2026-06-26 08:52:40 "つまり、国学とは、その学的達成度はともかく平和故の妄想だったと言ってもよいのではないか。"(前田雅之『和歌と権力』中央公論新社)令和の遠州に新・古典的公共圏を打ち立てるなら、それは反・遠州国学や反「個人的真情の表明」としての、「古今集」「伊勢物語」「源氏物語」「和漢朗詠集」を軸とした古典主義ネットワークではなかろうか ▼ "漢を第一に学ぶ世の中の動きに反撥して、和を中心に据え直し、発想・考え方もすべて和に置き換えていくというのが宣長の考えであり、方法である。(略)自らが平和という安全地帯にいるからこそ、徹底的に和に返り、漢を否定することが可能になるということ…