通り、あらかじめ〈詩の印象を決めてしまう〉のは得策ではありませんよね。
15:45@JR東海道線名古屋駅2番ホーム。雨は小降り。やはり雷雨の影響で電車がおくれている。〈40分前後のおくれ、60分前後のおくれ〉とのアナウンスあり。
ありがとうございます。そちらも落雷直撃だけは免れますように
地下鉄上飯田線が停電のため一部運休とのこと。落雷ならむ。
15:25@オアシス21から地下鉄栄駅への通路。急な雷雨での雨漏り。愛知県美術館のある芸術文化センター10階も雨漏りしていた。
雷雨に気をつけてお帰りくださいね。名古屋は酷かった!
ボンとらやのピレーネという気分でないときは豊橋駅構内の藤田屋大あんまき
14:27@愛知県美術館。雷鳴も雨もやまないが、西の空に雲の切間がひろがりはしめた。もうすこしの辛抱だ。
変換ミスをお詫びします。ただしくは〈御園橋〉です。名古屋の雷雨ですが、14時前後だったとおもいます。
わたしはそのとき愛知県美術館に居た。〈スウェーデン絵画〉だから、映像の効果音かとおもったら本物の雷鳴だった。稲光と共にはげしい雨が降りしきる。
食糧と飢餓への視点を持たない者が戦争と平和を騙ってはいけない
まちなか図書館の一角で「音読の時間」というワークショップをやっていた。丸山薫の詩をみんなで音読し、ファシリテーター役の人が「この詩はさわやかな詩ですね」と言っていて私は逃げ出した。なんで詩の印象を決めてしまうのか
"戯曲を書きながら、ぼくはまず自分の身体が、いま書いた目の前の言葉からどのような影響を受けるかを感じて、実際に動いてみます。(略)そんな風にして、ぼくは自分の戯曲を実際に何度も、「上演される身体」に出会わせながら書き進めます。"(山縣太一+大谷能生『身体と言葉』新曜社)詩歌を一度声に出してから書き直すのと同じかも
"茉莉 こうして蒼とソファに座っていると、思い出すことがあります/蒼 ほう/茉莉 学生会館の向かいにある、サイゼリヤ西早稲田店"(中島梓織「われわれなりのロマンティック」いいへんじ)『悲劇喜劇』2025年9月号、早川書房 戯曲もおもしろそう
豊橋市まちなか図書館に来たら東三河&西遠・西三河・南信応援誌「そう」春夏秋冬叢書を手に取ります
これが副首都になるかもしれない街〈名古屋〉の野生部分か
わたしの路傍流瞥。名古屋市中区丸の内1丁目3番、名古屋タイムズ本社跡地をのぞむ。〈パスタ・デ・ココ〉〈CoCo壱〉などがあるあたり。晴間がひろがり、日差のせいで汗ばむ。
10:30@新御薗橋。こういう、密林化している外濠をみるかぎりでは名古屋は緑の多い街という印象をもつが、やはり厖大な都市熱が発生するんだなあ…
県西部外で失礼。市営じゃないのに市電と呼ばれる豊鉄市内線(路面電車)、豊橋市はまだ晴れ
9:50@愛知県図書館まえ。どこの図書館でも共通して見られる開館待ちの光景。木立から「アー、オー、オアー」などと啼きかわす鴉声が頻りである。もちろん蟬声も。
9:40愛知県図書館バス停下車。やはり雨催いの空となった。
静岡新聞2026/7/28の7月読者文芸の短歌〈真昼間のコミュニティバスにぽっかりと湿布の匂いが運ばれてゆく/静岡市駿河区 海瀬安紀子〉高齢者が多いのだろう
9:32大曽根行バス発車。バスターミナルから中央郵便局交叉点で信号待ち。リニア新幹線工事中。
静岡新聞の7月読者文芸、詩は水野満尋「アジール崩壊」"虚光"の措辞が好き。野村喜和夫による選評が興味深い。上位5篇くらいは拮抗、"共通する話題やテーマを無理にでも探し出し"2篇を選ぶという。今回はタイトルのおもしろさが共通テーマ、詩の選は難しい
9:16名古屋着。人ごみをぬってバスターミナルへゆく。歳をとったせいか、地下鉄がシンドくなった。地上と地下との行き来よりも、バスのほうが楽に感ずる(東京でもそうしています)。
静岡新聞2026.7.28、俳句〈躓いて忘れてしまへ時計草/磐田市 平野宏〉時計草の怪しげな花姿とふしぎと合う。〈玉葱を吊るし余生の風通す/掛川市 堀内勲〉余生俳句。川柳〈がま口を宇宙サイズにするマスク/磐田市 山下哲雄〉イーロン・マスクか。〈玉虫をつぶして歩くネタニヤフ/磐田市 後藤みえこ〉玉虫色の解決案かも。
E.H.カーですね。可能性としては宇宙人共謀、あるいは未来からタイム・ワープした何者かが智慧を貸した、という説も成りたちますね。ちなみに南大高-笠寺間、特別快速大垣行は依然徐行しております。とおもったら笠寺駅てまえでいきなり速力をあげました。
8:59共和駅てまえ。在来線は岡崎から名古屋までのあいだ、先行便が詰っているのか、よく徐行する。雲は多いが晴れている。
けさは涼しい。南から北にかけてひつじ雲が拡がっている。雨のまえぶれだとか… 中央区住吉1丁目にて。
無印詩丼の前に川根本町のてんでんこを訪れたとき、川口好美さんから室井光広『詩記列伝序説』双子のライオン堂をいただく。室井光広は詩と批評と小説の三位一体を実践した。"希望なき人々のためにのみ、われわれには希望が与えられている。"室井光広「〈冬の大三角〉座で正しく不安を学ぶ」『詩記列伝序説』双子のライオン堂
史実(歴史上の事実)が語義矛盾というのは、たとえば本能寺の変で明智光秀にチップを埋め込んで共謀したのが宇宙人だった(事実)として、当時の歴史家は宇宙人概念をよく理解できないので宇宙人についての記述を省く(歴史)から。歴史は事実に対する偏った記述でしかない。
〈とほたふみ花火つぎつぎ闇を欲る/柚木紀子〉『鹵凡』角川書店はどこの花火だろうか?
19:05すぎ、大粒の雨が落ちてきた。しばらくシトシト降りつづいている。ぬれた路面に光の彩がにじむ。
わたしもネットニュースで知りました。まだまだ新しい小説を産みだせたはずなのに、残念です。
和地山の夕景。雷をよぶ雨雲のせいか、ひさしぶりに涼める。
路上観察:鮫島にあるコンテナのGraffiti(磐田市)
天浜線の始発・終点である掛川駅てまえの全面展望。隣の東海道線のレールの直線はブレが殆ど見られない。あたりまえか。天浜線は憐れを誘うほどにレールがブレている。だから走行する車輛は常にゆれる。
わたしの路傍流瞥。掛川市大池、天浜線西掛川駅ホームへつづく階段。じつは右に傾いでいる。線路の土手の傾斜のせいなのか。だから階段は左に寄って上り降りしたほうが楽なのだ。
17:40@掛川駅。やはり東の空が暗い。反対方向は晴れている様子。雨のせいなのか、北東からの風がすずしい。
路上観察:竜畔(磐田市)『夜露死苦現代詩』に収載されてもおかしくない
16時すぎの掛川・つま恋リゾート彩の郷〈森林の湯〉まえにて。北の空が厚い雨雲におおわれ、時折雷鳴がとどろく。
わたしは今掛川に居るんですけど雲ゆきがそれこそあやしくやってきましたよ。特に東の空。
ほんとうだ。川根本町など山間部を中心に強い雨ですね
戦前日本は米を輸入していた。黒島傳治「外米と農民」
https://x.gd/hxKGr は昭和初期の列島が人口増に見合う米を生産できず、米騒動後に食糧確保と米価抑制のため外米・朝鮮米・台湾米(蓬莱米)を輸入した様を描写する。即ちそれは、世界的な潮流のブロック経済下で日本が制海権と石油と海上輸送力を喪えば列島中が飢餓に陥ることを意味した。
磐田市がうらやましい!浜松市中央区は、昨日ほどでは無いにせよ、暑い一日でした。夜もムンムンしていましたよ。
路上観察:外国人への注意書き(磐田市)でも、これを書いている人は日本人ネイティブではなさそう。
"藤田は、地域芸術祭でのアート・プロジェクトの多くが批評性を欠いた「穏当な」作品であることを批判的に指摘したのでした。そして、こうした作品は必然的に芸術性も欠くと。(略)こうした傾向の背景には、おそらく過剰な「みんな」への配慮が存在します。"(山本浩貴『地域芸術祭とは何か』平凡社新書)藤田直哉の地域アート批判を再確認
"アートにおいて批評は重要な役割を担います。ですから今後、地域芸術祭を批評する「言葉」を作っていく必要があります。換言すると地域芸術祭に批評性をインストールする方法が求められているのです。"(山本浩貴『地域芸術祭とは何か』平凡社新書2026.7)批評性を地域アートイベントへインストールするとき批評機能を内に置くか、外に置くか?
(あくまで個人的見解です)花火それ自体はもちろん、会場への行き来、混雑等含めての体験が〈花火鑑賞〉だとおもいます。
遠花火の鑑賞方法を摸索する投稿を読んで、自分は見せ物との距離感が上手く摑めないと痛感した。遠くでまったりしつつ気が向いたら一瞥する程度が心地よいのかもしれない。
しずおか連詩の会はいわゆる卓越者と鑑賞者を隔てたスペクタクルですから、得るものがなければ無理に参加して生=文化を譲り渡すことはありません
きょうは暑すぎた。どうりで浜松市中央区の午後の気温は40℃をこえていた。の夜になっても熱気が冷めやらない。中央区幸3丁目にて。
勿体無い気もしますが、帰り道の混雑を予想してのことでしょうか? しかし花火の観覧に打ってつけのスポットですよねー。
ふくろい遠州の花火が始まりました。久野城址の高見より
南の丸ではなく一段高い久野城跡の「高見」にふくろい遠州の花火の見物客が陣取っていました。ここが花火見物の穴場なのかもしれません。
久野城址(袋井市鷲巣)の本丸から原野谷川親水公園を見下ろす。なぜか南の丸や二の丸に望遠カメラ持参の人が多い
福田曰〈私たちが生命の根源にまで降りていき、自然との合一感にひたるための型としての儀式を要求したとすれば、それは型である以上、部分にして全體、瞬間にして永遠、つまり空間的にも時間的にも、限られた枠のなかに全體が出現しうるものでなければならない。自然におけるさういふ時期は、季節の折目、ことに冬から春への變り目ではないか〉
最近軍事の譬えが多いので乗っかるとナパーム蒸暑である。
袋井の花火について、スターマインは音楽と炸裂音と閃光を楽しむものなので近い方が臨場感を味わえます。どちらの駅からも2km程なので歩くのがお薦めです。
この比喩表現、いいですね。ありそうで無かったかも…
所属する全体を選ぶ主体性の錯覚が自由の正体かも知れない。
葈耳(おなもみ)と豨薟(めなもみ)とは機能が収斂している。両方菊科で、前者は棘、後者は腺毛(或いは粘毛)があり衣服や毛皮にくっつく。
大きな相違点は入声即ち閉音節の字でしょう。普通話では児(er/r)等ごく少数を除いて開音節なので平仄が合わない事があります。
〈羅の羽織はいるかいらないか風をみている浜松の空/白川ユウコ〉『ざざんざ』六花書林。風を見て判断できるのは土地になじんできた証
近体詩を作る為には韻と平仄を揃えなければならない。生成AIも人間も原文だけを参照して決まりに則り学習するのは不可能だから音声記号を伴う数拠が必須である。但し、先入観が無いならば中国詩の成立の歴史を検証する算譜としての演算機能を持つ事になるので取り柄が無いわけではない。適切に評価する人が待たれる。
#革命 福田恆存〈私は斷言してもいい。共產主義國にかれらの考へるやうな自由などといふものがあるわけがない。(略)ストイシズムは自由の原理であるにしても、それが强要されるといふのは、つまり、自由がないといふことだ。(略)私にとつて自明なことは、そこに自由がないといふ現狀が、すでに革命にとつて最終目的なのである。〉
〈人格が完全な自律體であるのは、全體との關聯をみづから調整しうるといふことにすぎない。それは部分でありながら、全體を意識し、全體を反映し、みづから意思して全體の部分になりうるといふことなのだ。眞の意味における自由とは、全體のなかにあつて、適切な位置を占める能力のことである。〉福田『人間・この劇的なるもの』全集版より。
"かれらは儀式を嫌っているのではなく、自分たちが祭司の座から引きずり降ろされるような儀式を嫌っているだけのことである"、"儀式は元来、個人を没却する場でなければならぬ。人間が個人であることをやめて、生命のもっとも根源的なものに帰っていくための通路であったはずだ。"保守派の論客・福田恆存と活動家Bifoの主張が近接 #蜂起
"個人は全体を自己に奉仕せしめることはできず、自己を全体に奉仕せしめなければならない。必然性というものは、個人の側にはなく、つねに全体の側にある。"(福田恆存『人間・この劇的なるもの』新潮文庫)全体を群衆≒文化と言い換えてもいいかも。文化を自己の(食い扶持の)ために奉仕させず、文化のために自己を奉仕する。
写实は正岡子規の写生みたいな捉え方かもしれませんね。外卖小哥诗人の王计兵、外卖小哥はUberアニキみたいなニュアンス
わたしの路傍流瞥。浜松市住吉2丁目、聖隷浜松病院にて。毎年7月最終土曜日に自治会主催の住吉夏祭りがおこなわれる。すでにステージと櫓が組まれ、櫓の四方には古式にのっとって依代の笹が立てられてある。