葉冠記2020年-2022年

2020年

4月

4月16日(木)

第三回尾崎放哉賞の表彰式は中止になっていて以太の賞状と副賞が郵送されてくる。夜になって全国へ新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が拡大される。

胸の穴を翅のない蝶がとおりぬけた/以太

4月19日(日)

浜松城公園へ自家用車で児を連れていく。移動式カフェのタタズミcoffeeさんでパーマカルチャーなPURE ENERGY BARを買い、ベンチで児と分けて食べる。乾物や粉乳など保存食の利用と体調管理について考える。

4月20日(月)

飯盒を職場へもっていき、昼休みに袋麺を煮て食べる。

4月21日(火)

児が1歳8ヵ月になる。南図書館で本を借りる。翌日から浜松市立図書館は全館休館になるらしい。本を借りられないので放送大学の学習課題に困難が生じるだろう。電子書籍でのりきるか。

4月25日(土)

浜松市からの自粛要請で飲食店が休業に入る。主な公園の駐車場が鎖される。児を近所の農園で飼われている山羊に会わせる。

4月26日(日)

弱草藤の咲いている馬込川沿いの歩道を家族で歩く。日本がもっと貧しくなればお金を使わずに済むのでもっと楽に暮らせるかもしれないと思う。それにしても最低所得保障は必要だ。

4月28日(火)

アベノマスクが東京から職場へ郵送されてくる。金正恩死亡説を知る。

4月29日(水)

愛知県との県境近く、白須賀海岸へ児を連れていく。道の駅潮見坂に「コロナ収束後お越し下さい」の看板がある。児を道の駅で飼われている山羊に合わせる。

4月30日(木)

保育園登園を自粛する。午前に二本ヶ谷積石塚群へ児を連れていく。積石塚群は5世紀後半の渡来人墓地で、谷を一望できる広場となっている。午後は磐田市の鮫島海岸へ児を連れていく。海沿いの道が崩落している。

5月

5月3日(日)

2軒のスーパーマーケットで強力粉とドライイーストが売り切れている。ただ全粒粉は売れ残っている。染地台野鳥公園へ児を連れていく。雀蜂が飛んでいて危ない。午後に中島にあるマンションの内覧をする。ベランダで自由猟をして野鳥を狩って捌いて食べる暮らしとかいいかも。レーズン入りのパンを炊飯器で作る。

5月4日(月)

磐田市の府八幡宮へ家族で参る。上溝桜の若葉が明るく、鎮守の森を縫うように歩ける。裏の駐車場に歌碑がある。

九月のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも/桜井王

帰りに弥藤太島の文房具屋で児用にキットパスという画具を買う。家具に描かれても濡れタオルで消せるので便利だ。

5月5日(火)

立夏。ベランダにある蜜柑の木に蕾が噴く。鮫島海岸へ家族で行く。釣り人が車ごと砂浜に入っている。

5月6日(水)

ベランダの睡蓮鉢で目高が卵を産んでいる。ブルーベリーの植え替えのために3ガロンのroot pouchを買う。

5月7日(木)

保育園登園を自粛する。豊橋市の伊古部海岸へ児を連れていく。愛知県との県境にある道の両側に静岡県が建てた「県境をまたぐ移動は自粛を」の看板がある。このような看板は愛知県側にはない。第四回円錐新鋭作品賞選考座談会の記事を読み、以太の連作が山田耕司の推薦作品になっていたと知る。

影淡きアイスクリームつみあがる/以太

5月10日(日)

佐鳴湖の西、大久保の工務店へ家族で行く。浜松市は飲食店の自粛が終わったのでほぼ一ヵ月ぶりにレストランで外食する。人気レストランである大久保町のここちもテーブルが半分しか埋まらない。ここちで飼っているトカラ山羊に児を会わせる。

5月14日(木)

田植えの季節、仕事中に郵便物が風にあおられ水田に落ちる。郵便物をとるため水田に入る。靴に泥が入り足が抜けなくなりそうになる。

5月17日(日)

浜松城公園へ児を連れていく。模型の飛行機を棒のさきにつけたゴムで飛ばすおじいさんがいる。児はそのおじいさんをじっと見ている。午後は工務店に案内され笠井町のマンションを内覧する。

5月19日(火)

久しぶりに再開した南図書館へ行く。予約取置本を借りることはできるけれど館内の閲覧はできない。午後に不動産屋で重要事項の読み上げをする。でも判は捺さない。それから元目町の古本店八月の鯨へ行く。アイスコーヒーを飲み桜餅を食べ、浜岡原発の産廃施設建設の是非を問う住民投票を実現した首謀者から今西錦司を北遠の山に案内した話を聞く。インターネットがなくても行動力があれば人と人とは繋がれる。

5月21日(木)

5月3日に内覧し19日に重要事項の読み上げをしたマンションを買うかどうか妻とずっと相談していたけれど買わないと決める。そもそも購入のための貯金をしておらず、かつローンの返済に耐えられないから。児が1歳9ヶ月になったけれど、不動産騒ぎで何もできなかった。

5月24日(日)

午前に蜆塚の浜松市博物館へ児を連れていく。蚊に児の腕を食われる。貝層を見て帰る。午後は浜松城公園にある浜松市美術館の仲山計介展へ児を連れていく。放送大生なので学生料金で鑑賞できる。はじめての美術館鑑賞で児が絵を叩こうとする。浜松城公園のスターバックスコーヒーで妻と合流し家族で八月の鯨へ行く。

5月25日(月)

前日に蚊に食われた児の腕が大きく腫れあがる。

5月28日(火

枇杷の種を植える。湿り気の維持が難しい。

5月29日(金)

田町にある浜松唯一の小規模映画館シネマイーラで香港映画「淪落の人」を観る。ときどき落ちぶれ者の映画を観て心の栄養にしないといけないと知る。鑑賞後とても気が楽になった。放送大生なので千円で鑑賞できる。

5月30日(土)

蚊に食われたまわりの皮膚が腫れたままなので児を三和町の皮膚科に連れていく。診察は二時間以上待ち。待ち時間にホームセンターで河骨を買い、目高を飼っている睡蓮鉢の睡蓮のかわりに鉢植えする。睡蓮は一度も花を咲かせなかった。皮膚科に戻り、痒みと腫れ止めのシロップを処方してもらう。

5月31日(日)

雨あがり、石人の星公園へ児を連れていく。朴の花が咲き、四十雀が鳴いている。蜜柑の花はすべて落ちていた。

6月

6月1日(月)

緊急事態宣言発令中はすいすい通れたのに、6月になって国道一号線や新天竜川橋に朝の渋滞が戻ってきた。仕事終わりの20時、家にいると天竜川の方角から5分ほど花火の音が聴こえる。中野町からだろうか。

6月4日(木)

アベノマスクの配布がはじまる。整理の表も「アベノマスク」と呼称している。通常の配達を終えた夕方から配布するので疲れる。

6月6日(土)

連日のアベノマスク疲れで、仏教系の大学で学び出家してちいさな寺や庵を任せられたらよいなどと考えるようになる。実社会よりは宗教のほうが私の性分に合っていると思う。

6月7日(日)

浜松城公園へ児を連れていく。久しぶりのタタズミcoffeeなので午前と午後の2回も飲み物を買ってしまう。児が蚊に食われたので塩をもみこむ。

6月8日(月)

アベノマスク一段落。仕事終わりに『新葉和歌集』を読む。吉野の山奥に追いやられた南朝皇族貴顕たちの不遇、各地へ転戦した皇子たちの苦悩。

待ちなれし跡はよそなる山の奥に身も埋もるゝ庭の白雪/後醍醐天皇

6月9日(火)

中区佐藤の福みつへ行く。餃子二十個単品にコカコーラを頼む、久しぶりのカリカリとした食感を楽しむ。

6月10日(水)

梅雨入り。

6月11日(木)

連日の雨、今日は横殴りの雨。

晴るる夜の星か河辺の蛍かもわが住むかたの海人の焚く火か(『伊勢物語』

6月13日(土)

ずっと雨のような気がする。職場で大きなミスをして課長に「なにヘラヘラしてるんだ」と言われたので「これが地顔です」と応えた。黒胆汁質が度重なるミスの原因だと考えている。

6月14日(日)

静岡市へ家族で行く。葵区七間町の文化・クリエイティブ産業振興センターで開催しているわたしのマチオモイ帖第3回静岡展を観に行く。一階にはダンボールの展示台のうえに「浜松帖」「舞阪帖」「ちとふな帖」「代々木上原帖」など東日本の町を題材とした小冊子が展示されていた。銭高幹子の「芝浦帖」は芝浦の写真の裏を海一色とした工夫が面白い、カワムラユヨウ・わだあやかの「三ヶ日帖」は椅子と机を写した写真の統一感と質感がよかった。二階は西日本、妹尾譲さんの「美星帖」は素朴な木版画の絵本という体裁が好み、西本愛さんの「からほり帖」は詩集っぽくてこういうのが展示物のなかにあって良いと思った。ナカハジメさんの「ギノワン帖」は展げたら児が叫んだ。王怡琴さんの「台灣台北北投町帖」はさすが漢字の本場だけあって漢字が絵画的に使われている。大阪と尼崎の小冊子はひとまず全部持ち帰りたい。静岡市の街並は浜松市より面白い。

6月18日(木)

昼から雨、勤務先の管理者たちは印象論での人事評価からぬけだせていない。石川啄木の短歌などを口ずさむ。

6月21日(日)

夏至、梅雨晴、児1歳10ヶ月。朝に若山牧水の「梅雨紀行」を読む。この紀行文には鷲津から浜名湖を渡り気賀を経て鳳来寺山、湯谷温泉へ行くという、私にとって馴染みの深い地名が出てくる。遠州海浜公園の浜松まつり会館へ行くと凧揚げの日で小さな凧をもらう。公園で揚げて遊ぶ。冷たい海風がふいていたのでよく揚がる。けれど落ちたときに児に踏まれて凧の骨が折れる。他にも凧揚げ遊びの人がいた。午後、浜松城公園で日蝕と遭う。風が急に強くなる。

6月23日(火)

昨日から頭が歌であふれかえる。

6月24日(水)

児が風邪っぽい。保育園からお熱コールで戻された児を和田町の小児科へ連れていく。体重は14.5㎏、先生から「肥満」「おデブ」と何度も言われる。その児はイヤイヤ期に入りチャイルドシートに座らせようとすると泣いてなかなか座らない。

6月25日(木)

すでに県境をまたぐ移動は慎重にすれば構わないとされている。朝9時前に自家用車で浜松を出て、新城を経て国道151号線で飯田を目指そうとする。けれど、ナビに誘われ山道を通り鳳来寺山参道入口や設楽を通る。正午前には西納庫で虹鱒の甘露煮と荏胡麻の五平餅を食べる。津具高原を抜けて国道153号線を通り阿智から中央高速にのり、16時過ぎには諏訪の湖岸通りに着く。アフターコロナのホテルは、入館前に額で体温を測り、手指のアルコール消毒をして、館内はマスク着用だ。防疫に必要だからというより、安心のためだろう。諏訪湖を見ながら『若山牧水歌集』を読む。

幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく/若山牧水

6月26日(金)

雨が降ったり止んだり。湖から南へ下がったところにある諏訪大社上社本宮と神長官守矢史料館近くにあるミシャクジ社へ赴く。いずれも本殿はなく拝殿だけある社だ。今の伝統は原形の歪められた形でしかないのかもしれない。史料館裏にある藤森照信の高過庵と空飛ぶ泥舟も観る。茶室はそもそも宇宙を航く孤舟であり、その原形に戻った感があった。立石公園上の蕎麦屋で昼、湖面が全て見えていたのに、いつのまにか雨煙で閉ざされていた。午後はときどき雨が強く降った。児を寝かそうと霧ケ峰まで走ろうとするけれど霧が出てきたので途中で引き返す。夕食前、諏訪湖畔に武川忠一の歌碑を見つける。島木赤彦の生家も宿に近かった。

ゆづらざるわが狭量を吹きてゆく氷湖の風は雪まきあげて/武川忠一

6月27日(土)

菱の浮かぶ諏訪湖を遊覧船で巡る。武田信玄の水中墓が諏訪湖湖底にあるらしい、どうやら信濃の人にとり武田信玄はヤマトタケルなのだ。中央高速で伊那へ行く。昼に、寒天メーカーの伊那食品工業が運営しているかんてんぱぱガーデンで井上井月の句碑を見つけたのは意外だった。

銭取ぬ水からくりや心太/井上井月

井月さんは商売にも生かされ伊那の人々からまだ愛されている。それから高遠の城下町を通り国道152号で南下、山道で分杭峠のシャトルバスと擦れながらすれ違う。飯島町は田切の里ですっかり成長した子燕を見ながら牛乳を堪能する。道の駅の商品を青年海外協力隊の隊員が推薦しているのに驚く。さらに南下して飯田市下久堅に宿泊する。晩飯を予約し忘れたので飯田市内、丘の上は銀座通りの黒金屋でテイクアウトして旅館の部屋で食べる。

6月28日(日)

飯田市美術博物館を訪れる。日夏耿之介の文芸の才は、中馬交易や林業で栄えた飯田の経済力に支えられたこともあるけれど、飯田城主だった歌人大名・脇坂安元の反常識力の影響もあるだろう。文芸の才とは経済と反常識という二つの相反するものの相剋の果てに聳える脆い塔だ。

水鶏ゆくや此日宋研の塵を洗ふ/日夏耿之介

豊根村で蝶鮫の団子を香醋で和えたものを食べて、鳳来峡から引佐北まで三遠南信自動車道を通り帰宅する。井伊谷から三方原へ下りるなり、妻は「平坦だ」と言い、私は「暑い」と言う。鉄塊のVT句会へメール投句する。

7月

7月1日(水)

非番。昨日から午前まで強い雨風。5月下旬に植えた枇杷が発芽していた。でもまだ葉はないので育つかどうかは不安しかない。

7月3日(金)

暑い日の翌日は冷える雨。喉が急に痛くなった。東京都の感染者がまた100人を超える。

7月4日(土)

節子先輩から凍った鶏皮の塊をもらう。

7月5日(日)

都田図書館へ行き渡部治『西行』清水書院を借りる。夕に新しい冷蔵庫が来る。もらった鶏皮の塊を熱湯にいれてほぐし、出汁をスープに、鶏皮は味噌炒めにした。

7月9日(木)

ずっと雨。鉄塊のVT句会が開かれる。逆選を5つもらう。

7月10日(金)

昼ごろ久しぶりに太陽を見る。そのとき、ジィージィーと蝉の声を聴く。でも時々雨が強く降る。

7月12日(日)

晴れる。栃木県の弟夫婦が再来週に来浜する計画が、東京に住む両親の反対で頓挫した。午前は家族で天竜区にある秋野不矩美術館へ行く。建物は藤森照信の設計、奥にある白い展示室の真ん中が白石のふくらみになっており、そこに秋野不矩の遺骨が収められているらしい。福井爽人の絵を気に入る。午後は浜松城公園へ児を連れていく。蝉の穴に蝉の蛹がいて、這い上がったり戻ったりしていた。児は小学生のお姉さんの真似をして葉っぱを蝉の穴にかぶせた。

7月14日(火)

非番。放送大学の単位認定試験が始まる。コロナ禍のため自宅試験だ。マークシート式の「自然科学はじめの一歩」「初歩からの数学」を記入する。

7月17日(金)

梅雨冷え、喉が風邪っぽい、痰がからむ。勤務先から帰宅して頓服薬と麻黄湯を飲む。昨日から東京都の感染者が200人を超えており、今日の感染者は292人、検査数が増えたのだろうか。東京オリンピックなんてもはや幻。

7月18日(土)

「文学批評への招待」の記述式を書き終え放送大学の単位認定試験の封筒を朝投函する。ふと、紀元0年前後のローマ人たちの日記がイエス・キリストについて書き遺していないのは当然だと思う。日記は関心の対象と生活の周辺について書くのであり、東方の狂った一死刑囚についてなんて日記には書かない。ところで、何かひとつの言語について数十年とりくめるのは愚直さであり、人々は自ら愚直にはなりたくないけれど、その愚直さを愛する。上田秋成など一人の文人の生涯と作品について研究するのも愚直さだ。

さみだれは夜中に晴れて月に鳴くあはれその鳥あはれその鳥/上田秋成

7月19日(日)

枇杷は双葉がすでに出ており、三葉目も出てくる。昼に磐田市から三川の茶畑まで行き、都田を経て帰る。茶畑は昔なら大麻畑や罌粟を見るのと同じ感覚だろう。

馬に寝て残夢月遠し茶の煙/松尾芭蕉

白楽天のころの詩歌文章は狂言綺語であり十悪のうちの妄語とされていた。のちの西行の時代には和歌は経文を唱えるのと同じになる歌仏一如観などが成立したという。

願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ/西行

7月20日(月)

朝、集合住宅の階段に雄の兜虫が二匹いた。通勤時にバイクを運転していると動物臭がして、隣の車線を走るトラックが豚を輸送していた。

7月21日(火)

帰宅すると集合住宅の扉の横に雌の兜虫がいた。児に見せると大興奮で、触りはしないけれど、ポケットwifiで撮ろうとした。シャープな直方体にはすべてカメラ機能がついていると児は信じている。

7月23日(木)

中区領家にある前職の同僚の家でたこ焼き会をする。児が飼犬に興奮していた。転職の相談も受けたけれど四十代でデザイン系の転職は難しそうだ。その午後、三ヶ日の入河屋へ行き三ヶ日みかんのソフトクリームを食べ帰宅する。

7月24日(金)

児と竜洋昆虫自然観察公園へ行き兜虫や鍬形の展示を見る。家族で浜松駅の上にある谷島屋書店へ行く。浜松駅にはスーツケースを持ったマスク姿の旅行者が多くいた。20時からの全国一斉花火は湖西市だったらしく微かに聴こえるだけだった。世が世ならその20時から東京オリンピック開会式だった。

7月25日(土)

県外ナンバーの自動車を浜松市内で多く見かける。政府の旅行推進キャンペーンで動いているのだろう。浜松市で今日だけで30人の新型コロナウィルスの感染者が発見された。いずれも不動産会社社長を媒介とした「夜の街」キャバクラなどのクラスターだ。真面目に対策している店や真面目に新しい社会様式で生きてきた人は怒るだろう。実際にインターネットでの中傷も酷いらしい。

7月26日(日)

中区中島に住む妻の友人宅でそのお宅の児とうちの児の合同誕生会をする。一人っ子同士なので玩具の取り合いができてよかった。会のあと児を昼寝させるため福田港へ車を走らせる。掛川市まで来たので掛川花鳥園へ行く。鸚哥の群が近くまで飛び、肩にとまったりする。ペンギンやフラミンゴや孔雀も間近で見られた。帰宅すると児の咳や洟水がひどく39度2分まで上がる。

7月28日(火)

朝ゴミを出すとき集合住宅の階段に雄と雌の兜虫がおりベランダに持ち帰ると交尾しはじめた。バナナをひとかけらあげた。児の洟水がまだ治らない。午後に通勤の足であるスーパーカブ110片雲号を中区高町の古橋商会へ持っていきチェーン調整とエンジンオイル交換をしてもらう。チェーンは錆びて摩耗しており、交換が必要と言われた。

7月29日(水)

まだ洟水と咳が治らず児は保育園をお休みしている。妻が園と電話したところクラスで6人が同じような症状で休んでいるらしい。悪質な夏風邪のクラスター発生だ。

7月30日(木)

以太が鉄塊のVT句会へメール投句する。

7月31日(金)

「ひるね」と題した以太の連作八句を載せてもらった『現代俳句』8月号が届く。東京都の感染者463人、全国の感染者1520人。重症者が増えると医療機関は逼迫する。陽性と判明した感染者のほかに疑い段階の重症患者がいれば、陽性の感染者とも一般の患者とも分けた個室で治療しなければならない。それだけ医療スタッフも人員を割かなくてはならない。

8月

8月1日(土)

梅雨明け。某課長から嫌われているようで持ち戻り検査のとき放棄隠匿の件で「お前を疑っているぞ」と言われる。そのときのやりとりのため某課長は、バイクのキーも給油カードも受け取っていないのに受け取りの印を捺していた。嫌われているということはこれから嫌われる心配がないということだし、上も下もいい加減な弊社の社風が好きだ。

8月2日(日)

児が抗生物質である粉薬クラリスロマイシンDS(トーワ)を服まない。牛乳やヨーグルトやパイナップルに混ぜると苦味が増す。そこで麦焦がしこと香煎に粉薬を混ぜて水に溶いて飲ませたら服んだ。午後は児と国道150号線で御前崎市の道の駅まで行きフライドポテトを食べて帰る。

8月7日(金)

前夜、2歳になるまでまだ数週間ある児が「ババ・バイバイ・イヤー」(ママと離れるの嫌だ)と従属節のある三語文を言った。掛川花鳥園で買った面梟のぬいぐるみを児がお気に入りのようで、最近抱いて寝ている

8月8日(土)

職場の現場で一般市民から「マスクして、テレビも言ってる」と言われた。ポケットに入れておいたマスクを落としてなくしたので首に巻いた手拭で口を覆ってしのいだ。8月初頭にtwitterで開催された八木大和さん運営のなりきり俳句バトルに以太が参加して一回戦で敗退していた。しかし優秀賞であるなりきり賞に採られた。

澄む水の音に遅れて出ることば/以太

8月9日(日)

中日新聞しずおか版の試し読みの第一回目がドアポストに投函されていた。中日俳壇を読む。昼に家族で北区都田町にあるフルーツパークへ行く。児は木曽馬や山羊に会い、都田川に足を浸した。夕に児と線香花火の長手牡丹をした。鉄塊の第十回VT句会が開かれ、以太の句が最高得点句だった。

冷蔵庫のなかみと目が合う/以太

8月10日(月)

山の日、家族で天竜区の阿多古川は坂の橋脇へ行く。しかし駐車場は満車なので下流にかかる平田大橋のすぐ東下にある小道から阿多古川へ下りる。駐車料金はここも一日500円。川遊びすると小魚が泳ぎ、水は冷たい。みな河川敷でバーベキューをしている。

8月12日(水)

「このあたりで郵便抜きとりがある」と受箱を堅牢に買い替えたS町の人が言う。さらに隣のM町にある「カフェ兼スナックのオヤジが怪しい」と言う。4月雨の日にそのカフェ兼スナック宛の郵便が生垣近くに散乱していた件があった。疑心暗鬼が広がる。

8月15日(土)

終戦日、浜松市で最高気温39.7度を記録した。磐田市でも照り返しがきつかった。

8月16日(日)

非番だがミスがあったと職場から電話が架かってくる。努力しているからミスが起こる、致し方なし。家族で森町は小國神社を流れる宮川へ行き、川遊びする。宮川は阿多古川より浅く、所々で少年たちの作った人工の石堤があった。赤い橋の下流に1メートル超の高さはあるコンクリート製のダムが設けられ、そこから滝壺へ少年少女たちが順番に飛び込みをしていた。児もあと五年くらいしたら飛び込むのだろう。袋井市で1ガロンのroot pouchを買い、兄弟二株の実生枇杷を植え替える。浜松市天竜区で最高気温40.9度を記録した。

8月17日(月)

浜松市中区で史上最高気温タイの41.1度を記録した。

8月18日(火)

中日歌壇の選者が小島ゆかり先生ということもあり、中日新聞しずおか版の購読を申し込んだ。16時に新聞店のスタッフが来ると言われたが来なかった。保育園へ児を迎えに行っている間に来た。妻が一年継続購読を希望したら二ヶ月購読料が無料で米2㎏贈呈だという。結構いい加減で良い。

8月20日(木)

全国短歌大会の学生短歌賞と同時に奥田亡洋選者賞をいただけると封書で知らされる。最近の一日の生活周期を記す。19時ごろに帰宅し、入浴。20時までに夕飯、22時までに児とともに就寝、4時ごろに起床し作業など、6時に朝食、7時に出勤。通勤時間は40分ほど。このところ児が夜ふかし気味である。

8月21日(金)

児の誕生日。夜ふかし気味の児だが、私が横にいない方が早く寝る。

8月22日(土)

午前に児へキックバイクを買おうとするけれど自転車屋に着いたときに児が寝ていたので諦める。くら寿司で昼を食べ浜北区中条のフェイヴァリットブックスLで浜松古本ショッピングの収録をする。俳句や自由律やスペイン内戦とフランコ政権について話す。久しぶりに「ごめんなさい」「私がやりました」「もう二度としません」以外の言葉を他人と話した。その間に児はキックバイクを怖がっており、買うのを止める。

8月23日(日)

中日歌壇に入選していた。昼は父母と弟夫婦と児のオンライン誕生会をする。午後は磐田市へ行く。

8月24日(月)

職場でミスをして再出発しなければいけないときに全日本学生・ジュニア短歌大会の選者賞受賞の知らせと著作権確認の電話が入る。

8月26日(水)

午前1時過ぎに起きてしまい源氏物語の帚木まで読む。紀伊守邸での伊予介夫人、のちの空蝉への強襲、攻防。

8月28日(金)

未明に源氏物語の空蝉を読み終わる。相聞歌から命名するシステムが面白い、がらりと名前が変わる。また、小君は源氏と空蝉のあいだで板挟みになり哀れである。5月のストレスチェックで面接指導要になったので東海道本線に乗り静岡駅まで産業医と会いに行く。乗客は全員マスクをしており、青春18切符が使える期間なのに空いていた。駅ビルであるパルシェに入っている谷島屋書店で週刊金曜日を買う。金曜俳句に以太が一句採られていた。「ちょっと惜しい」とのこと。

火薬におわせ国道沿いの南瓜/以太

水曜文庫で俳聖かるたを買う。産業医には「頑張ろう」と言われ、東海道本線で帰る。夕刻、安倍首相が辞意を表明した。お疲れ様です。

8月29日(土)

勤務先、私が非番の日に発生した誤配も私がやったことにされていた。私のせいにすればまるく収まるならそれもいいだろう。ただ、最近ミスをしても何も言われなくなった。言われるうちが華と言うが、言われなくなったら天国だ。

9月

9月1日(火)

思いつきで放送大学短歌会のtwitterアカウントをつくりホームページを立ち上げる。

9月2日(水)

浜松SS所属の全科履修生が参加表明してくれた。短歌の経験はないようだが、ありがたい。

9月3日(木)

最初につぶやいた放大短歌設立tweetを有名歌人の方々がretweetしてくださり広まっている。どうなる放大短歌、慌てる。2人参加表明してくれた。

2021年

2月

2月3日(水)

非番。児が風邪気味なので児とずっと家にいた。『ラテン語の歴史』白水社を読む。家名のFabiusはそら豆fabaから、Lentulusはレンズ豆lens,Ciceroはエジプト豆cicerに由来する。ラテン語は農夫の言葉だった。

2月4日(木)

午後に浜北区にある県営森林公園の森の家へチェックインする。児と森林を歩き、松ぼっくりや団栗を拾う。「空の散歩道」と呼ばれる吊橋は風が強いので途中で引き返す。部屋は障子と硝子戸しかないので明るい。中途覚醒してしまう。

2月5日(金)

午前に森林公園内にあるバードピアと冒険の森へ行く。児を冒険の森のアスレチックで遊ばせたあと、湿原まで下りる。小川が流れており、池を遠くに見た。午後は室内が明るくて児の昼寝に失敗したため、車で熊まで上がる。途中、天竜区石神1510の建造物が気になった。それと阿多古屋という古い旅館を見た。熊の道の駅はまだ15時すぎなのに閉まっていた。

2月17日(水)

東京の感染者が300人台まで減っている。ワクチン接種がはじまった。ラテン語の作文の練習をする。

2月20日(土)

猪苓湯を服みはじめる。

2月21日(日)

午前に磐田市の竜洋海洋公園の竜洋富士に児と登りすべり台をすべる。お尻が痛くなる。午後に岩室廃寺へ行く。観音堂に奉額があり、俳句か連句のような文字が書いてあった。

7月

7月31日(土)

帰りに谷島屋磐田店でサンテグジュペリ『夜間飛行』新潮文庫を買う。久しぶりに労組新聞に以太の俳句が最優秀で載っていた。

初夏や開け放たれる鳩舎の戸/以太

家で「夜間飛行」を読む。久しぶりに上質な読書体験をした。堀口大學の訳が良かったのだろう、颶風。

8月

8月1日(日)

午前は中条へ部屋の下見に行き、昼飯を免許センター近くのカッペリーニで済ませる。鰤のカルパッチョがおいしい。15時過ぎにザザシティのトイザらス跡地にできたワクチン接種会場へ妻子と赴く。15時半ごろ、武田製薬のモデルナワクチン筋肉注射一回目を接種する。左肩への筋肉注射、痛くない。15分の待機時間中はなんともなかったけど、会場を出てから左肩が疼く。寝るときも左肩が痛い。

8月2日(月)

ワクチンの副反応か、朝起きると左肩が痛い。体操のときや横になるときに痛む。

8月4日(水)

毎日暑い。母方の祖母が7月12日に亡くなっていたことを母から知らされる。ずっと黙っていたらしい。葬儀は東京の親族だけで済まされ、栃木の弟や浜松の私には知らされていなかった。

8月6日(金)

昨日の東京都の感染者は5000人を超え、全国も一万人となった。昼に全社員が2階に集められ、局内で新型コロナウィルスの陽性者が一人出たことを知らされる。山下画伯と呼んでいた内務社員だ。ともに食事をしたなどの濃厚接触者と体調の悪い者は報告するよう言われ、あとは仕事に出た。窓口を閉鎖して消毒したらしい。静岡県の感染者も224人となる。夜、小田急線の快速急行が祖師ヶ谷大蔵駅付近で停車したという。車内で通り魔事件があったらしい。コロナ禍に東京オリンピック、東京は荒んでいる。

8月8日(日)

昨日の静岡県内感染者は236人、この日から静岡県の静岡市・浜松市と東部の十一市九町に蔓延防止等重点措置が適用される。今月末まで。東京オリンピックが閉会した。このあとは地獄だ。妻の左腕に虫刺されにしては大きめの腫れができている。モデルナアームだ。

8月9日(月)

台風9号が西日本にあり、浜松も暴風圏で玄関の戸をあけたら花瓶が割れた。昼まで家でのんびりして野口町のデニーズで食べ、午後にプレ葉ウォーク浜北へ行く。風が強い。

8月10日(火)

午前に、今週火水だけやっている耳鼻科へ行くと混んでいた。児は予約十番目だったのですぐに終わったけれど、午前の部で14時くらいまでかかりそうだった。妻を駅前に届けて、豊橋ののんほいパークへ行った。遊園地には行かず、動物園と自然史博物館を中心に見た。

8月11日(水)

夜、新しい中古車を妻が発注した。

8月12日(木)

デルタ株が猛威を振るい感染拡大の出口が見当たらないなか、原付二種スーパーカブに跨がり、雨の降る朝5時に家を出て6時に豊橋駅に着く。潮の匂い、雨で土から掘り起こされた堆肥の匂い、伊藤ハムの匂い。豊橋駅のウーノウーノカフェでモーニングの小倉トーストを食べる。9時に豊橋公園へ移動し豊橋市美術博物館で三沢厚彦展を観る。樟の動物たちと目が合わず、仏に見られたように、すべてを見透かされた気になる。来た道を帰り、印鑑証明書と戸籍抄本をとる。お昼寝できない児を激しい雨のなか車で連れ出して寝かせる。

8月13日(金)

早朝に激しい雨。昨日の静岡県の感染者は354人、コロナ病床使用率は51.3%。15日から蔓延防止等重点措置の措置区域に磐田市・焼津市・藤枝市が加わる。以太が静岡県現代俳句大賞の俳句大賞をもらったと知らせが届く。

8月15日(日)

雨、佐鳴台のキシルに寄り、雄踏のカインズに寄って、大むらで銀鱈のカマ焼き定食を食べてから、元国民宿舎のかんざんじ荘へ赴く。井口淳の陶器の個展と銅版画の展覧会をやっていた。

8月16日(月)

まだ雨。13日土曜から国と静岡県が緊急事態宣言の協議に入っていて、今日静岡県が国に緊急事態宣言の適用を依頼した。県全体でコロナ病床使用率が60%を超えた。バイクで敷地内の砂利に入ったら文句の電話があったらしい。なら受箱を公道に設けて欲しい。20日から緊急事態宣言が静岡県にも適用されるらしい。

8月18日(水)

午前に何度も豪雨。昼過ぎ、磐田市内で私のバイクを追い越せなかった軽自動車の女が反対車線に出て強引にバイクの横にはりつき「バイクはキープレフトでしょ」と難癖をつけてくる。「仕事しているからってバカにするな」「変な言いがかりつけんじゃねぇ」と怒鳴ったら、後続で立ち往生しているトラックのそばへ、「こわい、こわい」と言いながら女は逃げていった。会社員に対する客という強者として近づいたのに、急に女という弱者の仮面をつけたのだ。仕事中の私にならいくら難癖をつけても怒鳴られることはない、相手を屈服でき、謝られていい気持ちになれるだろうと女はたかを括っていた。実際に「赤いバイクに乗っている人に怒鳴られるとは思っていなかった」と電話で苦情を言ってきた。コロナ禍で人心は乱れている。そんな都合のいいことが起こるはずはない。一週間の雨続きでシャツが生乾きだ。

8月19日(木)

静岡県の緊急事態宣言発令前日、ストレスチェックの面接指導で名古屋へ出張する。東海道本線下り浜松駅始発のボックスシート、まったく隣に乗ってこない。と思っていたら高塚駅でおりるスズキ社員がほとんどだった。愛知県など東海地方はかなり感染者が増えているのでお茶をたくさん飲む。

生きたいよこの世を病まず水出しのお茶の袋はいきなり沈む/山階基

名古屋ではメンタルクリニックの受診を勧められる。吉田きしめんを食べ、ダフネ珈琲館で中日俳壇の葉書を書き、快速急行で浜松へ帰る。

8月20日(金)

緊急事態宣言が発令されたけれど新天竜川橋の朝の渋滞は変わらない。

8月24日(火)

右下の奥歯が沁みるので知覚過敏だと思いこんで歯科に診てもらったら、虫歯で親知らずが半分欠けていた。そのまま抜歯した。

8月28日(土)

表彰式は中止になったけれど第十二回静岡県現代俳句大賞の大賞を「神も仏もない」で以太がもらう。

トナカイの鈴を吊るして飾売/以太

8月29日(日)

15時半に二回目のワクチン接種の予約をしていた。児を連れてザザシティの接種会場に14時前についたら時間制限がなく、すぐに接種できた。児の前で刺され、痛くなく、すぐに済んだ。児とアイスクリームを食べて、妻を迎えに行った。副反応は左肩が痛いくらいで熱も37度1分までしか上がらなかった。

8月30日(月)

副反応なし。出勤した。退勤しバイク運転中に身体の奥から熱がこみ上げる感じがして、帰宅して体温を測ったら37.3℃。

9月

9月1日(水)

モデルナワクチン接種二回目の副反応は微熱と左肩の痛み以外なかった。月初だけれど郵便が少ない。緊急事態宣言発令中だからだろうか。

9月6日(日)

児を連れてフルーツパークへ行こうとするけれど緊急事態宣言で休園。浜松市動物園もやっていないし、鷲沢風穴さえもやっていない。しかたなく新東名高速の浜松サービスエリアで歩かせ都田総合公園のアスレチックで遊ばせる。都田ハックベリーの連理の樹の下で昼を食べ、寝かせたあとニコエで遊び妻を迎えて帰宅する。

9月9日(火)

シネマイーラで世宗大王についての映画「王の願い」を観る。遠鉄百貨店地下のアイスクリームスタンドがなくなっており、児には御座候の赤あんを食べさせる。妻が二回目のワクチン接種を受ける。

9月10日(水)

朝の妻は平熱であったけれど昼に39℃に達する。早退して児を保育園に迎えに行った。

9月19日(土)

台風14号が愛媛県や和歌山県へ最上陸を繰り返し西日本を縦断した。午前は激しい雨と小康状態を繰り返すなか配達した。

2022年

8月

以下は、妻が新型コロナウイルス感染症の陽性者になり私が濃厚接触者となってから、家族全員が陽性者となる記録である。2022年夏から秋にかけて第七波の感染者数が高止まりしているまっただ中であり、日本国民の1/10以上が感染者となって、もはや感染者となることが特異ではなく普通になった頃の話だ。ロシアによるウクライナ侵攻は続行中、安倍晋三元首相暗殺事件後の国葬開催をめぐる政治不信が渦巻き、社会不安や孤独感から生まれた反ワクチン派や反マスク派などの声も大きくなっている。ちなみに夫婦ともにモデルナ社製ワクチン接種3回済み、3回目は2022年3月19日。児は接種年齢に達していない。

8月22日(月)

天竜川を渡って職場へ到着した直後、目覚めた妻が38.9℃の発熱という連絡を受ける。管理者に報告したところ濃厚接触者になる可能性があるという理由で帰宅指示が出る。素早く指示が出たのは先週金曜日に37.0℃の同僚が出勤し夕方に陽性が判明した騒ぎがあったからだ。

天竜川を逆に渡って7時半に帰宅。同じ区の耳鼻咽喉科が発熱外来を受け付けていたので妻が電話して予約をとり私が車で送る。検査の30分前は何も食べてはいけないらしい。妻は耳鼻咽喉科の裏口から入り、私は駐車場で児と待つ。抗原検査の結果、妻は新型コロナウイルスの陽性。20日から発熱はあったけれど昨日を0日として10日間の自宅待機となった。私と児は症状がないので検査は受けず濃厚接触者として昨日を0日として5日間の自宅待機になった。薬局前の駐車場で車窓越しに妻が処方された薬はカルボシステインやアストミンやカロナールなど一般の風邪薬だけである。

家族に陽性者が出た場合は個室に隔離が基本だが、弊家では無理なので日常の延長で生活することにした。児はまだワクチン接種年齢に達していない。将来また大流行が起きたときに児の身体が「あ、これママからもらったやつだ」と新型コロナウイルスの型を覚えて免疫機能を働かせてくれるようになっていれば幸いだ。

それから一日中妻は寝ており、家事や児の世話は私がする。余暇は谷川健一『日本の地名』『日本の神々』岩波新書を読んで過ごす。民俗学は近所、三遠南信くらいの話だと興味を持って読める。(浜松市感染者543人)

8月23日(火)

8月上旬に妻の会社は懇親会を居酒屋で催した。人数とテーブルの都合でぎゃうぎゅう詰めに座らされて以降、十数日で三分の一にあたる社員がコロナ陽性になったという。妻は懇親会に参加していなかったけれど同僚からうつされたようだ。これは人災である。

運の悪いことに今日は地域的に昼は断水である。朝のうちに浴槽に水を貯めて、飲料としてルイボスティーとポカリスエットのボトルを確保する。咳の出る妻を寝かせるためと断水で育児はたいへんなのとで私は児を連れて清掃工場のある篠原町へ車で赴き総合水泳場トビオで泳ぐ。

帰宅してから、山内志朗『目的なき人生を生きる』角川新書を読む。文章が青い。喉が微かに違和感があるので緑茶を飲む。児にTRIO APARTMENTのルールを説明しても、どうしても親に勝ちたい児の前ではルール説明は声の風 flatus vocisとなる。(浜松市感染者931人)

8月24日

妻の発熱は収まったようだ。でも咳は出るのと下痢が続くらしい。晴れたので私はまた児と車で篠原町のトビオへ赴き、泳ぐ。それから児が昼寝をしないので天竜川を渡り、竜洋の大中瀬にある昆虫館やその横の誰もいない公園で児を遊ばせる。

帰宅後、全身に倦怠感。特に両脚の体幹が疼くので16時に私の体温を測ると38.0℃だった。児は36.4℃。水曜午後なので発熱外来は休みか、開いているところも予約受付を終えている。陽性でも陰性結果が出ると噂の東亜産業の研究用抗原検査スティックで私の唾液を調べたら陽性である。夫婦共倒れである。食材は鯖缶とツナ缶を買いだめしてあったのでなんとかなる。

未来のことで心を悩ますな。必要ならば君は今現在のことに用いているのと同じ理性をたずさえて未来のことに立ち向うであろう。(マルクス・アウレーリウス、神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫)

夕食後、妻が処方されたカロナール200mgを服む。そういえば、従来言われていたような味覚障害や嗅覚障害はない。夜のうちに体温は38.5℃まで達する。(浜松市感染症者2028人)

白き皿
拭きては棚に重ねゐる
酒場の隅のかなしき女/石川啄木

8月25日(木)

朝起きたときの私の体温は38.1℃だった。高熱があったためだろう頭が疼き、痰が出る。同じ区の病院の発熱外来へ車でひとり赴く。大きな病院なので待たされる。看護師から電話で問診を受け、車を移動し、青い防護服の看護師から鼻腔の奥へ綿棒を入れられてぐりぐりと粘液を採られ抗原検査となる。昨晩カロナールを服んだことを伝えると、カロナールは私の体重だと500mgないと効かないらしい。検査後一旦帰宅しろと言われたので帰る。自宅の駐車場へ着くと医師からの電話診療が来る。陽性だった。帰宅すると試してみたイオンマックスバリュからの食料宅配が届いていた。これでしばらく持つだろう。

昼食をとっても病院から薬と会計の連絡はなく、映画「日日是好日」を観る。樹木希林は出演する日本映画をことごとく観られる映画に変えてきた。この映画には興味を示さないと思っていた児が思いのほか茶道を気に入っていた。和菓子を食べるシーンがあるからだろう。鑑賞後に私の体温を測ると37.5℃である。

「ノミスマ(世間で通用している慣習、制度、しきたり)をパラハラッテインせよ」(山川偉也『哲学者ディオゲネス』講談社学術文庫)

病院から電話があり、車で病院へ向かう。検査と電話診療は約2800円であったが、処方された風邪薬アストミンとカルボシステインは無料だった。

夕方から洟水と嚔がではじめる。それと前からの咳と痰。だが体調はだいぶ恢復する。ワクチンを3本も打っていればコロナはタチの悪い風邪でしかない。そういえば児はなかなか発症しない。(浜松市感染者1546人)

8月26日(金)

朝に体温は36.3℃まで下がる。洟水と咳と痰が残る。保健所から連絡があると昨日の病院から聞いたけれど、まだない。昼前に群馬県の本家から支援物資が届く。

死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない。(ウィトゲンシュタイン、野矢茂樹訳『論理哲学論考』岩波文庫)

昼食後に車で浜名湖を反時計回りに一周する。途中、入出あたりで児が「首がいたい」と言い出す。この首はあとでわかるが喉のことだ。ぐったりと昼寝した児の身体を触ると熱い。帰宅して児の体温を測ると39.2℃ある。大人と同じで発熱から16時間たたないと検査できないので通院は明日となる。アセトアミノフェン坐剤を入れると元気になる。しかし、幼児の看病という難題がはじまる。

夕方に私の体温は37.3℃にぶり返す。かつ咳がひどい。熱が長引くのがこの新型コロナウイルス感染症の特徴か? おそらくオミクロン株の変異株である亜型BA5系統だろう。職場へ架電して私が濃厚接触者から陽性者になったこと、次の出勤日が9月5日(月)になったことを告げる。岸田首相が自宅療養期間を10日間から7日間へ縮める前のことゆえ。長期間の欠となることで職場は大変になるだろうけれど正社員を共働きせざるをえない薄給に抑え、配偶者勤務先からの感染リスクへの管理を怠った会社の責任である。

夕食にゼリー3個だけを食べて児はみずからベッドに寝転ぶ。未だかつて自らベッドに倒れ込むことはなかった。そして、息苦しそうにしている。ワクチン未接種なので辛かろう。妻は申し訳無さそうである。夕食中に保健所から第一報がショートメッセージで来る。22時に児の体温を測ると40℃に達している。坐剤を入れる。(浜松市感染者1052人)

8月27日(土)

早朝、児の体温は39.9℃。朝に38.8℃に下がったけれど辛そうなので最後の坐剤を入れる。土曜朝は検査をしてくれて待ち時間のなさそうな小児科が近所でなかなか見つからず、佐鳴台の小児科へ家族3人で赴く。児は抗原検査で陰性だった。処方されたのは解熱用のカロナール100mgだけ。陽性になっても薬が変わることはないので陰性でこのまま熱が下がったら陰性のまま通そうと帰路に夫婦で決める。しかし帰宅後、小児科から着信がある。「遅れて線が見えてきた」という。なんだそれ。でも、これで児も陽性となる。それから児の体温は39℃を下回らず、キウイとサクレ・オレンジを食べた他はほとんど寝て過ごす。

昼過ぎに厚生労働省と保健所からショートメールが届き、My HER-SYSに登録する。療養証明書をスクリーンショットできるようになった。これで自宅療養期間終了後に保険金請求できる。児はほとんど高熱で寝ていたけれど、私の喉の痛みや咳や洟水は夜になるまでに気にならなくなるほどに恢復している。妻もほぼ全快である。(浜松市感染者1097人)

8月28日(日)

朝の私はやはり痰がからむし、洟水も出る。すこし歩いただけで疲れる。一方で、児の体温は37.8℃に下がる。そして、カロナール100mg服用は昨夜の一回きりなのに昼には36.7℃まで下がる。食欲も回復する。午後にはしゃぼん玉で遊べるようになった。喉の痛みもなくなったようで、咳も嚔もない。

暮れ空に溜井の光り秋燕/飯田蛇笏

私はやることがなさすぎて朝鮮中央放送のアナウンサー声真似を練習する。夜には大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観る。源仲章が出てきたとき「なぜ畠山重忠が京に?」と思ったら他人の空似だった。(浜松市感染者1145人)

8月29日(月)

八日目の朝。深夜に絶叫していた児の体温は36.7℃、もうぶり返さないだろうということで家族3人の葉冠記を終える。あとは3人とも体力が落ちているのでその恢復を目指すだけだ。