2026-05-05 07:22:27 1にんがみたよ 特定の意味や評や作者の考えに解釈が固定されないところに詩歌の、言語の過剰がありそう。 #蜂起 ▼ 奥村晃作さんの短歌をおもう。かれは至ってまじめに〈こころをうごかされた契機をことばにして歌えば、その感動は読者につたわる〉という信念をもって詠んだだけなのに、歌集『鴇色の足』のなかの〈ボールペンは三菱がよく〉うんぬんの連作が小池光によって〈… ▼ "詩は非交換性の言語であり、無限の解釈学の再来であり"や"言語の過剰"an excess of language(『#蜂起』pp.160-161)は"短歌をおもしろくしているのは作り手ではなく読み手である。"(短歌の破片https://am…