むかしのことば

ぜんぶで 4563 こ / 10 ぺーじ / いま 7 ぺーじ
「じゃじゃ秋月」おもしろいかも
わたしの〈仮の〉新・佐鳴八景(瀟湘八景に倣って)。富塚落雁。夢輪帰帆。鳥善晴嵐。入野暮雪。じゃじゃ秋月。漕艇夜雨。SL晩鐘。安座夕照。どうかなあ…
わたしのgenius loci 浜松市中央区住吉3丁目。ここは、鎌倉往還ともよばれる旧道と、軽便鉄道(奥山線)の軌道跡の道路、さらには北東から南西へぬける道が3箇所でまじわり、四叉路が三つもある。そういう場所柄ゆえか、画像にむかって右側にあった山本医院の南に道祖神が二柱居られた。天地約30cmか。画像前方のふたつの石は、その代理か。
あと夢輪公園 https://maps.app.goo.gl/o2duyg81NWVi6mcJ8 とかも今後何かありそうです。そして佐鳴湖公園ミニSL鉄道も忘れちゃならないでしょう
地名ねえ… おもいうかぶものとしては富塚、小藪、入野、大平(台)そして佐鳴ぐらいしか無いんですよ。あとは川の名。段子川、新川とか。うーむ…
八景も歌枕などと同じで実景である必要はありません(脱領土化!)けれど、地名の文学的イメージが要るように思います。もちろんそのイメージは地名と関係のあるなんらかの風景(≠実景)なわけで
浜松に徳川財団の所蔵品を集約、そして展覧すれば、ある程度の経済効果は見こめるでしょう。〈ドラマ館〉を収蔵施設にというニュース、おもいだしました。旧・元城小学校のあの広さだと、めいっぱいの規模になりそう。
当初2023年3月時点では「どうする家康」の大河ドラマ館を徳川宗家収蔵約2万5000点の展示施設とする話だったはず https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC248XA0U3A320C2000000/
そうですね、やはり地名や施設名を入れないのは不親切ですよね。もういっぺん考えなおします。
〈新・美術館〉構想って、けっきょく徳川宗家のお宝移譲でしか無かったの? 徳川財団は代々木上原にあって、あのあたりが再開発せられる話は今のところ無さそうだし。わたしたちからすれば今回の〈お宝移譲〉は降って湧いたような話題ですが、かねてからそういう話があったのでしょうか?
疑いたくなるほどのラインナップですね、さすが旧統治機構の遺宝
怪しい! なんか怪しい。ぜったい裏がありそう。
(公財)德川記念財団所蔵品全数調査結果、全19,937点。https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/documents/162365/kentouiinkai04‑siryou‑01‑1.pdf
徳川記念財団の所蔵品展示収蔵施設が今の浜松市美術館に入るのか! https://news.at‑s.com/article/1968490 名古屋の徳川美術館や水戸の徳川ミュージアムと紛らわしい名前にしてほしい
路上観察:安松町の火事跡(浜松市)やはた橋西交差点の東、いつも通る道だけど今日はじめて知る。
ハママツクリエーターズフェスについても「1700人のお客さんをどうにかしないといけない」という発言がクリエーターからあった。数でしかないし、主体ではない客体でしかない。
オープン・ミュージアム・ラボのたぶんメンバーの投稿"アンケートに協力してほしいです🥺(3,000人くらいの声が必要で、今700人)" https://www.threads.com/@maki_yanagimoto/post/DYOU‑YZGl2‑ ひとつひとつの意見なんてどうでもよくて"数"だけなんだと悲しくなる。数学的奴隷制 #蜂起 という言葉もあった。
泥水を啜るような屈辱を味わいながら生きやすさを求めるか、心の底から笑いながら生きにくさをめざすか
今年で16歳という説もあるのでピノ君ではなくピノさんでしたね
おお、新佐鳴八景、お疲れ様です。八景名は地名もしくは施設名+景名でなくてもいいのかな? https://www.nies.go.jp/50th/archive/houkoku/pdf/r‑197.pdf
10年まえから〈市民の木〉プラタナス広場に来ているようにおもいます。だとしたら御長寿のポニーですね。
わたしが〈仮に〉えらんだ新・佐鳴八景 北岸東岸南岸そして西岸の景を五行説にならって冬春夏秋ふたつづつえらんでみました。 北岸(冬):二水寒蘆  候鳥棲洲 東岸(春):御前泊跡  青叢游魚 南岸(夏):龍雲墨淋  臨江漕艇 西岸(秋):里山落葉  臺崖歌碑
国学者夏目甕麿の顕彰祭が湖西市白須賀の礼雲寺で https://news.at‑s.com/article/1968564 内山真龍と本居宣長の門弟、船から月をつかもうとして溺れたという
"人間社会そのものの重心が、「現実」から「抽象」へ移り始めていることを意味するからだ。"(荒川和久「「個人化する社会」の前に「数字化する個人」へ」https://comemo.nikkei.com/n/nb9fd8f6587c8)ビフォ『#蜂起』みたいなことが書いてある
都々逸の井戸ではなさそうです
都々逸を詠む会、では無いんですね?
「ど・ど・いのつどい」とは? https://www.instagram.com/do_do_i_no_tsudoi/ その1は2026年6月20日(土)14:00-16:00ぐらいに浜松駅バスターミナル地下広場に集合、家とか居場所について歩きながら話すらしい
中田島街道沿いにある手作りケーキのお店Jonchée、ジャーマンチーズはやはり売り切れでした。
路上観察:ポニーのピノ君(浜松市)ソラモにて。小型なので乗馬クラブの出張はピノ君が多いという。
かつて佐鳴湖一周の〆といえば喫茶飛行場だったけれど今はもう無いのでじゃじゃの私設図書館。でも今日はclosed
佐鳴湖一周でした。少し汗ばむ陽気
ここ〈クリエイト〉で、すでに十景あがっていますが…
佐鳴湖東岸から漕艇場方面を臨む。対岸ですれ違った女性二人組とまたすれ違う
佐鳴湖論土sanaruko-rondoが必要ですね
築山殿最後の地とされる小薮船着場跡(現ことぶきボート釣船発着所)のあたりに夢輪公園?https://www.0000.jp/ がある。佐鳴湖環境保護運動発祥の地?
段子川が注ぐ佐鳴湖北岸。西川も段子川も都田川水系
西川(新川)は佐鳴湖北岸へ注ぐ
いま新たに〈佐鳴八景〉を選ぶとすれば?
"L'Autre est le Souverain, le Seigneur, le Maître qui me met en question."(Emmanuel Levinas, Totalité et Infini)
路上観察:佐鳴湖掲示板の落首〈佐鳴湖のゴミの多さにおどろきて鳥泣き魚の目になみだ/詠み人知らず〉(浜松市)
肯定的な事ばかり並ぶ批評もあるが、常に書かなかったことを想定する必要があり読解の難度は格段に上がる。謂わば霞ヶ関文学である。まだ否定から入る方が抵抗は増すものの意思伝達にかかる労力は少ないのである。身近な信者の忠告に気付く為に否定的な批評に慣れるべきである。傷付きを乗り越える力を養って欲しい。
"現状はクリエーターを祭り上げるだけ"はその通りで、ハママツクリエーターズフェスのクリエーターに対し或る人は「政治家になった方がいい」と言う。"芝居、賭博、笑劇、見世物、剣闘士、珍獣、賞牌、絵画、その他のこうしたがらくたは、古代の民衆にとって、隷従の囮、自由の代償、圧政のための道具であった。"(ラ・ボエシ『自発的隷従論』)
川鵜のいる風景、佐鳴湖西岸
ちなみに有馬朗人らが選定した遠江八景もある。琵琶湖の近江八景を模したので浜名湖周辺のみ。でももとの近江八景も大津市周辺に偏っていた。https://www.pref.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/078/totoumi‑hakkei.pdf
建設的や優しさの定義の摺り合わせが必要。"本当に信頼できる友人や専門家は、時に反論し、別の視点を示すものです。AIがあなたの考えをほぼ常に肯定するなら、それはAIの性質上の問題(迎合傾向)である可能性があります。"(精神科Q&A【5034】)人間が生成AI化したらそれは「人間が常に主役である営み」とは言えない。
竹村広蔭が選ぶ佐鳴八景の歌碑群。少林山秋月・北浦帰帆・大屋橋夕照・西湖山晩鐘・三山晴嵐・大良暮雪・太田落雁・大山夜雨。https://mohsho.image.coocan.jp/sanaru‑text.html
市民誰もが抱え得る幼さをクリエーターと建設的に関わる事によって理解し癒していく。個と個の連結だ。一方現状はクリエーターを祭り上げるだけ。幼い者を引き寄せ搾取する構造に転用されやすい。承認欲求に飢えた人にアイデンティティを貸し出せば幾らでも金を生んでしまう。皮肉なことにこの過程全体が文化不毛の地に見せてしまうのである。
佐鳴湖は汽水湖なので湖岸には藤壺フジツボが付着する。
経験の言語化、そしてカイギや対話を消化しての思想の深化ができていない。ある人が幼さについて言及していて「浜松のクリエーター達はギャラリーアーティストか学内アーティスト、社会では赤ちゃん。批評をしても意味がないのでは?」しかし批評はクリエーターのためではなく社会のために為される。批評は攻撃ではなく皮肉≒治療行為なのだ。
アクトタワーとジャスコ(現イオン)と佐鳴湖
佐鳴湖南岸、緑のトンネル
入野漁協船着場から佐鳴湖を臨む
相手の言葉を引用するのは「知識ではなく、経験で話すことが望ましい」との原則に反するからだろうと思う。カイギや対話を経験に落とし込む力が足りない。クリエーターの多くは文が読めない。燻りの原因は批評を理解できないから自分に対して批評ができないという精神構造にある。一言で纏めると幼いのだ。
校門前の旗振り当番。緑のおばさんや学童擁護員がいま求められている、かも?
"El hombre-masa se siente perfecto."(José Ortega y Gasset) 大衆や浜松市のクリエイターは、相手のことばを引用せず自分自身の解釈同士を口論させている。(オープン・ミュージアム・ラボの或るコーディネーター「クリエーターはレスバをしない」)ただ相手のことばに反論するのは中級者、相手のことばで自説を補強するのが上級者。
歳時記・季語検索。きごさい歳時記 https://kigosai.sub.jp/001/ ネットで有名だけれど伝統派には否定派もいる。増殖する俳句歳時記 https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/ ミラーサイトの方、句評が充実。俳誌のサロン http://www.haisi.com/ 例句がたくさん
韻システム https://in.nwnwn.com/ 脚韻と頭韻を検索できる。ヨ「韻の検索システムを作りました」https://note.com/wnw/n/n9372fc75fa35 韻検索(くじらはんど) https://kujirahand.com/web‑tools/Words.php 韻ノート https://in‑note.com/ AZRhymes: https://ja.azrhymes.com/ 押韻検索が増えてきた。
そこらへん検証してみてください
狂句こがらしの巻、ですね。安東次男の評釈を参照したのかな?
連句アニメーション「冬の日」 https://youtu.be/XRzcaboJprw
《牯嶺街少年殺人事件》(A Brighter Summer Day)1991年 https://youtu.be/0EiFqfuozWk
フェアカルチャー憲章(Fair Culture Charter / FCC)の日本語版pdf https://www.fair‑culture.org/wp‑content/uploads/go‑x/u/b97ae947‑d64f‑490a‑ad3a‑4a9c67399bc8/DUK_Broschuere_Fair_Culture_Charter_JPN_1.pdf 文化的権利や文化権・グローバルな公共財・善としての文化・文化の公共性など
kirja 17th anniversary 宮下浩solo exhibition「…とある家の、…とある住人。」2026年5月16日(土)~30日(土)火水定休 https://kirja.exblog.jp/33943614/ 絵本の店キルヤ立ち退きまえ最後の周年イベント
路上観察:トラック休憩場所(浜松市)長鶴交差点北のマクドナルド前は夜毎さまざまなトラックが休憩しているのでトラック運転手の情報網では有名な場所なのだろうか
広告収入を得ない地方都市向け文化芸術系匿名掲示板の仕様書https://telegra.ph/Specifications‑for‑a‑local‑anonymous‑message‑board‑05‑10 誰でもあなたのまちの文化深耕材団になれるように
どこを起点とするか、"既存の思想群を相互翻訳可能にするメタ・フレームワーク"を新たに作るか
ながめせしまに 2026/6/14 SUN @ Tehom OPEN 13:30 / START 14:00 renge, bebe, 狼が来るぞ, ケンスケスギタ 会場音楽 slim https://www.instagram.com/bar.tehom
そう、世界最初の紙幣「交子」が発行されたのも北宋の神宗時代でした。のちに徽宗時代には兌換停止というまさに脱領土化が行われています。まぁ、王朝そのものが"脱領土化"しちゃうわけですけれど #蜂起
硫化銅を製錬する技術「浸銅法」が確立し硫化銅鉱の岑水場が開発され銅銭が農村にまで過剰に流通している状況を見て、欧陽脩の詩文の弟子・王安石は、青苗法・募役法・市易法といった新法を出します。これに対し師の欧陽脩をはじめ既得権益層=士大夫が旧法党として抵抗したのは王安石の金融資本主義が先駆的すぎたから、とも言えます。 #蜂起
なるほど。〈革命を保守の語法で実行〉。#革命 読書会につながってゆく?
取りあげてくださりありがとうございます。たいへん勉強になりました。
"日本文学の核となる感性の一部は、漢代に体系化された感応論を文化的基層として持っている。"(勝俣泰斗「編集された宇宙—陰陽五行思想の源流から、漢代の董仲舒の編集的統合へ」https://note.com/taitokatsumata/n/nfd1f6b2d3c42)
"彼の創始した『六一詩話』は、詩文を批評するジャンル(詩話)の最初のテクストである。これにより文体の議論が個人の好みではなく、公共の批評対象になる回路が作られた。"https://note.com/taitokatsumata/n/n35d85cf81523 欧陽脩「六一詩話」https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=536870
"11世紀の北宋に一人の編集者が組み上げた目次が、東アジア全域の士大夫の精神構造を六〇〇年以上にわたって規定した。"(勝俣泰斗「再起動された系譜——北宋の編集者・欧陽修と、途絶した儒教の蘇生」https://note.com/taitokatsumata/n/n35d85cf81523)オルテガの「思想や意見を調整する審判や、議論に際して依拠しうる一連の規則」
ガラス造形作家増田洋美展「PLAY THE GLASS」5月31日(日)まで13:00〜18:00(土・日のみ)Gallery CAVE(浜松市中央区鹿谷町34-15)https://www.gallery‑cave.com/ ギャラリーCAVEは2025年春にできた美術家村松正之の設計施工によるアート空間、主催は山内啓司
じゃじゃの私設図書館運営者と利用者の書評、映画評の本を買った。介護の本の紹介に見える思想に感嘆したため購入を決めた。一冊目は完売してしまったらしい。Te La Mondoでは紅茶も珈琲も分からないが祁門の字面に惹かれて大いなる門の前に佇む気分を味わった。
筒井康隆『美藝公』の参考文献に、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』はありませんでした。確認不足ですみません。
中田島砂丘の一条堤こと浜松市沿岸域防潮堤の上部は風や観光客により砂が剥ぎ取られCSG(Cemented Sand and Gravel、セメント砂礫混合物)が露出している。夜に裸足で登る人が怪我をする危険性がある。
砂詩丼。まだ風は冷たい
初夏の砂詩丼
遠州灘海浜公園の相撲場(土俵)。新しい相撲場は伊勢ケ浜親方が可美公園につくって寄付するとのこと https://news.yahoo.co.jp/articles/432c826dbe29582ba2295fd4cec6862b102f4e31
路上観察:中田島町のGraffiti(浜松市)ミッキー420!
路上観察:中田島町のGraffiti(浜松市)ここにもORS
"自由主義は、敵との共存、そればかりか弱い敵との共存の決意を表明する。人類がかくも美しく、かくも矛盾に満ち、かくも優雅で、かくも曲芸的で、かくも自然に反することに到着したということは信じがたいことである。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)あなたを批判した人をあなたはどう扱いますか?
"サンディカリズムとファシズムという表皮のもとに、ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断乎として強制しようとする人間のタイプが現れた。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)理由や根拠を示さない、ときどき「悲しい」と共感で済まそうとする。
紺屋町、時代舎さんの新店舗予定地? クリーニング・フランス屋さんのお隣。すでに書棚も垣間見える。
絵本の店キルヤさんで宮澤賢治フェアが11日まで。パロル舎の絵本も今話題の好学社の絵本も。
高町の旧大沢書店とTe La Mondo
路上観察:紺屋町のGraffiti(浜松市)おなじみのORS
クリエート浜松で詩の合評会「詩季」がありました。元・超猿族の近江の君さんから「超猿」のお話を聞こうと思ったけれど1回参加したきりで談話会にも参加していないのでよくわからないとのこと。
続)"そうした規則こそ文化の原理なのである。(略)わたしがいいたいのは、われわれの隣人が訴えてゆける規則がないところに文化はないということである。(略)議論に際して考慮さるべきいくつかの究極的な知的態度に対する尊敬の念のないところには文化はない。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)文化か野蛮barbarieか
"思想とは真理に対する王手である。思想をもちたいと望む人は、その前に真理を欲し、真理が要求するゲームのルールを認める用意をととのえる必要がある。思想や意見を調整する審判や、議論に際して依拠しうる一連の規則を認めなければ、思想とか意見とかいってみても無意味である。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)
"つまり選ばれたる人とは、自らに多くを求める人であり、凡俗なる人とは、自らに何も求めず、自分の現在に満足し、自分に何の不満ももっていない人である。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)クリエイター貴族制という書き方をしてクリエイター貴族と書かないのは貴族たる責任Noblesse obligeをクリエイターが負わないから
un monstre sans cervelle se déchaîne. c'est la politique culturelle d'une certaine ville.
溢れたが、家事は立派な事業である。収入増は無いが支出減によって経済的に貢献する。洗濯機や冷蔵庫をなくせとは言わないが、機械の一部は自力に戻せるだろう。設備の手入れや掃除をすれば長持ちもする。
オルテガの「蝟集と充満の現象」hecho de la aglomeración y de la plenitudはさすがにまだ接続connectionの技術はないから、swarmではなくcrowdか。 #蜂起
訂正。〈ガセット〉でした。オルテガとだけ書けばよかったのに。失礼しました。
筒井康隆『美藝公』の参照文献としてあがっていたので『大衆の反逆』を読んだおぼえがある、という意味で、なつかしやガゼット!
路上演劇祭Japan in 浜松 2026、5月30日(土)11:00~19:00浜松駅北口地下広場。イチノニ https://x.com/Ichinino_/status/2043292725483901267 杉浦 麻友美 https://www.instagram.com/p/DXVGBJkErlb/ 加藤解放区 https://www.instagram.com/p/DXEijaak1Yi/ 右脳中島オーボラの本妻 https://x.com/oobora6/status/2043630853230829766 ほか
"大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能をもった選ばれたものを席巻しつつある。すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考え方をしない者は締め出される危険にさらされているのである。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)すべての人≠全体集合、すべての人≒大衆
"ところが今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力をあたえる権利を持っていると信じているのである。"(オルテガ・イ・ガセット 、神吉敬三訳『大衆の反逆』)hiperdemocraciaについて。ここでの大衆はcrowdでもswarmでもなくla masa。conclusiones de caféは現代ならSNSの結論か
路上演劇祭の方々の他の催しを見てみたい気がします。今年(5月30日土曜)の演目と時刻を昨日付で公開したようです。https://rojo‑hamamatsu.blogspot.com/
散りぬべき今と嘯く静岡の花も花なら知事も知事なり
「私のイベント」や「あなたのイベント」だけの発想でとどまっている人がまちづくりに携わると危うい、まちには私でもあなたでもない「彼ら」が住んでいるからだ。だからまちづくりは「彼らのイベント」をやったことのある人が携わった方がいい。
Denn Gott ist paranoid.
"巨大資本によるグローバリゼーションに限った話ではないのでしょう。独立系書店の書棚がどこも似た様相になるのも、本質的には同じこと。"https://news.yahoo.co.jp/articles/5b80d6b6e4809d6bf31385deb160a9fdabe95b50
明日晴れていたら、人類未踏のポエトリー・リーディング@中田島砂丘、砂詩丼 https://goki.her.jp/shidon/sunashidon.html
Der liebe Gott steckt im Detail.
"欲望による金融投資は、依存と不幸に続く道を敷いているのだ。"(『#蜂起』p.128)ですね。設備投資も美容整形など同類かも。いまは美容整形費用を賞品とするキャバ嬢オーディション番組があると聞く。そういえば遠鉄の図書館駅前分室へ朝行くとき、よくゆるい服装の若い女性とエレベーターを乗り合わせる。みな8階のSBCへ吸い込まれてゆく。
文化をなまかじりする者にありがちだが、摸造に対して非寛容的である。機械や後追いに真似できない視点や精度を求め続けるのがクリエーター、芸術家、職人に共通する仕事である。俵の短歌を学習した生成AIの成果物が『AIは短歌をどう詠むか』に並んでいたが目を覆いたくなる。生成絵画や動画も同じで飛躍や自由な結合以前に細部が雑である。
財政界が大々的に広告するばかりで文化芸術を楽しむ為の予算や時間を用意しないのならば、クリエーター側が自腹を切るしかない。但し、(私自身は観測していないが)高価な材料や設備を使って他に事業を持たず機械に劣る作品を濫造して生活費が足りないと騒がないようにした方がいい。現代の速度や構造から離れるとはこのような事に思える。
#革命〈洛星高校出身〉でピンと来ました。あとは言いませんが…
ですね。小國神社の勅使参向歌碑〈しきしまのやまと想ほゆ森町の小國神社に勅使出で立つ/川勝平太〉の作者とも
〈花も花なれ人も人なれ〉の方ですか?
記憶が正しければ『#革命』読書会の課題本第1章には前静岡県知事が登場します。お楽しみに
実はこの構造をよく利用するのがクリエーターで、彼らは財団やA&Cを「あいつらは文化のことを何もわかっていない」と冷笑し、自らの文化度を確保します。しかし財団やA&Cに金を出してもらって文化への無理解を助長するのが彼らというところに浜松市クリエーター・シニシズム #蜂起 があります。
自然のような"文化の全体性"は全体主義からは敵視されますから。ただ、浜松市文化振興財団や浜松アーツ&クリエイションの施策を批判すればそれがすなわち文化的な営為となりアートにもなる構造があって、批判さえすれば批判者の文化人または芸術家としてのキャラが確立してしまう現状は安易すぎて食傷気味である。
欧米生まれの資本主義は激しく競争して振り落とし縁辺化して遊ばせて根こそぎ収穫して高値で転売するという流れがあるのかも知れない。マルクスに批判的でない欧米発の思想界の言葉を使うとこの流れに染まってしまう虞がある。日本人は雪舟を接収して良いのか。
これは完全な邪推だが、浜越の顔ぶれを見ると越境が統一に読めてきてしまう。なぜそんなにも飢えているのだろうか。文明から見たら文化は人間社会よりかは自然のようなものかと思う。文化人は街に出没する熊なのだろう。森に籠りたい気分になる。
生成AIの頭脳や権利を守るために資本家の収奪から切り離すという論調にしないとより効果的な搾取に繋がるだけだと思う。責任、自由、公開性なる遺物は資本家に接収されてしまっているから。
言葉の超常性による廻天の術ですか。面白そう。
人間中心のAI宣言 Pro-Human AI Declaration https://humanstatement.org/
HAMAMATSU ReCreation LABO りくらぼ〈おむすば〉次回は5月15日(金)ゲストは奥遠州Xの大見拳也さんhttps://www.instagram.com/p/DYCNnJgkiFT/ 最近は参加していないけれど誰も文化の話をせず、生計の話をしていた。今はどうか?
訂正。連尺の間違いでした。
和地山にあった明開堂は夜10時までやっていました。連雀の谷島屋は夜9時、泉町の明屋(はるや)は夜10時までだったかな?
本屋は夜に行きたいもの
いえいえどうしたしまして。わたしも#革命 読書会を期待しすぎて、さっそくrevolutionの語源から〈廻天〉の出どころさがしをしています。
読書会の集合知のお陰です。多角的に深堀して読む機会は得難いと思います。#革命 も楽しみです。
うまい訳しかただとおもいます。eroticと来ると、たいてい〈官能的〉とか、そのまま日本語読みに〈エロティックな〉と訳しがちですが。まさに#蜂起 読書会での経験が活かされましたね。
『呼吸』の翻訳板では#蜂起 読書会が続いている気分になる。以前不快だとの意見があったerotic bodyは生身と訳す事にした。艶めかしい、生々しいの語幹「なま」を流用した。
地球へのピクニック、5月9日(土)16時〜、浜松市天竜区月地区(ギャラリーoryza→船明ダム湖湖畔→CHi-TTo、駐車場:湖畔の家)https://www.instagram.com/p/DXb_47oFAXP/ 金子敦史・宮城嶋遥加ほか
ita vero!
si oblivisci vis, bibamus
perseverare humanum quoque.
errare humanum est.
e
なかなかの密林具合ですね
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区和地山2丁目。城北図書館まえの民家である。愛・地球博のキャラクター、モリゾーを彷彿させなくは無いか。
ビフォ『#蜂起』に出てきたウェブページとPDFを搭載したNotebookLMを公開しました。ご活用ください。 https://notebooklm.google.com/notebook/eb5bf3a0‑086a‑4477‑bfe9‑afcf4a857350
路上観察:ムーの幟(浜松市)三島町
ひょんなことからぐるティアの路上ライブを最前列でみることに
路上観察:浜松駅北口でぐるティアがリハーサルをしていた。(浜松市) https://www.gurutia.com 浜松まつりが落ち着いて路上ライブ日和
路上観察:新浜松駅で歌うたいユータが歌っていた(浜松市)https://www.instagram.com/hokuson0321
1928年3月、浜松市の追分尋常小学校で小学5年生の木村福一少年が同級生から殴打され数日後に亡くなった。木村少年の出身地は融和運動が支配し、水平社は組織されていなかったという。(水平新聞の見方)
路上観察:ザザシティの中央広場で10歳のmocaさんが歌っていた。(浜松市)https://lit.link/singer_moca
1920年代、浜名郡吉野村の北村電三郎らによる改善運動→融和運動と浜名郡天神町村の小山紋次郎らによってはじめられた水平運動との対立があった。浜名郡可美村の茗荷信三は融和の副会長だったり、磐田郡梅原村には梅原水平社ができたり、運動の動機の違いによる対立があったらしい
竹内康人『静岡県水平社の歴史』解放出版社を読む。"静岡県東部地域の被差別部落の多くが二〇戸以下であるが、県西部地域には、一〇〇戸以上の部落が六地区ある。"
zealを左右反転させるとlæs。これをironiesと解釈してみる。ladsとlæsの集まる賑やかな一か月、いや、三か月だった。
生成AIが時々架空の(恐らく過去に読み取った本の)引用をしていたり、論理の甘い所があったりするが、気付きもある。seelish amputation(鷹目縫合的切断術)とは繋ぐのか切るのかどちらなのだろうか。言葉の超常性、越征性が立ち現れた。(#蜂起 備忘録はそのままで大丈夫です。)
#革命』読書会へ行こう! https://dokusyokai.me/event/8910
"大"いなる働きによって"文化"と"革命"とを……は陳腐で腐乱臭がしましたね。水滸伝の方が面白そう。
水滸伝ですか?
混ぜられるかな? 『#蜂起』第4章の備忘録です。 https://goki.her.jp/uprising/4.html
"文化"深耕材団と#革命 混ぜるな危険?
「シニシズムに代わる本当のものは、情熱ではなく、アイロニーなのだ。」#蜂起 p184 の情熱にことよせて、更にドイツ語のseele魂と英語のzeal熱意とを勝手に繋いで論じようと思ったのだが、流石に言葉遊びの域を出ないか。
一応『革命的な、あまりに革命的な』を基軸に進めます。なんでも典拠になりうるので挙げちゃってください #革命
日本語読みでゼーリッシュです。
耳が悪く、発音記号も読めないので識者に質問したいのですが、ドイツ語のseelischの発音はジーレッシュで良いですか。
重要参考文献になりそう。一応連結先には『革命的な、あまりに革命的な』とあるが、先立って#革命 で思い当たる本を挙げておきましょうか。
ぜひ典拠にしてください https://www.hakusuisha.co.jp/smp/book/b665577.html 絓秀実にしました。
ゴールドストーンの、ですか?
ではここらへんで『#蜂起』読書会は一旦区切りとしましょう。もちろん#蜂起も読書会も独自につづけていただいて構いません。次回は『#革命』読書会を予定しています。 https://note.com/onaikotaro/n/n967c7aa966ce
読書でさえも加速し見栄を張るようになってしまった時代に、間違いや傷付けを恐れずに、ゆっくりと且つ直截的にやり取りが出来て知的好奇心が刺戟されました。新たな読書会の形に可能性を見出しました。立ち上げて頂いた共同翻訳にも微力を尽くしたいです。ありがとうございました。#蜂起
#蜂起 ビフォの誤転写とわかりほっとした。ありがとうございます。縫ってでも視界を塞ぎたくなるような譬えだったから。後、誤植のseelishをweb検索したが、selfishばかり引っかかる。権力への恋によって自分勝手に目を綴じてしまう精神的な行為が現代のシニシズムなのかもしれない。
読書会参加ありがとうございます。みなさんのおかげで一般的知性を再展開できた気がします。 #蜂起
旅芸人が「マルテの手記」のジプシー(Egyptian)っぽいですね、と言えば牽強付会か。 #蜂起
これ https://monoskop.org/images/7/7b/Sloterdijk_Peter_Critique_of_Cynical_Reason.pdf ですね。#蜂起 痛々しいのは確かにそうです。新自由主義がヤバいのは知りつつも加担してもいることの罪悪感を精神的seelischな装置「シニシズム」で均衡を保とうとしているのですから。
邦訳と原書をつきあわせて誤りを指摘、確認しあうほどのクリエイトですからきっと大丈夫ですよ。
"経済科学のようなものが実際に存在するとは思えない"(『#蜂起』p.86)ですからね。"新自由主義者の順応者は、六八年世代のひねくれた相続人だ"(『蜂起』p.187)将来はわからないけれど今がなぜそうなっているのかは歴史を紐解けばわかる。名を匿し連結conjunctionされたら挽肉をまぬがれえるかは後世の歴史家が記述してくれるでしょう。
ドゥイノ悲歌第五歌“lehnenden Leitern”立てかけられた梯子という意味ですが、女性名詞die Leiterの複数形Leiternなので、旅藝人の若い男女がそれぞれ梯子を持って曲藝を披露する、という光景なのでしょう。やはり互いのが梯子をくみあわせた形が三角形なのでMac(慣れなれしいですが)はpyramidと意訳してしまったのでは、とおもいます。
#蜂起 こんな読書会はじめてですよ。日本語訳と原書と校合しながら、でも大変勉強になりました。とにかくすごかった!
おはようございます#蜂起 ‘seelish’についてですが、ドイツ語seelisch(精神的な)の誤りとわかりました。Sloterdijk“Critique of Cynical Reason”p.5にも‘seelisch’と書いてあります。Monoskopというサイトのpdfの画像も送ります。
#蜂起 p185でさらりと流しているseelishと言う形容詞は結構痛々しい。名詞seelは若い鷹の訓練で目蓋を縫合する事を指す。権力が綴じた民衆の瞼の糸を解く日は無いだろうと簡単に予想が付く。人間ならば自制したい。
「[新自由主義経済の]唯一の難点は、複雑に絡み合った出来事の中で、どのトレンドが優位を勝ち取るかは、誰にもわからないということだ。」(#蜂起 p187) まさか挽肉でーすが流行るとは思わない。そして今や誰も覚えていない。最早文化を醸成する遑の無いSNSに挽肉にされた人々が残るだけだった。クリエイト浜松はこの激流から離れているのか。
"アイロニーはどのような現実の存在も前提としないが、シニシズムは、権力、特に経済の権力という、逃れ難い現実を前提としている。"(『#蜂起』p.192-193)前提のない皮肉と食い扶持のための冷笑ですね。明朝ぐらいまでで『蜂起』読書会はそろそろ一旦区切りにしましょうか。全体の感想や書き漏らしたことがあれば今のうちに書いてください。
ピラミッドはないですね。ただ"Die zehnte Elegie"には"wachende Grab-Mal. Brüderlich jenem am Nil, der erhabene Sphinx"ナイル川とスフィンクスが出てきます。http://www.zeno.org/Literatur/M/Rilke,+Rainer+Maria/Gedichte/Duineser+Elegien/Die+zehnte+Elegie リルケのなかでこれらエジプトの遺産は世界の形の或る象徴だったのかも?
ドゥイノ悲歌第五歌の原詩の最終連(#蜂起に英訳からの邦訳で引かれた部分)を画像でお送りします。Zgedichte.deという詩のサイトから。
#蜂起 邦訳p.162〜163に〈(ドゥイノ)第五のエレジー〉が引かれている。カーライル・ファレン・マッキンタイアーの英訳を邦訳、誤訳までまんま訳している。〈彼らの忘我の塔、彼らのピラミッド〉原書p.140“Their towers of ecstasy,their pyramid”しかし原詩にdie Pyramideは無い。Leitern(梯子)を立てかけた形をピラミッドと訳したか。
それは長征
延安まで大移動、ですか?
参考までに英漢大詞典には超過、勝過、越出とある。エクセスの音に寄り添って越征はどうか。
おゝ、声まで…
浜松まつり御殿屋台のお囃子
浜松まつり子供合同練り
こちらから詩へ歩み寄る
前原本光さんの「詩はどこから来る?」こそ“Poetry is the reopening of the indefinite,the ironic act of exceeding the established meaning of words.”(原書p.158)
また、"アイロニーは、シニフィアンの記号的価値を停止して、多くの可能な解釈のなかから自由に選択できるようにする。"(『#蜂起』p.191)ハママツクリエーターズフェスのハママツ・クリエーター・フェスという記号的価値を停止して批評や対話によって市民の共通理解を探ろうとするのがアイロニーだろう。
"アイロニーは、シニカルな行動を合理化するための言語的なツールになることができる"(『#蜂起』p.190)だからオープン・ミュージアム・ラボの「オープン」と現実のオープンとの交換を拒否し、記号的債務の不払い・破産を宣告する。そして「クローズド」という意味の過剰を見出すアイロニーを浜松市で実践することが、蜂起=治療となる。
ex-cedereは「行く」「進む」系のことばなので「過」は欲しいかもですね。過剰とか超過とか
だから、邦訳p.190〈権力の側にいることを望んでいる。〉〈その(法の)正義を信じていない〉かどうかは知りませんが。
"現代のシニシズムの核心には、本質的な嘘が、言論と信念の矛盾が、横たわっている。"(『#蜂起』p.182)"、たとえば新しい浜松市美術館構想を提言するオープン・ミュージアム・ラボの「オープン」のような矛盾のような
またやってしまいました。旧清水銀行の画像をおくります。
そうですそうです。ウィリアム・ブレイクの言葉“The road of excess leads to the palace of wisdom.”過剰の道は智慧の宮殿に通ずる、も〈超常の道〉とすればわかりやすいでしょう。いや、やっぱりexcess=過剰のままでいいかな?
ことばの常識を超えるということですね #蜂起
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区和地山2丁目。旧清水銀行浜松北支店。好天にめぐまれた浜松まつり3日め。時折つよい風が吹き、中田島の凧のあがり具合はどうかな、とおもう。平日を解体作業にいそしんでいた人たちも、いまは祭に参加しているころか。
#蜂起 〈詩の言葉の過剰〉の過剰を、わたしは〈饒舌〉と受けとってしまいました。だからというわけではありませんが〈過剰〉をべつの語に置きかえたいですね。excess(過剰)も、exceed(超える、上回る、突破する)も、ラテン語のexcedere(外へ出る、すすむ)からきているので、たとえば〈超常〉がいいかな、とおもいます。
旧農村部で、浜松市街域の発展拡大により浜松まつり参加町となった自治会では、秋の(各町内の神社の)祭にも御殿屋台引回しと練りをおこないます。神社境内に公民館(会館・公会堂)や屋台倉庫のある自治会もあり、まったく宗教色が無いとも言いきれないのが〈浜松まつり〉のおもしろい、あやしいところだとおもいます。
そうだ遠州大念仏! 渡邉駿一朗氏の論旨は明解ですね。町中の自治会は大念仏の稽古はやりませんから。初盆の家で念仏送りをする場合、浜北のほうから呼んだりしてました。
"浜松では生と■を扱う2つの祭礼があり、前者は地理的に拡大したが、後者は拡大されないまま祭礼が維持された。その理由は、前者は都市という空間の拡大に対応した変化を遂げ、後者は(略)"(渡邉駿一朗「都市とその周辺部における生と■の祭礼」https://www.ritsumei.ac.jp/lt/area/assets/file/research/geo/letter/32/32‑3.pdf)
共感する。浜松まつりって、ほかの地方の祭と違って農事に関係しないですよね。東さんの言う〈都市の祭〉ですね。
"詩は、不確定なものを再度開くことであり。既定のことばの意味を過剰にする、アイロニーな行為なのだ。" "社会運動というのは、結局のところ、記号論的な破産として、言語や行動、活動を、記号的な債務の限界から解きほぐすメカニズムとして、アイロニーを利用すべきなのだ。"(『#蜂起』p.181)言語の限界を乗り越え、あいだの主体へ
だから「言葉をしぼってけずる短詩型文学」こそ多様な解釈の可能性があることから言葉の過剰と言えるのかもしれません #蜂起
それでいいかと。東浩紀の誤配や郵便的不安とも言い換えられると思います。"アイロニーは解釈の無限のプロセスを意味しているが"(『#蜂起』p.189)
ジャック・デリダのいう差延differanceと散種dissemination、すべてのテクストは誤読せられ、つねにあらたな解釈がなされる、という論旨でしたっけ?
浜松遠州地方の王様☆祭大王さんが今年も浜松まつりで活動されているらしい https://mdo.3rin.net/
「法被は祭りへの参加資格の証明でもあり(具体的には事故時の保険料などの納入証明であり)、着用しないと凧場には入れないという。」「彼らはなにを祝っているのでもない。強いていえば、自分たちの祭りそのものを祝っているのだ。」東浩紀の評論は勉強になる。
特定の意味や評や作者の考えに解釈が固定されないところに詩歌の、言語の過剰がありそう。 #蜂起
"浜松まつりはコミケなのだ。だからそこには客はいないのだ。参加者以外の人間はいないのだ。" (東浩紀「地域は舞台 浜松まつり(静岡県浜松市)」https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/stage/pdf/ast91_s.pdf が好きです。
〈浜松まつり〉は不思議だ。だいいち宗教色が無い。雅でも無い。季刊誌「アステイオン」91号(2019.12)のシリーズ「地域は舞台」で東浩紀氏も訝る〈軍国主義の痕跡?〉。わたしもかねて気になっていた。ラッパ隊と練りは進軍を模しているし、統監部の制服もそれっぽい。〈浜松の人々にはそれはあまりに自然で、違和感を与えないようだ。〉
奥村晃作さんの短歌をおもう。かれは至ってまじめに〈こころをうごかされた契機をことばにして歌えば、その感動は読者につたわる〉という信念をもって詠んだだけなのに、歌集『鴇色の足』のなかの〈ボールペンは三菱がよく〉うんぬんの連作が小池光によって〈面白い〉と評価せられ、歌壇内の〈ライトヴァース〉ブームも手伝って話題になった。
きょう3:20ごろ、若い男のさけぶ声が路上からあがり、わたしの寝床にとどいた。だからどうしたってわけでも無い。ただ、ねむれないだけ。浜松まつり期間中あるある。
キルヤさんで買った詩集より、"詩は僕らの周り/いたるところにある/そして、詩は/僕らが来るのを/待っている"(前原本光「詩はどこから来る?」『La plume』一期堂)
松城町の時代舎さんは、紺屋町に移転できただけ幸せかもしれませんね。
物理的に縁辺化される営みよ。良い移転先が見つかる事を願っています。
紺屋町にある絵本の店キルヤさん、年内立ち退きとのこと。残念 https://www.instagram.com/p/DX0Y24_E5wg/?img_index=2&igsh=MWY4N3RsZG1uMTBwaA%3D%3D
ソラモの御殿屋台群。別に神事のためなどではなくイベントの都合で屋台を移動させるのが浜松まつりらしさ
妄想=punk、恋愛=甘さ
浜松まつりのため駅前は人出が多い。北口広場にはスタチュー&マジックの大道芸人Magiaさんもいました。
浜松駅北口でillayが南米音楽路上ライブをやっていました。
punkだとおもう。しかも甘口の。その甘さこそが作者のパーソナリティだとおもいます。
"僕は99%君でできてたから/1%の他人のところにアピールかけるわけにはいかず"(妄想恋愛詩人ムラキング「ストーカー」『ミニ詩集 ムラキングです』祝1号!!)
『断食月』第三号(副題:「詩と金融」)の原稿募集、6月30日まで。 https://goki.her.jp/ramazan/#ramazan3 詩歌は発行者のメールへ、散文は沈黙交易欄投稿フォームまで
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区、鍛冶町交叉点にて。浜松まつり2日めにして、あいにくの曇天。瘴気が抜けたとおぼしい松菱百貨店跡地をのぞむ。
そもそも"連結は、他者になるということ"Conjuction is a becoming-other(『#蜂起』p.142)の自己をぼかす態度は"あいだの主体とは書き手と読み手と存在しない手のもつ主体の束である。"(短歌の主体https://ameblo.jp/siikaryouzannpaku/entry‑12948117461.html)や小倉紀蔵のあいだの主体論と通じていた。
"詩は非交換性の言語であり、無限の解釈学の再来であり"や"言語の過剰"an excess of language(『#蜂起』pp.160-161)は"短歌をおもしろくしているのは作り手ではなく読み手である。"(短歌の破片https://ameblo.jp/siikaryouzannpaku/entry‑12909657142.html)の解釈優位論と似通っている。
"市場の領域では、モノはその具体的な有用性から考察されるのではなく、交換可能性や価値交換から検討される"(『#蜂起』p.159)→転売目的の購入。"同様に、コミュニケーションの領域では、言語は、実行されるものとして、取引され評価されるのだ。"(『#蜂起』p.159)→地名などthreadsでバズるから使われるキーワード
Marc Shell(Schellはたぶん誤字) "Money, Language, and Thought"のPDF https://dokumen.pub/money‑language‑and‑thought‑literary‑and‑philosophic‑economies‑from
#蜂起』読書会の第3章備忘録です。 https://goki.her.jp/uprising/3.html
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸1丁目。居酒屋さんのまえの激練り。雨天でも浜松まつりをやるというそのこころ意気。さすがに御殿屋台引回しはやらない。
もともとは民本主義でしたから。忖度
お駅消した液に悲しやだとは何様や 島根の布飯屋さやしては志摩なのね 下に指すなさは花な仕方金して明智 家化して示唆方はましなの草ですね
聯を一首。 青息吐息 煽らん意図は無きものの/片親パンにあののものの/青狩りの共感主義者に/肩落とす理性の獣 脚韻はほぼ文法韻。若干の字余り。
democracy民主制の一般的な訳語民主主義に独裁者の悪意を感じるのは私だけだろうか。-ismでないのに-主義とは遺憾。
情動的叫喚が支配的な社会において溜息は嫌われる。「共感主義者」は気付かないが、認知的共感を望む声は案外根強い。
浜松まつり、うちの町だけかもだけど5月3日は御殿屋台の引き回しは雨天のため中止、初練りはやるらしい。
路上観察:道の駅潮見坂(湖西市)ゴールデンウィークは午前7時前から満車
そろそろ第3章から第4章に入りますか。"お金と言語には共通する何かがある。それは何もないにもかかわらず、なんでも動かしてしまうことだ"(『#蜂起』p.155)四つん這いで吠えるあいつらを犬・dogと呼ぶ必然性はなにもない。同様にお金の価値にも必然性はない。
近くは市役所から大きいところでは国まで行政が腐敗している。歌にするしかない。
子どもや若者に選ばれる浜松市にするための「浜松学」(中野祐介市長)と学部・専門分野を超えて対話や研究を推進する「遠州学林」(静岡文化芸術大学)と
ある米国詩人の論理。THE POETIC PRINCIPLE https://www.eapoe.org/works/essays/poetprnb.htm と THE RATIONALE OF VERSE https://www.eapoe.org/works/essays/ratlvrsd.htm 尚未読なので教えて下さい。
詩人ではありませんが、言葉狩りが烈しくなってきている。自嘲が差別に転用され軈て禁止される。自嘲したい人は溜息を吐く事も出来ない。これが現代の息苦しさの要因の一つだろう。片親パンもチー牛も元はその類だった筈。#蜂起
"あまりにも長い間、金融階級が社会的身体を圧迫したため、支配階級のシニシズムは、不快感を抱かせるものになっているのだ。","蜂起は裁きの一形態なのではなく、癒しの一形態なのだ。"(『#蜂起』pp.151-152)シニシズム cynicismが登場、これが本著ラストの最大テーマになる。詩人は「実社会の営みを冷笑」するのか? それとも皮肉るのか?
精が出ますね。此方も翻訳をぼちぼち進めようと存じます。
The Breathing https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502111426_86fef2 と Bifo "Breathing" introduction(小文字) https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502074332_3c88 は移行したと思います。"Breathing"introduction https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502130636_29bddc はid:919dさんの記入を移してからにしますか?
拙いプログラムでご迷惑をおかけしました。プロジェクト数が増えたので役割を終えたと思う翻訳プロジェクトは【削除希望】でURLを教えてください。トップページから外れるまで異論がなければ、そのうち削除いたします。
ソネットの圧縮率は高いので全く知らない事もないだろう。#蜂起 の書きぶりは教授、論述家にありがちな誤解を与えない表現が多い。言い換えも頻りなので諄く感じる。
言葉をしぼってけずる短詩型文学をベラルディは知らないのだろうか?
#蜂起 で述べる詩の言葉の過剰とは論理のような機械的言語で測りきれない言葉の繫がりを言うのかもしれませんね。
『呼吸』序章も上げ直しました。確認をお願いします。https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502181600_9f30b4
第1章を上げました。手動で改行しました。確認をお願いします。 https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502175045_cf24eb
第1章うまくいったようであればイントロダクションのtxtアップロードもお願いします!
「.」や「?」のつぎに大文字がくるとセクションされる設定です。夜に試みるイントロダクションでうまくいけば大丈夫だと思います。
章題や小見出しの訳も検討する為にピリオドで区切った方が良いかも知れません。第一章のtxtファイルを準備しています。
〈報国隊〉みたいでいいですね。了解しました。
たぶん複数人の方がそれぞれ不完全なプロジェクトで作業していると推測しています。統合機能はないので、introduction全文の整形txtファイルをアップロードしたらお知らせします。第1章以降は遠州翻訳隊のみなさんでtxtファイルをアップロードしてください。
kuntradukiloに複数の『呼吸』の板が立っているので暫くオフラインで作業します。統合したら教えて下さい。
路上観察:みんなで軽トラ市いわた☆駅前楽市の看板(磐田市)
とは言え少し考えたけれどこれはアルゴリズムの問題というよりtxtファイルを整形してから流し込もうという話になりそう
баярлалаа
ありがとうございます。翻訳上に問題がありそうなのは改ページですね。そこを重点いれて修正します。
#1に章題が入っている。#2に二文が入っている。注釈が悪さをしている;"Finance.1" #17と#18が改ページで切れている。#28にページ番号が割り当てられている。#38と#39が改ページで切れている。#44にページ番号が割り当てられている。他に誤字衍字脱字は無いです。
そこはご自身で企画を立ててください。手伝えることはしますので
アリストテレスが論理学で示した誤謬の数々は確かに論理の途中にあると困る。しかし、同時に表現の契機、論理の始まりになり得る。掛詞、語順、強調、譬喩は全て詩の構成要素である。だから論理学者は詩に筋道を見いだせないだろう。
introductionがすべて入っているか確認できる人はお願いします。新しくアップしたプロジェクト→https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502130636_29bddc もとの文書→ https://dokumen.pub/breathing‑chaos‑and‑poetry‑paperbacknbsped‑1635900387‑9781635900385.html
むむ、全文読み込みされていないかも
翻訳プロジェクト個別urlのテスト https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502074332_3c88
言語美学科は学際的か。非言語表現の鑑賞批評実作も必要になる気がする。
開学のあかつきには〈言語にとって美とは何科〉開設もおねがいします。
英語の翻訳に関しては安西徹雄の英文翻訳術が参考になる。文庫本もあるので是非。
ガタリ読みには「リトルネロ」が通っているからか https://www.msz.co.jp/topics/07825/
ウィキペディアには日本語、英語、仏語の該当項目があるが、伊語には無い。イタリアでは楽式名称としての用法を強く意識しないのだろう。
細かいことですが、原文のritournelleはフランス語です。なぜ訳者はイタリア語の日本語読み〈リトルネッロ〉を採ったのでしょう。
採用、© 2026 遠州詩学校を記載しました
これが後の遠州詩学校の始まりであった……。翻訳は言語と思考に直接関係するので詩学の科目の一つとして採用するだろう。
路上観察:浜松まつり凧シャトルバス発着所案内看板(浜松市)飯田公園と凧場をむすぶシャトルバスの発着所案内
えっ、すごい!The Breathingの翻訳が始動するんだ!
匿名共同翻訳作業ページ「kuntradukilo」 https://goki.her.jp/kuntradukilo/ をつくりました。.txtで翻訳したいテキストをアップロードするとピリオドごとに翻訳を議論できます。パソコン推奨。欲しい機能や改善してほしい点があれば教えてください。
原文"ritournelle, or refrain"、和訳「リトルネッロ、リフレイン」と並置されている。でも"ガタリの言い方によれば、リフレインは、このつながりを、特異点と環境のあいだのこの組み合わせ[agencement]を、生み出すことができる唯一の方法なのだ"(『#蜂起』p.150)、リフレイン≒リトルネッロ≒マントラかな。どんなリフレインかが重要か
#蜂起 日本語訳p.148にある〈リトルネッロ〉伊Ritornello 佛Ritournelleがマントラにちかい、いや、=Mantraだとおもいます。
たしかに浜松城・掛川城・駿府城は東海道防衛の重要拠点でしたからね。2019年に徳川家広が立憲民主党から立候補したのもpax tokugawanaと憲法9条護憲の"保守"的つながりからも頷けます。長州選出の奴らがのさばる政党なんかから徳川宗家当主が立候補できませんからね!
浜松城城主の多くが幕府重臣に出世したという(つまり藩内政治を巧みにおこなった)ところから発する保守的空気も大きいのでは? 静岡県西部のみならず中部も保守的だとおもいます。遠江駿河ともに家康ゆかりの地ですから。
"近代資本主義の主な文化的変容は、社会に浸透し、規律を与える、時間認識のリフレインを創造することだった。""デジタルへの移行は、電子的な断片化、情報の過負荷、記号交換の加速、時間のフラクタル化、そして競争というような、新しいリフレインを伴っている。"(『#蜂起』p.149)リフレインはマントラではなさそう。
静岡県西部は山地・平野・漁港があるため農林水産業と工業は盛ん。でも海岸線は外洋に面した砂浜がほとんどで内海の浜名湖にも今切があり貨物船の航行は困難。そのため商港がなく貿易は豊橋港・清水港に依存せざるをえない。商港がないため商人階級や知識人階級の層が厚みを持たず、ゆえに権力からの自立心や民主的な気風が育ちにくい。
やはりAUMとかSHANTIとかのような、くちびるの邪魔にならない発声がマントラにふさわしいのでしょうね。
やってみましたが唇がくすぐったい。ちなみにマントラमन्त्रは漢字だと真言や咒。岡田省二の用語「俳咒」や「柳咒」を連想します。
#蜂起 本文にマントラ(?)が出てきますがspireを語幹とする単語あるいは語幹そのままでもマントラになりそうですね。"be,be,be" "concatenate,concatenate,concatenate"とかありえないですよ。
spirit息に関連する語。spire[spirare]が語幹の動詞は他にaspire切望するinspire吹き込むperspire汗をかくsuspire溜息を吐くtranspire漏れる、蒸散する。spire螺旋[spira]やspire尖塔[spir]と共通する語感がありそう。spurt迸りも元はspirtと綴り発音したらしい。オノマトペに強いて還元すると寝息をすぴーぅと音写できる。一音節語の不思議。
"構成と組換え"(『#蜂起』p.146)Composition and Recombinationのうち構成Compositionが呼吸-連結Conjuctionの側ということか。"When I say composition, I mean a form of shared respiration: cospiration,"でrespirationとcospirationの語源はともにラテン語のspirare呼吸する。
〈虹の橋〉ですね。よく見ると天上界へまっすぐつながっていないんですけどね。
このmanifestoや佳し。すなはち詩の手法技法を陳ぶるのみなればなり。如上に盡く反するも亦一人の詩の創作の手法技法なり。われら詩歌を鑑賞愛読する者須く背反する思攷主張を否まず是を享くべし。彼も是も悉皆その志の之くところに生れし詩歌なればなり。
実物の熊をおそれつつ、テディベア、プー、ダッフィ、リラックマ、ポスくまなどを愛玩する人間の身勝手さよ。
フランコ'ビフォ'ベラルディ集(岩波書店に倣って)全10巻、なんてどうですか?
路上観察:春の虹(磐田市)
詩の創作においてmethod手法、技法はあっても、もとより論理は無いとおもいます。たとえば大岡信「地名論」は論述をなしていませんね。詩を形成するのは手法、技法であって論理ではありません。〈論理の欠如〉〈言語の迷宮〉〈美しい比喩〉〈冷笑〉などは全て詩人の技能によるものであり、出鱈目に言葉を並べているだけではありません。
浜名区引佐町谷沢で熊の目撃情報 https://news.yahoo.co.jp/articles/54737981d421b34fb868f672bf3be868cf1156ae カフェOraのあるあたりか
##洞察##を**洞察**に訂正。*この文章はちゃちゃっとgptによって生成されました。AIの出力には不適切な表現や暴力的な表現が含まれる可能性があります。
興味深いですね!この掲示板には冷笑だけでなく定型ではありますが詩の実作も載っています。それについてあなたの分析はあてはまりますか。是非あなたの##洞察##をお聞かせください。
自己責任論への抵抗なのは分かりますが、conjunctionされた人の主体性とかどうなるのだろう #蜂起
アトリエけだまのおはなし展@マルカワの蔵(天竜区二俣町二俣1174) 〜5月31日10:00-16:00 https://www.instagram.com/p/DXv0EJBEmGw/
ビフォのウィキペディアの経歴を読んで、権威的だとの名目で組織を追い出すのは非常に権威的な行いだと思った。自由人は時にマキャベリズムのスクリーンになってしまう。
著者ビフォの呼吸器疾患の体験が執筆の契機となったそうです。
呼吸:渾沌と詩歌ですか。詩歌療法の随筆との紹介文も気になります。https://www.penguinrandomhouse.com/books/658275/breathing‑by‑franco‑bifo‑berardi/
そう、繋ぎ止めておく。たとえば新自由主義は市場原理を優先し市場と接続Connectionしているだけで経済弱者となった者も「自己責任」とされる。連結Conjuctionはその「自己」が曖昧な他者にするから自己がない以上自己責任はない、という感じでしょうか?反デカルト・親スピノザ的ですね
conjunctionも絆(きづな・ほだし)も、それぞれ語源から、逃げないように繋ぎとめておくニュアンスがあるようですね。
connectionは縁故の意でコネになるから結束に近い。それでビフォが"Conjuction is a becoming-other"とする連結を評価しているのはこのbecoming-otherは集団マントラのような憑依状態になって予測不能な他者?何か?になるからか。構成Compositionの"呼吸を共有するひとつの状態"(『#蜂起』p.146)。Connectionは抜差のたびに感性が摩耗する
同感同感同感! 原書はウェブで閲覧可能なので皆さんといっしょに日本語訳を一から検証したいですが、時間がものすごくかかりそう…
conjunction語幹の語源が軛yokeからきているなら〈縛り〉はconnectionよりも強いようですね。connectorのように、抜差し自由なニュアンスが後者にあるとおもいます。前者は高速道路のjunctionのイメージもありますね。
おはようございますの#蜂起The Uprisingの新訳もいいですけど、未訳のThe Breathing:Caos and Poetryを共同で翻訳するのはいかがでしょう。The Uprisingの第3,4章をさらにふかく論述しているようなので。
新訳『#蜂起』に期待
conjunctionの語幹の語源は軛(yoke)で、connectionは縛るという動詞らしいです。絆や結束はどちらに近いでしょう。#蜂起
杉田氏の訳がこなれていないので、これを下訳とした#蜂起 の新訳を出したくなる。浜松市文化深耕材団出版部創立記念に無料配本しますか。(言い出しっぺの法則)
この部分は特に生硬です。第二文は「他者は、あなたと連結を始めようとする時、きっと理解するだろう意味の合図を送る。必要ならば意図、文脈、言葉の綾、語らぬことを辿る」が自然でしょう。#蜂起
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸5丁目、からあげ定食専門店〈からやま〉前にて。豚メンチからあげがうまそう。
取材して苦労話を聞きだすのが一つ。支えられた事実を謙虚に認めると人格者との名誉も得られるが見栄っ張りには難しい。それこそ幼馴染だった事実が■人の動機になるくらいだ。
書いた記憶がなかったけれど書いていました。https://note.com/onaikotaro/n/n150f7cf12551 匿名会議は全日160文字を書けるので今月から開催しませんでしたけれど、匿名会議っぽいことができて、もとの書き込みに感謝しています。
連結Conjunction/接続Connection(『#蜂起』p.142)ConjunctionからConnectionへ移行させられ脱感性になると否定的に捉えている。また"あなたと接続する他者は、"(p.144)の「接続」は「連結」と訳さなければいけないのに誤訳"Conjunction entails a semantic criterion of interpretation. The other, who enters in conjunction with you, "
マジレスすると、詩歌の個人ブログを生成AIが学習してSNSや企業の宣伝に利用しているのでその皮肉は的外れですね。此処の管理者も「固有名詞・定義・新造語といった種を置いておくことで数カ月後の社会に遅効性の薬(あるいは毒)として作用を及ぼすための実験場」と述べている通りです。誰も記号-資本主義から逃れられない。
"論理を具に書くのは記号-資本主義に巻き取られるだけです。"はひとつの自衛策ですね
excite無頼漢翻訳「ごちゃごちゃうるせえ!どいつが気に食わねえんだ?殴ってやらあ」
この指摘自体が詩的迷宮に入っています。具体的にお聞きします。著しく論理性の欠如した詩や詩人と論理性を保っている詩や詩人を幾つか挙げてみて下さい。
私は論理の初めと終わりを抽出して詩にします。論理を具に書くのは記号-資本主義に巻き取られるだけです。疑問や違和感を提示して私はこう考えました、あなたはどう考えますかと問い続けるのです。後、象徴語や譬喩は用いずに辞書通りの意味で捉えられるようにします。詩人が世界に直接の影響を与えるのは翻訳者として働いた時位でしょう。
どのようにしたらその矛盾をつけるか
論理の欠如は深みにはなりえないかと。詩に深みを与えたいのであれば記号論理と形式を乗りこえてみるといいですよ。そのうえで、実社会の営みに尊厳を押しつぶされた他者や自己の痛みを詩材にするといいでしょう。決して沈黙することなく書き続ければ、新しい言葉の贅沢品を手に入れられるかもしれませんよ。
詩人は、論理の欠如を「深み」という美名でごまかし、言語の迷宮に逃げ込む傾向があります。他者の痛みすら美しい比喩へと加工し、実社会の営みを冷笑しながら、その実、言葉の贅沢品を玩んでいるに過ぎません。彼らの沈黙が世界に何の影響も与えないという事実こそ、最大の皮肉です。
「実際網上の価値化の過程の瞬間瞬間を明確に識別できない。網上の生産力は集合的である一方で、利益は私的であるからだ。ここに見えるのは網上の集合的知性と私的専有の間の直しようがない矛盾で、記号-資本主義の正に根幹を揺るがしかねない。(#蜂起 p135)」 少し訳に手入れしました。この厳然たる事実の前で誇ってしまえるのが米国的気質。
「Paradise Now - Living theatre」 https://youtu.be/7t_YE2hGy7M "イタリアの古い劇場で、数百人もの人々が、集団マントラのために集合したのだ。"(『#蜂起』p.138)はナポリのメルカダンテ劇場かな。https://www.fondazionemorra.org/en/archivi/living‑theatre/
"現在の対立を貫く根本的な論理は、何よりも尊厳、屈辱、そして承認だ。"(スラヴォイ・ジジェク「人はパンのみにて生くるにあらず」https://news.yahoo.co.jp/articles/66c227de7f580023c76c3a2a46fc6eba13d74990)いまの静岡県西部におけるクリエイター問題の或る描写として
"一般の人たちが、自分たちは社会で重要ではない「取り残された人たち」だと感じるようになり、その結果、政治エリートと大都市の文化的エリートに対する恨みが形成されたのだ。"(スラヴォイ・ジジェク「人はパンのみにて生くるにあらず」https://news.yahoo.co.jp/articles/66c227de7f580023c76c3a2a46fc6eba13d74990)
しろくま古本市vol.3 2026年6月6日(土)北田町公会堂・きたたまちロビー・grammeなど、https://www.instagram.com/p/DXt2rQ5Ez7‑/
路上観察:SHEAのGraffiti(浜松市)肴町、このよく観る女の子の原作者→https://www.instagram.com/shea.wase
路上観察:更地の手押しポンプ(浜松市)中田島街道沿い
"ムーンショット目標12050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現"(ムーンショット目標、内閣府 https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/target.html)"空間と時間の制約を超えて、企業と労働者をつなぐ新しい産業を創出する。"とか脱領土化・celestiality化された社会で労働者に主体性は残されるのか? #蜂起
『ナニワ金融道』『闇金ウシジマくん』はいわば社会の底辺を描き、「ザ・ソーシャル・ネットワーク」はハーヴァード大学という上流階級を描く点を思いました。映画「Winny」2023 https://winny‑movie.com/ は、今の金融資本主義を描くドラマとしてどうでしょう?
〈友情の不可能性〉〈連帯構築の不可能性〉さえ物語にしてしまう聖林よ(制作・配給はコロンビア・ピクチャーズ)。『ナニワ金融道』『闇金ウシジマくん』などの日本のマンガがおもしろいのは、金融ドラマの要素もあろうが〈人間ドラマ〉の要素が大きいからでしょう。〈脱領土化〉せられた現今の金融資本主義はドラマたりうるか。
けさ、居なくなっていました。落し主がみつかったのか。
映画『ザ・ソーシャル・ネットワーク』The Social Network https://www.dailymotion.com/video/x9in1ss "友情の不可能性という物語" "連帯構築の不可能性の物語"(『#蜂起』p.137)
さわやかのげんこつハンバーグです。ご査収ください
善いことをしましたね
わたしの路傍流瞥。中央区幸4丁目。『こびとづかん』のホトケアカバネが、側溝の蓋のうえにたおれていた。ここの道はひろく無いので、人や自転車、クルマなどに踏まれては大変と、画像のように姿勢をなおした。
画像をわすれてすみません。以前は白かった南どなりの聖隷パーキングビルも、いつの間にか外装を変えていました。
中央区住吉2丁目。遠州栄光教会住吉礼拝堂。以前は白い外壁に蔦がからまって風情があったのに。きれいになりすぎ。
わたしの路傍流瞥。中央区下池川町16番地。2年まえの6月29日午前6時半ごろ、通行人や近隣住民から火災発生の複数の通報があり、約4時間半後に鎮火。60代男性の住む2階建の家屋が全焼し、隣家も一部焼けてしまった。焼跡はそのまま今に残っている。坂本龍一のピアノと競って〈自然に還る〉つもりか。
浜松市中央区中沢町7番地。ヤマハアーチェリー場跡地。これ、何て読む?
いやあchargeむずかしい。というのも、そもそもラテン語のcarrus(二輪車)、carricare(車に荷を積む)に由来して、荷を積む、負担をかける、責任を負わせる、委任する、さらには金を積む、充電するなどと語義が多様に派生しており、chargeは課金と入金のどちらとも意味が取れてしまうようです。
そう、ここ鋭い指摘ですよね。ソーシャルゲームなどの「課金」の意味が請求から支払いへ変わりつつあるのは、請求というプロセスを意識することなく自動的に支払っちゃうような身体にゲーマーたちがさせられているのかも
そうでした! 〈課金〉はもともと金を課する、請求する意味でした。英訳すればchargeとなるはずですが、スマホでしらべるとpay,spendと、日本語どうように英語でも意味のスライディングがみられます。
撤去されるアクトシティ連絡通路の動く歩道。お疲れ様でした
浜松駅北口広場の大道芸。数年にわたり何度かここで似たような大道芸を観てきて、これから海外へ行く話は聞くけれど、行ってきましたという話は誰もしない。最近はpaypayのQRコードも用意されている。
"『モモ』という物語は貨幣経済社会がいかに人間を損なうかを描いており、利子が利子を生む貨幣のあり方を鋭く批判したミヒャエル・エンデの考えが顕著に表れている。"(尹雄大 『モモ』のメッセージ、中日新聞2026.4.26)『#蜂起』読書会参加者ならこの「貨幣経済社会」を金融資本主義と呼べる
中日新聞2026.4.26中日歌壇〈片恋に患ひしごと痩せ細る粋な話ぢやない我は癌/浜松市 斉藤佳彦〉結句が深刻。中日俳壇〈AIに訳させやうか恋の猫/湖西市 市川早美〉猫の恋ではなく恋の猫が肝
"精神的資源の枯渇は、サイバー圏の本質的な限界なのだ。"(『#蜂起』p.132)インターネットは広大だけど無限ではなかった
三ヶ日俳句研究会水鳥発行所〈亀鳴くを確かめたくて池一日/中嶋克明〉帰ると鳴く。〈風に和す桜大樹の鼓動かな/山下六弦〉樹の鼓動は新味。静岡新聞2026.4.28読者のひろばサロン
「椎」新樹句会〈四季を詠む若きラッパー風光る/森田佳代〉不易流行ラッパー〈花筏一片離れ悠々と/鈴木和枝〉実は流されている。〈俳諧のきざはしをゆく胡蝶かな/つげ葉子〉一段がめっちゃ高い、選者:〈山の気のここに集まる木の芽かな/村松二本〉静岡新聞2026.4.28読者のひろばサロン
「石器時代に戻す」ですね
金融資産の演算を行う電力の素を燃やす。その上で発電ペダルを漕いだ量に比例する資産を相互承認する。或いは通信や送電の施設を壊す。アフリカの水道管泥棒と同じだが。文化を壊す文明を壊す。
ブルジョワbourgeoisでした。このことば、フランス語のbourgに由来してドイツ語のburg(ハンブルクなど)やアラビア語のbrujبرج(ブルジュ・ハリファなど)と城塞を意味する単語と類似しています。或るすぐれた城塞様式がギリシア語ΠΥΡΓΟΣを介して西ユーラシアで広まったのかもしれませんね。nummi verbique pervagantur.
pp.128-129に物質的な資産にむすびついたブルジュワ階級と領土にも物質生産にも執着していない金融階級の対比が描かれています。お金が欲望の代わりになり、資本家=金融階級だとすれば燃やすものはなさそうです。それとも電子マネーを溶かす? "金融の時代には社会的無意識が爆発するのだ"(『#蜂起』p.129)
映画「イニシャライズ」出演:日比虹太郎・古館真実・谷村優樹など、友情出演:橋爪健二、特別出演:熊谷真実、監督:原宏樹 https://x.gd/QixbF 先行試写会 耕祭 -kou sai- 6月14日9:30〜卸本町アルラ
脱領土化(deterritorialization)が長いので非現実的で実際と無関係の地域性や実体験とかけ離れたお題目をお空ごと(celestiality)と造語したくなる。
過熱したポトラッチのように資本家が金融商品を焼き捨てると富の不均衡が和らぐのだろうか。
かつては象徴交換・ポトラッチ・沈黙交易などですね
金融経済は単為生殖的なプロセスだ(#蜂起 p124) クローン技術に見るように自己複製には限度がある。永久に加速し続ける金融経済も暴力に代わる価値を持つ何かと次々に交わらなければ本当に無意味になりかねない。忘れがちだが、実物の交換に貨幣の仲立ちは必須でないのだ。
静岡新聞・読者文芸・詩 "取り残された/魂がホームで列を作っている"(井村たづ子「惜春」)何を待っているのか。"血まみれの俺の長い手紙"(水野満尋「カタルシスの病」)それ、読んでみたい。野村喜和夫の選評は「ジャンク化した季語」について。
静岡新聞・読者文芸・短歌〈娘に少し甘えたくなりこの寒さ耐え難しなどメールを送る/森町 山浦葉子〉山はまだ寒い。〈抱き寄せし君のからだのしなやかに凍る天空星座回りぬ/掛川市 松本節子〉星座が動くほどの長い時間を抱き寄せていたのだ。牧之原市は後日
課金の意味の主客転倒は"技術-言語的なオートマティズムが、社会的身体の隅々まで配線されてしまっているような状況のなかで、わたしたちは主体化のプロセスをどのように考えることができるのだろうか?"(『#蜂起』p19)で言及されている曖昧な主体の結果とも捉えられます。
イニシャライズ特別試写会 耕祭 -kou sai- 6月14日浜松市 卸本町アルラにて https://x.com/i/status/2046913287821148628
米国がepic fury作戦なるものを実行したが、epicもfuryもゲームの常套句にしか聞こえず、神の怒りとは感じられない。課金は本来お金を請求する事だが、ソシャゲの用法が広まっている。ビフォも脱領土化等術語を好むが、社会科学の本を読む内に既存の枠組みに取り込まれたように見える。習慣は言葉を規定する。
スマホゲームに関してはデータの抽籤販売も問題だが、時間を吸い取る効果も大きい。時間で回復する遊戯権利つまりスタミナやエネルギーと呼ぶ数値の働きも多分に悪魔的だ。正に時間と注意力で物を買わせている。
文学系ワークショップの合宿を文學營と呼ぶのかっこいい
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸4丁目にて。暑いというのでは無い。時折すずしい風が吹き、日蔭も心地よいが、午前11時の日差は強く、アスファルトの鋪道に影絵をえがく。空には積乱雲が立ちあがり、夏到来の予感がする。
スマホゲームの課金は、本文中の宝くじlotteriesからの連想で、ガチャなどが想定できます。ゲームで強くなりたいという欲望を必要性に変え、実体のないアイテムへ課金し、それをゲーム内で高値で売りさばくのは=金融投資ではないかもしれませんけれど金融記号による数学的奴隷制の一種だと考えます。
課金はpurchase,charge,pay,spend等と訳せられるので、投資invest(ラテン語investire=服を着せる→お金を新しい形に替える)とはちがうとおもいますが、どうでしょう。
静岡新聞・読者文芸・俳句、〈菜の花蝶と化し母いま召されゆく/磐田市 大庭あつ子〉天へ〈見当たらぬ五人囃子の太鼓撥/浜松市浜名区 大城明彦〉紛失〈草餅を作る子の口一文字/磐田市 江端芳枝〉やがて開く〈吾子呉るるたんぽぽと云ふ心かな/袋井市 大草高〉心!〈犬ふぐり男はなべて小心者/掛川市 堀内勲〉犬ふぐりが効く。県西部は少ない
これですね https://www.chunichi.co.jp/article/951009 ただ、ここ30年くらい全人類をまきこむ経済戦争のまっただなかなのですけれど
おととしの中日新聞(東京新聞)〈平和の俳句〉にて。三世代いくさ知らずや田水張る 荒川訓子。浜名区引佐町の方。
rebrandingかclosingか。そもそもいまの浜松市にホテルは多すぎるので、淘汰は仕方が無いのかもしれません。
"あなたは、あなたが騙されているおかげで繁盛している銀行の債務者というわけだ。欲望を必要性に変えることで、欲望による金融投資は、依存と不幸に続く道を敷いているのだ。"(『#蜂起』p.128)宝くじ・ネットトレーディング・クレジットカードなどの例があげられているけれど、あとはスマホゲームの課金かな
「グランドホテル浜松」は2026年5月1日から「浜松マリオットホテル」としてリブランドオープン https://hmihotelgroup.com/grandhotel‑hamamatsu/ むかし義父母が泊まったくらいの記憶しかない
うーむ、だいたいそんな感じですね。
中山間地域「オクハマ」のロゴマーク「オ」のゆるキャラってこんな感じですか? わかりませんhttps://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/chusankan/aishouidea/logo.html
〈オクハマ〉のオの字をもとに、ゆるキャラが誕生しそう。
iN Hamamatsu.com https://www.inhamamatsu.com/ 英語・繁体字など多言語での静岡県西部紹介サイト。「ハママツ」で県西部を覆っちゃうコンセプトは匿名掲示板「クリエイト浜松」と同じ
浜松市の中山間地域「オクハマ」ロゴマークの決定についてhttps://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shise/koho/koho/hodohappyo/2026/4/2104.htmlちょっと気の抜けた感じのロゴマーク
読書会でひとはことばを得る、それが何のためになるのかなんて知らないまま
遠州信用金庫「湯めぐりスタンプラリー」華咲の湯、浜名湖弁天島リゾート THE OCEAN(以上中央区)、国民宿舎奥浜名湖、ビラックス高薗、ホテルリステル浜名湖、はままつフルーツパーク時之栖 トンボの湯(以上浜名区)https://news.yahoo.co.jp/articles/4ffd117eeb7922b0559bf1a325ebd14e32d0a5d9
早苗田(磐田市)
田水張る
"オストロムによれば、成功する制度は、利用する権利を持つ人を明確にし、彼らの声や地域的な条件と調和したルールを持ち、適正な監視システムを持つなどの点で共通している"(板尾健司「「協力をしているつもり」が負の連鎖を生む?...人類の歴史で繰り返される「共有資源」をめぐる争い」https://gendai.media/articles/‑/166485?page=5)
『文芸磐田第52号』作品を募集~6月30日(火曜)小説、随筆、詩、短歌、俳句、川柳https://www.city.iwata.shizuoka.jp/kurashi_tetsuzuki/bunka/1010136/1007776.html
مقاتلة العرف مضنية، فهو لا يفكر
ホルダーから。2017.3.11夕方、熱海市咲見町1番街にて。合流する坂道を見あげたところ。
ホルダーから。2017.3.11夕方、熱海市咲見町1番街にて撮影。〈浜松は坂の町〉と言ったが、熱海も坂の町だし、平地のまったく無い場所に興った熱海にはかなわない。わたしは咲見町一番街の歩道に立っている。〈一番街〉とはいえ、山裾をぬうように駅まえから海へおりる坂道である。そこへ合流するように北から下り坂がつづいている。
この季節の見付天神は椎の花や栗の花で白っぽくなる。
訂正。〈トランプ大統領主催〉と言ってしまいましたが、ただしくは〈ホワイトハウス記者会主催の恒例夕食会〉です。トランプ大統領夫妻は主賓として招かれました。すみません。
"欲望は、欠乏の状態、つまり足りない[manque]状態と言うようにみなすべきではなく"から"欲望は逆説的な展開を見せ、ニーズや欠乏、そして不幸を生み出すようになる"(『#蜂起』p.127)脱毛や美容整形の広告などですね。"欲望の絶え間ない脱領土化"
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区高林5丁目、新川浄化水路にかかる八剣(はちけん)橋から南をのぞむ。このところ涼しい日がつづく。ゆうべはことに肌ざむかった。昨今の国内外の情勢、東北の地震、夕方の「真相報道バンキシャ!」で知ったドナルド’war-machine’トランプ主催夕食会での発砲事件などをおもい、さらに寒気をおぼえた。
未来を受け入れていく感じがラストにありますね。(綾瀬はるかが若い)山口百恵の「大人になりたい」とは違う世界観
ここの訳は難しいですね。banlieusardはスラムのマイルドヤンキー、彩輝やヴィレッジハウスの若者のイメージかな。アヴィニヨンでのGeronimoらによるClub de lecture au quartierが近いかも。https://www.franceinfo.fr/replay‑radio/l‑il‑de‑constance/avec‑le‑succes‑de‑geronymonstre‑la‑cite‑reinvente‑le‑club‑de‑lecture_7859729.html
Mr.Children「未来」の歌詞を読みました。短篇小説みたいですね。歌詞は〈ヒッチハイクをしてる 僕を迎えに行こう〉と、希望をもたせて終りますが。
〈若い郊外に住む人〉(郊外〜人まで傍点あり)という言いかたは、こなれていないですね。原文p.108では“young banlieusard“となっています(banlieusardは斜字体)。原文同ページの“young people“を〈若者たち〉と訳しているから〈郊外に住む若者たち〉でいいとおもいますが…
"若い郊外に住む人[banlieusard]たちの間では、未来の認識そのものが変化していて、未来はもはや約束されたものではなく、脅威として認識されているのだという。"(『#蜂起』p.126)Mr.Childrenの「未来」もそんな歌詞でしたね。
"つまり、年齢の小さい子どもがスマホという視覚的な情報に頼る生活をし過ぎていると、目の前にない事象を言葉でやり取りする能力が育たない危険性があると言える。"(スマホ使用が幼児の言語発達に及ぼす影響https://www.taf.or.jp/files/items/1650/File/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E6%99%BA%E7%BE%8E.pdf)
"読書の習慣が身についている子どもたちよりも、YouTubeなどの動画視聴を好む子どもたちのほうが正解できる傾向にあることが判明"(矢野耕平「YouTubeで学力が伸びる!? お笑い芸人は言葉の魔術師 言語運用能力を高めるのにおすすめの2組」https://www.asahi.com/edua/article/15014365)
50年まえだとTVやマンガから、ってことになりますか。いや、当時はTV、マンガと並行するかたちで肉親から言葉をまなんだはずですね。
"接続世代は、言語学習と感情を持つ身体の関係が希薄になりがちな枠組みのなかで、言語を学んでいるのだ"(『#蜂起』p.125)イタリアンブレインロッドのブームなどyoutubeから語彙を獲得している小学生は多いですね
ホルダーから。2015.3.31〈旧陸軍墓地へあがる坂道〉の桜。向うに見える警察官舎も、すでに解体せられてこの世に無い。げにこそAll things must pass.
ホルダーから。2015.3.31撮影。旧陸軍墓地へあがる坂道。いまは、歩道をつくる工事により、だいぶ様子が変ってしまった。諸行無常をおもう。
"この「脱領域的・属人的な宗教的統合」こそが、イラン・イスラーム共和国を類まれなる国民帝国たらしめている正体である。"(中田考「地経学元年のイラン帝国の挑戦(後編)──イランが敗けない最大の理由」https://the‑criterion.jp/mail‑magazine/260425/)
ホルダーから。2018.6.23朝撮影。きのう投稿した〈切妻屋根の民家〉と桜の木。このころ、下池川町の六間道路の拡幅が半ば進捗していなかった。
路上観察:外国人の人(磐田市)V.H.
浜松市中央区幸3丁目。ペチュニアのこぼれ種。
浜松市中央図書館へ寄贈していたようですね。こんどバックナンバーを読んでみようかな。
『超猿』vol.20の超猿取扱い書店一覧。静岡県下はもちろんロンドンまで。胡散臭さと活力が同居していておもしろい。
『超猿』vol.5に詩「靄をくぐる」妃芽巴勢里、vol.6に「スナック菓子的信仰」妃芽巴勢里、vol.7に「神についての詩 三篇」妃芽巴勢里など、いまのヒメ巴勢里さんである。定例談話会も神明町のピーナッツハウス時代や浜松駅南口のテラスガーデン二十一時代がある。深掘りするといろいろ発見がありそう。
公認心理士が国家資格となってから人気が高まったと思う。社会が傷つけた心に社会に認められた技術者が介入する喜劇よ。寧ろ野良で腹を割って話し合ったり殴り合ったりした方が治癒するのではなかろうか。
#蜂起』読書会の備忘録を作成しました。序 https://goki.her.jp/uprising/0.html 第1章 https://goki.her.jp/uprising/1.html 第2章 https://goki.her.jp/uprising/2.html
大学で心理学科が人気なのも情動社会だからでしょうか。鴨江のオープンミーティング「はなしてみる」でもオープン・ミュージアム・ラボのコーディネーターの方が「悲しい」という情動を、批評という情報に対する返答にしていました。 #蜂起
けさの毎日新聞1面と3面「池上彰の これ聞いていいですか?」上智大教授佐藤卓己氏との対談。情報化がすすんで〈行動に移す際、快か不快かで判断する「情動社会」になっています〉と佐藤氏。情報の意味が軽くなればこそか。世論(世情)と輿論(公論)の峻別、情報の不確実性に耐える〈ネガティブ・リテラシー〉など、興味ぶかい記事でした。
"情報量が多いほど意味が少なくなる" #蜂起 ザッピングとかショート動画のスワイプとかがそう、鑑賞よりインターネットと繋がっていることが目的になる。
『データ・トラッシュ』アーサー・クローカーとマイケル・A・ワインスタイン https://www.thing.net/~rdom/ucsd/posthuman/DATATRASH.pdf #蜂起p.123
"指示対象が取り除かれ単なるお金の循環によって利益を得ることができるようになると自動車や本、そしてパンの生産は不要になる。抽象的な価値の蓄積は、人間を負債に従属させ、既存の資源を食いものにすることで可能になる。","情報の流れを加速することは、意味の排除を意味することになるのだ。"(『#蜂起』p.123)リボ払いとかサブスクとか
屋外という概念がバグる
"果てしない戦争は、意味のインフレーションの症状のひとつである。"(『#蜂起』p.116)第二章から、そろそろ第三章へ
ドイツのもおもしろい制度、ありがとうございます。"従来の均等配分時間原則とは大きく異なり、通常の労働時間を変動的に配分することを可能にする。"(ドイツの「労働時間貯蓄制度」https://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2008_7/german_01.html)
ありがとうございます♪ わたしが言いたかったのは、ドイツでおこなわれている労働時間口座制度でした。これは、残業時間をあずけて余暇等につかう、一種の時間調整で〈時間銀行〉とはちょっとちがいますね。失礼しました。とはいえ、おしえてくださったスペインの〈時間銀行〉の記事はとてもおもしろかったです。
"時間銀行では、金銭のやりとりはない。サービスを提供した人は、お金の代わりに時間をもらうのだ。"(https://weekly‑economist.mainichi.jp/articles/20201006/se1/00m/020/010000c)これですか。Banco de Tiempoはおもに工藤律子さんが紹介記事を執筆している。
60代の坂本龍一は、ある試みに着手する。弾けなくなった古いピアノを屋外に放置して〈自然に還す〉という実験である。今春閉館したUホールを屋外に放置したら、朽ちはてるまでにどれほどの時間をついやすか。
労働時間を銀行にあずけて、休暇等につかうため銀行から引きだす、という… でしたっけ?
画像不鮮明でしょうか。もういちど投稿します。
ビフォが同語反復と評する時間銀行は#蜂起 を書いた頃、スペインから広まった社会運動です。混乱させました。社会運動の四十年前に児童文学に記載がありましたとの紹介に留めておくべきでした。
中央区下池川町の〈切妻屋根の民家〉の桜。2019.4.4朝撮影。撮っててよかった!
中央区下池川町。お役所は六間道路の拡幅にかなり時間をついやした。画像中央の切妻屋根の民家のまえは、なかなか道幅がひろがらなかったが、いまになっておもえば、立派な桜の木が失われてさびしい。(桜の画像は10分後に送ります)。
Merci beaucoup❗️
わたしの路傍流瞥。中央区城北1丁目(旧上池川町)。水のY字路。画像右手が新川。左手が犀が崖に端を発する川。わたしの立っている側は下池川町。〈上池川町〉は復活しないのか。
わたしの路傍流瞥。中央区布橋1丁目。Amano布橋店がオープンして何年たつだろう。北高、浜商、市立、静大附属などから微妙に遠く、しかも犬塚坂をはさんでの立地。それはともかく、Amanoの駐車場わきから北へ急坂がのびている。見事な勾配。やっぱり〈浜松は坂の町〉。
​c’est vous, le flâneur du regard glissant.
わたしの路傍流瞥。中央区住吉1丁目。宏大な空地である。なんの跡地か。浜松学院大附属幼稚園もあるので、いっそ短期大学部をまるごとうつせばいいのに、とおもう。それだけのおカネがあればいいけれど。やはりタワマンが建つか。
わたしの路傍流瞥。住吉1丁目。アクト建設まえから〈新川の谷〉をのぞむ。坂の景色がいい。浜松は坂の町である。
わたしの路傍流瞥。中央区高町。曳馬坂からひとかわ南の清水坂。〈普請中〉ってことだろうが、なんだか建設的な雰囲気にとぼしい。暇があったら、中山、鴨江まで坂をくだってみよう。
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区高町。紺屋町交叉点から曳馬坂をのぼると、左手にみえてくる。このお店のファサードはすでにランジェリーショップに変っているが、営業していないらしい。側面の筆文字に見惚れてしまう。むかしの看板屋さんのいいお仕事である。
『モモ』ですか? 気になってはいたのですが『モモ』を読んでから、とおもってそのまま時間がすぎてしまいました。
​temerē laudā, ratiōne vituperā
袋井の江崎書店に蜂起を取りに行ったら、専門書の棚がビジネス本になっていた。マンガと学習書とビジネス本と新興宗教。保存の利く食料を買い過ぎた。
ミヒャエル・エンデへの言及まだないね #蜂起
常識が包括的な良識に変容すれば幾ら回収しても構わない。全てを排除しないには常に余白を用意する。贔屓のクリエイターの着想を枯渇させない為にも色々な人の作品を楽しみたい。
読書会で出た概念を浜松市のクリエイターややらかしまいか株式会社などが常識=金融資本主義に従って使えば、直ちに無情の装置に回収されるでしょう。たとえば「オープン」という言葉がすでに無情の装置に回収されたように。
競争competitionと協働と共有 cooperation and sharingの対比 #蜂起
ドイツの銀行が私たちの時間で一杯になっているからなのだ。(#蜂起 p99)時間(貯蓄/地方)銀行Zeitsparkasseの概念を生み出した国がその暴力に酔いしれる現状が皮肉。この本や読書会で出た概念も無情の装置に回収されるのだろうか。
一般的な知性の時代においては、競争は愚かなものと見做されるため、やはりエネルギーは衰退していくことになる。一般的な知性は[…]協働と共有に基づくものなのだ。(#蜂起 p95最終行)
サブタイトル〈私、書いてもすごいんです〉が嬉しい。TBC(東京ビューティーセンター)で北浦共笑が〈私、脱いでもすごいんです〉と訴えるTV-CMが1995年の放映。流行りに乗っかってるのが〈すごいんです〉。
自由投稿自費出版誌『超猿』第二十一号、発行日は平成八年(1996年)二月二十六日、定価800円。事務局は磐田市前野、定例会は毎月第四土曜日に浜松市肴町カフェテラスサイモン。投稿者は超猿族。"『超猿』は一般同人誌とは若干異なる自由投稿誌です。"ワープロを使用していると思われる。
短歌:〈人権をふみにじられし人の住む駿河療養所を吾は訪ふ/求順子〉ハンセン病、〈さよならじゃなくておやすみおはようを言い合えるような仲になりたい/渥美朋可〉関係性。俳句〈病院の無音のテレビ梅雨に入る/掛井広通〉動く画だけある、〈白シャツでいつもと違ふ貴女に会ふ/磯部節子〉いつもはどんな服なのか。(『文芸磐田』第51号)
フルカラーの春情は伝わりました
わたしの路傍流瞥。中央区幸2丁目から住吉3丁目をのぞむ。遠鉄バスのフルカラーLED方向幕(この画像ではわかりにくいですね、すみません)。医大ゆきの終りから2番めの便。
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸3丁目。ゆうべの雨。
狂騒の竞争から竟争し協奏へと凝想する
天浜線のエンジンオイルは届いたけれど、工場機械へ注ぐ潤滑油の入荷が未定になっているらしい。https://www.chunichi.co.jp/article/1242297
"新自由主義はファシズムの最も完璧な形態ということになる。競争とは、日常生活のあらゆる隙間に戦争機械が隠れていることなのだ。競争の王国は、完璧なファシズムなのだ。"(『#蜂起』p.111)"Il y a fascisme lorsqu'une machine de guerre est installée dans chaque trou, dans chaque niche. "(Mille Plateaux)より。ファシズムは隣人
平和憲法を守るための緊急アクションin浜松2026年4月25日(土)19:00〜JR浜松駅北口とは別なのかな。この手のアクションに必ずといっていいほどゲストがいるふしぎ
伊藤園お~いお茶杯第67期王位戦7番勝負(中日新聞社など新聞三社連合主催)の第1局が浜松八幡宮楠俱楽部で7月4・5日に開催https://www.chunichi.co.jp/article/1241754
甘いコーティングを剝がされて早く消えてしまいたい。
”「ボワ学校」と"文化ヤクザ"の集会が、だれいうとなく世間に伝わったのもそのころである。”(菅沼五十一「文芸誌「麦」の同人たち ボワ文学サロン」浜名湖出版)文化ヤクザでいたいね
"外側をどんなに綺麗にコーティングしても、中身が空っぽだったら、それは見る人にはバレてしまうんだ。" https://news.yahoo.co.jp/articles/c1be0af2edbf7549a38116bc70add1151186f49d
浜松駅西の高架下にある自転車駐輪場が今日から開放されていました。
"明治維新による近代化は、何よりも日本文化の脱女性化に基づくものだった。"(『#蜂起』p.108) "女性的な自己認識"から"攻撃的で滑稽な男性性"へ、単純な二項対立は措くとして日本文化は木下惠介『陸軍』の母に見られるような女性性を残していなかったか?
"息の続く限り/空の魚になろう"(坂井一則「空の魚」『あなめあなめ』コールサック社)窒息しそうな切実さのある詩集、映画館連作も好き。天竜区二俣町の詩人
浜松市中央区住吉1丁目。浜松女子短期大学(いまの浜松学院大学短期大学部)図書館跡地。あたらしい図書館が建ったかとおもったらアクト建設だった。旧図書館のあの暗い感じ、きらいじゃ無かった。
路上観察:鹿島橋(浜松市)パパ活の句ではないよね
路上観察:鳥羽山歩道トンネル(浜松市)めっちゃ明るい
わー、さいとうラーメン店なつかしい! 秋野不矩美術館からの帰りによく食べにいきました。いま、息子さんがメインで賄いに立っているんでしょうか。無愛想な方でしたが。冷し中華、いいとおもいます。
二俣町のさいとうラーメン店。しょうゆらーめんと餃子、スープがあとを引く。次は冷やし中華を試そう
わたしのGenius Loci 住吉1丁目。かつての切通し。画像右手に丘の切れはしみたいなのがあって、そこに栗の大木が生えていた。この時期になると、椎名林檎では無いが〈加爾基 精液 栗ノ花〉でした。
ヴはなかなか日本語に馴染みませんね。静岡県下のMAXvaluはもとはヤオハンも多い
わたしのGenius Loci 住吉2丁目。
路上観察:米徳商店(浜松市)二俣町のクローバー通り商店街
訂正。“MAXvalu”がただしいですね。日本語よみがマックスバ(ヴァ)リューで無くて〈マックスバリュ〉なのはなぜでしょう。
詩:"多くの人が越えたこの道を/静かに見つめている"室屋知良「坂道」、"ありがとうの言葉一つで/誰とでも 心がつながるんだよ"渥美英雄「ありがとう」、"花嫁衣装のまま/村の氏神様に/手を合わせた"大石日佐子「夢物語」、"偶然にも与えられた命"松井茂安「芽吹き」、"数字こそが全て"海老原政彦「数字」。朴訥と(『天竜文芸』第16号)
〈新川未満〉は浜松学院大短期大学部てまえで西流、交叉点を斜断(?)して〈水源の地〉へつづき、暗渠はそこで終る。
聖隷浜松S棟ぞいの〈新川未満〉が鉤の手なりに曲ってさらに南流。画像左手はMAXvalue(旧松菱マート)。
路上観察:二俣大橋交差点の巨大吊忍(浜松市)
聖隷浜松S棟てまえから南流する〈新川未満〉の暗渠。
聖隷浜松S棟てまえのフェンスにかかる表示板を画像拡大でお目にかける。まぎれも無く〈河川〉と記されてありますねえ。
聖隷浜松病院S棟手まえの〈新川未満〉。そのさきでまた方向転換。
住吉2丁目。聖隷PETセンター(右)とS棟(左)とのあいだをながれる〈新川未満〉が左折(東流)するところ。
聖隷浜松病院HPから拝借。〈新川未満〉がどこかわからないが、よくよくみると新1号館が谷をふさいでいるあたりらしい。
わたしのGenius Loci 住吉2丁目。1962年に聖隷浜松の旧1号館が竣工。長谷川保は「ヤブなんて縁起がわるい」と、敷地内外の藪(木立?)をすべて伐採させたとか。ここは、かつての〈新川の谷〉を彷彿させる。聖隷浜松のHPに旧1号館の写真がのっており、谷はいまの正面玄関(救急外来)あたりまでつづいていたらしい。
住吉1丁目側からバイパス方面をのぞんだところ。画像てまえ左手から右手へと排水溝(新川未満)がつづき、道路をくぐった排水溝に蓋がされてある。
浜松市中央区住吉2丁目から1丁目へつづく坂。土地のくぼみが〈新川の谷〉。聖隷浜松敷地内で新川未満の川は〈暗渠〉になる。ここからが〈暗渠めぐり〉です。
わたしの路傍流瞥。住吉2丁目。〈排水溝がいったん西へ〉のあたり。画像右手に聖隷浜松病棟1号館(A棟)があり、排水溝の水はそこへ落ちこむ。1号館は新川の谷をふさぐように建てられてある。
わたしの路傍流瞥。住吉2丁目。南流する排水溝がいったん西へ方向転換するところ。土地も傾しており、むかしは小滝をなしていたか。
浜松市の暗渠めぐり、いいですね
竜禅寺にある堀川鼠来の句碑〈まとうつや秋をさたむる夜の雨〉、菅沼五十一『遠州文学散歩』「幕末俳人鼠来」の頃にはなかった朱塗りの伽藍が復興している。鼠来は青々処を号するなど三河岡崎の鶴田卓池の影響を受けていたらしい。掛川八坂の伊藤嵐牛も門下だけれどインフルエンサー卓池など旧派はまだまだ力を持っていた。
わたしの路傍流瞥。住吉2丁目バイパス側から見たところ。聖隷浜松の敷地の手まえがすこしくぼんでおり、そのあたりから新川の谷がはじまっている。
わたしの路傍流瞥。住吉2丁目。〈排水溝が東からのびて〉のつづき。南流する排水溝(というか、新川未満の川)。
わたしの路傍流瞥。住吉2丁目。くだんの駐車場から民家をはさんだ南に段差があり、その南の細道。排水溝が東からのびて、わたしの足もとで南の〈新川水源の地〉へつづく。
『おりいぶ』昭和三十年に「二月、磐田へ赴任」の詞書がありますね。全句集を繰るとその他「大代演習林に学生とキャンプ」〈崖羊歯に合唱ランプ寄せ集め/飴山實〉『おりいぶ』、「浜松、蜆塚遺跡」〈麦の芽にちりて太古の貝白し/飴山實〉『少長集』など静岡県西部の俳句がありました。
水気を感じるのですね
わたしの路傍流瞥。中央区住吉2丁目。Genius Lociでは無いが、わたしは新川のもともとの水源はこのあたりかと睨んでいる。
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区住吉1丁目〈新川水源の地〉。いちおうこことなっているが、もとは数百メートルさきにあったらしい。