1月
1月1日(木)
今年は元日の年賀配達から外される。もう年賀は元旦ではなく元日だし、全員配達でもなくなった。朝に浜松神社で初詣を済ませ、浜松駅から西へ旅立ち、青空フリーパスで東海地方を巡る。鉄道旅行なら本も読めるし執筆もできるから。家に居てずっとプログラミングをしているよりは健康的である。太多線が気になり、美濃太田駅経由の多治見行きがあったので岐阜駅から乗り込む。軽油のにおいと駆動音がしたので電車ではなく気動車だろう。木曽川沿いにかつての廃墟があり良い景色だった。多治見駅の北口で虎渓用水広場を観てキヨスクで三千盛のとっくりを買い、さらに中津川駅まで足を伸ばす。雪を戴く恵那山が美しい。木曽路に入る前に引き返す。鉄道は東南アジア系の外人旅客が目立つ。名古屋駅一番線に昔の矢場とんの仮設店舗ができており、味噌おでん三種を食べる。どれも旨い。20時に帰浜する。
スリッパをつっかけのぼる飛馬始
トンネルに入る予感はわかるのに恋の予感はなにもしないよ
楽しみは桃色吐息
狂おしいほど愛を乞い
自分の道をつきすすみ
すばらしきかな冬の日
1月2日(金)
昼まで大区分ゲームのプログラミングをしてもう一歩のところで挫折し、むさしの森珈琲豊橋江島店へ行くと、あたたかみのある内装で、混んでいた。道中で番号ジャンプ式ゲームブックという可能性を思いつく。むさしの森珈琲はリブロースステーキロコモコの肉も柔らかいし、パンケーキはふわふわだし、近所にあったら通い詰めそう。豊橋で良かった。帰路に新居弁天海釣公園に寄り、今切の丘に登って渥美半島を望む。晴れて風が強いので伊良湖岬まで見渡せる。
千行のソフトウェアを打ち終えてあおい液体窒素をすすれ/加藤治郎(『加藤治郎アンソロジー1』書肆侃侃房)
湖を通り過ぎたら二日かな
一日に一日増えただけなのに増えてくるのはどうしようもなさ
今切の丘に登って
息切れてこぼれる本音
生きている限りを生きる
伊良湖岬をはるか見下ろせ
1月3日(土)
とても寒い。年賀を今年始めて配達する。局全体で普通郵便も合わせて六万通とのこと。静岡新聞新春読者文芸大辻隆弘選の一席に私の短歌〈誰もまだ触れてはいない洋書から甘い薫りの開く元日〉が、野村喜和夫選の三席に私の詩「すべて乳歯人間の岸辺」が掲載される。他の方の詩を読む。風間信子「時には荒地の肌模様」は「泥くさい時間に掘り返され」からの展開が秀逸、井村たづ子「廊下」は廊下が主体に思えてきておもしろい。水野満尋「ルーツ、初夢」はいわゆる夢オチだけれど、懐古する散文詩で読ませる。田村全子「蔦土蔵」はタイトルの造語に味がある。下に拙作への評を書き写す。
「白菜」と「空港」、一見なんの関係もなさそうな二物ですが、それを強引に出会わせ、詩にしてしまう作者の力技に脱帽です。詩学的には遠いもの同士の連結といい、遠ければ遠いほど詩的効果があるとされています。/野村喜和夫
一月で辞めちゃう人の白髪よ
よろしくが何をよろしくなのかさえわからないまま三日となった
たいらかに三日の空は澄み渡り
ただ郵便夫はため息ばかり
たちまちに日はとっぷりと暮れ
多治見土産、飲み干す三千盛
1月4日(日)
昼は児とビオラ田町のアプレシオでJOYSOUNDのカラオケを遊ぶ。石川さゆりの津軽海峡・冬景色は原曲キーで歌えると知る。午後は杏林堂高町店に寄り、帰宅後に寒空の下、児の自転車につきあう。夜に詩度テストを、百万以上のことばを排出する版へと更新した。これで詩の探索としては充分楽しめるだろうから、しばらく固定したい。これ以上増やすと対戦が成り立たないし、ほかのゲームも作りたいので。そのあと、詩度ランキングの首位が「電卓のレインコート」から「親切な鉄道」に変わった。
カラオケの中を鯨の骨泳ぐ
ことばという無限の荒野へ旅立てばただの一字の〈に〉が恨めしい
人々のため貪欲にゆこう
百万のことばを吐く無能
ひとしきり遊び疲れたら
ひっそりと無言で眠ろう
1月5日(月)
寒に入る缶詰の賞味期限は
配達区の西の端から東の端へ走ったあとはただ赤い月
浜松でよく見る熊谷真実
はたして誰なのか曖昧
掃き溜めに鶴とは思わないがね
はき違えないさ熊谷直実
1月6日(火)
中勤、夜は書留がなかった。帰宅すると、さとう三千魚『花たちへ 無一物野郎の詩、乃至 無詩』浜風文庫が届いていた。簡素な表紙で好き。深夜に新季語ページの構想を練る。
再配達のひとつは冬の星
午後七時に再マルツもし切れたならきっといい夜オリオン唸る
季節から乖離しつつある季語
きっと夏にもぎとるりんご
気持ちからはみ出たグリッド
四季へうちたてる輝くスキゾ
1月7日(水)
非番、午前は新季語の調整をしてまちなかへ。久々にメイワン7階のハッピーでマトンカレーを食べる。ゲームブックは方針がないから、全体像が見えない。しばらく寝かせよう。帰宅してミニ大区分ゲームをつくる。これでプログラミング方面は少し休む。細かいメンテナンスはする。学校から帰宅してまた学校へ遊びに行った児がお菓子などのためお年玉を友人へ大盤振る舞いしたらしく、保護者の間で揉めそうな気配もある。とりあえずお金の遣い方について児へ諭す。そのなかで家族用のヨーグルトを児が買ってきたのはおかしい。『断食月』第二号が届く。疲れたので事務作業は10日以降にする。
善意からこぼれていったものの名をお金とよんでただ隙間風
1月8日(木)
風がいたく寒い。模索舎の明細の期限とかはゆるそうでよかった。第二号も委託する予定である。午後は地図を持って通区する。通区の際の意思疎通ミスで2列が残となった。そういえば、局のレイアウト変更で休憩室が縮小された。減区で「もうおまえらに休憩する暇なんてないはずだ」ということだろう。郵便番号438地域の郵便配達は二月から壊滅するのだ。
地図を見てもどこもかしこも空風
絶滅はプログラミングされている恋を憶えてしまったばかりに
1月9日(金)
風のない穏やかな日、中勤。朝はオープンミーティング「はなしてみる」のページを組む。それと、それの浜松市文化振興財団の後援申請が通る。
炉話や民主かそれとも独裁か
味のないパイを平らげたかのような風の吹かない冬の一日よ
世の中はほとんど他愛のない
善いも悪いも知る由のない
酔ってみれば今鮮やかに
甦る、死せる詩人の会
1月10日(土)
午前は「はなしてみる」や『断食月』の事務をやる。金子母から電話で急に万葉の森公園桜まつりでのカンタン短歌の話が来て承諾する。昼は三組町の三河屋本店で天ぷら蕎麦を食べる。それから
一月や安請け合いをしてしまう
いまどきの恋人という時間ありサプライズにはカメラがいる
1月11日(日)
風が殺人級、鳥が落ちて死んでいる。午前は袋井市役所二階市民ギャラリーへ行き、鼯鼠之丞ののぶすま書院一周年展へ赴く。お兄さまとご挨拶して何を食べたらああなるのかを訊ねると「同じものを食べてきたんですけれど」との返答が秀逸だった。展示は俳句と短歌と絶句と聯詩、漢字の圧がすごい。一回目だから通りすがりの人に名前だけ覚えて帰ってもらうことだけに集中してもいいかも。帰宅すると午後に風花が舞う。停電した地区や街路樹が倒れて道をふさいだところなどがあったらしい。15時から急激に温度が下がり5度となる。卸本町のTRANSIT COFFEE ROASTERSへグアテマラを買いに行くと上空を川鵜の群が過ぎていった。ガソリンは1リットル程度140円を切りはじめる。
遠近法は一点におけるある一瞬を静的に切り取るが、逆遠近法では、複数の視点において捉えられた複数の時間が、一つの画面上に空間的に並置される。(細川瑠璃『フロレンスキイ論』水声社)
から風のなか呼吸を忘れた烏
市役所の二階の隅へぶきっちょに句や歌ならべのんのんと人
鳥が落ちるほどのからっ風
時に感じて洟水垂らし暮らせ
遠くまでいつか旅をしたいと思う
当然路銀は出してもらう甘ったれ
1月12日(月)
祝日。妻が古橋織布の会長さんの社葬へ行くというので11時に雄踏斎場まで送り、児と伊左地町の島野農園へ行き苺狩りをする。加糖練乳のおかわりが有料なので杏林堂などで加糖練乳を買って行くのがおすすめ。それから坪井町はPORT24浜松店のクレーンゲームで児とともに完敗する。ココス浜松雄踏店を経てイオンモール浜松志都呂で妻を拾い帰宅する。寒中だからだろう風がまだ痛い。夕に第二回くわだてとたくらみ賞を発表する。
手をあげるゴリラの像と冬木立と
練乳のおかわり二百五十円理不尽だけど買うしか 苺
二年目のくわだてとたくらみ
似たもの同士が権威をつなぎ
にたりと笑う、裏では涙
煮汁からしみでる旨味
1月13日(火)
勤務中にふと思いつきこゑぼんをつくり公開する。「こゑ」ボタンを長押しすると録音できる。勤務終わりに壬生キヨムと元町珈琲磐田見付の離れで会い、『断食月』第二号を渡す。文学フリマ京都で販売するという。そういえば河原こいしも文学フリマ京都へ行くと書いていた。それからTYPE-MOONとのぶすま書院一周年展の話などをする。
目に当てて寒卵という光だ
オランダ語で村はDORPぞ浜松のデザイナーらの正しい命名
1月14日(水)
やりとりするなかで、はなしてみる実行委員会のメンバーのなかに実際に会場へ足を運んでくれる人より他の用事で会場へ来ない親しいクリエイターを気にかけるクリエイターがおり、暗澹たる気持ちになる。関係性を編みなおす気なんてないのだろう。『断食月』第二号の著者分をすべて荷づくりする。
三寒や実行委員会の齟齬
庭木なら臘梅に木瓜柿蜜柑泰山木に紫木蓮など
1月15日(木)
『断食月』第二号の著者分をすべて発送する。新区の通区をして余裕がなかった。中勤者と同じくらいに退勤する。
四温とは代引とどく戸のにおい
1月16日(金)
中勤、あたたかく三寒四温と言える。通区が多く誤配が増えて顛末書のため課長が忙しそう。21時前に帰宅してあわてて60文字!をつくる。スマホのキーボードが下からせりあがるときにテキストエリアがジャンプする仕組みの整理だけで一時間くらいかかった。
ポケットのなかの蜜柑の皮かたし
冬の蟹まよい出てきて太陽のタイヤの底を威嚇している
褒められるとむず痒い
仏の顔へ下ろす親指
ひきさかれた党派のむくろ
人とかかわるしくみは好き
1月17日(土)
晩春みたいなあたたかさ。60文字!の61文字以降を非表示にするのではなく赤字にするよう訂正する。そういえば『断食月』の表紙がなにをモチーフにしているかを県東部に住む俳人の芹沢雄太郎さんに見破られた。昼過ぎに児を美術教室に置き、鴨江アートセンターのかもえのあさいちでみかん園くまこあらの蜜柑を買い、2階で永田風薫展覧会トリビュート『陸軍』の作品「軍人は忠節を盡すを本分とすへし」を観る、というより聴く、いや体験する。かつて木下惠介記念館で『陸軍』を観たときのことを思い出す。紺屋町の100cafeでチーズケーキを食べているときにふと思いつき静新読者文芸〈詩〉原稿作成フォームの原型をつくりアプレシオ浜松ビオラ田町店で完成にこぎつける。夜にシネマイーラのD8席でターセム・シン監督の「落下の王国」を観る。絶景による映像美だけでなく、しょぼくれた失恋俳優と骨折幼女の心の交流もあったけれど、どっちつかずの感じがした。インド人の妻がさまよった迷宮がいちばんよかった。
芸術家はいつの時代も、権力や社会制度の前線に立たされる。
木下の『陸軍』が問いかけるのは、ファシズムのただ中で、芸術家はいかにして信念を表現できるのかという問題である。(永田風薫「展覧会に寄せて」)
寝転べば四温日和の幼稚園
袋井の文人が熱でたおれたときいて弱点あるのだと知る
シネマイーラで落下の王国
しっちゃかめっちゃかで寝不足
シルクの塔は天を貫き
写像のなかに溶けるあの約束
1月18日(日)
朝にふとしたできごころで軽量サンプラーの鳴んぷらーを組みあげる。午前は児を和合町のヨツバコースへつれて行き、自転車でダートコースを走らせる。今月にできた起伏だそうだ。地元の人の協力で成り立っている。児はタイムアタックで第3位だった。昼は下池三浜屋分店で親子丼と山菜蕎麦のセットを食べる。午後はザザシティの東宝シネマで児の希望で有吉の壁劇場版アドリブ大河「面白城の18人」を観る。定住と旅、ともだちと旅という対立項が描かれ芸人映画ながら考えさせる。でも笹野高史の無駄遣いだと思った。ゲラゲラ笑っていたら、となりの児はハンカチを顔におしあてて泣いていた。夜に湯に漬かりながらで懐かしいライフゲームを組む。
流感に倒れる詩人への花冠
白黒のいのち芽生えて潰えるを冷えゆくお湯と冷えゆくからだ
浴槽から湯はあふれる
欲望からこぼれるライフゲーム
よじのぼるほどの力はなくて
夜更けには白黒のサスペンス
1月19日(月)
ライフゲームと陣取りゲームとWplaceから発想を得て、勝利がなく途中介入できるLITMASSを考えつく。名称は青赤のリトマス試験紙とマスゲームをかけた。衆議院解散で選挙のため新区は延期しそう。浜松文芸館から第71集浜松市民文芸の選考結果通知が来て、短歌と定型俳句で市民文芸賞であった。もう応募はこれまでにしようかと思う。
さざんかの音が響けば町はずれ
1月20日(火)
とある民家の庭で空閑渉さんと偶然に会う。昼前から寒風が吹き始め、寒くなる。局の模様替えでM嬢が2階にあがってくる。帰宅してLITMASSの大改装をする。
寒風を取り残されている骨格
風向きが変わりそうだと思ったら寒気が急に首をつかんだ
眠い目の青のときめき
ネットのリトマス試験紙
ネタニヤフ首相の生き様を
ねっとりと赤目で思い返し
1月21日(水)
朝は児の登校に付き添い、まちなかへ出る。コメダ珈琲浜松駅エキマチウエスト店で時間をつぶし、メイワン開店と同時に8階の谷島屋書店浜松本店へ浩太さんと行き丸林さんに『断食月』第二号を委託する。エクセルシオールカフェで浩太さんと駄弁りながら見本誌をつくり昼前に渡し、ザザシティ2階のゴーゴーカレーで浩太さんと昼飯を済ます。そこでロースカツカレーを食べながら、他者への期待とは、鏡に映る自分として見た他者が原因かもしれないと話す。帰宅すると静岡新聞の新春読者文芸の図書カード8000円分が届いている、短歌1席と詩3席の分だ。放送大学の単位認定試験を済ませる。夕、LITMASSに再生のためのLITMASS Viewerと新技術を試すTEST 1.9を加える。
ふと見やる窓外に雪 必要とされぬものみな視線を乞はず/中澤系(『中澤系歌集 uta0001.txt』双風社)
体内をふきぬける冬または風
夕刻は君とチェビシェフ距離をとるわが体液のかからぬように
からっ風と旅人は行き交い
河口慧海のチベット旅行記
かたくななほど食べるツァンパ
かかとの傷は鳥のように
1月22日(木)
極寒、朝にLITMASSへ2つのイベントを実装する。昼は一風堂で食べ、West Goat Coffeeで昼一を過ごす。フロレンスキーの逆遠近法と非ユークリッド空間の発想に驚く。帰宅してLITMASSに変な効果を追加しようとして頓挫する。ある程度でとどめておけば夕飯前にはすんなりいったのに。苦労しながら夜にやっと社會史盤 LITMASSをローンチ。誰かがそっと一滴を置いてくれてうれしい。でも反乱率の調整が難しい。
悴んだ指の打ちつつけるコード
皮膚がみな裏返ったかのように芯をとらえる空風の音
1月23日(金)
朝にLITMASSの解析ページLITMASS Analyzerを立ち上げる。中勤、さすがに夜はど寒い。20時半ごろに天龍交差点を通ると西南隅の歩道上に花やジュースのペットボトルが数十も寄せ集められ置かれていた。友人の高校生たちが持ち寄ったのだろう。
冬の供花ペットボトルへ身を寄せて
路傍には花束おかれ消えゆくをひきとめようとしている記憶
1月24日(土)
午前はLITMASS ver.2.0の整備を行う。災害から原始の生々しい信仰が生じ、やがて物神信仰にも似た形式的な宗教へ進展、聖なる救済が帝国というシステムによって世界へ伝播され、やがて象徴とともに風化するさまを表現した。反乱率と青の移動率と青の帝国判定数は悩みどころ。でも青は強すぎず、でも拡張していき、やがて割れるので、ある程度の完成形と言っていいだろう。昼過ぎに児を美術教室に置いて100cafeへ行く。鴨江アートセンターでは浜松劇突をやっているようだった。夜にLITMASSからダウンロードしたJSONファイルから映像と16ビット風音楽を再生できるLITMASS Movieを公開する。
フロレンスキイの見解では、人間と世界とは相互に反映し合い、相互に実体的な影響を与えうる関係にある。つまりフロレンスキイの言うところによれば、世界についての我々の観照は、世界から与えられたものとも言えるし、我々の観照が世界に影響を与えているとも言え、どちらが先かを言うことはできない。(細川瑠璃『フロレンスキイ論』水声社)
セル・オートマトンしろながすくぢら
ファミコンの音楽に乗りやってくる乳蜜垂れるローマ軍団
1月25日(日)
朝はLITMASSが世代交代時に5秒フリーズするので待機時間を縮め、ぬるっと世代交代されるようにする。それと過疎死について考える。LITMASSにはライフゲームにはある過疎死の概念がなかった。そこでムーア近傍で同色0だと黄緑や反乱パルチザンが即死するから、半径2のムーア近傍で同色0ではどうか、など可能なありかたを模索する。過疎死について考える過程で、ふと色セルは部族とも捉えられると考えつく。また、現状で色が集まっているように見えるのは集まるプログラムを施されているわけではなく集まると過密死の危険はあれど生き残りやすいから生き残っていると言える。同じようにヒトなど生き物も己の生き方や意志とは関係なく、環境やシステムによってそう言動していることをあたかも己の生き方や意志のように錯覚しているだけなのかもしれない。昼前に東海道線に乗り静岡市駿河区馬渕はあざれあでのポエム・イン静岡2026へ向かう。会場で中久喜輝夫さん・井村たづ子さん・水野満尋さん・橋本由紀子さん・佐々宝砂さん・橋本由紀子さんとご挨拶する。さとう三千魚さんや酔芙蓉さんや大村浩一さんも出席していた。まずはオープンマイクということで朗読会をする。それから堤腰和余さんの朗読講座、いままで私の朗読は聞き手を信頼して委ねる態度でいたけれど、読み手の感情を載せずに日本語の感情を表現するという堤腰さんの態度に関心を持った。終わったあと村さ来静岡駅南口店で少しだけ話して19時過ぎに帰浜する。
大寒や詩人の舌として煙草
おもてむき毒舌詩人いて飲みの席で席次を気にする繊細
1月26日(月)
LITMASSをver.2.1にして、青赤にだけ半径2ムーア近傍同色0による過疎死を導入する。今まで、孤独でも人は生きていけると考えていたから老死で代替していたけれど、孤立して食糧を得られなければ人は死ぬのだ。ただ、これでも青い移動帝国による猛攻を赤い定住帝国が辺土を背に耐え、移動帝国が膨張し尽くして分裂した隙を赤が衝くという構造は変わらないだろう。LITMASSで表現されるのは歴史的偉人の個人的な意志によって発生する戦争や宗教ではなく、物理現象や自然現象として発生してしまう歴史なのだから。そういえば、LITMASSには地形がある、盤面の四辺と四隅という地形であり、また盤面を9つの将棋盤と見立てたときに真ん中の将棋盤が中央であり、他の8面は地方もしくは辺境となる。
機械にも孤独死はあり寒灯
全天の星のひとつが俺にすぐトイレへ行けと囁いてくる
瞬くはセル・オートマトン
真心の不協和音
まぐわいは汗と流れたあと
まあだだよ相対性理論
1月27日(火)
静岡新聞読者文芸欄、詩の野村喜和夫選で私の「バスケットゴールの方へ」が掲載される。一席は風間信子さん、評はナラティヴについて。LITMASSの緑にはある程度役割があるけれど、黄には緑と同じ発生条件で緑を削ぐくらいしか役割がなかった。ふと黄は疫病のようなものだから移動させようかと思う。その調査の過程で青が移動後に寿命を引き継がず新生児として振る舞っていることを知り黄青を調整する。だからいままで青が強すぎた。午後にLITMASSは氷河期に入る。白い縁がセルに被さっていたのでいじる。コーディングに終わりはない。夕にふと思いついた文化シミュレーターを組む。クリエイターの初期配置と距離は関係性と、移動率は関係性の編みなおし度合と読み解けばいい。
空き缶を置く大寒の奥底に
関係を編みなおしゆくいと目には去りゆく者の記憶も途切れ
1月28日(水)
中勤。朝に文化シミュレーターを妻に見せると「俳句もそうだけど情報が好きなんだよね」と言われる。しかしこの世の中で情報なしに好まれるものなんてあるのだろうか。帰宅後、文化シミュレーターにカフェ/文化カフェ機能を追加する。
冬ぬくし水道水へ顔浸す
ふとゾンビゲームを思いつく人の側ではなくてゾンビの側で
1月29日(木)
非番、朝からゾンビ盤を整備する。ゾンビハウスまで増設する。豆撒きを終え帰宅した児にゾンビ盤やらせると「Switchいらないかも」そのことばを聞きたかった。
水洟を呑み込んでいる國家かな/久保純夫(『識閾』小さ子社)
から風はゾンビを駅へ歩ましむ
川べりは寒桜咲くすきまあり差し挟まれる鳥たちの声
世に稀なゲームをやらせる親
予想を覆すこの強さ
よじのぼるのではなく棒を作る
余暇がなくても泣くもんか
1月30日(金)
ふつうに日勤。風が強く寒いけれど、のんべんだらりと仕事をした。
北風のうらがわにある顔を見る
突然にAIたちが話し出すまるで人などいないかのごと
1月31日(土)
土曜中勤。ふと夜にLITMASSの地理を考えていて「極地回廊があるといいな」と思い立つ。その過程で、かつて中央と辺境という定義をしたけれど、中央には中央たる根拠が必要と思い立ち、中央・辺境・極地の三層構造をLITMASS ver.3.0に持ち込んだ。
言うことを聞かないchatGPT、もともと人はそういうものか
こどもはまだ気づいていない
こちらは制作者やりたい放題
怖いゾンビが日々弱くなるとは
コロンブスも想定の範囲外
2月
2月1日(日)
朝からゾンビ道を組む。午前に第51回衆議院議員総選挙と国民審査の期日前投票を南行政センターで済ませる。小選挙区の静岡7区と静岡8区が一緒の投票所を使うからか、期間の短いなかの日曜日だからか行列ができていた。それからサイゼリヤ浜松渡瀬店を経て鴨江アートセンターへ赴き、13時からオープンミーティング「はなしてみる」の設営をはじめ、14時から会をはじめる。オープンミーティング「はなしてみる」の補助オープンチャット「わたしてみる」が頻繁に使われていてよかった。村松優紀さんの発案によるもの。ただ、食っていくためのクリエイターとしての苦労話を参加クリエイターの皆さんはしたがっていて、垣根をとっぱらってつくりたい人の裾野を発掘して広げる発想へはなかなか繋がりそうにない。彼らは自分自身の苦労や感情にしか興味がなく、不特定多数の人々はただの客や参加者でしかない。彼らの言う「ハードルを下げた」というのは参加者のハードルを下げたでしかなくて、クリエイターと参加者のあいだに横たわるハードルを下げたわけではない。ただ、私の意見が易々と受容されるような状況なら、ハママツクリエーターズフェスは最初からしかるべきかたちになっていたのだから、そういう意味で記事を出した意味はあったと自負していいと感じた。とどのつまり表に出ているクリエイターの苦労は自らが作り出している苦労であり、今の私には自分で自分の首をしめているクリエイターを観察するよりLITMASS観察のほうが楽しい。ザザシティのフードコートで桂川さんと村松さんと大石さんと話して帰宅する。
2月2日(月)
昨日から脱力感がある。ふと思うのは浜松のクリエイターたちがクリエイター・ファシズムを掲げてクリエイター・ファシストの祭典、たとえば浜松ファシズム芸術祭を開催するなら私は参画しないまでもその運動を支持する余地はある。名実が一致して、文明活動と文化活動とを棲み分けすることが肝要だ。
晩冬やジョージなる男の復帰
善良な市民は自宅前に貼る青いポスター指さしており
2月3日(火)
非番。まちなかをまたウロウロして帰宅した。冬は寒いので休日にスーパーカブに乗りたくないし、午後は学校の終わる14時には帰宅しないとならないし、映画を観ないと非番は単なる作業日になる。蟻のフェロモンや生態の論文をもとに蟻シミュレーターを作る。砂糖粒を持ち帰っても信用されない蟻がいて、なんだか私みたいだと思う。ふと、Guy Debordの状況の構築とセル・オートマトン法の類似を思う。Guy DebordはLe jeu de la guerreでほんとうはLITMASSをやりたかったのかもしれない。
節分やゾンビゲームのバクコード
ドローンをクレーンゲームで落としたら見たことのない空のひろがる
A2牛乳なんかまろやか
永遠にも似た白さを飲んだら
駅から駅の黒い余白を
円に換えてゆくただの野原
2月4日(水)
戦乱続きのLITMASSにも平和の概念を導入しようと思ったけれど、システム上むずかしかった、というのもたんに停止したページになるので。なので戦争のない期間が平和という意味で国際管理地域としての中立地帯(紫)を試みようと思う。LITMASS DisplayのGen: 2950343から実験を開始して挙動を調べる。
立春は時計の針という遅さ
春になりなにが変わるということもなく過ぎてゆく雲のひとひら
2月5日(木)
朝は正門での旗振り。中勤、辺境に住む外人の代引しかも時間指定なのに不在、で苦労する。
白梅やゾンビぬちゃっと目を開く
2月6日(金)
中勤二日目。春らしいあたたかい日和となる。だが午後から風が強く吹く。
道ばたのただの水仙だと思え
すずかけにゴムの細さをかけておくあとでどこだかわかるようにと
働くために生きてきた
反対する奴はみんな虫けら
はりきる陰でまちは寂れた
浜松市のクリエイター
2月7日(土)
三連続中勤の三日目。午前に雨が降る。LITMASS Displayの中立地帯(山脈)が赤青だけでなく白黒も紫化させることでやっと出たけれど発生位置は私の思惑を外れる。でもこれが機械平和というものなのだろう。民藝も計算機自然もLITMASSも全体を統轄して観ない、己の周囲の環境だけを視る者による作為である。
早春の交通広場気のぬけた音楽の鳴る夕暮れとなる
2月8日(日)
静岡新聞の同人誌欄に『断食月』第二号の記事が出た。風花の舞う衆議院議員総選挙の日。児を美術教室へ通わせたあと、和食れすとらん天狗浜松船越店で食べ、フィール白羽店を経て、いったん帰宅したあと、イオンモール浜松市野店へ赴く。シール帳の人気を目の当たりにする。夕に帰宅して静岡県西部の詩歌人やクリエイターが告知や意見を気儘に書き込めるよう匿名掲示板クリエイト浜松を設ける。まだ返信機能のチェックはしていない。20時に選挙速報が出て、自民党が300議席以上獲得見込みで圧勝と知る。
目玉と地球を並べ針供養
自民党圧勝の報ながれるを突進してゆく消防車、赤
2月9日(月)
タウンプラスが全域で出ており苦労する。食堂で昼寝をしたら誰も起こしてくれず30分以上寝てしまい午後はずっと気が怠い。
春のサンダルどこへ駆けてゆくの
2月10日(火)
朝は寒いけれど10時ごろから外套がいらなくなる。
全戸から足ははみだし春寒し
さまざまな本が空から落ちてくる床のぬけるは天の図書室
2月11日(水)
久しぶりの雨、雨脚が弱くなってからクリエート浜松へ赴き13時からの第8回浜松「私の詩」コンクールの最終審査会に出席する。8名で選考、内山さんが選んだ作品と4篇が被っていた。駅前図書室で時間をつぶしたあと17時からWest Goat Coffee2階での『断食月』第二号読書会に参加する。くらげのおばけさんとはじめてお会いする。思っていたより大きい人だった。ほかに土佐さん・石野さん・浩太さん・河原さん・鼯鼠之丞が参加した。静岡県西部は文芸人材の層が厚いと改めて感じた。
チョムスキーによれば、雪の結晶と言語との共通点は、①双方とも完全な自然法則に従う、②双方ともフラクタル構造を持つ、③双方とも無限のバリエーションを持つ、だという。(金重明『「複雑系」入門』ブルーバックス)
雨をゆくバスよ建国記念の日
トランプをめくる手つきで詩を選ぶ芽を出すつぼみ見逃さぬよう
かためのことばはゆるぎない
悴んだ手でつかみたい
かすかな詩の意味の果てを
カフェの二階は読書会
2月12日(木)
Dパスなるものを使わされる。でも読み込んだデータほとんどに宛先が搭載されておらず、ルーティングが機能していない。第9回浜松「私の詩」コンクールが公募ガイドのWeb版に掲載され、すでに数篇の応募がある。影響力が違う。帰宅すると鈴木清美さんの詩集『夜よりも暗い』が届いていた。
改行の詩型よ獺魚を祭る
2月13日(金)
朝に液体民主主義を応用した液体句会/液体歌会を思いつく。つまり投句→句評→採点と遷移して句評への採点の一定割合が句へも伝播する句会だ。旧区での配達最終日を18時過ぎに終える。
いまだかつて
なされてきた選択が正しかったことがあったのだろうか
(鈴木清美「鳥群」『夜よりも暗い』土曜美術社出版販売)
耳朶はバレンタインデー前日だ
「本人」と呼ばれるときは晒し上げされているような気分になるね
2月14日(土)
朝に詩歌テクノクラートのブックリストを書きながらLITMASSの氷河期前後について適応度地形 fitness landscape の考えに準じた解析をしていると超帝国峰(Mega-Peak) ・安定帝国台地(High Plateau)・多極分散丘陵(Fragmented Highlands)・崩壊谷(Collapse Valley)といった用語が出てきておもしろい。LITMASS Hexを立ててから丸亀製麺浜松東若林を経て、13時からクリエート浜松で詩季があり参加する。中澤佳央梨さんが初参加する。みなさんからチョコレートをもらう。吉川さんはチョコレートのサラミを持って来ておもしろい。帰りに中澤さんが吉川さんと連れだって帰っていてよかった。夜に妻を職場に置いてイオンモール浜松志都呂を散歩したあと砂詩丼に参加する。あたたかい春の夜だからか数組の灯火が中田島砂丘を歩いていた。砂詩丼にいた鼯鼠之丞に県内漢詩関係で動きがありそうで今後が楽しみ。
母船の庭は成長を続けている(橋本由紀子「まいにちアマガエル」『花魂』七月堂)
あたたかし星座は海を湿らせる
変わりゆく街を覚えていくことをあきらめかけて水仙の白
詩というものは心を救う
死後も構わず回る地球
深呼吸より深い吐息で
知りたいよ泣き顔の理由
2月15日(日)
昼前に児と駅からバスで入野へ向かい、入野古墳公園で顔缺け地蔵を見る。古墳の上からアクトタワーまでを見はるかす。そのあと昼に喜多編集長宅を訪問し、県現俳編集長職の引き継ぎをする。気さくな方で話していておもしろかった。会報刊行はあまりお金をかけずにもできそう、問題は発送か。ザザシティとWest Goat Coffeeを経て帰宅する。
山笑うを引き継いでも紙袋
2月16日(月)
新区とレイアウト変更で局内は様変わり、月面へ降り立った宇宙飛行士はこのようであったかと思う。一日やってみて、新区はしくみとして成り立たないと分かる。教育委員会と静岡新聞へコンクールについての後援の申請書を送るけれど、ふたつとも不備で差し戻される。面倒である。
新しい配達区は春新月
2月17日(火)
非番。一万二千人規模、つまり古代中国の軍制での軍規模を指揮できるゲームLITMASS Battleを公開する。規模的にも歩兵と騎兵の比率的にもΕπαμεινώνδαςの視座に立てると思っていただいて構わない。部隊間の意思伝達技術が未発達で戦列を維持して前進するしかできない戦場の霧を楽しむゲームとも言える。昼過ぎにWest Goat Coffeeでコスタリカのsin limitesを味見させてもらったら、深い井戸から汲み出したような味だった。学校帰りに児がねねちゃんを名乗るともだちを連れてくる。小学生らしくなった。
私は風景になり
風景は私になる
(究極Q太郎「蜻蛉の散歩」『散歩依存症』現代書館)
春風のほうから淡い鼻濁音
水仙の香りする子を連れてくる小学生のともだちは風
戦場に立つ、霧は広がる
先刻の異変、希望を吹き飛ばす
詮ずれば状況はもう逼迫
攻めるは守りエパメイノンダス
2月18日(水)
午後から冷たい春風。第10回浜松「私の詩」コンクールは記念回として断食月詩歌人や詩丼出店者のなかで全国規模のコンクールの審査員をやりたい人が部門責任者となって部門と賞を企画する形式がいいかも、みそのの詩歌賞にその萌芽があった。配達はとても終わらず、3区分口を残したどころか9区分口は局から持ち出すことすらできなかった。別の班の人は小包を忘れたと偽り18時過ぎに通常配達へ出かけ、退勤できない管理者が怒鳴っていた。改区は支社の指示というのは分かる。では、誰が改区の責任をとるのか。すべて現場に丸投げで黙っているだけなのか。
資本主義神経症の祭祀。(究極Q太郎「番組」『散歩依存症』現代書館)
うららかな配達なんてまやかしさ
責任の在り処は全て下にある上が責任とらない風土
2月19日(木)
冴返る。新区での配達は極限状態、同僚は4列20区分口を残す。誰かひとりでも休めば配達がまわらなくなる。毎日配達はほぼ不可能となった。
凍返る続く者みな獣の子
2月20日(金)
ややあたたかい。朝に杉花粉で嚔を連発させている人が数人いた。私は寝起きに鼻がかゆい程度だった。三連休を前にした昼の立ち上がり、壊滅的な他班への応援要請が来るけれど自班も残すだろう予測なのにそんな余裕はどの班にもない。
余寒いま剥がれそうかな剥がれない
2月21日(土)
土曜日勤。だいぶあたたかい。ふと、これからは創造creationより創発emergenceが重要になると思いつく。創造都市ではなく創発地域だ。
春空の飛行機雲という目尻
ぬばたまのクロネコヤマトへ配達の先を譲って雲を数える
2月22日(日)
究極Q太郎が「現代詩人の使命とは携帯電話を持たないことである」でジム・ジャームッシュの映画「パターソン」に言及している。ニュージャージー州パターソン市がイタリア系アナーキストの亡命地だったとか、おもしろい。朝に文化芸術匿名会議まわりの条件分岐を調整する。9時に家族でIKEA長久手へ車で向かう。昼にミートボールやらポテトやらベリーソースやらを食べて帰宅する。ちょっと胃が重い。南図書館で『ギー・ドゥボール全著作1』水声社を借り、家にはエマニュエル・レヴィナス、藤岡俊博訳『全体性と無限』講談社学術文庫が届いていた。
映画のクライマックスに歌われる『線路はつづくよ』の原詞は
大陸横断鉄道をつくった移民労働者たちが歌った労働歌で
それはほかに仕事を持ちながら詩を書く
すべての詩人たちへのねぎらいとして響くように聞こえた。
(究極Q太郎「現代詩人の使命とは携帯電話を持たないことである」『散歩依存症』現代書館)
春眠し分岐している世界線
ギー・ドゥボール全著作その一巻の厚みを思う道の微分を
生き続けたらそこはIKEA
息をしているあいだは住む家だ
石をなげれば撃つおしゃれ未遂
意志を持ったら人はきれいだ
2月23日(月)
初夏みたいな天皇誕生日に子守。朝に配達人オナイの理想宮を置く。栄町の金山神社で台湾栗鼠を見る。鴨江アートセンターでのタン・ルイ展覧会「私というフィクション」は装置としての鏡が〈私〉に対して語っていた。松葉奈々帆の「数える 描く 残す 消える」は今日から真似できそうな試みがおもしろい。木下惠介記念館で志村茉那美の「くまの親子」を観る。尺が短すぎて膨らみが薄かったけれど、他者を踊らせることについて考える。帰りにソラモの浜松未来フェスティバルへ寄り高所作業車に児と試乗する。
社会が全体として狂っているかぎり, われわれはとにかく, 社会を変えたいと思う一個人の行動様態を狂気と形容させることを拒否するだろう。(「狂気に関するシチュアシオニスト・インターナショナル・ドイツ・セクションの声明」『ギー・ドゥボール全著作 1』水声社)
ビル前はほうれん草の歩道かな
人ひとり射殺しといて混乱がないと報じる。なら、よかったね
まちの向こうへ会いにゆきます
待ちに待ったあなたは意地悪
またとない機会を川へ捨てて
マチネ帰りの心理地理学
2月24日(火)
連休明けだけれど9区分口を残す。もう一周する気はない、ただ与えられた時間のなかで動けるだけ動くだけ。定型外の多さに嫌気が差している班員もいる。帰宅してもつくったばかりの宇宙艦隊戦をいじる気力もない。
珈琲をこぼす白梅染めるほど
2月25日(水)
雨、非番。昨日は休刊日のため静岡新聞の読者文芸は今日。大辻隆弘の特選で短歌〈道ばたの手袋雨に濡れてなおプレゼント受くるかたちへひらく〉を載せてもらう。詩は中澤佳央梨さんの「肉球」に染みわたる感じがあった。午後は宇宙艦隊戦のシステムをそのままに残存艦隊救出作戦という追加シナリオを置く。味方に艦隊が2つあるときのターン処理に手こずる。今はとりあえず動いているだけ、という感じ。
今生きているアカシ。今生きているアタシ。(中澤佳央梨 「肉球」静岡新聞2026年2月25日読者文芸・詩)
春雨の一滴という忘れ方
2月26日(木)
杉花粉が飛んでいるはずだけれど二三回嚏をしただけになった。毎朝の納豆キムチとヤクルト1000のおかげだろう。それと春だからだろうか、まったく仕事にやる気が出ない。9区分口を残す。アットエスに詩丼改を載せてもらう。さっそく夜にその関連で、恐竜のマグネットシートを描いている幻想工房きつねやさんから電話をいただく。
辞令出る顔には顔の春がある
春の夜にもらう電話はどこかしら夢の要素がふくまれている
2月27日(金)
太陽は見えないけれどあたたかい。他者への期待は、他人に見出した自分との類似度の大きさに依る。自分の子供に期待する人はいるけれど、ペンギンや天皇に期待する人はいない。
氷雨降り狐火燃えむ冬の夜にわれ石となる黑き小石に/中島敦(『中島敦全集第二巻』筑摩書房)
頭頂は木の芽の湧いてくる痛み
2月28日(土)
すごい杉花粉な土曜中勤、それと第一回文化芸術匿名会議。朝に月刊ココア共和国の休刊を知る、まったく関わりはなかったけれど理由が経済ではなく方針の違いと技術というのが意外だった。夜、別の町へ誤送された小包を待って出発を遅らせていた。けれどその部署の課長代理がそれをすっかり忘れており、便も遅れており、だいぶ待たされた。他人事だとそんなものだと思う。
闇を悪と決めつけるのやめて。むしろ癒し。光が悪。暴き焼き尽くす暴君。暗室の展示を見る度にこのように思う( クリエイト浜松2026年2月28日)
春の夜のマシュマロというふみ心地
誤送された小包を待つ男いてほかの誰もが知らんぷりする
3月
3月1日(日)
白木蓮のほころびはじめる日曜中勤。朝からハメネイ師殺害の報が飛び込んできた。ホルムズ海峡封鎖が長引けば数ヶ月後にガソリンなど燃料の値段が上がるかも。小包の人が不慣れでたくさん小包が落ちてくる。二号便の量も増えたので土日の中勤は一日三回出ないといけなくなっている。改悪ばかりだ。
呼吸とははくもくれんの組み換え後
息をして杉花粉以外を吸って吐いたらなにも残らなくてさ
3月2日(月)
月曜中勤、個人クリエイター等権利情報登録システムというものを知り、朝に登録する。とりあえずLITMASSをゲームとして登録する。何が起こるか、何も起こらないか。そういえば班長級・ベテラン級の同僚数人から局の現状について「もうだめじゃないか」と話しかけられる。20時前に帰局するとまだ十人ほど日勤者が残っている。他班では先週の定形外すら大区分できていない状況だという。或る区は定形外が手つかずで十箱残っている。帰途に春雨。
内臓の渇きを鳴らす春の雨
おもしろいこと考えているふうの歩き方して春の星降る
3月3日(火)
冴返る春疾風の非番。浜松市文化深耕材団の後援申請の受付ページをつくる。連日の中勤で疲れたのか右の瞼が痙攣して両肩が凝る。雨のため昼はなにもせずぶらぶらして、誰にも見せる宛のない小さい詩と俳句を少々書く。
シチュアシオニストの芸術は目に見えない芸術, スペクタクル的なものから逃れ, その場で生きることのできるものに還元された芸術, 社会空間の中で不和と衝突と敵への打撃の形でしか現れない芸術となるだろう。(ヴァンサン・コフマン、木下誠訳「序文」『ギー・ドゥボール全著作 1』水声社)
人形の首はもげおり春疾風
濡れたてのまちは卒業生だらけ自我を撮るより顔を撮りなよ
色彩が背中を押してくれる
死よりも遠い自分に触れる
知るは塗るよりも尊くて
したたかにひくオイルパステル
3月4日(水)
雨上がりで強風、昨日は浅羽の旧集配センターで誰かが対向車に轢かれ膝を粉砕骨折したという。先週の雨で本局でもすでに膝蓋骨粉砕一名、今週から長期病休が出ている。私は10区分口を残し、追跡物も明日回しにする。管理者は人件費しか見ていない、圧しつぶされそうな郵便配達員の表情は見ようともしない。
英雄になりそこねたり寒戻る
3月5日(木)
午前に浜松文芸館で旧派の十湖・新派の加藤雪膓二人展を観る。正岡子規など中央俳壇歌壇との親交を示す史料を中心に展示してある。それは中央と地方の地理的構造を際立たせるだけで、風景を見せていない。地方都市の文芸館が果たす役割は風景の演出ではないのか。浜松駅で阿闍梨餅が売っていたので買って帰る。外祖父の好きだった京菓子だ。
山こえて旅来し家の朝目にはゆれたる合歓のあわれなるはな/斎藤茂吉
盲人のレストラン街はくもくれん
3月6日(金)
改区をしてから私は全39区分口のうちたいてい9~10口を残している。出勤した時点で前日担当者が8口を残していた。追跡物はやりきったけれど12区分口を残す。これが減区を伴う区再編の結果だ。夜に匿名掲示板クリエイト浜松のトップに、アーカイブからランダムでことばを表示するように実装する。これでことばをわたす意味がすこし変わる。
うららかな耳のうらがわこすり夜
3月7日(土)
朝にクリエイト浜松に約40日でことばが消える隠し機能とチェックボックスを設ける。むかしのことばがランダムでトップに表示され続ける機能への反動についての対策だ。それと右から書くアラビア文字やヘブライ文字への対応も。子守なので朝に静岡市へ赴き、エスパティオビルの静岡科学館る・く・るで児を遊ばせる。まっくら迷路は坂道を過ぎた場面2で児はギブアップした。それからさかさメガネで私も感覚が変わった気になる。9階のサイエンスピクニックにも顔を出し、ドラッグラグ・ドラッグロスについて健康川柳〈国のない病と国のある薬〉をつくる。それからあざれあ会館へ歩き、静岡県現代俳句協会の令和八年度定期総会に遅れて出席する。ここで正式に編集部長として承認される。帰りにふたたび静岡科学館に戻り、ふしぎな音の部屋すなわち無響室を体験する。ひとつの芸術的経験としての科学館を思う。
イヤホンを奥まで挿れる春の月
さかさまに見える眼鏡をかけていて世界がすべて真っ当になる
3月8日(日)
風が冷たい日曜中勤。楽天スーパーセールのためか追跡物の受入が130を超えた。もちろん明日へ十数個回した。経済活動なんて生命維持に必要な最低限だけを残してあとは停まればいい。20時前に帰局すると多くの人が残り、悪あがきの大区分や順立をしている。残せばいいのに。私も少し順立をして帰宅する。
手に余る願いの数よ花ミモザ
荷は重いわけではないが嵩ばって積み重なるとなんだか重い
今日の夜更けに任務を全う
健気に生きることが真っ当
芥子粒みたいに生きていこう
けれどつきまとう金欠病
3月9日(月)
ヘトヘトの月曜中勤、午後には警部補の軽妙な語り口の安全講話があった。
パイナップルの冠捨てて切り分ける 王国のなき裸のわたし/唐澤うに(毎日歌壇2026年3月9日水原紫苑選)
たもとおる道はまっすぐ木瓜の花
ひとりにつきひとつのSNSを持て紫木蓮から雲はこぼれて
3月10日(火)
午前にツインギャラリー蔵で村松優紀個展記憶の標本室を観る。二階では自然と身をかがめ、こどもの視線に戻った。手に収まるサイズのもの、手の形へのこだわりを感じられ、特に両手や片手が描かれたカードが気になった。小川洋子に「薬指の標本」という短篇があり、そんな微かな痛みを封印するための標本室だと個展全体を受けとめた。蔵間のさしすせそ文庫と帰りに寄った浜松文芸館に第9回浜松「私の詩」コンクールのチラシを置いてもらい、帰宅する。静岡文学マルシェが9月26日・27日開催になり詩丼改の27日に重なるので事前に遠州近隣の詩人へ書簡を送る準備をする。
いつでも空は無罪のような顔をする/松田俊彦
掌におさまる痛み木の芽冷
記憶から消えようとして消えなくて永遠に似た陶器にしたよ
3月11日(水)
朝晩冷える。朝に通勤するとき新天竜大橋を渡ると雨が降りだす。減区以降はじめてすべての町へ普通配達に入れた。もちろん完配したわけではない。帰りに国道1号バイパス沿いのガソリンスタンドで数台が駆け込み給油で待機していた。先を争う感じがある。米と燃料の値上げはつらい。
春霖の橋を濡らしている音よ
我先に給油口へと群がってガソリン中毒症状なのか
3月12日(木)
朝は寒いけれど昼はそこそこあたたかい。廃休なので六割の力くらいで働く。終わらせるためではなく、ただ超勤代を稼ぐために。どうやらヒトは効率を求める生き物みたいだ。それに昨日の残を今日配り、今日の残を明日配るというローテーションはことばにするほど簡単ではない。三日間で一度も行けない箇所は必ず出る。昨日の残4口に手間取り、13口残す。ガソリンが昨日の1リットル155円から188円まで値上げしていた。
戦争の星を離れて鳥雲に
3月13日(金)
前日の残処理に手間取り、21口を残す。М嬢は執筆のため二十年早く五十肩になったという。
春浅し崩れゆくガム包装紙
植物人間をはじめて言った人のまがうことなき詩才を思う
3月14日(土)
クリエート浜松2階のホールで10時30分から浜松市民文芸の表彰式があった。短歌の賞状を代表受領する。短歌は〈くちびるはきっと何かを言うよりもふさがれたがる一冊の本〉、俳句は〈虹を太らせ水没のクラクション〉など。峯村友香里さん、ヒメ巴勢里さん、宮田悦自さん、河合香織さん、内山文久さん、詩の選者の橋本由紀子さんとご挨拶する。懇談会では清水正人さんが熱く語っており、短歌の歴史という大舟に乗れば何でもやらかしまいか、とのこと。最後に一階で岡部母子に「かわいらしい」と言われ、ステーキガスト浜松東田町店で昼食とする。食べているときにトイレに寄ったムラキングと会い、電動車椅子のオダさんの話を聞く。13時からの詩季には県詩人会の大村浩一さんが参加する。計8人参加と賑わう。第36回浜松CD&レコードショウ !!をやっている横、クリエート浜松1階のテーブルで大村さんと和子さんと会談する。一時帰宅ののち19時に砂詩丼に参加する。防潮堤の砂が風で剥がされ砂礫混入セメントが露出してくるとともに、鼯鼠之丞の声が力強くなっているようだ。帰路に漢詩をつくる。漢詩の雅号は尾甲にしようと思う。
砂丘の砂は剥がれて春の星
歩くのにすこし疲れてたちどまる肩胛骨をほぐす春風
傲逸吟詩客
砂丘碎舊汀
深尋千載闇
掘起萬春星
3月15日(日)
朝日歌壇の川野里子選に私の短歌〈ぬばたまのクロネコヤマト宅急便とびらの前へ夜を置き配〉が掲載される。日曜中勤、あたたかい。
賢さを逐う愚かさよカエサル忌
公共圏を冷やかす
こっち側の人ハーバーマス
これから世界に何が起こるのか
困惑のなか解き明かす
3月16日(月)
月曜中勤、思いつきでトイレに俳句や短歌を掲示することにした。今朝は〈春の海ひねもすのたりのたりかな/与謝蕪村〉。先週の残を片付ける。M嬢がイベント前で何冊持っていけばいいのか悩み震えていた。そういえば隣の班のベテランが言っていたことばを思い出す、「崩壊まで意外と早かったね」。
のっそりと川の出てくる遅日かな
3月17日(火)
非番で子守。地下鉄東山線で愛知県立美術館へ行き、ゴッホ展を観る。当日券で大行列、児が人酔いして気持ち悪くなり、入場して数分ですぐ退出する。でもコレクション展にポール・デルヴォーの「こだま(あるいは「街路の神秘」)」があり、救われた。ローマ風の廃墟都市、十字路の向こうの平原を思う。9階の喫茶店る・るぽのサンドイッチは想像より多かった。それから地下鉄名城線で名古屋城へ赴き本丸御殿を歩く。梅之間がいちばん落ち着く。名古屋で開花宣言が出たらしく、城内ではさくらまつりの提灯を設置していた。それから名鉄バスで名古屋駅に戻り、帰浜する。くもんの教室まで同行して帰宅する。
〈他人〉に接することによってのみ、私は私自身に立ち会う。(エマニュエル・レヴィナス、藤岡俊博訳『全体性と無限』講談社学術文庫)
金色の襖絵という春愁よ
七歳がニーチェの本を欲しいとは表紙がたとえキティちゃんでも
3月18日(水)
昨日から16時45分に帰局、連休前に完配ということをはじめたらしい、補助なんてあてがわれることなんてないのに。同僚は4日分を残していた。11口を残す。夕から雨、仕事終わりに遠鉄百貨店スカイテラスの浜松アーツ&クリエイション交流会・活動報告会へ顔を出す。立食パーティーだと勘違いしていたらお弁当形式で、しかも事業報告中は食べられなかった。血糖値が下がり事業報告も知識として学べそうなことは特にないので百貨店関係者の専用階段を降りて帰宅する。
偽物に本物の顔春の雨
看板も矢印もない階段をただ降りているただの人ゆえ
3月19日(木)
朝に雨、第01回名興文庫漆黒の幻想小説コンテストの結果が出て、佳作に「緯度零度をこえて」、とくに良いと評価された3作品に「新しい魚」、そのほか良いと評価された5作品に「鏡人」が選ばれた。9口残す。1班が7区から6区へ減区して、連休前の今日で3区が10口前後の残となる。
小説のはじまりきっと桜餅
3月20日(金)
非番、トイレの掲示に〈いきいきと三月生まる雲の奥/飯田龍太〉を加える。マクドナルド257森田町店でニーチェのヤバさを改めて知る。13時から第8回浜松「私の詩」コンクール表彰式の準備をする。13時半から私は司会をした。受賞者の吉岡幸一さんや浦城亮祐さんとご挨拶する。今回は朗読後に長く話された中道陽介さんは、やはり詩人として本物だと思う。私は詩人として彼には敵わないだろう。あと児が中日新聞社賞を受ける、「素朴でよい会だった」と妻が言う。珈琲屋らんぷ浜松高林店を経て帰宅する。
ああ、人間がもはやいかなる星も産まなくなる時が来る。ああ、自分自身をもはや軽蔑できない最も軽蔑すべき人間の時が来る。(フリードリヒ・ニーチェ、森一郎訳『ツァラトゥストラはこう言った』講談社学術文庫)
賞状を丸めて覗く春景色
ふたたびのニーチェ時代がやってきていつもより大きな青空だ
3月21日(土)
日曜中勤、世界詩歌記念日であるけれど特になにをするでもない。三ヶ日の入浴施設いのはなの湯はイラン情勢悪化のため重油が入荷できず来週から営業を休止するらしい。このままでは動かなくなる機械は増えるだろう。世界情勢がひしひしと身へ迫る。クリエイト浜松で昨日から続いている連句ラリー〈良心とダチュラの蜜に迷ふ蜂〉→〈エプスタインの青い貝殻〉→〈寄せ返す秋の波浪に割らぬ口〉→〈目鼻を彫っただけなる西瓜〉あたりの付けは展開が急でおもしろく、ドギツさもあって好き。
春昼や綱渡り師の声掠れ
ご飯食べパンとラーメンも食べたがる配達員の昼の食堂
畑違いの誰かのために
発話してゆく気まぐれに
箸休めには連句をつなぐ
春は世界詩歌記念日
3月22日(日)
昼にザザシティ中央館一階に新しくできたループサイドダイナーでプルドポークポテトを食べ、三階のTOHOシネマズで映画「国宝」を観る。血と藝の話、血というか遺伝にまつわる因縁と足を活かした劇中劇「曾根崎心中」の選択など脚本がよかった。あとカメラワークも。それにしても小野川万菊の顔つきと手つきが怪奇である。
春風を憶えていると伝えたい
3月23日(月)
午前にかすかに雨、同僚が忌引のため1欠となり17口残す。そのうち3口は先週木曜日も普通配達をしていない。
仔猫びしょ濡れ鳥たちの青い空
3月24日(火)
非番のため子守。अद्य प्रातः मया मम कार्यस्थलस्य उल्लंघनानां सूचना श्रममानककार्यालयं प्रति दत्ता। バスでまちなかへ出て、ザザシティのTOHOシネマズで映画「ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城」を観る。2年前に観た「ドラえもんのび太の地球交響楽」に比べ、冒険心はくすぐられたけれど脚本にカタルシスは足りなかった。そもそも沈没船が何だったのか、なぜ動いたのかは謎のまま。単に沈没船を出したかっただけではないのか。でも、小学生向け映画としては上出来だろう。こども館を経て、帰宅する。
バス待てる道のむかうの家の中とほしてひぐれの海が見えをり/志垣澄幸(「空壜のある風景」『志垣澄幸全歌集』青磁社)
花辛夷ツァラトゥストラの血の色は
3月25日(水)
風雨、昨日の残すら終わらず2口を残す。長靴のなかまで水浸しになる。それでも新城市の宇連ダムが貯水率0%のままだ。
セールスマン雨へ出てゆく蜂を残し/橋閒石(「風景」『橋閒石全句集』沖積舎)
制服のなかは雨降り黄水仙
ぼんやりとしていることが楽しくてただぼんやりと雨を見ていた
3月26日(木)
午前中はパラパラと雨。残があると二日以上の残を合体させる順立に手間取るのと戦意喪失とが重なり進まない。しかも今日は定時上がりの指示も出たため、午後の普通配達をしない地域の入力物を終えると配達時間は一時間も残っていなかった。それと午後もふたたび雨が降りだす。昨日の残を12口残す。管理者は来週月火ですべて片付けるつもりという。地下のトイレで、東局から異動してきた元班長と話すと「来週月火ですべて片付きますかね?」「それで片付くなら、それより前に片付いているはず」との返事、至言である。帰宅すると西原天気さんと笠井亞子さんの「はがきハイク」第27号が届いていた。
三月の新宿さよならの気分/笠井亞子(「はがきハイク」第27号)
菜種梅雨すきまへはさむほどの肉
3月27日(金)
朝、昨日の元班長が隠れ超勤の件で叱責されていた。管理者が「来週片付ける」と言ってその方法を明かさないのを不安に思っていたのだろう。一昨日と昨日の残をなんとか片付ける。三日分の残にはならなかったけれど、二日分の残が26口となる。
ゆるやかにちいさな坂をおりて春
3月28日(土)
土曜中勤。トイレに〈青空や花は咲くことのみ思ひ/桂信子〉を貼る。はじめてポスタルモバイルのDサポなるシステムを使ったけれど、ルーティングを実行して配達リスト表示の地図で示される住所がデタラメで困る。
でたらめな住所を示す春の星
きのうまでの雨のにおいで生きている太陽からは見放されて
3月29日(日)
あたたかい日、午前からスーパーカブで平口は万葉の森公園へ行き、10時前に緑の万葉衣装を着て、桃の花を見ながら担当の古木さんとカンタン短歌をする。午前中に袋井市の桑原氏が来る。ほかに人気はほぼなかった。昼は万葉亭で貴族の万葉食をいただく。黒鯛の酒蒸しを醤酢で食べて美味、しかし干し柿に載せられた蓴菜と青海苔は疑問だった。午後は風が吹く。オダさんのほか多くの方とカンタン短歌をする。石原さんは本読みということもあり文芸表現向きだった。舟橋弘子さんの万葉コンサートを聴き、早めに撤退する。帰り際に金子母が「これは尾内さんじゃないといけないと思って」とおっしゃる。確かに漫才のボケとして出された歌を、歌はこうあるべきだと信じる方へ牽引するのではなく、歌の個性を活かしたままツッコミできる読み手は私以外にあまりいない。でも地域文化にとっては、私だけいても意味はない、他の誰もがそれをできなくてはならない。帰路に浜松城公園を見ると花見駐車の待機列が国道152号線まではみ出していたため寄らず、ゆりの木通り手作り品バザールのchisatohiranoにて鳥獣戯画の箸置きを買う。それとずっと欲しかった木製のミニチュアの家と車を買う。帰宅すると北の部屋の北側窓際にあった私の什器備品を北の部屋の南壁に移す。
四機能はある意味で四方位に似ている、すなわちそれと同じように恣意的だがなくてはならない。(C.G.ユング、林道義訳『タイプ論』みすず書房)
北窓を開き居場所をなくしけり
切断の痕を空へ見せびらかし川楊には涙の若葉
3月30日(月)
月曜中勤、夜に帰局して振り返ると雨がザッと降る。
催花雨の匂いのなかを飛び立てり
ふりかえればカンナビスの燃えるにおい夜の奥から雨が来ている
3月31日(火)
非番、雨の子守。静岡新聞読者文芸の野村喜和夫選で私の詩「銃口から青い舌」が掲載される。アクトシティ2階の歩行者連絡通路は排水が間に合わず水たまりが出来ている。浜松科学館で開催中の特別展ユニバーサル・ミュージアムで自分の触覚や手触りを確かめる。高見直宏「触覚の月」の強調された月の襞や「イメージする形」のヒトの異形感が好き。島田清徳「境界 division-H-2026」において音のなかにいると風と人は同じ要素だと気付く。いままで私は視覚にたよりすぎていたのかも。常設展はこどもでごった返していた。サンドイッチを食事スペースで食べてメイワンや遠鉄百貨店を経て帰宅する。
詩作はまず、多くの場合、事象・事物に向き合うことから始まります。といっても、何も特別な事象・事物を探し出す必要はなく、ありふれたものやことでかまいません。問題はそれらをどう捉えるかであって、広がりにおいて捉えるか、深さにおいて捉えるか、など視点を設定しながら対象に迫っていきます。詩的想像力とは、対象を意味深い出会いの場に変容させる主体の干渉/介入の力にほかなりません。/野村喜和夫 (静岡新聞2026年3月31日読者文芸)
春嵐手ざわりはもう星ですね
バス停の行き先のうえ網紐にさえぎられてもへばりつく鳩
4月
4月1日(水)
昼前からずっと雨。昨日から新たな花粉が飛んでいるのか、洟水が止まらず、からだが気怠い。異動で局内がだいぶ様変わりする。4つの班で班長が交代する。夕方になって急に洟水が引き、気怠さも軽くなる。檜花粉だったのか、雨で花粉が落ちたのか。
食べながら歩き回って万愚節
4月2日(木)
あたたかいけれど風はつよい。朝に一言坂で転び右脚を打つ。デジタル点呼で昨日異動してきた人へ、その人が昨日乗っていたバイクの鍵aを交付しようと鍵保管庫を見ると無い。管理者にたずねても無い。なので「鍵bでもいいですか」とその人に確認し、デジタル点呼をはじめた。最後に鍵bを交付しようとすると、その人は、私がデジタル点呼を操作するすきに、右ポケットから何かを取り出し点呼台に置いた。そしてその人は「鍵、もうもらっていますよ」と言う。それは鍵aだった。右ポケットは監視カメラの反対側である。ベテランのすごみを感じ、そういうことにして鍵aを交付した。
出世する人の手つきよ風光る
4月3日(金)
風も弱くあたたかい日、帰宅するとフランコ・ビフォ・ベラルディ著・杉田敦訳『蜂起 詩と金融における』水声社が届いていた。静岡新聞を見返していたら3月31日の読者文芸川柳、尾藤川柳選の秀逸に〈投票しなにか落としてきた気分〉が採られていた。
落椿めざめるものはみな匂う
4月4日(土)
雨の土曜中勤、夜間はかなりつよい雨となる。帰宅して初歩のトルコ語の第1課を聴く。中学生のころからの独習者にとってみれば初の正式なトルコ語の授業である。前舌母音をゼンゼツと読んでいたら、先生はマエジタと読んでいた。
トルコ語の母音のひとつ春の雨
ただの書物だって読み手の良し悪しで傑作とされ駄作とされる
ことばとはいつもそこにあるもの
こちらがわは雨ではかなくとも
冀うことは学ぶこと
声は乾くよ初級トルコ語
4月5日(日)
晴れる。初歩のトルコ語の第2課を聴く。2母音活用と4母音活用、そんなちがいがあるよなという漠然とした感覚に名が与えられた。9時に浜松城公園の中央芝生広場へ行くとキッチンカーと練りきり体験とおもちゃ屋のテントしかいない。幻想工房きつねさんへ電話すると会場は本丸南広場だという。「言ったでしょ」と言われても広場としか聞いていない気がする。10時からその本丸南広場で4ブースによるアート作品展示販売会「表現を売る人達」がはじまる。ほかの出展者も広場が分からず浜松城公園中を歩き回ったという。口頭での連絡だと「言った言わない」が生じるのとルール違反を指摘するにしてもルール解釈の食い違いが生じるのでルールやイベント概要の明文化が必要だと思う。トイレとスターバックス休憩に行くと幻想工房きつねさんから架電、「至急戻って」、戻るとキッチンカーの搬入のためブースの配置を変えるという。配置を変えたあと正午前に詩人の吉川愛さんが来てくれる。出展者の遊木民さんの木製おもちゃは八十年以上の檜を新月のときに伐り、枝葉つきで二年乾燥させて使うというこだわりの品だという。15時くらいに放送大学生になった壬生キヨムが来て話す。中央芝生広場でも話す。今日はこっちがメインだったのかも。
国境の他に何もなし春の部屋/攝津幸彦
表現を売る人の背へしゃぼん玉
ハンバーグ屋の厨房のすみ心からは泣けない歌人いて花は葉に
人を食ったようなうそっぱち
ひそかに銭を鳴らして風をまち
ひとり以外はみんなが主催
暇すぎる表現を売る人達
4月6日(月)
月曜中勤。汗ばむ陽気である。
覚めぎわの夢の記憶のかたすみにふとかすみゆく青麦畑/鈴木加成太(『うすがみの銀河』角川書店)
つばくらめバイクは曲るふくらんで
4月7日(火)
子守、朝に雨。東海道線で豊橋駅へ行き、乗り換えた飯田線で新城駅まで行き途中下車、サンロイヤル橘園でフーセンガムを買う。霞のかかった山際を見ながら佐久間駅まで着くと駅名標で記念撮影をして、駅近くの大学堂でたこ焼きと干し芋を買い、駅で食べる。たこ焼きは紅生姜の味がしっかりして蛸の身も大きい。駅に隣接している佐久間図書館の司書さんがあたたかく迎えてくれる。ダイモン・次郎のマンガ『嗚呼! 尾上栄三郎』で遠州裏鹿に蘭方医の三輪見龍がいたことを知る。この三輪見龍の縁で千両役者・尾上榮三郎が遠州にて最期の舞台に立ち、この地に浦川歌舞伎が残ったという。飯田線で豊橋駅まで帰り、帰浜すると雨上がりで風が強くうすら寒い。
しかし河口に立ってその川筋を思い描く時、この天竜川からは一種独特な印象を受けます。諏訪湖にその先端をひっかけた一本の鎖なのです。(井上靖「川の話」『姨捨』新潮文庫)
山笑う電車も町も濡れており
4月8日(水)
減区後はじめて配達区を一周する。もちろん2パスを順立せず持ち出し、1区分口あたり数通を残して。帰りに森下のスズキコーヒー焙煎所に寄って帰宅する。学遊館からのメールに月見の里紙マルシェの出店者を紹介するよう書いてあるけれど、イベントページがないので紹介しにくい。出店者募集もまたイベントの宣伝になるのに。
晩春という細やかなゴムの色
4月9日(木)
入学式のため子守、朝に初歩のトルコ語第3課を聴く。『#蜂起』読書会もほぼ並行して進める。予想以上に書き込みがありビビる。午前に遠鉄八幡駅から元浜町の平野美術館へ行く。「遠州南画の200年」を観る。平野素芸の霊壁石や山根仏頂子の「石図」など川石を集める趣味も、つげ義春っぽくていい。それから二俣街道を歩いて南下し、アプレシオ浜松ビオラ田町店へ赴き、4時間半ほどカラオケをする。といっても後半は本人映像によるライブを視聴する。夕にザザシティ前からバスでスターバックスコーヒー TSUTAYA佐鳴台店へ赴き、迎えを待ってスシロー浜松入野店で晩飯とする。夜に小雨。
マルチチュードというのは、共通の志向性をもたず、共通の行動パターンを示すこともない、意識的で敏感な多数の存在のことだ。(フランコ・"ビフォ"・ベラルディ『蜂起 詩と金融における』水声社)
回転ずしの空きレーンは春匂う
4月10日(金)
雨、9時半過ぎに強い雨風と落雷のため局内待機指示が出る。10時半すぎに出発許可が出て切手と日付印とビニルの定形外と入力物だけ持って現場へ出ると雨のピークで、ズボン以下長靴まで水没する。午後は降らないかと思ったら帰路にまた強く降る。濡れるとひどく疲れる。
封筒を紙へ戻そう春嵐
4月11日(土)
汗ばむくらい。昼はまちなかへ出て、12時からザザシティ中央館のフードコートへ赴き浜松オンライン読書会のランチに参加する。浩太さん・はま国ネットの飯田さん・葉月陸公さん・壬生キヨムが参加する。13時からクリエート浜松の詩季に参加する。帰宅して竹原さんからもらった莢豌豆の筋を取り、味噌汁の具にする。19時から中田島砂丘で砂詩丼と決め込む。
声と詩は、再活性化のための二つの戦略だ。(フランコ・"ビフォ"・ベラルディ『蜂起 詩と金融における』水声社)
無表情春の莢豌豆を煮る
4月12日(日)
日曜中勤。躑躅が咲きはじめ栗の花のにおいもする。田園では鶏糞肥料を撒き始めている。
内臓はしどろもどろに花つつじ
4月13日(月)
月曜中勤。ひどく疲れる。しかし夜の心地よい疲労と眠気とを愛する。『#蜂起』読書会は第一章に入る。
ねじれゆくバーコード夜の百千鳥
4月14日(火)
非番。まちなかをぶらぶらして、ラッキー浜松駅前店が定休日のため2軒隣の美容プラージュ浜松店で理髪してもらう。美容室なので顔剃りはできないけれどふつうに理髪してくれた。人生初の美容室かも。午後は小学校の名札を買い、公園を歩き、晩飯を買う。それから本を数冊読む。ジャック・デリダ、増田一夫訳『マルクスの亡霊たち』藤原書店は副題の「負債状況=国家」に惹かれて借りたけれどよくわからない。『#蜂起』読書会は私が介入しなくても進んでおり、おもしろい。
シュトックハウゼンには、たとえ誤読されたとしても、この楽譜に説明書きを付けてはならない、という強い信念があるのだろう。(松平敬『カールハインツ・シュトックハウゼン』水声社)
ピンクという珈琲豆や花水木
4月15日(水)
午後から雨、でも夕はそんなに強く降らない。夜になると強くなる。弱い雨の公園、フードをかぶった小学生高学年か中学生がブランコをこいでいた。
国家が強制通用力をもった紙幣を発行するとき、国家の介入は紙を金に変質させる「魔術」Magicにたとえられている。(ジャック・デリダ、増田一夫訳『マルクスの亡霊たち』藤原書店)
嬉しさのぶらんこをこぐ濡れながら
4月16日(木)
初夏の陽気。ぼんやりと出勤し、ぼんやりと無印良品のカレーを食べ、ぼんやりと夜のピース、ぼんやりと退勤する。それもまた幸福の一片なのだ。
すこしも役に立たなそうなものになりたい ペットボトルをひねるつぶれる/阿波野巧也(『ビギナーズラック』左右社)
どこまでも行ける春の轍を踏む
どこまでも夜は夜だと思うときてのひらにある鳥の心音
4月17日(金)
勤務を休み、小学校の授業参観に出る。表とグラフについての算数の授業で、私も数字を比べやすいグラフを活用しようと思った。でも低学年だからだろう、正解への誘導のような流れを感じた。そして保護者説明会の説明動画はNotebookLM作成のAI動画だった。時代である。帰宅して『飯田線百景』春夏秋冬叢書をパラパラ読む。蓋し名著である。河郎忌は〈風垣や海蝕せめる蜑の墓地/鈴木河郎〉などの下地在住の俳人・鈴木河郎、ただし豊橋市下地町に下地駅はなく、下地駅は豊橋市横須賀町にある。
河郎忌鉄橋響き易きかな/星野昌彦(『飯田線百景』春夏秋冬叢書)
風よりも迅し一個のしゃぼん玉
校舎から見下ろす池のほとりなる白いペンギン像は褪せおり
4月18日(土)
土曜中勤。朝は4時に起きたので眠い。夜は静岡県下の新興宗教や尾崎放哉が暮らしていたという一燈園について調べる。
家という暮れやすき碑よ赤躑躅
4月19日(日)
日曜中勤。今朝の朝日歌壇川野里子選三首目に私の郵便短歌〈退勤のあとも準備をしてくれと迫る班長のかすかな涙 〉が掲載される。19時からの時間指定の家の前で18時半から屯して、19時ちょうどにマルツを切り気持ちいい。
昼と夜とカレーライスや朧月
4月20日(月)
月曜夜勤。静岡県西部の路上観察を始めてみる。中勤続きで眠くて頭が重い。
春雲を突く田村麻呂上陸碑
4月21日(火)
非番。朝は予報外の雨がぱらつく。路上観察をしているとセイウチのような顔や女の子なのかデフォルメされた人の顔のGraffitiがまちなかに複数*****描かれていることに気づく。描いて回っている人がいると思うと楽しい。昼前に古橋商会高町本店にスーパーカブを点検で預ける。チェーン・タイヤ・エンジンオイルなどもろもろの交換と点検をお願いする。もう買って7年半になる。中央図書館で4月4日付けの図書新聞3730号=終刊号を読む、曰く「書評紙の精神は死なない」と。松城町の一福で味噌ラーメンと餃子を食べ、浜松秋葉神社のあたりを路上観察してTe La mondoの現場前と大沢書店前を眺めていると小幡店主と会う。100cafeやスターバックス浜松城公園店や典昭堂あたりをうろうろして16時にスーパーカブを引き取る、費用は3万3千円超。帰宅する。
Bir insanın herhangi bir organının olağanüstü güçlü olması ve normalin üzerinde performans göstermesi genellikle o insanın aleyhine sonuçlar verir.(Gün Zileli "Yalçın Küçük…")
開店の準備を吊るす目借時
古本のガイドブックのなか遠州文学散歩の佇まい、凛
見つからなかったやりたいこと
見捨てられてもいいこのままそっと
未明から彷徨い続けたさきに
味噌ラーメンと餃子五個
4月22日(水)
ひさしぶりの日勤、区の半分を配達しあとは書留と入力物をやって終わる。無気力が膨張しつつある。
海だけをうつしています人間に見られていないときの鏡は/ぷくぷく(『ここにきている』書肆侃侃房)
草若葉走ってきたとわかる息
4月23日(木)
朝に東海道線で掛川駅へ赴く。逆川を渡った真如寺の墓苑で松平遠江守定吉の廟所を見て、高久書店で文芸かけがわの最新号を買う。雨が降り始めるなか、線路をくぐって遠江塚を拝む。東海道線を引き返し袋井駅で降りる。袋井市立袋井図書館で文芸袋井の最新号を読む。袋井駅前にある正岡子規遠州三吟のひとつの句碑を見てから東海道線で帰浜してバスで帰宅する。三島町のいもねこが駄菓子屋になっており、金曜アクションプラスのチラシを手渡された。
そのような脱構築が私たちの現在の社会構造および統治システムのどこまで及ぶのかは興味深い問いである。私の同僚の一人は、それが全てのより大きな社会的政治単位を犠牲にして、主要な大都市圏に権限を与えるところまで行くだろうと考えている。(サンデル・ファン・デル・レーウ、嶋田奈穂子編訳『複雑系としての社会史』京都大学学術出版会)
遠江塚はるさめは翳りゆく
4月24日(金)
午前に遠鉄に乗り西鹿島駅まで。天浜線を乗り継いで二俣本町駅、そこから歩いて天竜図書館へ行く。雨がパラついてくる。昼は二俣町のさいとうラーメン店でしょうゆらーめんと餃子を食す。地元の町中華という感じで良い店だった。そこから明るすぎる鳥羽山歩道トンネルをくぐり、下を見られない鹿島橋を渡って西鹿島駅へ、遠鉄で新浜松駅まで戻り帰宅する。
くだものの中身になっているあいだ水はひととき夢を見ている/ぷくぷく(『ここにきている』書肆侃侃房)
山際の詩は溶け易し椎の花
4月25日(土)
土曜中勤、朝に磐田市中央図書館で文芸磐田などを読んでいたら『超猿』という自由投稿誌を見つける。午後から冷たい風が吹き始める。
ヘルメットから蝶は発つ歩き出す
4月26日(日)
日曜中勤。朝に磐田市中央図書館で再び『超猿』を読んでいるとvol.5から数号かけてヒメ巴勢里さんがたぶん妃芽巴勢里としてエッセイや詩を投稿していた。それと近江の君こと見野文昭さんはたぶん近江木の実こと熊谷さんだろう。創刊号の巻頭言は米津町の根木窮理さんという方が書いていた。『超猿』は、宗教じみた熱狂のようなうさん臭さはあるけれど確かに活力がある。静岡県西部におけるミニコミ誌の歴史を垣間見た。風が強く吹く。
春暮れて代用花粉ほどとなり
4月27日(月)
月曜中勤、夜勤を勤務変更してもらった。午前に雨が降ったので午後は風が強い。
風の名を忘れたころに田水張る
腐りかけの躑躅の花のうつくしさ知ってほしいと思わないけど
4月28日(火)
久しぶりの日勤、25度近くまで気温が上がるけれど朝夕は冷える。
この旅ももう終わりだと思うのは水面を見せるキウイフルーツ
4月29日(水)
子守、昼過ぎに東京から速度超過の弟一家が来る。義妹曰く、椎の木と磯鵯を浜松で見られたことがよかったという。砂山町の手打ち蕎麦一で鴨南そばを食べ、浜松科学館でこどもたちを遊ばせる。それからバスでさわやか浜松高塚店へ赴き全員が集合して乾杯をする。弟に堀口珈琲の豆をもらったので夜に富士珈機のコーヒーミルR-220の分解メンテナンスをする。
Sabotajcıdır, palmiye ya da hindistancevizi yağıyla çikolata yapan; nişasta, hindiba ve palamutla kahve çekirdeği üreten; badem kabuğu ya da zeytin posasıyla biber yapan; glikozlu reçel yapan; vazelinli pasta yapan; nişasta ve kestane özüyle bal yapan; sülfürik asitle sirke yapan; tebeşir ya da nişastayla peynir yapan; şimşir yapraklarıyla bira yapan imalatçılar, vesaire, vesaire.(Émile Pouget,SABOTAJ)
笑い方が父に似ていると言われたらのけぞりながら笑って見せる
4月30日(木)
ほのかに雨、メイワン7階のネパールカレー屋ハッピーでニーチェの超義務supererogatio、あるいはその超義務の実践を思う。抜井諒一『残影』角川書店を読む。〈ぐっと近づく初夏の海と空/抜井諒一〉距離が、それとも色が。〈ただ走ることの楽しき更衣/抜井諒一〉そして着替える。〈ほうたるの飛ぶには闇がまだ足りぬ/抜井諒一〉闇を測る器官が蛍にはある。〈ことごとく俯いてゐる蟻の列/抜井諒一〉労働者の通勤列を重ねてはならない。〈呼吸音其他一切時雨/抜井諒一〉全体集合。〈真夜中の闇かき回す扇風機/抜井諒一〉闇という匂い。〈誰待つてゐるかを忘れ鰯雲/抜井諒一〉惚け句っていいね。〈滑走路以外一面大花野/抜井諒一〉補集合。〈ロープウェー銀河の中に止まりけり/抜井諒一〉換喩トリック。〈冬晴れやこれから割れるしゃぼん玉/抜井諒一〉叙述トリック。午後に下校した児を連れ浜松こども館へ赴き、弟一家と再会する。夜までザザシティにいてフードコートで晩飯を食べ、妻と義妹の会話が終わるのを待ち、帰宅する。
目借時妻と義妹は会話して
5月
5月1日(金)
朝と昼と夜に雨が強く降る。夜に風が強くなる。連休前に5口残す。ほかに数名も残している。『残影』を読む。〈マスク取り瞳あかるくなりにけり/抜井諒一〉目の錯覚である。〈冬晴やこれから割れるしゃぼん玉/抜井諒一〉すべてのしゃぼん玉は生まれると同時に割れるさだめにある。〈散る花に後ろ姿の人ばかり/抜井諒一〉さようなら。
夕永し郵便はあと八束に
5月2日(土)
朝から風が強い、土曜中勤。朝に匿名共同翻訳作業ページkuntradukiloを設ける。一文の切り出しアルゴリズムで手こずるけれど結局txtファイルを整形するのが最善手だった。領家の東寿司で浜松まつりの前夜祭でお囃子をしていた。帰宅するとおそらく鋤柄杉太さんがらみで『俳句の杜2026』本阿弥書店をいただく。眠気のなかでぷくぷく『ここにきている』書肆侃侃房を読む。〈パンジーがいつもみごとな家があり世話する人を見たことがない/ぷくぷく〉まちの七不思議のひとつ。〈恐竜の群が帰ってゆくような西日のなかの鉄塔の列/ぷくぷく〉絶滅へとむかうのか。〈落ちていた鳥をひろってきたような人びとばかり午後の図書館/ぷくぷく〉むしろ落ちていた鳥が人びとになったかのような。〈ものすごく知らないものがりそれが何故か楽器であるとわかった/ぷくぷく〉イデアとして先験的に魂の奥底に持っていた。〈ササン朝ペルシャの首都はクテシフォン 風の呪文のようにおぼえて/ぷくぷく〉そして風のように忘れる。〈もし君が駅だとしたら南口ひろばがきっとあるのでしょうね/ぷくぷく〉北口ひろばがある人もひろばのない人もいて、どんな顔をしている?
春の月を翻訳したらいつの日かチーズケーキになるんだろうか
5月3日(日)
4月26日の朝日俳壇長谷川櫂選に〈戦地から来たやうに飛ぶ濡れ燕〉が掲載されていたらしい。評に「三席。昔の士官を思わせる姿。十九世紀の戦争か。」と。朝に家を出て国道42号線で伊良湖岬へ行く。恋咲公園から伊良湖岬遊歩道へ入る辺りに漁夫歌人・糟谷磯丸の銅像がある。〈明神の石のしゃだんでながむればおきで漁師が船をこぎます/糟谷磯丸〉〈夏ころもきてもみよかしいらご崎すずしきなみのよるの月かげ/糟谷磯丸〉〈心なきものとはいわじ草も木もかぜのかよえばこゑかわすなり/糟谷磯丸〉など。車の一番で乗り込み、鳥羽丸は9時半に伊良湖港を出航する。車を停めた鳥羽マリンパークに漂泊の詩人・伊良子清白の移築された家があった。医者にして詩人の家は手術室も備えていた。鳥羽水族館でスナメリやトドなど海獣を中心に見る。海獺を観るために七十分並ぶ。待機列で目力のある海驢の餌やりを観る。一時間並んでたまたま海獺の餌やりに邂逅できた。昼は錦屋が十七組待ちなのであみ焼き天びん屋で伊勢うどんを食べる。雨の帰途に多気町のヴィソンに寄る。それから下道も交えて伊勢湾北回りルートで21時半過ぎに帰浜する。まだ浜松まつりの練りの人達がちらほらいた。
言葉すくなき入海の
波こそ君の友ならめ(伊良子清白「海の聲」『孔雀船』)
晩春のサービスエリア暮れ徹す
ゴールデンウィークの渋滞をゆく最もゴールデンウィークらしいこと
アダもカタキもただ知らんぷり
愛とはいつも果てしない海
後の祭りを巻き戻すかに
雨の夜もつづく浜松まつり
5月4日(月)
午前は昨日の疲れで頭や胃腸が痛いので書棚を片付けたり素麺を茹でたりゴロゴロしていた。午後に高町のTe La Mondoへ行きカウンター席で小幡夫婦と長々話す。玲央さんは国際補助語エスペラントを学んでいたという。誠弦さんはテオドール・アドルノの研究者とのことでいつかKulturindustrieの話を聞いてみたい。夜はこどもが御殿屋台の引き回しに行き、妻が同行したため私がもろもろの買い物をする。
あの角を曲がるお囃子どの町か
5月5日(火)
午前は家でゴロゴロして昼過ぎにザザシティの地下にある百均のWattsへ赴く。帰宅したあと16時に公会堂に集まり、誘導棒と襷をもらい交通理事の役を担う。サザンクロスへ赴く。遠鉄百貨店から駅南口へ子供合同練り、砂山公園でこどもたちは遊ぶ。東税務署前の合同お囃子のあと御殿屋台引回しをして誘導棒で交通を停めながら20時過ぎに帰宅する。
アイロニーは、シニフィアンの記号的価値を停止して、多くの可能な解釈のなかから自由に選択できるようにする。(フランコ・"ビフォ"・ベラルディ『蜂起 詩と金融における』水声社
光る輪を投げる遊びよ立夏の夜
5月6日(水)
子守、昼にバスで駅前まで出る。マクドナルドのハッピーセットのおもちゃはゴールデンウィークには枯渇しやすい。新浜松駅では歌うたいユータが路上で熱く歌っていた。浜松駅北口広場ではぐるティアのライブを最前列で観る、女の子は最前列で観られるらしい。見習いのくるみが桃色担当になっていた。そういえばここ数日ドメインseien.ed.jpで数字6桁とアルファベット1桁だけのメールアドレスから立て続けに十数通のメールを受信している。
水さえも喜んでいる新茶かな
ミニ短歌ワークショップの案なんてなんにもなくてはつなつの風
5月7日(木)
連休明けで午前は身体が重いけれど午後はほぐれる。19時すぎにとりあえず配り切る。今日はisに数字5桁でドメインg.oku.ed.jpからのメールアドレスを立て続けに何通も受信している。
郵便の入りきらない薄暑かな
5月8日(金)
曇り空、すこしだけ雨がパラつく。サイファーのように〇というか輪になって議論やポエトリー・リーディンなどをできる、携帯型イベント企画rondoを思いつく。名称としてnuloも考えたけれどrondoは国際補助語エスペラントで会・サークルとしてすでに使われている実績がある。漢字をあてるなら論土か。駅前論土や砂丘論土など、まずは現場の土壌の評価からはじめて音楽が切り替わるまで約5分間はなんでも話せるとか、サイリウムを持っている人だけが話せるとか。ルールを考えるのだけは自由だ。
顔中は砂にまみれて麦こがし
5月9日(土)
午後は詩季に参加する。熊谷さんに超猿のことを訊ねるけれど一回くらいしか寄稿していないのであまり知らないという。クリエート浜松から歩いて高町のTe La Mondoへ赴く。立山小種は烟茶とも呼ばれるだけのことはあり、鼻の奥に松の焼林が生えてきそうで癖になる。坂を降りて絵本の店キルヤで『よだかの星』を買う。星野さんに月見の紙マルシェへのぼやっとした想いをうかがうと私とだいたい同じことを考えていた。大きな間口から戸を狭めるのだろう、と。夜は中田島砂丘で砂詩丼である。
詩を目指すヒトはみな世界が産んだ鬼っ子だ(谷川俊太郎「ことばのかくれんぼ」『詩人S』集英社)
夏の星みな一斉に動き出す
5月10日(日)
日曜中勤、財布を忘れて妻に持ってきてもらう。でも平日の日勤より早く終わる。
手が水に洗はれてをる立夏かな/依光陽子(『ふ、は鳥に』左右社)
飛び立ってゆくものの名を知らなくて空を遠いと思いはじめる
5月11日(月)
朝は校門前で旗振りをして、午前に二時間半ほどかけて佐鳴湖を歩いて一周する。一周を終えると汗ばむ。高町のTe La Mondoで小汚い書店はおもしろいという話などをして帰宅する。午後は久しぶりにジョンシェでケーキを買った。
汗ばんで佐鳴八景という朝
5月12日(火)
初夏、という感じ。多忙というより決断の回数が増えるために疲労する。座椅子が届く。腰が安定する感じがする。うまくいきすぎる批評はときに評者をダメにする。
白服や座椅子をすっぽぬいた音
5月13日(水)
やや汗ばむ季節になった。惰性で働く、ひたすら心を無にする、それを人生におけるひとつの修行とする。帰宅して新茶と食べた杉野屋の胡麻団子がうまい。
ガラスの中は音のない日傘かな(『ふ、は鳥に 』左右社)
音楽の位置をずらして立泳ぎ
5月14日(木)
日勤。帰局して入力物や速達を明日の配達予定にしたところ、班長がそれを部長にさらし、私を呼び出して「処分してください」などとなじった。でもそれは「昨日の残からやれ」という班長の指示に従ったものであった。班長の指示にきちんと従ったら班長になじられるという不思議な体験をした。
不可思議なこともありうる薄暑かな
5月15日(金)
М嬢が昨夜ギャン泣きしたらしいので謝ると怒られる。ヤクルトの林檎ジュースを渡す。昨日言われたことを守るため午後に入力物と速達だけ一周してから普通郵便の配達にかかる。土日前なのに20口を残す。こうならないようにやってきたけれど、班長の指示ならば仕方がない。
多くの人びとは未だ主観と客観が未分化の状態にあったのではないだろうか。例えば、近代的自意識というものが文学の中で本格的に問題になるのは昭和に入ってからのことである。(坪内祐三『靖国』新潮文庫)
朽ちてゆく綱を手放す南風
5月16日(土)
土曜中勤。ただ惰性で働く。夜、アパートの3階で荷を手渡したあと偶然に隣の玄関を出てきたオフショルダーの女性を追うかたちになってしまう。しかたないので乃木坂46の楽曲「バンドエイド剥がすような別れ方」を歌って無害な人アピールをする。
街で手相を見てもらう
手のひらに湖があるそうだ
(谷川俊太郎「ところで」『詩人S』集英社)
肩出しの人を追いかけ星涼し
今日という日もまた太陽が登るという時間指定にいない家あり
5月17日(日)
朝5時半に家を出て天竜川左岸を北上する。二俣・浦川・水窪を経て山路をのぼり10時半過ぎに標高1100メートルの山住神社へたどり着く。門前の茶屋大杉でやまめの塩焼と山菜そばを食べる。水窪を経て帰路、龍頭の湧水を汲む。それから大瀬隧道の北で猿を見る。二俣では軽トラ市をやっており、小松屋のブースで栃もちを買い、浦川のcalamusさんにはじめてご挨拶して、マルカワの蔵をひやかしてから、どんつきでやっていた喫茶あかねで大きなぼた餅を食べる。天竜川左岸を経て、15時ごろ帰宅する。平家や南朝の落人伝承が残る北遠におけるオクハマ紀行で、私はDavid Graeberの言うアナーキスト的包領anarchist enclaveまたは自律空間を探し求めていたのかもしれない。そして私は源氏の落人らによる月部落ではなく、浦川にその萌芽を見た。
水窪や頭の上にある植田
木が岩へ岩が山へと変わるときただ滔々と天竜流る
5月18日(月)
30度近くまで気温が上がる。暑いのでちんたらと働く。もはや期待されていない、期待もしていない。だからこその自由がある。
夏痩せの気配だけある気配だけ
5月19日(火)
今年はじめてほんとうの暑さを感じた。区をふたつに分けて半分を一日で終わらせるしくみを成り立たせる。紫陽花は咲きそうだけれど額紫陽花はもう咲いていた。
もっとも平和な社会こそが、その想像的宇宙の構築の中では、永遠の戦争の脅威にもっとも呪われているのだ。(デヴィッド・グレーバー、高祖岩三郎訳『アナーキスト人類学のための断章』以文社)
思い出へ引く県境や額の花
5月20日(水)
昼までは夏である。午後は雲が出て涼しい。夜まで雨はもった。帰宅すると『suiuの詩集 春』はたらきアリ出版が届いていた、酸素担当だった。
一時的自律圏とはあじさい
5月21日(木)
午前に強く雨が降る。午後は曇り、夕にもう一雨。時間をかければ一周できそうだったけれど、月の超勤時間を見越して退社時間を指示されたので残して帰宅する。
ブラジル・サッカーからドイツ・サッカーへの「勝てるサッカー」の移行は、予測符号化から言語的予測符号化(予期化)への移行、すなわち共同身体性の劣化に対応します。(『宮台式人類学』ちくま新書)
さみだれという人生の一隅よ
5月22日(金)
久しぶりの平日五連勤最終日で疲労する。でも無理せず適当なところで切り上げる心持を覚えた。
然るに、社会による言語的操縦を免れた主体は、中井久夫が言う通り統合失調質を帯びがちです。(『宮台式人類学』ちくま新書)
黒南風やねじ曲がりたるのが性根
5月23日(土)
児を美術教室に預け、鴨江の台地を中山町から高町まで散策する。紺屋町の100cafeでコーヒー一杯分だけ休み、美術教室へ迎えに行く。それから車で湖西市アメニティプラザへ赴く。帰りに宇佐見のあかりやで抹茶と羊羹で休み志都呂のカインズで明日葉の苗を買って帰る。
多数派の決定に従うべきだと「みんな」が思っていると想像するがゆえに服従する時、汎人称権力が働いていることになります。(『宮台式人類学』ちくま新書)
星拾うプールの底という無音
5月24日(日)
日曜中勤、左靴底に穴があく。夜は布のガムテープを靴底に貼って出る。
靴に穴のあく予感して薄暑光
5月25日(月)
小学校まで児を送り、その足で高町のTe La Mondoへ赴き、ヴィレッジヴァンガードや主体などについて話す。店主はふと臺灣の詩人柏森と似ているかと思ったけれど調べたらあまり似ていなかった。朝につるがとれた眼鏡をメイワン2階のOWNDAYSに持ち込み、直してもらう。午後に『郵便爆弾全史』を読んでいると小学校の爆破予告があったようで、校庭へ遊びに行く予定だった児は公園で遊ぶ。
最初の郵便サービスは、郵便爆弾、手紙爆弾、小包爆弾の登場より二世紀以上も早く始まっている。(ミッチェル・P・ロス、マフムート・チェンギス、府川由美恵訳『郵便爆弾全史』青土社)
風薫る爆破予告の街角に
5月26日(火)
全身に力が入らない。日射しがあり暑かったろうけれど風は冷たかった。ひどく疲れて帰る。なんだかだいぶ形骸化してしまったけれど一日一句一首と休日一篇はしつこくこだわっていこうと思う。
沈黙交易において、交易の場に置かれるものはできるだけ「価値のわからないもの」でなければならない。「価値のわかるもの」だと、受け取った側がその等価物を置いたところで交易は終わってしまうからです。(内田樹『街場のメディア論』光文社新書)
汗という森の匂いの知りはじめ
社会から病みはじめたら健康なぼくらの方が病んでいるらしい
5月27日(水)
今日も腑抜け。昼下がりから予報外に雨が降り始める。そして夕方には止む。
まず、男女は同じ人間だから差別するな、ヒトも鯨も同じ知的生物だから差別するなと言った瞬間、人間でないものは差別せよ、非知的生物は差別せよという構えが正当化され、かくして平等主義的な枠組を前提とした差別が平気で始まります。(『宮台式人類学』ちくま新書)
暴力はいつもやさしい芽あじさい
蛾が蝶へ変わりゆくとき社会ってきっと病んだと囃し立てるよ
5月28日(木)
雨、午後も霧雨が降り続く。浜松市美術館の基本構想策定業務は丹青社の丹青研究所になりそうだ。その下位互換はやっても仕方がない、やるならヴィレヴァン式美術館構想だろう。帰りは少し道を変えて掛塚橋から帰る。
自称他称の新反動主義は、実現可能性や社会の存続可能性を顧みない「気分スッキリ・火遊びバーン」の消費サブカルチャーです。(『宮台式人類学』ちくま新書)
麦秋や郵便束は乱れ積む
正常と見られたい人たちのため異常とされる人類の星
5月29日(金)
非番。運動会を観る。帰りに北寺島町の龍光屋で妻と冷し中華とチャーシューつけ麺を食べる。午後は精米し、まちなかで図書館の用事を済ませる。それから下校した児がともだちと浜松科学館で遊ぶというので車で送る。でも浜松科学館に約束したともだちはいなかった。風と磁石のサイエンスショーを観て帰宅する。夜にかっぱ寿司浜松頭陀寺店へ行くとそのともだちが家族と食べていた。
そして私は「魚関数」という語を詩で書いたことがある。新しい青い銀色の科学言語を作ろうとした。(小笠原鳥類『吉岡実を読め!』ライトバース)
崩れゆく美術館の青時雨
しろたえの衣を払いムスリムは青田のなかのモスクへ集う
5月30日(土)
子守。卒園したこども園のお祭りに行く。太鼓やら元園長によるマジックなどがあった。それから掛川市は原泉地区へ赴きEXHIBITION HARAIZUMI AIR 2026 SPRINGを観る。茶工場の千羽鶴の巣に微笑み、昌光寺の苔むす椅子に笑う。それから大和田のしばちゃんちでアイスクリームを食べ、児が山羊へ人参を与える。袋井市の月見の里学遊館で月見の紙マルシェの事前説明会を受ける。壬生キヨムと会う。帰路にアミューズ豊田に寄り、紙マルシェのチラシ配架を依頼し、サブアリーナの綿の産地フェアを冷やかす。会場で偶然に宮田悦自さんと会う。クリエイト浜松は爆破予告ブームが去り平常に戻る。
圏(category)とは対象(object)と呼ばれるモノと, 射(arrow/morphism)と呼ばれる矢印からなる, ある種の抽象的なシステムである。(加藤文元『はじめての圏論』講談社)
締め切りをいくつか忘れ夏の山
幼子はみなひとかどの幼子となりて保育士みな老けていた
5月31日(日)
日曜中勤。今朝の朝日俳壇小林貴子選に俳句〈あぢさゐのふさぐ郵便配達路〉が掲載されていた。台風6号が発生、数日でここまで近づきそうだ。
ナイフが必要なのだ
ぼくらの悪い血を吹き出させる清冽なナイフが
むしろ 憎しみがあればいいのだが
(「悪い夏」『高橋睦郎詩作集成Ⅰ』思潮社)
枇杷の実の熟れた角なら曲がりたい
忘れてた編集作業にとりかかり楽しくなって夜の深度よ
6月
6月1日(月)
今朝はたいへんだった。放大短歌が出詠を開始し、詩丼改が出店者募集を開始し、『現代俳句の創造』を読む麦青年部『麦蒔』のchatへスキャンした10章をアップして、『革命』読書会を始めた。午前に浜松文芸館へ赴き月見の紙マルシェのチラシを配架してもらう。それから高町Te La Mondoへ行き黄金桂のアイスティーを飲み、やや落ち着く、喉越しが良い。店主とジャンルの拡大や純粋受け手や継承の話をする。店主はエスペラントをはじめとして私の思想的近傍を歩いているようだ。
人間が世界を見るのではなく、世界の長大な時間のなかに、人間の知覚が一時的に発生している。そのことを、杉本の写真は静かに突きつけてくる。(鈴木健「あわいの水平線 杉本博司の時間について」『ユリイカ』2026年6月号、青土社)
炎天下バスからバスが生えている
さまざまなことをしているようでいて結局はただのひとつの一でしかない
6月2日(火)
台風6号による雨。定時で退社、スーパーカブを置いてバスと東海道線を乗り継いで帰宅する。東海道線は明日の始発からの運休を決定した。遠鉄バスはまだ決めかねているけれど中心気圧980hPaのへなちょこでは動くだろう。
台風前夜バスを待つ列の乱れ
ひさしぶりに電車で帰り網棚にペットボトルを置いてしまった
6月3日(水)
4時の緊急速報メールで目覚める。9時半出社となり、浜松駅から6時48分発の遠鉄バス80中ノ町磐田線で磐田市街地まで出勤する。午後から台風一過で快晴となる。
台風一過からだの芯はずれており
台風をかけぬけてゆくバスはいま地球をしばし離脱しました
6月4日(木)
朝は霧雨となる。午後も曇り、台風一過は昨日だけだったようだ。
捩花は戻れる時機をもう過ぎた
余力など残らないほど働いて革命の書をひらく夏の夜
6月5日(金)
なんだかふわふわする。すこしでも配達を進めようとしてもからだがふわふわして進まない。さて唐突だが、市民の主体的な文化活動のない地域(列島のほとんどの地域がそうだけれど)では活動よりも、知識よりもまず主体の確認と自覚が先決なのかもしれない。
神さまにすがる心の裸足かな
あなたよく誤配する人でしょと言われてへへと笑いごまかしている
6月6日(土)
午前中は北田町のしろくま古本市vol.3へ赴き、oort cloud coffeeのしろくまブレンドを飲みながら諸店舗を冷やかす。 転向への想いを胸にso good booksの『Re:INTRODUCEDーー語り直される「転校経験」』を買った。ちなみに私は転向したことはあっても、一度も転校をしたことはない。午後は東若林の丸亀製麺を経て、豊橋市のemCampusへ赴く。ふらり入った美容院臭いfrere cafeで休んだあと、水上ビルのアーケード下にブースを出していたbooks cicalataや書肆猫に縁側を訪れ、さとう三千魚『山崎方代に捧げる歌』らんか社を買う。まちなか広場のアンティークのブースを冷やかして帰浜する。
最初は敬語だったんですけど、だんだん交互になっていって。で、なおかつ自分が素の状態で喋りやすいのって関西弁なんで、だんだん関西弁になってくるんですよ。(「二神飛鳥(会社員・DJ/女性/三〇代)」『Re:INTRODUCEDーー語り直される「転校経験」』SO GOOD books & styles)
沖合を貨物船ゆく芒種かな
喜びのなかに小さな種ひそむ何が咲くかはわからないまま
6月7日(日)
日曜中勤、入梅の雨。ふわふわしていたのは植物の離脱症状だったのかもしれない。
人間社会の基本構造が、自らの作り出した力を完全に制御することができず、むしろ逆に自らの力によって支配されてしまうように組織され続けてきたからである。(田上孝一『疎外論入門』集英社新書)
十九時の人に教わるついりかな
郵便部の尻拭いしてヘルメットを濡らして床を濡らして歩く
6月8日(月)
昨夜、第9回浜松「私の詩」コンクールは締め切られた。応募数は341作品だった。梅雨晴間となる。駅前分室と中央図書館に寄ったあと高町のTe La Mondoに遠州一時的自律圏のA7チラシを置いてもらい、疎外と批評と文化ヘゲモニーについて店主と話す。外を知里さんが利用者と歩いていた。そのあとWest Goat Coffeeで昼飯とする。シンスケさんと港町について話して、そういえば私はだだ広い平野にしか住んだことがないと思う。ひさしぶりにPERPANEPのザラザラでジャーナリングみたいに詩を書いてみる。
それまで俺は、ただ現状にビルトインされている不平等を、現にそうだからという理由で当たり前のことだと思っていたのだ。そんな自分を、心底恥ずかしく思った。ましてや支援という言葉を口にする自分自身が、支援の名のもとで差別や不平等を肯定し再生産することに加担しているのではないかと。(ササキユーイチ「冨塚の包丁」『違和感のゆくえ』いい風)
締め切らるる詩のコンクールさつき晴れ
飲みに来たというより話しに来たようでコップの底に映るひかりよ
6月9日(火)
午後から雨、夕方には止む。昼からずっと眠い。
おかしなことばかり思いついて梅雨
紫陽花を甘づかみして手が濡れるそういうふうに生きてきたんだ
6月10日(水)
朝は冷えるのに昼は暑い。そしてひたすら眠い。夜は泥のように眠る。1区を3区分して前後2区分ずつ片付ければいいと思っていたら、2区分の片方だけでもギリギリ片付かない。
縫ひあはす肉と肉あり白山河/沢好摩(「印象」『澤好摩俳句集成』ふらんす堂)
遠ざかる雲はまぶしさ燕の子
魂をとりかえている女児ふたり視線のそとの雲は速くて
6月11日(木)
晴れ。弊社の問題点は、部活で経験していたり先天的に会得していたりする者を除いて人の上に立つ教育を受けていない者が上に立っていること。そのためうまくいっているときはいいけれどうまくいかなくなると下に責任を押し付けたり下を逆恨みすることしかできず、問題に対処できなくなる。幹部教育が必要だ。
点呼して夏の山々近くする/沢好摩(「光源」『澤好摩俳句集成』ふらんす堂)
蚊柱の地から天まで昇れます
主体性を唱えてみても全体のためにはなにも動かないひとら
6月12日(金)
晴れ。今日はすこしがんばりすぎた。ずっと昼に職場の食堂窓下に並べられた長椅子で午睡をしていた一週間だけれど金曜日はそんなに眠くなかった、けれど午睡をした。
雲という建築崩れ梅雨晴間
役立たずである方がいい大空のどこにも役にたつ樹は生えていない
6月13日(土)
休み、用宗港にあった雑貨店Timeless Gallery&Storeで買った810sのkitcheの靴底が剥がれところどころ穴があいているので、同じくmoonstarのRP002のキャメルを履きはじめる。中央図書館を経てTe La Mondoで作業をする。そこで店主に見せられた鈴木沙巴良『文学フリマ物語』ウェッジをちらりと読み、最近のことすべてに合点がいくとともに浜松のクリエーターの云々などどうでもよくなるくらいの衝撃を受ける。13時から詩季に参加する。吉川さん・酔芙蓉さん・内山さんと4人の参加。夕方に中田島砂丘の砂詩丼に出て鼯鼠之丞から『薈蕞』のぶすま書院をもらう。
夕焼や橋とは立ち止まる地点
むきだしの句集と水筒携えてスーパーカブは砂丘を目指す
6月14日(日)
日曜中勤。日曜日は気軽でいいけれど、相棒が仕事熱心だとつきあわされるのでつらい。夜に上岡田で大きな葬儀があった。帰宅すると小雨がぱらつく。
日本画の膠乾かず俄雨振子時計の午後四時の音/鼯鼠之丞 (『薈蕞』のぶすま書院)
黒南風やテニュアなのかと訊きそびれ
スクワットをしているときはスクワットしかしていない梅雨の夜更けは
6月15日(月)
校門前での旗振りのあと、休館中の犀ヶ崖と蜆塚遺跡を経て高町のTe La Mondoへ赴く。店主からスイミー批判のヒントをもらったあと、映画好きのお兄さんと店主にまぜてもらいジム・ジャームッシュや北野武やクリストファー・ノーランや濱口竜介の名を出しながら画の強さ、人情がたり、映画向きとテレビ向きの人などの話をする。抒情詩の惑星の2026年6月に「快適な空の旅」を掲載してもらう。
パリー祭その日の朝を木曽の旅/沢好摩(『澤好摩俳句集成』ふらんす堂)
スイミーの黒を追い出しみなみかぜ
太陽系のとある喫茶のカウンターふいに話題は北野映画へ
6月16日(火)
朝は授業参観でスイミーがなにをしてなにを言ったかを注目する授業を観た。赤い小さな魚のきょうだいたちのことばをある児童が言及したけれど、授業進行から無視された。昼にシネマイーラのいつものD-8でLe Samouraïを観る。ナンバーを変える作業しかしない自動車整備士の洞窟のような工場とその周辺とジェフ・コステロの家というか建物の内装がとことんモノクロで色がないのが好みだった。脚本の筋はまったく分からないけれど画で観させる映画だった。ただジェフが腕利きの殺し屋らしいけれど、それは家に来た金髪相手でしか分からず、あとは単なる気障だった。
永遠の時間などというものがあるとするならそもそも詩など存在しないのである。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売)
咕咕嘎嘎と鳴くペンギンよ梅雨曇
スイミーのことばを問うた先生はスイミー以外のことばを省く
6月17日(水)
晴れ。『みらいらん』第18号洪水企画が届く、というのは英語詩「The Sound Country」とその日本語訳を巻頭に掲載してもらったから。夜から雨となる。
根底において社会を支える文化としての〈文学〉の辿ってきた道を確認することはすなわち、それを現在、未来に展開するために必要な行為である。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売)
人生にリバースギアなし百合の花
血の色のあじさいが咲き燃えている世のこれからのあらましを知る
6月18日(木)
朝に梅雨らしい雨が降る。昼から暑くなる。依光陽子『ふ、は鳥に』左右社を読む。〈水母見しあとの両手でありにけり/依光陽子〉両手は塩水が乾いてベタついている。〈白き夏の白き胡蝶は白き花へ/依光陽子〉挙げられたものは白い、でもすべてが白いか否か。〈依光陽子/手の中の種その中は月の白さ〉ミクロにマクロを見る。でも色に大小はかかわりないか。〈まづ水が鳥を忘れて鳥曇/依光陽子〉主客逆転である。〈天井に風船あるを知りて眠る/依光陽子〉水は鳥を忘れ、人は風船を知る。〈この家を境に野原蚊喰鳥/依光陽子〉境界感覚の詩。〈爪黒き人マンゴーの箱を持ち/依光陽子〉色の感覚が鋭い。〈月光にあるとき消ゆる囮かな/依光陽子〉舞台的な景。
花は何のために、誰のために咲くのか。人間のため、と考える人がいるとしたら勘違いも甚だしい。(池田康「特集おぼえがき」『みらいらん』第18号洪水企画)
梅雨空のおおきな雲を外しけり
生きるのは難しいけどほとんどの人はほとんど生きてはいない
6月19日(金)
暑い。午後の出発時にリアタイヤが平らになる、ついていないけれど午前ではなく午後のパンクは圧倒的な赦しだ。夜に月見の紙マルシェの準備をする。まだ明日が当日だという実感がない。再び依光陽子『ふ、は鳥に』左右社を読む。〈日本のオリーブの木と暖炉かな/依光陽子〉おちつかないもの同士。〈信号を西日と思ひ鰺刺は/依光陽子〉借りものの世界として。〈電燈のつめたくあれば都鳥/依光陽子〉つめたい都市画みたいな。〈水鳥や椅子にある人みな眠り/依光陽子〉夢を見ている人たちではなく夢のなかの人たち。〈藻の中の魚は捩れて月に影/依光陽子〉絵画的表現。〈自転車を路地に洗へば鳥帰る/依光陽子〉ここらへんさりげなく添える句だ。〈あふむけに眠りしときを鳥帰る/依光陽子〉そう来たか。〈とぶ鳥の胃袋に魚みなみかぜ/依光陽子〉そんな透視しちゃうのという驚き。〈かの夏に未だとどまる喫茶かな/依光陽子〉まさにTe La Mondoだね。〈白き鳥にかこまれながら毛糸編む/依光陽子〉もふもふな暮らし。〈空白やきさらぎと字を記すまで/依光陽子〉寒さの空白。〈落葉の日切手を縦に貼りつらね/依光陽子〉 〈ふらここやうしろの木々の整然と/依光陽子〉静と動の対比。〈秋の暮金魚潰せば吾も赤うなるか/依光陽子〉類感の句。〈虫売の虫と思へるときのある/依光陽子〉これも類感の句。〈袖長きセーターばかり編んでしまう/依光陽子〉白鳥の首が長いから。
茂るならすぐに立ち去ってもよいか
同僚のなまえの漢字をはじめて知り日本に帰化をしたと言われる
6月20日(土)
雨、月見の紙マルシェのため、重荷を背負い東海道線と秋葉バスを乗り継いで、月見の里学遊館へ赴く。『輕重』と『断食月』の創刊号と第二号を並べ、〆切はとうに過ぎてしまった俳句時評を書きながら店番をする。キッチンカーのquesadillaとつちや餅店の胡桃味噌団子と百珈のインドを楽しむ。最近はあまり出店者側に出ていなかったため、魅せる、立ち止まらせるのが必要なのを忘れ、ただぼんやりとしていた。そして数冊を売り、打ちひしがれる。ちょこっと短歌入門のあとにもすこし打ちひしがれていたけれど、私は商人の器ではないと感じる。たしかに価値ある文芸誌を渡した、ファシリテーターとして任務をこなした。でも、文化の対価としてお金をもらってしまう罪悪感を拭い去ることはできない。無料で文化をやってしまいたい、それは社会秩序のためには罪深いことだけれど。
そういえば、ある少年が言った。「この帽子でこの本を買えますか」、私は応えた「物々交換もいいね。ただ帽子では釣り合わない。君が『魂の半分と交換したい』と言ったならその言葉と引き換えにするよ」
イベント全体を眺めると雑貨・新古書店ブースが賑わい、相対的に創作文芸ブースは人気が少なかった。それそのもので商品価値を持たないジャンルはほかの商品と混ぜず非-商品という名目で目立たせた方がいい。商品は買わせれば、所有権が移れば意味があるけれど、非-商品は解釈されてはじめて意味を持つという性質の異なるものだからだ。この非-商品の目立たせ方が芸術運動やイベントの企画となりうる。ただイベントの出店を紹介した壬生キヨムのcielisteはよく売れていたようでそれがせめても救いだ。雨のなか秋葉バスと東海道線で帰る。依光陽子『ふ、は鳥に』左右社は一通り読み終わる。〈ふらここにつめたき石の乗つてゐた/依光陽子〉天井に風船句の趣きがある。〈峯雲や歩道橋の上の人が跳ぶ/依光陽子〉光が鮮やか。〈風船を持つて沈んでゆく心地/依光陽子〉天井の風船を持ってきた。〈夕立や手前の雨と奥の雨/依光陽子〉名付けの美学。〈春は夢鳥が最期に摑む枝の/依光陽子〉シナプスがつながる音がした。〈スロープに漣寄するプールかな/依光陽子〉微視のたのしみ。
空気が読めないというのと違うのは、空気は集団の作り出すものだからである。場というのは、予定調和に生み出される雰囲気をいう。(寺田達之『日本語はどのように生まれたか 日本語進化論』)
青田風美人は脚の傷を見せ
折り紙をどう折れど鳥めくけれど線対称はいきものでなし
6月21日(日)
日曜中勤、班長が昨日肋骨を三本折ったらしい。こういうときは無理にがんばらない方がいい。無理にがんばってある程度できると分かってしまうと支社はもう人員を補充してくれなくなる。
ヒトの用いる言語の形式は、ヒトの自然への働きかけの記号化である。(寺田達之『日本語はどのように生まれたか 日本語進化論』)
なにごともなかったふりの生ビール
権威という鎧を厚く着込んだらそこから一歩も踏み出せないね
6月22日(月)
非番。遠州・静岡県西部のことばのちずに文化芸術拠点を追加する。高町のTe La Mondoへ赴き、アップルティーとクロモジ茶と研究中のメニューであるピザトーストを楽しむ。また、商業への牽制としての権威とその商業と権威の両項に対して第三項を打ち立てたときにその第三項を文化と呼ぶかはたまた個々の美学と呼ぶか、編輯としての態度と権威性、データとして収集するための人間関係などについて店主と話す。夕に掛川の水野満尋さんからの書簡を受け取る。
「古典的公共圏」とは、古典の素養を踏まえた和歌詠作能力がある人たち(多くは、天皇家・公家・武家・寺家の一員である社会の支配層)が一人前として社会的に認知され、そのような人たち同士が作りあげ維持している公共圏のことである。これ以降、古典・和歌(その後連歌なども含む)の素養と和歌・連歌の実作能力が社交や人間関係における基本あるいは参加条件となったのである。(前田雅之『和歌と権力』中央公論新社)
校門は網のからまり花木槿
非番の日なにもする気がなくなって日本三國・斗司夫・みぃチャン
6月23日(火)
朝に雨、陽がなく涼しい一日となる。
和歌は文学であり、芸術である。しかし、文学・芸術であることと権力であることは全く矛盾しないのである。(前田雅之『和歌と権力』中央公論新社)
先輩のあいだへ嵌まる昼寝かな
脳みその入れ替わるほど昼寝してどこへ行くのかわからない午後
6月24日(水)
風は涼しいけれど蒸す。食堂のソファで昼寝をしているときもう起きたかと思ったら、側溝の蓋から赤い蜥蜴のような花が何十枚も開く幻視で驚き足を動かして覚醒する。まだそのとき寝ていたのかもしれない。昼過ぎに重大事故の事故事例研究会が、当事者不在で執り行われる。折った肋骨は五本だったらしい。そういえば詩丼や断食月は自分を埋没させる活動である。ならば何もせずにただ埋没していたほうが手っ取り早そうだけれど、どうせ埋没するなら短草草原より熱帯雨林のほうが楽しそうだから。
作品鑑賞の価値が作品の側だけに認められるのではなく、作品を味わおうとする鑑賞者の側にも認められるとき、事態は大きく変わってくる。このときに重んじられるのは、唯一の正解となるような、どこかの誰かがすでに決めてしまった、確固たる価値だけではない。作品をみているわたしたちの経験が、わたしたち自身にとって意義あるものであるかどうか、ということも、この場合の価値なのである。(今村信隆『「お静かに!」の文化史』文学通信)
揚羽蝶の四匹もつれ嵐前
ふっとしたはざまへふっとしたようなメール着信ふっとしている
6月25日(木)
台風7号と台風8号が近づいておりずっと雨。脳が蕩けるくらいに昼寝をする。夜に雨脚は強くなり落雷もある。
敗戦までの天皇制は、単に男根的な享楽だけではなく、倒錯的な享楽をも占有するがゆえに「原父」だったことが、ここにも見いだされる。(絓秀実『一歩前進、二歩後退』講談社)
まぶたをひらけば雨はみな夏の雨
できないと思っているからできないと言われることはなくなりて梅雨
6月26日(金)
非番、夜の雨は朝になり弱くなる。昼間はあかるい曇りになる。遠鉄バスで浜松市美術館へ向かい、企画展「いま、私は現代アートと出会う」を観る。草間彌生や村上隆やbanksyや奈良美智も悪くなかったけれど菅木志雄や小林孝亘やイケムラレイコや李禹煥の作品の方が愉しめた。河原温のその日付の朝日新聞が作品に含まれるとい在りようがすごく美である。単に印刷されて誰かが届けただけの新聞紙が芸術作品になるという愉悦だ。そういえば今月の私は詩のコンクールを動かして、県の俳句協会の会報を編集し、公的な施設で短歌のワークショップをやった。規模は小さいけれどもしひとつのジャンル内でのできごとなら権威の集中と揶揄される。でも、いずれも異なる詩型ジャンルのできごとであり、各詩史はひとつの名でそれらを記述できない、いや把握さえさせやしない。夕に米のはえぬき5キログラムを3326円で買えた。久々に安い米である。稚鮎を甘露煮にするけれど誰も食べずひとりで食べた。
詩に限らず、世間的に評価の高いものは疑う価値があるということを改めて感じた。世間は間違いなく騙されやすい存在であって、それが支持しているということは砂上の楼閣の証明でもあり得るのだ。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売)
降りつづく蚊だと思って息をする
かねをくれおかしをかえと言いつづけほんとうにほしいものをしらない
6月27日(土)
昨夜は地震ですこし揺れた。でも震度2ほどだったので寝ている人は起きなかった。以太が作家賞を受賞したのでホームページを作成してやる。土曜中勤、14時前にすこし雨はやみ、14時半に再び強く降り始め、17時には降り止み明るくなる。台風7号の風もそう強くなく、西の生駒市ではものすごい量が降ったようだがけれど遠州では雨もふつうの雨だった。評判倒れの台風とでも呼ぼうか。雨のあとは臭い。
このようなイベントには自分を売り込むごろつきのような男女がよく現れた。自分だけにもっと時間をくれろ、注目してくれというような輩である。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売)
脳涼しクランチグミを噛んでおり
木曜に大区分したゆうメール月曜向けの順立で遭う
6月28日(日)
日曜中勤、午前は予報外の雨である。夜まで雨がぐずつく。たしかに私は単なるお人よしかもしれないけれど権威も影響力もないから擦り寄っても得られる象徴資本はなく、現状で問題はなにもないはずだ。これからも自分で努力できる人・自分でつくることだけを楽しめる人・権威や他人からの評価をさほど気にしない人・己の好みではなく己とそれとが組み合わさることでどういう爆発を生むかで興味を持てる人を大事にしていきたい。
〈詩の実験〉などという言葉があるが、実感の籠ったオノマトペの一つも作れないで何が実験かという気がする。表現をする際の樹木の年輪のような積み重ねこそが実験に値するのだろう。難渋な表現を示して悦にいっている、或いは生温かい優し気な言葉を〈癒し〉と称して人々も与えるような皮相詩人は、たちまち消え去るがいい。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売)
颱風一過とはならず鴛鴦茶
ほんとうに酷い雨とはまったくの予報はずれの雨であるとは
6月29日(月)
月曜夜勤。土日は雨の中勤2連荘で、かつ昼まで生きるのに疲れたのに午後から働くというのは少し酷だ。夜勤なので先週木金の残一列に一列半しかできない。あさって出勤したら五列くらいの残がそのままプラス一日残になっているだけ。これらの事態は、インチキな集計データしか見ず現場を見ようとしない支社の区再編策のせいである。私はなにも気負うことはない、ただ責任の所在地を指差し続ける。
胸の底までお釣りが落ちてくるような涼しい夜を歩いていった/阿波野巧也(『ビギナーズラック』左右社)
蒸し暑し配達神に疎まれて
あきらめてしまったわけではないのにな あきらめるようしむけられたよ
6月30日(火)
非番。静岡新聞読者文芸の大辻隆弘選に短歌〈部首はもう忄となっている春の夜更けの淡い嘘つき〉が掲載される。中央図書館へ寄ったあと高町のTe La Mondoへ行きダージリンを飲む。他人への関心度からことばによる傷つきは起こりうるかまでを店主と話す。或る人たちは自分の機嫌は自分で良くするもので他人を楽しませて友好的に交流したいと考えている。でもそうではない人たちは他人から機嫌を良くしてもらったか否かで友好的に交流するか否かを決める。たぶん地域や地方都市で状況をつくれる人は前者だ。帰りにメイワン7Fのハッピーでマトンカレーを食べ、West Goat Coffeeに寄り帰宅する。7月に向けて事務作業をこなす。『断食月』第三号を締め切る。沈黙交易欄と匿名読書会がうまく噛み合っていないのか、何人かに改稿をお願いする。私の企画力と人をまきこむ力に限界を感じ暗澹となる。私では地域における批評面の強化という大任は務まらないのかもしれない。
二人が話していた。一人が母音で吃った時は、もう一方は母音と子音で。二人は話を終えると、とても晴れやかな気持ちになった。――プリムス焜炉が消された様な。(ダニエル・ハムルス、田中隆訳『ズディグル・アプルル』未知谷)
まっすぐに上へのびゆく蛞蝓
読まなければならない本はなにもないページをひらくだけの安心
7月
7月1日(水)
久しぶりの日勤に出てみると3日分の定形郵便の箱が積んである。絶望的だ。班長業務を代行し、他班へ頭を下げる。自分の区は4日残をやっと妨げるくらいしかできなかった。午後から雨、また雨だ。
軌道の上を市電が行く。市電には人々が乗っていて、何フィート進んだかを指折り数えているのは、運賃が距離で変わるからだ。(ダニエル・ハムルス、田中隆訳『ズディグル・アプルル』未知谷)
先週の郵便残る梅雨曇
助けてもらわなければなにもできず助けてもらえば肩身がせまい
7月2日(木)
昼まで雨、午後から快晴で蒸し暑くなる。定形外をだいぶ抜いて、徒にがんばって一周してほぼほぼ区を片付ける。
その意味でこの本は子供たちが感受する異空間の世界についての大人の論理の書であるかもしれない。(吉本隆明「角川文庫版のための序」『共同幻想論』角川ソフィア文庫)
皮膚と皮膚のはりつくように梅雨湿り
唖蝉の黙って逃げ去るのを追ってそこからさきは盛夏と知った
7月3日(金)
非番、曇時々小雨。初歩のトルコ語の第13回を聴き、詩を書く。それからTe La Mondoへ行き店主の新刊ZINE『なきもの』収録の「新エロス」を読んできもちわるさを覚え、地の文の人称について考えさせられる。主観的な濃い感情表現と客観的で説明的な描写とが同じ段落で並置されると読んでいるうちにその描写行為の沼地へ引きずり込まれる。これが意図したものでないのなら天才である。雨が止んでから駅前を経て帰宅する。「資本家の理性に訴えかけお願いするのは空想的社会主義だ」というメールを送る。
現代的な文芸美学の構築を目指した書物とも言いうる吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』において、文学の美的「価値」を保証しているのが、やはり詩にほかならないことを見ても知られよう。これは、吉本が詩人として出発したがゆえに詩を基底に据えたと見做すべきではなく、吉本は詩人であるがゆえに文学的「原理論」の構築に向かったと捉えるべき事態なのである。(絓秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
人肉は三人の人日の盛
ふいに雨それから止んで人称のあやしいまでに夏の日となる
7月4日(土)
土曜中勤。19時から雨となる。弁天島花火大会もスターマインのときに土砂降りだったようだ。浜松駅に妻子を迎えに行くと人身事故の遅延と雨と花火大会とで運行が混乱していた。
詩人は詩作品の書き手として価値形成的な存在であり、その価値が実現されていることを自ら確認する存在であるという意味で批評家であるということになろう。それは、「歴史」なるものが示す同一人物の二つの表情であるが、かかる詩人=批評家がイデオローグなるものに限りなく似てしまうのは、それこそ「歴史」的必然というものである。(絓秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
雲にかき消され九十歳の花火
片目でも両目でも見えるものはほぼ変わらないから笑ってさようなら
7月5日(日)
朝に雨、日曜中勤、班長があまり元気そうではない姿を見せてくれた。抒情詩の惑星の2026年7月に「オープン・ミュージアム・ラボ」を掲載してもらう。
白玉やシャアザクへ差す角パーツ
時計から針がつぎつぎ落ちてゆく今の時刻は無限でいいよ
7月6日(月)
月曜夜勤。朝に児を送り出した後、こうたさんに『断食月』第二号で書いてもらったポッドキャストをやってみようと録音・編集し沈黙交易#001「風景と地理」を公開する。録音周りが無課金なのと独話の不慣れとがあるけれどこういうのは質にこだわらずやらないと進まないものだ。基本的にずっと雨だったけれど夕から夜にかけて強く降る。
詩とは、本来的な意味での詩とは、そのような外からの疲労に促されて書かれた、無為の言葉にほかなるまい。(絓秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
脳味噌の黴臭くなる眠りかな
救急車で運ばれたという同僚が夕の発着場に佇む
7月7日(火)
七夕非番。ポッドキャストの第二回として沈黙交易#002「市民の主体性」を公開する。新しい分野で自分を初心者に追いやって、やり口を学んでいくのが好きなのかもしれない。自分が得意ではないことをもっとやりたい、でも新しいことをはじめるときは古いものを畳んでからかな。浜松文芸館で展示「浜松市民文芸70年の歴史」を観て、選者や中央との権威を感じた。これでいいのか、浜松市民文芸は。Te La Mondoでピザトーストを食べ試しに対談を録音する。店主は文章を話せる人で私は単語のかたまりだけをぶつける人だから店主がボケで私がツッコミにしてあまり笑いすぎなければ対談ができそう。それからWest Goat Coffeeのイワクラタナカ・ポップストアのなかでおやつのアップルパイを食べる。オーダーメイドという遅い商慣習を回復させようという試みはよく聞くけれど、興味はある。でもそれほど物欲はない。
子規以降の日本の近代詩は、言語の非=対象性がもたらすこの反作用によって表現の主体としての自己を確立し、そのことによって詩の純粋性を誇るといった転倒に、詩の存在理由を求めたのであった。(絓秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
七夕や世界の隅に調和主義
くもんには行きたくないと眠る児のまだ嘘を言うレベルがこども
7月8日(水)
久しぶりに暑くなる。そういえば、クレーマーに当たってしまった。でも犬に噛まれたと思い己の不運を呪うしかない。この世の中には人間の心を捨ててしまった方もいらっしゃる。自分が思うがままに生きられない欲求不満を解消するために問題を長引かせて他人を自分の思う通りに動かしたい人も生きている、そんな人もまた生きているのだ。
書くとは必然的に時間を導入することにほかならないから、「夜」の不眠において書くことを選択した詩人は、しばしばその夜の明けることを夢見るはずである。(絓秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
糖分を巡らせている溽暑かな
クレーマーにはただひたすらに謝ろうそれでひとりを救えるのなら
7月9日(木)
ほんとうに暑い。夏になったというより盛夏、晩夏だけれども。思考の末に採用された常識はまだ許せるけれど、思考を経ない常識は自らをロボットたらしめているだけだ。そして常識の正義化は犯罪だ。
「詩は表現ではない」という宣言は、より厳密には、「詩(=死)は表象ではない」と言いかえられるべきであったろう。(絓秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
炎帝の爪の白ばむあたりかな
土の袋はやぶれそこから花が咲くいのちってやつはいのちなんだな
7月10日(金)
炎暑、クレーマーの件でいろいろ書類仕事があり面倒。しかし面倒なのが仕事というものだろう。そういえば沈黙交易#003「市民活動のおもしろさ」を公開していた。リバーブ機能が入っちゃっているかも。それとTe La Mondoが店内でオフラインSNSをはじめるというので店主へ文章を送る。国際補助語エスペラントで要約すると次のような内容の文章だ。Mi pensas, ke la estrino de teejo "Te La Mondo" kapablas rigardi la socion kvazaŭ starante ekster la socio. Tiu impreso baziĝas sur tri elementoj: ribela spirito de ŝia universitato, ŝia rilato al Esperanto kiel internacia helplingvo, kaj ŝia ligo kun politika aktivulo T. Pro tio, lastatempe mi daŭre vizitas la teejon por observi ŝian agadon.
稲川が踏まえ、抵抗しようとするファシズム=大衆社会とは、「主体の廃墟」を主体性と見做せる、心地良い暴力にほかならない。(絓秀実『詩的モダニティの舞台』論創社
鬼百合の花いねむりは三時まで
思い出はみんな一雫の汗に歴史はすべて月光片に
7月11日(土)
午前は子守、浜松科学館へ児と行く。歯磨き粉でミニボートを動かした。それから詩季と浜松文芸館を経る。詩季のときに左脚の裏が攣った、疲れているのかビタミンやカリウムの欠乏なのか水分不足なのかは分からないけれど体調はすこし悪そうだ。夜は砂詩丼、中田島砂丘入口と防潮堤のあいだに最近の雨のせいで池ができて蛙が鳴いている。夜霧がたちこめズボンが湿る。太平洋では荒い波濤が押し寄せていた。もし私が書店をやるとしたら名称は恐竜書院にしようと思う。それと真田修冊など、大西巨人の命名センスは優れている。
筆者としては居心地の悪い詩というのはすなわち異和の獲得であり、自分とは異なる文化との接触であるがゆえに価値があると考える。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売)
遺伝子の傷ついている炎天下
砂丘から霧の湧きいで詩人らの衣服を濡らす朗読の夜
7月12日(日)
朝に蝉が鳴き始めた。ハママツクリエーターズフェス2026も近づくので沈黙交易#004「祝祭の盗用」を公開する。子守、午前は湖西市アメニティセンターの波のプールと流れるプールで泳ぎ、五味八珍湖西店で昼飯を経て、十周年を迎える引佐町谷沢のOraでかき氷を食べる。帰途に浜松市地域遺産センターと引佐図書館へ寄る。それから舘山寺サンビーチを散策し、はまゆう大橋を普通車210円で渡って鴨江アートセンターに寄って帰宅する。
越境するものは、越境される者に対して、極めて強い刺激を与えるのだ。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売)
海水浴傷口を風へさらす
移民の乳房たわわに実る浜名湖よ日本人は直いなくなる
7月13日(月)
昨晩から何か大量にものを食べると大量の汗をかくようになった。気候のせいか体調のせいか。Esperanto-stratoと名付けた連尺から高町の曳馬坂を汗をかきかき歩いてTe La Mondoへ寄る。店主とエスペラントや世襲という象徴資本継承体系や吉野の話をする。久しぶりに浜松駅の吉野家で麦とろ牛皿御膳を食べる。帰宅したあと小学校まで行きオクラの鉢を持ち帰る。しばらく汗が止まらない。夜に沈黙交易#005「なぜ批評をするのか」を公開する。
谷川の詩を改めて引用したのは、彼の詩が平成デビュー詩人に与えたものが〈影響〉というに留まらず、もはや〈無意識の地盤〉とでも言えるものだと感じるからだ。(平居謙『平成詩史論』土曜美術社出版販売
汗をかく汗を覆い隠すように
児の育てあげたオクラを持ち帰る採る機を逃した実をゆらしつつ
7月14日(火)
児がotitis media acutaに罹り、非番で子守。第9回浜松「私の詩」コンクールの応募作全341篇を読む。植物と木の詩が多かったのはいちばん身近な自然だからだろうか。自らの名を記す詩もあった。詩を撰ぶとはなんともむずかしいもの、しかし浮かび上がる色のようなものがあり、それでだいたいは分かる。ただ作者名を知ることができる私の撰はあくまでも参考にしかならない。午前に耳鼻咽喉科へ行くと混んでいる、というより待ち時間が多い。人間に呼吸は早すぎた。
はじめに国家とよびうるプリミティヴな形態は、村落社会の〈共同幻想〉がどんな意味でも、血縁的な共同性から独立にあらわれたものをさしている。(吉本隆明『共同幻想論』角川ソフィア文庫)
ニンゲンに呼吸は早し雲の峯
かき氷を倒してなにも残らないそういうふうに忘れられよう
7月15日(水)
久しぶりの出勤、猛暑。ただ黴だらけの手拭いを濡らして首に巻けば大したことはない。夜に緊急で録音し、沈黙交易#006「文芸的財産」を公開する。
正解の寝相わからず熱帯夜
遠州の天空率を知るためにちょっと煙草に火をつけたんだ
7月16日(木)
酷暑、熱風、何もする気にならない。佐久間で38度に達する。午後三時半ごろから風が吹き始め、曇る。香港の留下書舍と田園書屋が馮哲芸『唯紅花綻放 習近平時代的認同與歸屬』衛城出版がらみで摘発を受けた「我是書店店員」関連の報告を見ていると、日本は権力は中共ほど強くないけれど権威が強いと感じる、だから多くの人はことばや詩を恐れない。ことばや詩よりも自分の心の向く方へ、それを権威と認識することなく、従うのだ。
このように穀物の栽培と収穫の時間性と、女性が子を妊娠し、分娩し、男性の分担も加えて育て、成人させるという時間性がちがうのを意識したとき、人間は部族の共同幻想と男女の〈対〉幻想とのちがいを意識し、またこの差異を獲得していったのである。(吉本隆明『共同幻想論』角川ソフィア文庫)
弯曲の塔よ繁茂する季節風
できるはずない分量をがんばると言って社会を生き抜いている
7月17日(金)
やはり暑い。家にスマートフォンを忘れて出勤し、ちょうどよいデジタルデトックスになった。しばらく長い夏休みをとって一日一篇、一日十句、一日十首などをやりたい。
人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想に〈侵蝕〉された状態を〈死〉と呼ぶというふうに。〈死〉の様式が文化空間のひとつの様式となってあらわれるのはそのためである。(吉本隆明『共同幻想論』角川ソフィア文庫)
脱輪をしているならば炎天下
謝罪には行かなくていいことになりなんと大きな夏空の青
7月18日(土)
朝に驟雨、昼には晴れる。土曜中勤、外人の再配と詩人の締切は信じるなという教訓を得る。だがいちおう第9回浜松「私の詩」コンクールの一次審査は済んで28作品に絞られた。20日の最終選考会で大賞・新人賞などが決まる。
〆切は守られず鬼百合の花
歌手の名を思い出せずにいるときはただ蝉の声割れんばかりに
7月19日(日)
朝に初歩のトルコ語第15課を聴く。遠鉄百貨店のサンチノへ行く妻を駅で下ろして掛川花鳥園へ赴く。嘴広鸛のふたばがバケツの水から魚を捕食するのを目撃し、児が鬼大嘴や黄金墨西哥鸚哥へ林檎片をあげるのを観る。緑の鸚哥には餌ケースごと奪われてしまった。昼はレストラン・フローラで冷製牛茶そばを食べる。午後は温室内バードショーを観る。ブレイクタイムで、児は紅金剛鸚哥が飛んでくぐるフラフープを持つ大役を担う。少し翼があたったという。帰浜してクリエート浜松のハママツクリエーターズフェス2026にすこし滞在する。従来より華々しくなったけれど、イベントの骨組みはどのようにできているかという企画の視点は芽生えただろうか、その視点の問い直しを私は後進へ託す。遠鉄百貨店旧館8階のサンチノへ行き、まるたけ堂珈琲の出店で一服する。夜に最終選考会の準備のため210枚くらいの紙をプリントアウトする。それでもう一度朱を入れながら丹念に読み返す。
赤き尾の洋鵡のことば晩夏光
マイカーのダッシュボードの上にある紫貝の貝殻熱し
7月20日(月)
海の日、昨夜沈黙交易#007「詩人の邦」を公開していた。脳を丸洗いするほど眠った朝に初歩のトルコ語の単位認定試験を受ける。午前に浜松市文化振興財団とAnyの浜松まちなかにぎわい協議会とWest Goat Coffeeを訪れ詩丼改のフライヤーの配架をお願いする。それから13時から高町のTe La Mondoで第9回浜松「私の詩」コンクールの最終選考会をヒメ巴勢里・内山文久・吉川愛・熊谷文昭と私の5人で行う。観覧は店主を含め2人。喧々諤々の末、15時を過ぎてやっと三賞と佳作が決まった。それからヒメ巴勢里さんの若き日の武勇伝、土曜美術出版販売や劇団踊ら木偶や超猿などでの話を聞いて17時前に帰宅する。そういえば梅雨明けしたという。
詩を選ぶ詩人のための古冷房
選考の会場へゆくどの道も夏が猛威をふるって白い
7月21日(火)
子守、昼にバスと遠鉄で美薗中央公園へ赴く。溽暑だからか夏休みなのに流れでは私たち以外誰も遊んでいない。そういえば岐阜県郡上市の八幡などでは酷暑日が設定されてはじめて酷暑日を記録したらしい。
真の意味における自由とは、全体のなかにあって、適切な位置を占める能力のことである。全体を否定する個性に自由はない。(福田恆存『人間・この劇的なるもの』新潮文庫)
夏休初日計画改竄す
公園はただ死ばかりが汗をかき徘徊をして沈黙の昼
7月22日(水)
猛暑、かぜとゆきタウン地獄がはじまる。浜松市天竜区佐久間ではじめて酷暑日となったという。夜にひそかに沈黙交易#008「文芸の審査」を公開する。
のうぜんかずら生きるより激しくて
君が代は字余りの歌あさかぜを額に受けて天竜渡る
7月23日(木)
炎暑、浜松市中央区で酷暑日となる。ただでさえ切り盛りできていない区にタウンが全域でたら、もう立ち行かないのは当然である。
ふるさとが地図から消える暑さかな
六十五で死んでもいいと言う人のために屋上ゆきの戸をあけた
7月24日(金)
体が動く程度の暑さ。新島でヘルメットに蜻蛉があたりそのままヘルメットの紐につかまる。その蜻蛉は帰局して手で払っても私の制服につかまっている。指先で私のスーパーカブにつかまらせる。でも発車させると肢のふんばりが効かず滑り落ちた。
電柱は傾いている炎天下
あたまのなかへこどもの声が入ってくる気温三十三度の昼に
7月25日(土)
非番、朝に蜻蛉の詩を書いて、第9回浜松「私の詩」コンクールの受賞者への通知葉書をつくる。『断食月』第三号の組もはじめる。昼間はグダグタと過ごし夕方から車で袋井市へ出かける。チョコバナナと広愛大橋目当ての妻子を袋井市体育センター辺りで降ろし、鷲巣まで北上して久野城址の西の丸に車を駐める。そして高見からふくろい遠州の花火大会を観る。久野城址は郭のくっきりとした良い平山城遺構だった。花火は音楽も聞こえないし、音も遅れるけれどまずまず楽しめる。
遠花火を話していたら暮れており
城趾から眺める花火遠けれど城主として見る景だと思う
7月26日(日)
日曜中勤、雲も出て昨日までより涼しい。夕はもう夜の秋と呼べる。
「神います。」
自分が彼女を不幸にしたと信じていたのは誤りであることが分かった。身の程を知らない考えであることが分った。人間は人間を不幸になぞ出来ないことが分った。彼女に許しを求めたりしたのも誤りであることが分った。傷つけたが故に高い立場にいる者が傷つけられたが故に低い立場にいる者に許しを求めると言う心なぞは驕りだと分った。人間は人間を傷つけたりなぞ出来ないのだと分った。
「神よ、余は御身に負けた。」
(川端康成「神います」『掌の小説』新潮文庫)
泣きべそのたもとおりけり夜の秋
日本語の通じない子と話すとき十九時なんてどこにもないよ
7月27日(月)
朝に受賞者ページを公開した。受賞通知葉書を昨朝に投函したため。月曜中勤、久々の雨を唇に感じた。夕刻は黒雲の遠州を圧するの感がある。夜は待ちに待った驟雨。室井光広と川根本町のてんでんこのことをすこし考える。
辛うじて一つのイメージを確認する。われわれの詩記列伝にとって欠かせぬ世界劇場は、粕谷栄一の〈世界の構造〉に似た書物である。(室井光広『詩記列伝序説』双子のライオン堂)
みなみかぜ雨の気配は酸っぱくて
カーブミラーに雨の痕跡ここいらはザッとひとふりして去ったのか
7月28日(火)
静岡新聞の読者文芸川柳の尾藤川柳選第二席に〈大いなる誤解があって濡れている〉が採られた。それと詩の野村喜和夫選に「善意舗装有限会社」が掲載された。選評にアポリネールの異端教祖株式会社は言及されていたけれど、映画Highway to HellのThe Good Intentions Paving Companyは言及されていなかった。東海道線と豊鉄市内線で豊橋市美術博物館へ赴く。児はうずら展を観たいものと思っていたらあなたが選ぶザ・リクエスト展を観たいと言うのでそちらを観る。名画志向なのだろう。三岸好太郎「狐塚風景」の昏さと伊東隆雄「冬の日」の寂しさが好き。あと中村正義による風景画の温度が良い。帰りに市電で豊橋市まちなか図書館に寄り、金萱茶を飲む。歩いて豊橋駅まで戻り、むらたのたこやき15個を食べて昼飯とする。たこやきにこびりつく焦がし醤油のしょっぱさが夏休みそのものだ。豊橋駅構内の藤田屋で大あんまきを買って帰浜する。帰宅してお湯を沸かすと急に強い風雨が窓硝子を叩く、雷鳴が鳴りやまない。まちなか近くでも落雷が何度もある。中部電力の緊急車両が走り旧南区で停電があったようだ。そんななか17時前に熊本県で震度7の地震が起きる。
歩くことは、人類の文化という星空に輝くひとつの星座となってきた。この星座には身体、想像力、ひろく開かれた世界という三つの星がある。別々に浮かぶ星々をひとつの星座にするのはそのあいだに引かれた線、すなわち文化的な意味を負って歩く、という行為によって引かれる線だ。星座とは自然の現象ではなく、そこに重ねられた文化だ。そして星々をつなぐ線は、過去に人びとがたどりその想像力が踏み均してきた道に似ている。この歩行と呼ばれる星座には歴史がある。すべての詩人、哲学者、謀叛人たちが歩み、赤信号を渡る人、娼婦、巡礼者、観光客、ハイカー、登山家が踏みしめた歴史だ。(レベッカ・ソルニット、東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』左右社)
噴水は音から忘れられていた
風景画の悲しさ色の少なさを誰も思い出してはくれない
7月29日(水)
昨夜とある県俳句大賞の審査員を急遽頼まれる。高齢者が多い組織だと仕事が不意に降りてくる。日本中がイオンモール熊本や製紙工業の救助活動へ注視するなか、労働に勤しむ。区で通数が200近くになれば私でも一周はできる。中学生の頃に流し読みをした本多勝一『日本語の作文技術』朝日文庫を谷島屋磐田店で買う。夕にはすっかり秋のような風が吹く。晩夏だ。
雷響のなか人の声と爆発音と
暑さとは命であったものたちが手足の限りしがみつく風
7月30日(木)
朝に通り雨。仕事終わり、妻子と来浜した父とで夜に板屋町の八百徳本店にて会食する。上うま重は醤油のこがしが旨い。帰宅すると『現代俳句』2026年8月号が届いており、図書館俳句ポスト五月投句にて拙句〈アザーンの音は割れたり青田風〉が特選に採られていた。
非論理的なのは日本語なのではない。これを訳した人間、日本語を使いこなせない「使い手自身」こそが非論理的なのである。(本多勝一『日本語の作文技術』朝日文庫)
宵風のまちなか土用鰻かな
老人のような夏木立は対に ゆうかぜのなかラジオ収録
7月31日(金)
子守、駅南のニッポンレンタカーでスイフトを借りて両親を拾い天竜区まで北上、秋野不矩美術館へ赴く。そこで中谷ミチコ「影とぽっこり」を観る。「影、魚をねかしつける」は児の言うとおり遠くから見ると人が浮き出て見え、近くで見ると人が窪んで見える。2階のDrawingsも詩の素描みたいでおもしろい。それから引佐町谷沢のOraへ赴き、カレーランチとかき氷を食べる。まちなかへ戻り帰宅する。とある県俳句大賞の応募作品の束が郵送され、スイフトを返却したあと、児と父とUP-ONスタジオ横のプロントで応募作品を読む。丁寧な字で書かれた句が上手いとは限らないけれど少しは採りたくなる。字の丁寧さは決定打にはならないけれど、差異にはなる。浜松市中央図書館駅前分室に掲示された図書館俳句ポストの特選句〈アザーンの音は割れたり青田風〉が江戸川区立中央図書館で投稿された句と印字される誤植があった。その誤植を司書に指摘すると「確認しますね」というお役所的返答があった。
地域が「文化の自己決定能力」を十分に発揮するためには、やってきた側――多くは、「中央」の人たち――がその能力を認知し尊重することが必須です。(山本浩貴『地域芸術祭とは何か』平凡社新書)
幸という地名あり青銀杏
食物を胃へ詰め込んで一瞬の幸いの尾を幻視したんだ
8月
8月1日(土)
午前は遠鉄百貨店とメイワンへ赴き、母・妻・児のショッピングを遠巻きに見る。それも飽きて、はじめて遠鉄百貨店新館6階のLOLO Centro Cafeを利用し、カウンターでブレンドコーヒーを飲む。百貨店の途中階にあるちいさなコーヒースタンドは好きだ。KIMBOの砂糖なんて洒落ている。ショッピングを終え、遠鉄百貨店本館8階の錦華の浜松餃子で昼を済ませ、父母を新幹線口で見送ったあと、児の歯医者に付き添う。それから夕にイオンタウン浜松新橋に寄り帰宅する。令和日本ではほとんど顧みられていないと思うけれど、保田與重郎はとてつもない作家だったのではないかと思い始めている。夜は佐鳴湖の花火大会という。
合図、して
終わりの
合図をして
(成清朔「epoch」『彼方の幽霊』青土社)
風のなか聳える山よかき氷
佐鳴湖の花火の音を遠く聴く詩のありかとは夜の湖
8月2日(日)
日曜中勤、帰宅するときは新天竜川橋を渡る。右手に花火が見えたけれど、どこの花火かはわからない。そういえば三ヶ日でも花火大会、どこもかしこも花火である。ふとお金とことばはまやかしなんだと実感する。お金とことばを、反対に確かだと言う人はみんながそう言っているからとみんなを根拠にする。でも同じいきものをある人は犬と言い、ある人はdogと言う。すでにみんながてんでバラバラなことを言っている。
おもしろいと読者が思うのは、描かれている内容自体がおもしろいときであって、書く人がいかにおもしろく思っているかを知っておもしろがるのではない。(本多勝一『日本語の作文技術』朝日文庫)
顔を撃つ夏は猛りのかたちかな
名を知らない花火があがる今という瞬間をただ生きてゆくのだ
8月3日(月)
子守、東海道線で静岡駅へ赴き静岡科学館る・く・るに入る。児は焼津から来たミワちゃんという子と仲良くなる。駅南のマクドナルドで会食して別れる。こういう夏休みの一幕、子ども同士の一期一会は貴重な思い出になるだろう。帰浜してから児と不動産屋の車に乗せられ近所で内見をする。
遠花火のにおいをさせて他校の子
たった一度きりのともだちなんていた夏休という魔法の期間
8月4日(火)
昨夕から春秋時代戦略シミュレーションゲーム「春秋覇者」を組んでおり、なんとかゲームバランスが整いそうだ。でも、まだおかしな点は残る。帰宅すると昨日のミワちゃんからメールが届いていたらしい。
雲の峯他校の子からメール来た
ゲームバランスを考えるときしばらくは現実を離れられる湖
8月5日(水)
とりあえず昨夜に春秋覇者は戦闘関係を整えて楚でプレイした。夜も更けて、終に周王に鼎の軽重を問うて公孫満が折れ、楚王となった。九合諸侯するよりも問鼎軽重した方が手っ取り早い。同僚が急病人に遭遇し硬直していたので救急から依頼された蘇生術は断ったという。大胆だ。
なんとなくという百の理由よ百合の花
言うことをきかないAIいつの日かわがままな児のように思うか
8月6日(木)
暑いけれど春秋覇者に入れ込み過ぎて何も憶えていない。齊でプレイし二度目に鼎の軽重を問い、王と成る。
民衆に伝承されてついに滅びなかった口碑物語には、我々が代々の血で洗ってきたような真実と希望が、全然の嘘の中にさえ生きているのである。(保田與重郎「木曾冠者」『保田與重郎文芸論集』講談社文芸文庫)
樹木葬それからは昼寝を食べる
もう一ターンもう一ターンと思うときわたしはわたしに閉じ込められる
8月7日(金)
立秋、朝に雨。春秋覇者は一応の完成を見たと言える。越でプレイし齊を北辺まで追い詰めたら、いつのまにか徳が一定値を下回り河北の諸邑が悉く離反して戦線を南へ下げざるをえなくなった。調子に乗ってはいけない。
鬼貫は貞門檀林の間を放浪しつつ「まことの俳諧」を論じたのである。それにもかかわらず来山によってさらに一歩の爛熟がされなかったゆえに、日本の自由市民の唯美主義は挫折したのである。(保田與重郎「近世の唯美主義」『保田與重郎文芸論集』講談社文芸文庫)
立秋の雨閉業の理髪店
冷凍のペットボトルの融けにくさ冷たいのにななにも飲めない
8月8日(土)
午前は春秋覇者のセーブデータを解析・回顧する東周列国史を整備する。昼過ぎに詩季に参加したあと勇気を出して理容ニュー浜松の八幡町店へ入る。駅前のラッキーが閉業したため理髪店難民となったから。はじめは無口で怖いおっちゃんだと思ったけれど、技術は確かで丁寧な仕事だった。まちの床屋らしい店で、久しぶりにさっぱりした。と思ってスーパーカブのミラーを見ると頬と顎に点々と血がついていた。Te La Mondoで南薩摩を飲みながら春秋時代と宮城谷昌光のマシンガントークをする。夜は砂詩丼、湿度が高かった。夜に春秋覇者へ名臣機能を付与、管仲期間は倉廩実則知礼節の人だから常に糧と徳を満タンに設定したら最兇の侵略国家ができてしまったので糧だけを満タンだけにした。バランスが難しい。
左氏伝の逸話続々秋の暮
ひりひりと痛む人中かみそりも風の音には驚ろかれぬる
8月9日(日)
日曜中勤。春秋覇者に首邑概念を実装するのに苦労した。また、四大国の副首邑を高唐・犬丘・随・曲沃へ変えたため、アルゴリズムがかなり変わった。首邑・副首邑・本邑とそのほかの邑という区別を考え、宗廟と国君が遷都するシステムも機械が理解できるように規定するのに難航した。そのほか附庸にした蛮夷狄戎が自分の田を荒らしていたり、自分を伐つ王命を受けるか受けないか選択していたり小さな矛盾をひとつひとつ片づけていく。この作業は果てがない。
長塀の軒へとりつく残暑かな
腕時計をデジタルからアナログへ変えかわってしまった時間
8月10日(月)
非番子守、朝に『断食月』第三号を丸正インキ有限会社へ入稿する。入稿は春秋覇者で遅れたと言っても過言ではない。その春秋覇者は自分の封彊に湧いた東夷を討てない問題で詰まる。蛮夷狄戎のなかで東夷だけは平地に湧くので扱いが難しい。午後に公園で球蹴りをして帰宅してしばらくすると雷雨になった。
ここなる詩(詞)の一行一行は、筋書きを取り去った後さいごに残る劇的セリフの如きものとしても構想されている。(室井光広「後記」『漆の歴史』深夜叢書社)
一瞬を宝石にして秋の風
ティラミスに原型なんてあるのかなみんな恐竜だった鳥たち
8月11日(火)
非番子守、「モアナと伝説の海」をザザシティで観る。海の民が喪われた渡海技術を神から獲得する型の神話だった。正確にはモアナの伝説と海だろう。浜松ジオラマファクトリーを経て、浜松こども館を訪れる。
たとえば天使がいるとしたらその手を取ってはいけない。天使と食事をして、天使と話をするためには、天使の手を取ってはいけない。(最果タヒ「天使について」『溶けていく氷にとってぼくらは永遠』リトルモア)
秋風のただようあたり女神島
遠くまで行くのだと思う天使からもらった帽子だけかぶりつつ
8月12日(水)
昨日、台風が茨城県が上陸したということで、今日は雨が降ったり止んだりの天気だった。ただ日中はおおむね晴れていた。児が原案をつくり、私につくるよう養成していたゲームつみつみボートはおおかた完成した。ぎんこうからコインを借りて、ほけんに入り、くだものを右から左に流して、コインを返せなくなったらふねを差し押さえられてしまうゲームだ。でも原案の児は群馬県へ旅立った。深夜に激しく雨が降る。
差別構造を孕む孕まない、というのは難しいことだ。「理念」や「美意識」が差別構造を孕むことがある。そして、「私が責任をもつ」という澄んだ水のような決意にも、「許す」という言葉にも、「雨にうたれる」という心にも差別構造は忍びよる。世界にはいろいろな言語があるが、日本語の文脈で言えば、春愁の極北、焼けつくような寂しさの内に身をおくことが必要なのかもしれない。(新木正人「ただの浪漫とただの理性がそこにころがっている」『天使の誘惑』論創社)
雲の鰭をひっくりかえす野分かな
おおいなる欠落がありカタカタと骨と肉とのこすれあう音
8月13日(木)
昨日からお盆休みで道は空いている。しかし、お盆の郵便物量は以前と異なり少なくない。春秋覇者は邑の位置を少し変えた。やはり虞は虢と晋のあいだにあるべきだろう。もちろんそれ以前のセーブデータでも遊べるように施してある。夜に雨、『断食月』第三号が刷り上がる。
絶対的な季語不足と飢餓不足(室井光広「不測の事態―詩歌保険加入案内」『漆の歴史』深夜叢書社)
同僚は有給休暇盆僧に
迎え火を見ていたまなこ書留の文字さえ追えず立ち尽くすのみ
8月14日(金)
秋暑し。最近、春秋覇者のAI操作国が弱いと思っているのでその練り上げをしている。といっても私のゲームデータをAIで解析させているだけ。来月以降突如として敵国が強くなっているかもしれないし、重大な欠陥ができて弱くなっているかもしれない。とりあえず、退路を断たれた敗残兵を漸減して帰邑させるアルゴリズムと附庸国の兵糧を宗主国ではなく附庸国が持つアルゴリズムを実装する。遠征の難易度が上がったけれど、宋で附庸7・攘夷 7・邑9まで拡げられたのでよしとする。でももう一国の最弱国である鄭はまだどうしたらいいかわからない、いつのまにか附庸国となってしまう。帰宅時に中野煙花祭のため新天竜川橋を渡る人々を観る。
迎え火の炭をこぼさぬ瓦かな
二箱も書籍をいれた段ボール玄関前に無言で置かれ
8月15日(土)
新浜松駅から遠鉄と天浜線の東ルートを廻る。車内で鄭をプレイし附庸14・攘夷2・邑5まで拡げられた。鉄オタのエンジン音みたいなあくび音を聴きながら上野部駅で降りてシルクロード・ミュージアムの企画展を観る。草原浪漫をかき立てられる。カフェがあったり解説員が丁寧だったり、mécénatのひとつなのだろう、悠長でいい。帰路に大坂屋で最後の一本という小豆のくずバーを買い、かじりながら上野部駅へ戻る。それから掛川駅を経て掛川市内を散策したあと、天浜線で舞い戻り西鹿島駅を経て新浜松駅へ戻る。葛のせいかシャツを着なかったからかわからないけれどお腹が緩くなる。朝からなにもまともに食べていないのでモス野菜バーガーを食べて高町へ行こうとしたら誤って高塚行きに乗ってしまい断念する。高塚・高町・高丘、紛らわしい地名だ。
北関東がドレッシングに圧伏させられても自身にとっての情況なに一つ変わりはせぬ。革命とは情況を窺い情況を撃つものでは決してない。やれ情況が先行してしまったのしまわないのと御託並べているようでは革命口にする資格なし。簡単に窺うことのできる情況、泡のように変化する情況などいくら撃ったところでたかだしれているではないか。革命とは不可変の究極を根源的に撃つことにあるのだ。(新木正人「遠い意志(一)」『天使の誘惑』論創社)
敗戦日傘をさすならさしますよ
傘袋いつか見つかるはずだろうアフリカを出るときそう思う
8月16日(日)
日曜中勤。春秋覇者は、突如として消滅する兵を残存させたり、どことも配線が繋がっていない休眠関数を他と噛ませたりと細かな作業をした。終わることのない作業のように思われる。夕方の風はもう秋だ。『断食月』第三号の著者分手続きをする。販売しないまでも配布してくれる方がいてありがたい。『断食月』は、商業の販路には乗っていない現行のシステムで、著者たちの手によって文芸誌というものがどこまで広がるかという実験でもある。著者がほかの著者のために主体的に動くことを期待するという点で、ただ載せてもらうための文芸誌ではないのだ。
泣くことの不潔さは風の軋みより啓示される。泣くとは自他の論理であり、自他の論理とは下卑た嬌声。(新木正人「遠い意志(二)」『天使の誘惑』論創社)
早稲の香に満ちて重たくなる闇夜
刺青に時間は書いてないのだろう時間前でも怒らない人
8月17日(月)
夜勤。昨日、抒情詩の惑星に「傘袋」を掲載してもらっていた。午前は春秋覇者のバグ監査をする。これ、バグを退治してもさらに退治したことでバグが生じることもある。ただ、散在するバグを虱潰しに探すよりは「doWar() の戦闘結果→敗残兵→邑所有者変更→joui()→宗主変更→徳→糧→年表の一連の状態遷移を重点的に見る方が有益」とchatGPTに言われるくらいまでにはバグ修正が進む。
返り咲きから狂い咲きへ
歳時記再編のコンピュウトピア
(室井光広「火付け再開」『漆の歴史』深夜叢書社)
バグ群のなかに見知った顔が早稲
仕事をも遊びのようにできればな他人ごとではなく自分ごと
8月18日(火)
非番、子守。児のスマートフォンのソフトクリアケースを探しに行くけれど数年前のアンドロイドのソフトクリアケースなんてどこにも売っていない。何もやっていない鴨江アートセンターまで歩き、West Goat Coffeeを経て帰宅する。春秋覇者で同じ附庸国の同じ返却期限の賃貸兵を統合して管理するようにしていたら退避三舎という必要性不明なイベントのためにその返却期限がリセットされる処理が生じていた。一瞬だけ退避三舎という謎の聖君イベントを経た仲間は国が異なれど既に同志だとか思ったけれど、やはり母邑に兵を帰さないのは非道なので修正した。
逝く熱や海を流るる河の音/室井光広(『漆の歴史』深夜叢書社)
どこへ行く宛てもないのに椿の実
なかなかにバグは消えない消すとすぐ新たなバグが芽生え飛び立つ
8月19日(水)
とりあえず春秋覇者の確定的なバグは取りきったようだ。それをもとに繁體中文版春秋霸者を公開する。しばらくは戦略アルゴリズム強化のために潜伏しよう。
山積みの未決思想と死刑囚「何度死んだら骨身にしみるの?」/室井光広(『漆の歴史』深夜叢書社)
互換性のある桐一葉の音だ
国の名をひとりで負って従軍す行き先はただ南の星と
8月20日(木)
残る暑さ。
積みたててきたこころの貯金がふいに外貨となったような今日この頃/室井光広(『漆の歴史』深夜叢書社)
干からびた乳房の谷間秋の園
東京へ数冊送る文芸誌鳥は青白く帰ってくるか
8月21日(金)
帰宅するといろいろ寄贈の書籍が届いていた。『麦誌のあゆみ一九四六~二〇二六』と上田信治『成分表 偽マキロン・悲しみについて』素粒社など。春秋覇者に美女機能を導入しようとしてすぐ止めた。傾城傾国システムと名だけは決めていて夏姫・息嬀・驪姫・庄姜などは城が傾くくらいだけれど西施にもなると徳が十くらい削られて国が傾くとか。ただ和氏之璧・夏后之璜・垂棘之璧・随侯之珠や魚腸剣・干将莫邪・季札掛剣・泰阿剣・后之鞶鑑・宝玉大弓・大屈・呉壽夢之鼎・郜大鼎・甲父之鼎などはいつか実装したい。贈与機能は面倒だから邑に附随する感じか、首邑にあり国君とともに移動せず占拠すれば奪取できる、はたまた弭兵を持ちかけたときに贈与されるとか。九鼎などはそのシステムで活用できる。あと地図に越の具区・楚の雲夢・宋の鉅野・斉の孟諸などの山林藪沢も加味したい。
なぜ人は、装飾を求めるのだろう。
それはきっと、装飾が「文明」だからだ。(上田信治『成分表 偽マキロン・悲しみについて』素粒社 )
シール貼り途中の家よ新豆腐
秋の蝉に背を押されても絶対に前へ進めない進むものかよ
8月22日(土)
非番。昨夜の思いつきで岐阜県中津川市へ向かう。東海環状自動車道の鞍ヶ池ハイウェイオアシスには牧場や動物園や池があり、おもしろそうだった。不動滝の流しそうめんは正午過ぎには受付終了していた。不動滝が何だったのかも分からないまま引き返し道の駅花街道付知の食堂で鶏ちゃん定食を食べる。帰りにも鞍ヶ池ハイウェイオアシスの✳snow peakに寄る。三方原スマートインターチェンジで下りてから住吉の不動産に寄り、重要事項の説明を受けて捺印署名して帰宅する。
北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて来し数は足らでぞ帰るべらなる(『古今和歌集』ちくま学芸文庫)
ラウンドアバウトさるすべりの花よ
山奥の滝へ男女の集い来て何をするでもなく食べている
8月23日(日)
日曜中勤、朝に国道1号線バイパスで袋井市役所ギャラリーののぶすま書院二周年展をちらりと覗いてから県道413号線で出勤する。春秋覇者に山林藪沢の地理タイルと宝器システムを導入する。まだバグはあるかもしれない。
ブラジャーの乾ききるとは涼新た
クレジットの残り少なくなるとまた迷いはじめる生成AI
8月24日(月)
非番、午前10時にメイワン8階の谷島屋書店浜松本店へ児と行き、『断食月』第三号を納品した。創刊号は売り切れ、第二号も残部僅少になっている。昼に久しぶりに7階のハッピーでインドカレーを食べ、帰宅する。あきたこまち5キログラム2袋を5500円で買えた。まだ高いけれど去年よりはたいぶ安くなった。児をスイミングスクールへ連れて行くはずだったけれど見学だけになった。春秋覇者は山林藪沢と宝器が安定したので、いままでの戦闘データをぶちこんで解析してもらった戦略頭脳の実装を四段階で行っている。ちなみに焦培民の『史記』研究では春秋時代の人口は1400万人と推計されている。戦国時代の人口は3030万と推計されるから春秋時代の人口はそのあいだの約2000万人とすると全国の平時動員兵数はその1%弱の15万人から20万人だろう。この数字を基に春秋覇者の初期総兵数約16万人が算出されている。初期覇者国の単一遠征兵力が1万から2万人程度なのもその規模感が前提にある。また、100年くらいたつと覇者国が首邑防衛・前線維持・打撃部隊とで計5~7万人くらい動員できるのも千乗の国に50人ほどを乗算した数に裏打ちされている。ふと、西周携王と東周平王の対立とかも描いてみたくなったけれどそれは別のゲームでやるしかないだろう。
春秋戦国が後世に及ぼした影響は絶大であった。その大きさは、例えば今日人々の知る限りの「成語」――故事名言や諺の、おそらく八割がたが、春秋戦国の古籍に出典することからも窺い知ることが出来よう。
それゆえ春秋戦国を語らずして、中国や中国史を語ることは出来ない。いや、中国や中国史を語ろうと思うなら、まずは、春秋戦国から語り起こすべきである。(安能務『春秋戦国志(上)』講談社文庫)
スイミングスクールの帰路秋の蝉
いつのまにかペーパーレスに加担して使えなくなる預金通帳
8月25日(火)
静岡新聞読者文芸大辻隆弘選に私の短歌〈星座にはなれない石をポケットに集めときどき鳴るを愉しむ〉が掲載されていた。春秋覇者のゲームバランス調整の肝はほぼ「秦を勝ちすぎないようにさせる」である。下手するとすぐ秦の勝率が56%になり、弾性防御を採用して38%まで下げても何か不用意な項目を入れるだけで46%くらいまで跳ね上がる。秦が天下統一した根拠として、法による軍事国家化があげられるけれどやはり地理的要因も見逃せない。
読むことは忘れることか柘榴の実
内臓はいろんな毒を漉してゆきたった一滴しぼりだすのさ
8月26日(水)
新しいゲーム令和遠州忩劇(仮)の構想を少し練る、男女平等主義国家は兵員数2倍、平和主義国家は一切の侵攻禁止とか。
顔を洗う澄んだ水の重たさに
肩が凝っているかもしれず肋骨を開いてみようなんとなくだが
8月26日(水)
子守、基本的に自宅に籠っていた。昼にケンタッキーへ行く。午後に令和遠州忩劇(仮)に使うため静岡県西部の年代別人口分布を調べていると急に眠気が襲って来てひさしぶりに盛大な昼寝をした。脳細胞が全て洗われた感じた。そうするとしばらくは戦略シミュレーションゲーム開発はいいかなと思う。確かに静岡県西部を舞台にした春秋戦国時代のような政治と芸術の入り混じる血みどろの国盗りゲームは、みんながしたいだろう。ただ、それだけでいいのかという疑念はある。
版画の一閃として小鳥来る
脳みそを丸洗いする昼寝して曇り空とは光なんだな
8月28日(金)
朝に雷雨。新しいゲームは遠州統治すなわち内政に焦点を当てて内乱対策にだけ戦略シミュレーションゲームの要素を出してもいいかも。でも静岡県全体のカロリーベース自給率は約16%で、農業地帯である県西部だけ切り取っても果実が中心でありカロリーベース自給率は20%前後しかない。肉や卵を算入しても内政どころではないだろう。やはり私は春秋という豊かな小世界にひきこもるしかないのか。
強い味方なにひとつなく秋の暮/室井光広(『漆の歴史』深夜叢書社)
ゲームをつくって抽斗の大花野
何をしたというわけでもないけれど何かしたかのような夕焼
8月29日(土)
非番、昼は楊子町のさやで食べ、児を美術教室に置き、鴨江アートセンターでふたつの個展を流し見したあと小雨のなかTe La Mondoへ行く。浜松市周辺の美術館の話をしたあと児らと合流して石人の星公園へ赴き久しぶりにドッヂビーをして良い汗をかく。
こなごなに割れた鏡に映るわが貌の不吉を拾いあつめて/室井光広(『漆の歴史』深夜叢書社)
坂道というからっぽよ芒原
中国のAIというQwenには忠義のこころ片鱗もなし
8月30日(日)
日曜中勤。朝にクリエイト浜松を訪れた人がその日の雑談に困らないようにポップアップを設けた。ほんとうは季語とか今日の俳句も実装したいけれどそこまで手は回らなかった。昼の帰局時に小雨が降りはじめ書留を返すと本降りになって驚く。
妖精ののうみそとして食うライチ
代引にちょうどの銭を用意され投票したいピンクの党に
8月31日(月)
非番、午前はザザシティのスターバックスで時間を潰したあとシネマイーラのいつものD8席で孫明雅監督作品「トロフィー」を観る。ソヒ役恒那の瑞々しさにすべてを奪われた。そして、光と闇の対照、新宿のバーでウリナリの勲章がたくさん出てきたときは笑った。昼下がり、春秋覇者の或る国でプレイしていると紀元前402年以後も続いてしまうバグが起こった。バグだけれど歴史がひとりでに歩き出した感じがある。
鰯雲電卓いつもただしくて/岩田奎(『敵』書肆侃侃房)
バグなのか仕様なのかは夏の果
カフェインと糖のかたちは似ていると歯の褐色は笑っています
9月
9月1日(火)
午前二時、あるいはもっと前にガスエアコンが壊れドライが使えず冷房しか使えなくなった。転居の呪いだろう。まだ残暑が続く。
暗い秋の言葉ヨハネスケプラーは/岩田奎(『敵』書肆侃侃房)
瞼から光は剥がれ夜業中
少ないと聞いた明日の郵便の横に積まれたタウンの山よ
9月2日(水)
まだ暑い。令和の時代にRSSについて少し考えてみようと思う。
靴底の鈴虫夜はただの夜
あてはまる枕がなくて今夜からオーストラリア大陸で寝る
9月3日(木)
雨が降る降ると言われていたけれど昼過ぎにザッと降っただけで長くは降らなかった。へとへとになって帰宅し岩田奎『敵』書肆侃侃房を読む。〈町は西へつづいて町の西日かな/岩田奎〉途切れることのないように続く日本の町のどこかに西日は沈むのだろうか。〈かみの毛ののびて花野にあつまれり/岩田奎〉比較日時は昨日くらい。〈水涸れて星はいよいよ見えにけり/岩田奎〉水と星の不思議なつながり。〈クリスマスケーキの中の濡れてゐる/岩田奎〉濡れがケーキの甘さだったりする。〈雪ふれり栞つかはず男たち/岩田奎〉読んだページ数は心にだけ刻む。〈星祭われら虚業のビル灯す/岩田奎〉 確かにビルのなかで起きていることはすべて虚業だろう。〈霜柱研究つひに禄なさず/岩田奎〉霜柱研究者かと思った。〈包皮切れ目頭切れとつちふれり/岩田奎〉 美容整形ノススメ。〈湯が沸くと電子音楽颱風圏/岩田奎〉何かが告げられようとする。換喩や提喩がおもしろいのが〈ダイハツを降りて残暑の草を踏む/岩田奎〉〈鉄と秋風にかこまれ手長猿/岩田奎〉〈夏休化石燃してきみの町へ/岩田奎〉〈新社員ときどき魚たべにけり/岩田奎〉など。
鹿啼けり無数の黒い扉のやうに/岩田奎(『敵』書肆侃侃房)
台風前夜木酢液のにおい
半袖を腋の剃りあと見えていて曇天はいつ晴れ渡るのか
9月4日(金)
同僚と代わって非番、駅前を巡回する。諸侯盟壇という、春秋覇者のプレイヤーがゲームデータやゲーム画面のスクリーンショットを見せ合える場をつくった。延べだが何人の国君が生まれたかも分かる。帰宅して文庫・新書などを段ボール詰めする。雨なので窓ガラスを開け網戸にしておくと涼しい。ひと段落して買い物を済ませ、岩田奎『敵』書肆侃侃房を読み終わる。〈女郎花エンジン切れば曲も止み/岩田奎〉あたりまえ俳句、〈かなかなの中に鏡をみがくなり/岩田奎〉自分の鼻梁をたしかめる、〈力なき者ら運動会をせり/岩田奎〉力があればテント下に座っている。
鯔よ段ボールのすきまへと身を沈め
どうかこの世界にやさしさが満ちて 恐怖という名のやさしさだけど
9月5日(土)
久しぶりの土曜日勤、巴哈姆特に登録するけれど、もうコミュニティサイトの時代ではないのだろう。
ことばなき六角形の秋夕焼
夕焼を恐ろしくする川面にはただ音だけの風の転がる
9月6日(日)
おつかれ非番、ほぼ一日中雨である。月末にサボっていたせいで月初は締切や原稿執筆に追われる。5日までの賞選評の締切も見落としていて慌てて書いた。おとといから家のなかにいる巨大な蜘蛛について考えている。もしかしたら九年くらいずっと家守をしていたのかもしれない。
もう秋の柩職人来ておりぬ/石部明(『現代川柳の精鋭たち』北宋社)
台風の前夜と思う雨の骨
本棚をからっぽにして通る風すっかりすかすかになった脳
9月7日(月)
ひさしぶりの月曜日勤、雨とタウンで疲労する。
風邪をひく夜の淫らな観覧車/楢崎進弘(『現代川柳の精鋭たち』北宋社)
秋雨や溶けてしまったゆうメール
くさくなる予感を濡らし夕暮の天竜川を渡るあしたへ
9月8日(火)
午前は晴れ間も見えたけれど午後の突然の大雨で疲労する。帰宅時に一言坂の下で線状の大雨に遭遇し、自転車の高校生が悲鳴を上げていた。ふと私に必要なのはバス電車通勤なのかもしれないと思う。
もっと嘘をつかねば沈む紙の舟/樋口由紀子(『現代川柳の精鋭たち』北宋社)
秋の長雨カラーコーンは壊れ
雨続く一週間の束の間のたったひととき漏れ来る光
9月9日(水)
朝と夕だけ雨、ほぼ一睡もしていないので始業前と昼休みに食堂の長椅子で仮眠をとる。案外それでやっていけるものだ。ちょっと偏頭痛はあるけれど。
旋盤へ挟まれにゆく赤とんぼ
ショートスリーパーなんて呼ばれてみたけれどやっぱり見たいあたらしい夢