2026-06-24 06:23:36 直接民主制の文化芸術は図篆柱(totem pole)、手の洞窟、縄文土器が思い浮かぶ。生活に密着した弓術、馬術、登攀、競走、料理、物語、歌唱、綾取なども文化だった。 ▼ 古典的公共圏。社会の変化とともに文化芸術のあり様が変わるという歴史の視点がないと今の文化芸術のあり様が不変だと思ってしまう。たとえば代議士を必要としない民主制の文化芸術のあり様はどんなものになるだろう? ▼ 後嵯峨院は承久二年(1220)四月に生誕。さきの年建保七年(1219)二月に源実朝が死去。後嵯峨院生誕の翌年承久三年(1221)に承久の乱が勃発。こじつけと笑われそうだが、歴史の符合がそこにあるようにおもう。 ▼ "和漢は、室町期に(中略)五句・七句の和句と五言漢句を組み合わせた連歌である和漢聯句も盛行した。"(前田雅之『和歌と権力』中央公論新社)しずおか連句の源流か