むかしのことば

ぜんぶで 4563 こ / 10 ぺーじ / いま 8 ぺーじ
藤枝静男こと勝見次郎も菅原眼科(旧・東田町)の眼科医でしたしね。もっとも本人は藤枝出身でしたが。飴山實も遠州にゆかりのある俳人で、1955年2月から1969年3月まで磐田の静大農学部農藝化学科應用微生物講座助教授をつとめています。『少長集』の〈われの凭る壁に隣は雛かざる〉は磐田の大学官舎。〈春浅き海へおとすや風呂の水〉は弁天島。
「やらかしまいか」の拠点を旧眼科医院「復明館」としたのは静岡県西部らしくて慧眼。遠州には海谷眼科など眼科が多い。飴山實の昭和32年天龍川河口17句にも〈土堤枯れてバスに眼帯児童多し/飴山實〉〈赤き目を冬陽に細め漁網編む/飴山實〉〈眼病む村鵙が防潮林を統べ/飴山實〉と眼病句がある。砂丘とからっ風のため?
ホームビデオでも自分の子を画面一杯に映さず子の居る風景全体を撮るのが良いらしいです。写真家のホームビデオ批判の受け売りですが。
写真の撮り方は、何かを撮るのではなく雰囲気を撮ればいいのだと教えられたように思います。
やらかしまいかのnoteに「常識にとらわれない新しい発想」とありましたがそのすぐ次の行に「新しい成果を生み出す」と金融資本主義の常識内におさまっていてズッコケました。
#蜂起』で言及されている書籍、Jean Baudrillard, L'Échange symbolique et la mort原文 1976.https://monoskop.org/File:Baudrillard_Jean_Lechange_symbolique_et_la_mort_1976.pdf ドゥルーズ・ガタリ『千のプラトー』原文http://palimpsestes.fr/textes_philo/deleuze/Mille‑Plateaux.pdf
"暴力抜きの金融経済はありえないのだが、なぜなら、暴力は今や、基準のない状態における、唯一の決定手段になってしまっているからだ。"(『#蜂起』p.104)時間が価値だった時代は終わり、金本位制も終わった。最近のUSAが行使した暴力は金融経済を維持するためだったと思えば納得がいく。
『遠州文学散歩』は、初版本の図版(写真)が貴重ですね。
既存の枠組み内で行う人はプロデューサである。創造も発明も芸術も無関係だ。アイデンティティ商法に流されて後から搾取されたと騒ぐ事の無きよう願っている。
某自動車会社の実験区でインベンタの称号を付与するらしい。浜松のクリエイタと同じ用法。インベイダの囁きも色々だ。あと、0に何を掛けても不変だから大人しく足し算していなさいな。幸せの量産も胡散臭い。https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17835831
human(人)とresource(モノ・金・データなど)とどちらに重点を置くかとの問いに対する答えになっていない。知り合い以外の市民を灰汁抜きして叩き売りする事に興味がありますとはっきり仰れば宜しい。
いもねこで金曜アクション+のチラシをもらう。5/1(金)18:30~20:00浜松駅北口 フリースクールドリームフィールド https://www.instagram.com/p/DXIMxeGk0Pz/
お金のにおいプンプン。浜松駅南再開発は間違い無かろう。北寺島の入り組んだ裏道も消えてしまうか?
"愛宕下美術館は、横須賀町(現、掛川市)の個人収集家である三枝基の手によって設立された美術館"https://k‑rain.repo.nii.ac.jp/record/807/files/daigakukiyo_53_07.pdf"昭和 19年愛宕下図書館の蔵書は柴田半次郎氏に委譲され、淵鼓図書館とも. 呼ばれる"http://library.city.kakegawa.shizuoka.jp/about/pdf/R1_1_26%20.pdf江川伊太郎の設計
ほんとうだ、抜粋は適当みたいですね。 https://goki.her.jp/createHamamatsu/p.php?id=20260316055234‑7f2b82
「パンとサーカスを欲しがる市民がいつでも与える側にもなれるように」という投稿は機械錯誤。だが、そのような理念は根強い気がする。
貝は貨幣を意味する部首。財を聚める者は贔屭しがち。
人財なる定型句が既に人を数拠としてしか見ていないのではなかろうか。単なる人材で全く問題が無い。起業家の此の機械言語に反感を覚える。
"「個人の成長」が「企業の成長」「街全体の成長」につながる仕組みを構築""単なる『人材』でなく『人財』を育てたい"(浜松市内の有力企業が連携「やらかしまいか」人材育成・地域共創目指すhttps://hamamatsu.keizai.biz/headline/3759/)が"成長と投資という罠"や"記号-資本という金融的抽象による悪質な支配"(『#蜂起』p.95)に該当する。
路上観察:家財道具一式(浜松市)浜松駅北口地下広場
短歌:〈見馴れたる一文字挵挵蝶もよく見れば可愛い顔をしているよ、ねえ/平塚すが〉対話者は実在するか。〈青年は眼一途につらつらと玄関先にキリスト教説く/横山百合子〉「一途」がいい。〈とつぜんにこわれることがないように いつもこのてでこわしたくなる/河原こいし〉ひらがなが掲歌の凄みを活かす(『文芸かけがわ』第二十号)
路上観察:警察官のいる風景(袋井市)
路上観察:句碑〈冬枯れの中に家居や村一つ/正岡子規〉(袋井市)遠州三吟の一つ。袋井駅北口、菅沼五十一『遠州文学散歩』の写真と背景が異なる。
短歌:〈日課とす仔牛の世話に手こずれど老い深む身に実となる鍛錬なり/大橋あさ子〉字余りが潔い。〈さよならのボールが空にきえていくようなサイレン球児の浜風/岡本薫〉甲子園かも。〈ランドセル下ろせば白いシャツの背にびしょ濡れの鳥「アイス」と叫ぶ/水谷美智子〉鳥が唐突でいい。(『文芸袋井』第20号)
俳句:〈元気印演じて通す夏休み/相川弥生〉「元気印」は昭和。〈ハンガーにブラウスかけて春きざす/天野美智子〉句姿がおしゃれ。〈鰯雲グランドならす試合前/安間恒雄〉景が大きい。川柳:〈短所だけ受け継いでゆく孫も居り/天野善正〉遺伝のふしぎ。〈指切りの小指は今もさくら色/大須賀悦子〉若い。(『文芸袋井』第20号)
路上観察:カメラのホリイ(袋井市)高尾町
ほっこりしました♪
浜松行きの東海道線に乗り、ボックス席に座ろうとしたら先客がいた
"ここには真面目な大人の自動車はやってこないし、長く遠い線路もない"(水野満尋「不思議な風船」『文芸かけがわ』第二十号)詩、不気味だけれど希望は不気味な路地にしかないのかも、大人の乗り物が入ってこれないような
掛川市久保一丁目にひっそりとある松平定吉の遠江塚。掛川城から離れているためか目立たない。
連句を〈連歌〉、狂歌を〈川柳〉と記載してあるのに不満はありますが。いやあ感慨ぶかい。ありがとうございます♪
わたしの路傍流瞥。城北工業高校住吉門まえ。パンフが破りすてられてあった。The watchtower方面とおぼしい聖書のパンフ。ここから北50メートルさきにも散らばっていた。
高久書店で『文芸かけがわ』第20号を購入。谷島屋書店浜松本店にもない現代詩手帖最新刊が置いてあるのがすごい
補足。原文の”this”、訳文の〈この〉がそれぞれ何をさすか。高校生に戻った気分ですが、訳文〈この〉は前文に係るようだし、原文は"The financial collapse of 2008 is the predictable conclusion of this age of financial Ersatz," やはり前文の"a decade of infinite war,global terror,and suicide."をthisは指すのか。
菅沼五十一『遠州文学散歩』「掛川城 田宮虎彦 鷺」に徳川家康の叱責を受け発憤のあまり自決した松平遠江守定吉のエピソードがある。掛川は真如寺北奥の墓苑に廟所がある。案内板もないのが若武者らしい。
補足。赤松はけっこう立派なものでした。樹齢50年は下らなかったとおもいます。住吉バイパスの工事で学校の敷地がけずられ、ちょうど歩道にあたる箇所に赤松が生えていたから記念に(?)のこした、のかもしれません。
並木は非情にも伐採されてしまう悲しみ
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区住吉5丁目、県立浜松城北工業高校住吉門まえ。ここに赤松があった。南京櫨の並木に一本だけ。学校の前身をしのぶためだったか。数年まえに伐採。株も残っていない。
路上観察:掛川市営住宅仁藤団地(掛川市)
未読ですが、金融的代用品financial Ersatzはそのサブプライムローンやともだちの代用品としてのSNS上のフォローフォロワーなどを指すのかなと思いました。実体を伴わないデータに囲まれた孤独感ゆえの自裁なのかなと #蜂起
#蜂起 p.130〜131日本語訳難しい。特に〈二〇〇八年の金融崩壊は、この金融的代用品(略)の時代の、予想可能な結末〉。〈この〉が指すのは前文の〈無限の戦争、世界的テロ、そして自■の十年〉か。自■が〈金融的代用品〉はおかしい。結局原文を読んで2008年=リーマンショックなのでサブプライムローン(証券)なのかな、とおもった次第。
路上観察:砂山銀座サザンクロスのGraffiti(浜松市)泣いている女の子
"価値を生み、お金を生み、再投資する"、"人・モノ・金・データの中で最も重要なのは人財。"(「発表」ではなく、「何かが動き出す現場」に立ち会った日【やらかしまいか株式会社】プレスリリース発表会レポート)https://note.com/yarakashimaika/n/nc3a9c1defe7a 『蜂起』読書会参加の皆さんはどう読みますか?
"Le terme de poésie, qui s’applique aux formes les moins dégradées, les moins intellectualisées, de l’expression d’un état de perte, peut être considéré comme synonyme de dépense : il signifie, en effet, de la façon la plus précise, création au moyen de la perte."(La Part Maudite)詩=蕩尽 #蜂起
バタイユの「呪われた部分」La Part Maudite原文http://palimpsestes.fr/textes_philo/bataille/La‑Part‑Maudite.pdf これに"un excédent d'énergie qui ne peut être que gaspillée"とあり『#蜂起』pp.95-96で「エネルギー」を連発していることからビフォはバタイユの蕩尽を意識している可能性もある。
Gilles Deleuzeの「L'Épuisé」フランス語原文はこちら https://www.scribd.com/doc/294455426/Deleuze‑l‑Epuise
杉田敦訳の「疲弊」、ドゥルーズのベケット論「L'Épuisé」(消尽したもの)の英訳が「The Exhausted」なので消尽とも訳せるかも?消尽>疲弊>疲労とすると。"The tired can no longer realize, but the exhausted can no longer possibilitate. " https://www.jstor.org/stable/3685005 #蜂起
"もつれを解きほぐす鍵は、疲弊と調和するような新しい知恵のかたちのなかに見出せるかもしれない。"(『#蜂起』p.95)タイトルがいい、「未来の疲弊と幸福な倹約」Future Exhaustion and Happy Frugality
クリエイト浜松はことば1000こを超えました。claudeに解析ページをつくってもらいました。あなたのことばは載っていますか?https://goki.her.jp/createHamamatsu/1000.html
路上観察:国1バイパス沿いのGraffiti(浜松市)飯田町だけどORSは浜松駅まちなかでも見た
掛川市横須賀にある愛宕下美術館https://atagostay.jp/が泊まれる美術館として復活。4月26日(日)午前10時~正午と午後2時~4時に無料一般公開https://news.yahoo.co.jp/articles/3aea5354b5a541154ae1b34aab7f31e82fde8cb5
遠州に遠人愛を伝道する。起業、町興し界隈ではとかくアウトプットと言いがち。一の独創的な発言の為には少なくとも百倍の入力が欲しい。凡人は千倍。今すぐ役立つ知恵は百年前の人が既に著述している。百年先への言伝としての表現が重要と愚考する。
路上観察:警察車両のある風景(磐田市)豊島
#蜂起』を読む限りだと従来の方式でイベントだの交流だのを企画しても金融資本主義にすべて巻き上げられて何も残らないという結果になりかねません。地方都市に必要なのは町おこしではなく"町枯らし"なのかも? やらかしまいか株式会社https://yarakashimaika.jp/が必要になるかどうかはそのへんの現状把握をできる組織か否かにかかっています
路上観察:秋葉山常夜燈(磐田市)新島、蛍光灯完備
浜松市中央区元城町の市役所南(定食の〈きょうや〉がある三叉路)から鴨江町の合羽坂まで、飲食店、古本屋そのほかの店舗が〈協働〉して町おこしができないかなあ、と、ふとおもいました。〈やらかしまいか〉は必要ですか?
やっぱり、ただの本屋じゃ無かったんだ!前まえから気になっていたんですよ。こんど行ってみよ。
"多くの書店では文庫本などを「出版社別」に並べますが、こちらでは開店当時から「作家別」に配置。"(“ネットにはない出会いがある”浜松「ぶっくす三峰」の名物親父が貫く本へのこだわりとは)https://www.at‑s.com/life/article/ats/1950598.html
掛川の高久書店は2020年、湖西市鷲津のbooks cicalataは2021年開業。コロナ禍の社会変化が一因だろう
八月の鯨→サイダーハウス・ルール、フェイヴァリットブックスL移転、磐田市上大之郷にAmber books開店、本屋すみれ開店、読書空間ひつじ日和が喫茶停止、そして時代舎移転など遠州の個人書店・古書店はここ2年で大きく様変わりしますね
わたしが浜松に越してきた年(1988年)から時代舎は何度も利用、本を買取っていただいたこともあります。どの棚に何があるか、いまでもおもいだせるくらいです。いまの店舗は、入ってすぐに大きな段差があってなかなか馴染めず、やっと慣れてきたところに今回の移転。しかし、こんどの移転さきは100cafeやひつじ日和などがある通りなので納得。
戸田書店リブレ菊川の店長さんが菊川市に本屋をつくる動き? https://www.threads.com/@kikugawa_honya 掛川市上内田にあった本屋すみれも菊川市嶺田に移ったし、東遠がアツい?
一言は旧磐田市と豊田町(旧井通村)で分割統治されていたので警察署は旧磐田市一言かと
磐田警察署について。1962年現在地に庁舎落成。旧静岡大学農学部のそばですが、まだ農学部は現在の兜塚公園にありました。警察署は磐田市と豊田町との境界が入組んだ場所に建てられ、2000年に新庁舎が落成した当時も磐田と豊田に跨っていたそうです。画像の門柱(標柱?)は何かの記念で残されているのでしょうか。
ガタリが関わっていたラ・ボルド病院ですね。"従来の治療モデルから想像される治療者−患者という二者関係の固定的な役割の乗り越え" https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/62/2/62_KJ00008127790/_article/‑char/ja 浜松のレッツっぽい。金融独裁に敵がいないというのも役割が乗り越えられているからか
磐田警察署新庁舎が、旧静岡大学農学部敷地に落成した当時は〈豊田町一言〉でしたっけ。旧国1沿いは利便性が高いってことで移転したんでしょう。
路上観察:豊田町分離派(磐田市)磐田警察署西交差点の北東、隠し方よ
そのようですね。フェリックス・ガタリのいう医療現場の〈横断性〉をベラルディが流用(わるい言いかた?)したみたいです。
「横断性」もガタリかも
"年金を民間のファンドに投資した人、あまり意識することなく住宅ローンにサインした人、簡易金融の罠に落ちた人、彼らはみな、金融の横断的機能の一部になってしまったのだ。"(『#蜂起』p.94)金融の横断的機能fthe traversal function of financeの「横断」はすべてのものを記号資本に換算して支配している状態。ずっとこれの言い換え陳列棚
文学のしやすさだと辺境・植民地・被X地といった土地の文脈が必要とされ沖縄・紀伊半島・東北・広島・長崎などが強い文脈を持つ土地あるいは出身地とされています。でも遠州も移民・文化占有など批評のネタは転がっています。あとはそのネタをどのような文脈で批評するかで、遠州も文学たりえると考えます。
いま、遠州は文学たりうるか?
松城町の読書空間ひつじ日和さんでしょうか。時代舎さん、前の店舗も台風被害で移転して再びの移転ですか。新しい標語が楽しみです
100caféまえの通りを北へすすむと中央図書館東口(? 急な階段あり)ですよね。そういえば時代舎さん、6月ごろにその通り(ひつじ文庫?などがある)に移転するそうです。
夕景。
そのくらいa war machineという言葉は流布しているのかもしれません。日本でもまちがった文脈で戦争機械ということばはよく使われています #蜂起
#蜂起 "war machine"原文ではカッコ無しで出てくる。英和辞典では〈軍隊〉を意味する複合名詞(?)として載っており、ドゥルーズ=ガタリ共著を典拠とするなら""くらいつけてほしかった。さいきん話題のNetflix"War Machine"は、文字どおり〈戦争機械〉がアメリカ軍と■闘をくりひろげる近未来SFらしい。
池町の典昭堂で菅沼五十一『遠州文学散歩』浜名湖出版を購入
"金融による経済の記号化は、社会的資源や日常における知的技能を、破壊する戦争機械である。"(『#蜂起』p.92)ここで戦争機械 a war machineが出てくる驚き。ドゥルーズ・ガタリ読みなら戦争機械=解放の力だけど、ビフォの文脈だと戦争機械=金融資本主義https://kotobank.jp/word/%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%A9%9F%E6%A2%B0‑1555226
紺屋町の100cafeは、イギリスの雰囲気を味わうために行く。スコーンとかフィッシュアンドチップスとか
路上観察:高町のTe La mondoの貼紙(浜松市)元カラオケスナック喫茶嬉々
浜松開誠館の南東、松城町にある一福、老夫婦が切り盛り。七福ではないけれど席はカウンター七席。味噌ラーメンと餃子で1250円、食べるってしあわせってことだったんだ
"批評することは、みずからを危機(クリティーク)に晒すことに他ならない。"、"実際のグーテンベルクには髭がなく、後世の人間が髭をたくわえた肖像画を描いた。つまり私たちは、無いはずの髭にぶらさがって活字を追いかけてきたことになる。"(米田綱路「書評紙の思想、その原点」図書新聞第3730号=終刊号)
路上観察:板屋町交差点のGraffiti(浜松市)またこの女の子だ。
まるごと豆富 https://www.asaba.or.jp/asaba‑s/tokusan/toufu.htm 設備老朽化かぁ
おはたき肉巻きは真似できそう。閑話休題。久し振りにどんどこあさばのまるごと豆富とまるごと豆乳を思い出した。今は製造していない。誰か機械を買ってやってください。
4月の中日歌壇・中日俳壇の静岡県西部掲載者はいずれも浜松市。4月5日:〈雛の日に孫からもらう薔薇シール小さき幸よ中東にあれ/市川恵美〉〈ポン柑の皮の窪みやバスの旅/本沢通子〉〈猫柳この手触りを描きあぐね/永田紀代〉、4月12日:〈境内に竹箒の手ふと止まるけんけんぱーを消さぬ三月/今村卓也〉、4月19日:なし
"新型コロナ禍の影響で途絶えていたB級グルメ「ふくろい遠州おはたき肉まき」"袋井市浅羽地域https://news.at‑s.com/article/1953440
路上観察:「#戦争と家父長制を憎む」テプラステッカー(浜松市)浜松たばこセンターやしま近く
路上観察:浜松駅前ビル裏のGraffiti(浜松市)さまざまな場所で似たテイストの絵を見つけると親しみが湧いてくる。
路上観察:浜松駅前ビル裏のGraffiti stickers(浜松市)この女の子、新浜松駅のローソン横の女の子を描いた人と同じ人が描いたかも
"いずれにせよ、歩くことによって行政上の地区、産業によって変形された大都市とはまったく別の生きられた地理を浮かび上がらせるのだ。"笠置秀紀(建築家)「エクスペリメンタル・フィールドワーク・ガイド」https://www.10plus1.jp/monthly/2017/04/issue‑01.php 路上観察をしよう
"僕の大学はいろんな学部が集まった総合大学で、静岡だけでなく県外にもキャンパスがあるが、大きくは静岡市と浜松市に分かれている。"(壬生キヨム『まぬかれざる生』cieliste)常葉大学っぽいけれど県外?
路上観察:砂山東のGraffitiとGraffiti stickers(浜松市)食堂園の東
路上観察:Graffiti stickers(浜松市)第三砂山架道橋の南
路上観察:浜松駅南口電話ボックスのGraffiti stickers(浜松市)ドラえもん文字風はよく見るけれど「えくすえんだー」は初かも
路上観察:硝子に貼られた絵の残骸(浜松市)楊子橋の西のたもと
"無い/花を//さがしている/そこに/いた//塔は立っていた"(さとう三千魚「塔」、2024.1.8(日)浜松「八月の鯨」で、『花たちへ 無一物野郎の詩、乃至 無詩』浜風文庫)無い花のひかりと、塔のおおきさを思う。
ありがとうごいます。写しまちがえていました。「文化的な期待をつましいものに修正し」(『#蜂起』p.92)でした。expectationですが、遺産関係は前後の文脈にそぐわないので「お金のかからない文化的な期待」あたりにします。"商品化された文化、高額なクリエイター作品を買うのをやめよう"ですねhttps://note.com/onaikotaro/n/n093d5ecd431b
expectationには〈期待〉の意味もありますが〈望まれるもの〉から来たのか〈(相続の見こみのある)遺産〉の意味もあります。なのでp.90の一文は〈当然のごとくさ受けとれるはずの文化的遺産〉と解せられるとおもいますが。
日本国語大辞典には贅沢でないとの意味も載ってはいますが、慎ましいではなくて倹しい(frugal)ですね。お金のかからない楽しみを摸索する事です。#蜂起
Palyaço saraya taşınınca kral olmaz, saray sirk olur.
総延長約180㎞の天竜川水系ドローン航路 https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/mobilityconsortium/drone_route/index.html 【運航情報】静岡県浜松市内でのドローン自動飛行(2026年 4月)https://www.trajectory.jp/news/schedule20260401/ 医薬品配送など
第2章ちと難しい。金融経済の崩壊は"社会的な生産を平等なやり方で再分配し、既存の資源を共有し、文化的な期待をつつましいものに修正し、喜びは常に増加する消費に依存するという考えを思い直すのであれば、恩恵になる可能性もあるのだ。"(『#蜂起』p.90)つつましい文化的な期待cultural expectationsとは?
路上観察:中泉の坂上田村麻呂上陸地の石碑(磐田市)句碑・歌碑などの石碑や天愚孔平の千社札やGraffiti、耐久性は違えどそれぞれの精神は似通っていたのではないかと考えています。
路上観察:中泉の常夜燈(磐田市)田町小路組
よこただいすけ展「絵とことばのあと」2026/4/19(日)〜5/6(水)10:00〜16:30ひと・ほんの庭にこっと2階みんなのギャラリー https://www.instagram.com/p/DWY4QLtDwag/ 磐田市在住の絵本作家
月見の里学遊館が月見の紙マルシェ-本と文具-の出店者公募をはじめたよ。6月20日と21日https://www.instagram.com/p/DXVz66Ujaea/
経済学者の拙速な主導権争いを見せさせられているような #蜂起
北の七五調と南の八六調、環境要素が大きそうですね。たとえば海の音や鳥虫の音が北よりにぎやかな南で余白や間が機能するかどうか
温暖な地方の楽曲は寒冷地よりもゆっくりなのが関係しているのかも知れない。温暖湿潤の気候と比べると寒かったり乾いたりする地方は口を開けずに速く発話する傾向があるかもしれない。推測ですが。
すると南の方が余白や間をとらない傾向があるのでしょうか?
四拍子に収まれば実はそんなに気にならない。
漢詩は五言か七言でベトナムは六八体、和歌は五七調で琉歌は八八八六。南下すると五七が六八になるんですか?
磐田市上万能の旧国道1号線沿いに新しくできた「丼と麺」、朝ラーメンは藤枝の方の文化だと思ってきたけれど西へ広がりつつある。
経済にも科学的な発見はあると思う。但し、其れが教条化する期間が短い。新指標は直ぐに学閥の装飾品や政治家の宣伝文句に陳腐化されてしまう。未来での客観性を保てないので結果的に科学的たりえない。#蜂起
磐田市上新屋の「ひと・ほんの庭にこっと」内に「みんなのギャラリー」がオープン https://www.city.iwata.shizuoka.jp/kurashi_tetsuzuki/bunka/bunka/1016233/1016237.html かたりあの北か
そろそろ『#蜂起』第1章を終えて第2章に入りましょうか。序や第1章への蒸し返しは常時歓迎。"経済科学のようなものが実際に存在するとは思えない"(『#蜂起』p.86) それはdogmaやdogmatic notionsなどの教条主義に縛られている経済学は科学ではないとの主張。ケインズが金を野蛮な遺物barbarous relicと断じ、挫折したのもその一例か。
"Rejecting social norms and aesthetic forms of authority, the nihilism of the Open Mouth poets retaliate against the chaotic cohabitation of the Communist regime, Confucian values, and Capitalist materialism in contemporary Vietnam."〈A Deluge of New Vietnamese Poetry〉https://x.gd/9a7mo ASYMPTOTE 越南開口派詩人
ベトナム語の詩のサイト「詩歌学院」? https://www.thivien.net/ また、ベトナム語の定型韻文詩には六八体Thể lục bát/體六八なるものがあるらしい。http://lucbat.com/
コメントとは関係無いかもしれませんが、ヴェトナム語は多く漢音をふくむので、定数音節の短詩にふさわしい言語かとおもいます。
"彼は、1000部以上を出版するつもりだと語った。贈り物として、あるいは彼に本を贈ってくれた作家たちと作品を交換するためだ。"https://www.vietnam.vn/ja/song‑cham‑voi‑sach ベトナムの出版文化には日本の詩歌ジャンルと同じように贈与の文化が組み込まれている。
社会が爛熟するとか命運が極まるとの訳もあるかもしれません。欧州社会が発展して衰退していく過程すべてを包括する硬い言葉なので。
路上観察:新浜松駅のローソン横graffiti(浜松市)この顔に見覚えがある
路上観察:graffiti sticker(浜松市)、謎の間取り図 その時、何を語るのか
路上観察:駐輪場の案内(浜松市)、馬の点々の処理法
路上観察:浜松まつりの注意看板(浜松市)、「ワッペンの無い方提灯を持たない方は夜の練りに参加できません。」
路上観察:北寺島町のトマソン扉(浜松市)、馬込川、遊歩道のフェンス間にある。扉をあけても下に階段はない。
まさに金融独裁financial dictatorshipによる金融資本主義の技術-言語的なオートマティズムですね #蜂起
けさの日本経済新聞第一面「市場が動かす政治」上の回。〈米国とイランの停戦を期待し、日米株が最高値を更新した。トランプ政権が軟化したのはホルムズ海峡封鎖が市場の混乱を通じて自身の政権基盤を揺るがすためだ。〉〈市場が政策に不安を感じると米国債が売られて利回りが上昇〉ゆえに政権転換。トランプ政権(他の国も)の急所はここか?
スケジュールにのっとって編輯ずみの番組を自動的に送出するシステムもplay-outというそうなので〈終局への軌道をひたすらに走る〉みたいなニュアンスもあるとおもいます。
low-cul corrective for closed museum observatory
新しい浜松市美術館の構想を、オープン・ミュージアム・ラボのメンバーであるクリエイター・アーティストがまとめた場合、公正性の観点からメンバーの作品は浜松市美術館での展示を永久に棄権しなければならなくなる。
"but the actors of the present comedy are old men who seek help from bio-techniques, psycho-chemistry, and pharmacology."と"the present energolatreia of the old"=老人たちのエネルゴラトレイアから"若者スタイル"なのは老人たちかな。なので内容的にも「欧州の運命/命運は〜尽きる」のほうがふさわしそう。 #蜂起
自動詞play outを適切に訳すと欧州の命運は尽きるとすべきかと。発展一辺倒の社会を賦活するには結局老い、朽ちを受け容れるしかない。侘び寂びの出番か。#蜂起
youth-styleは未熟さと活発さ(群体らしさ)とを表すか。科学技術の発展で土さえ触らない人が増え、浅慮の言動が行き交う。自分の体を使って実験する感性豊かな人と断絶する。若者が諸悪の根源。誰ですか、若者(四十歳未満)としたのは。youthはティーンの別名である。大人と子供の間の年代。#蜂起
"ヨーロッパの運命は、生政治の領域のなかの境界で、消費主義、テクノ衛生主義的な若者スタイルの攻撃性、そして(敏感な)生物学的有機体の限界に関する想定される集団意識、これらの境界で展開していくことになるだろう。"(『#蜂起』p.80)難解。「若作り薬漬け老人と寿命を認める集団意識の境界で、生政治の圏域で欧州の運命は展開する」?
"匿名性に護られ/顔をなくし/硬直したこころは/言葉という石を投げつけあい/投げつけられた石は/こころの浜辺に打ち捨てられ/手に取られることはない"(鈴木清美「葬送と再生」『夜より暗い』土曜美術社出版販売)ほんとうは匿名でなくても語れる状況になれればいいね。"わたしたちは/再び 顔と名前を取り戻すだろう"
匿名で云々の『夜より暗い』鈴木清美作土曜美術社出版販売が非常に為になる言葉だったのでログを取る前に一瞬で消えてしまって勿体ないです。浜松市に於いて実名で建設的な遣り取りが出来るといいね。
新居町のあと引製菓さんのあと引せんべい、せんべいというよりクッキーだけど、ちゃんと和の味がする。
地方のlocalな活動圏では贈与経済、それぞれの活動圏をまたぐglobalな活動では市場というふうに用途に合わせた使い分けと補い合いをいま考えている。
今は詩よりも金ががんばっている。#蜂起 "経済学は1世紀前に金を「野蛮な遺物」と断じ、その評価を定着させようとしてきたが、何度も失敗している。" https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026‑04‑18/TD7E82KK3NY900#gsc.tab=0
磐田市中泉の磐田市役所入口交差点南東にあった中央堂書店も花屋と整体になっている。
滝沢朗「あいつらは直列につないでやれば、結構なポテンシャルを発揮するんだ」(『東のエデン』)
鴨江アートセンター広報紙も浜松アーツ&クリエイションのNews Letterも平野美術館のART'Sもそれぞれの機関紙に過ぎず、地域のアートを総覧していない。クリエイターの人間関係やしがらみから抜け出た文化の視座がない。
浜松市にアーティストはいないことはない、ただ公的機関と癒着してアーティスト面するクリエイターたちとつるむほど落ちぶれたアーティストがいないだけ
そうです。わたしがおもうバス路線は、かつての軽便鉄道をほぼなぞるルートです。距離が短いので、遠鉄はたぶん興味をしめさないかも?
むかしの浜松電気鉄道笠井線ですね。 https://pyoco3.c.ooco.jp/tokai/entetu/kasai/kasai.html
ヘテロトピアheterotopiaは、ゲニウス・ロキgenius lociの一形態なのだろうか
確かに"a paradigmatic shift"はソシュールの"範列(Paradigms)と統語体(Syntagms)"から浮上する。http://www.visual‑memory.co.uk/daniel/Documents/S4B/japanese/sem03_japanese.html まさに翻訳するための範列的な候補から和訳を探っていくこのやりとりこそが集合的知性 the power of collective intelligence!杉田敦訳は試してくる! #蜂起
色々な言葉の組み合わせを試してそれを思考のよすがとする。ビフォが繰り返し主張する内容。「太陽が光る」の文で太陽と光るの二語がsyntagma、太陽と置き換えられる単語、例えば星、信号、蝋燭などの系をparadigmaと言うらしい。
原文はわざわざparadigmaticと形容詞を使っている(p64)辺りここは文法用語かもしれない。syntagmatic(滑らかな)言語、自動的な表現に逆らう必要があると主張しているのではないか。
コペルニクス的転回なる常套句が長いので、コッペバンにしたい。それはともかく、依然として人間中心主義、欧米中心主義の香りのする学問の多いこと。中心という考え方がそもそも古い。あったとしても北極星のように移動する暫定的な中心だけである。
そういう事業にお金(税金)をつかうよりも、西ヶ崎-笠井間のバス路線を新設してほしい。西ヶ崎近辺の高架化だけで終るわけが無い(つまり周辺区域の再開発事業がらみ)。
茶化すのでは無いが、岡林信康「私たちの望むものは」みたいな文言だとおもう。
都市のトポロジーにおける記憶の集積は、単なる物理的なマテリアルの堆積ではない。それは、記号化された日常のパロールが、路地のフラグメント(断片)と交差する地点で発生するヘテロトピアである。
"浜松市は、遠州鉄道と協力し、同社鉄道線の遠州西ヶ崎駅付近約1.4㎞を対象とした立体化事業に取り組む。"https://www.kensetsunews.com/web‑kan/1215501西ヶ崎駅辺りだけ立体化か
"わたしたちの望みは、パラダイムシフトであり、製品の成長や利益、蓄積ではなく、集合的知性の力を完全に展開させることを中心に据えた、新しいパラダイムに移行することなのだ。"(『#蜂起』p.77)"パラダイムは「範型、モデル」を意味するギリシャ語のパラデイグマ(paradeigma)に由来"https://imidas.jp/genre/detail/L‑101‑0111.html
天理教さんは穏やかな方かと。静岡県西部は、オイスカ浜松国際高等学校の三五教さんや大日本報徳社や遠江国学など独特な宗教・思想風土がありますね~
うちのポストに、こんなものが… 紙はピンクです。
浜松市の芳川起点よりよっぽどきれい。
古橋商会佐鳴台店はしばらく整備士がいないのでバイクの整備業務は受け付けていないとのこと
文化とかオープンとか、実態を伴っていない都合のよいお題目を並べさえしなけばどんだけ儲けようと構わないのさ
高い費用は批評を防ぐのに有効。嫌儲者を排除して参加者には埋没費用効果で良い印象を持たせる。寺院でじーんと鳴らして一時間で千五百円取る謎の集会があったが、あれは何か。勿論必要経費を負担するのは吝かではない。
"私が懸念している点は、日本の文化・芸術・観光の国際産業化政策などが、文化・芸術の分類・階層の重要性を軽視し、あらゆる文化・芸術をひとまとめにした粗雑な議論を行っていることだ。"https://www.sankei.com/article/20260415‑IPVSRYGHKRIXRPGO6UTBLTP5AY/
落語の三題噺みたいに、観客からお題(テーマ)をもらって即興劇を上演、なんておもしろいかも。
演算、演習の〈演〉です。それにしても、上演しながら戯曲(台本)を完成させるって試みがすごい。
書店・古書店がある=文化的かは議論を分けているところですが、池町の典昭堂、松城町の時代舎古書店、浜名区中条のフェイヴァリットブックスLと個人古書店・個人書店は人口の割に充実していますね。調べていたら浜名区小松の寿堂書店は閉店していました。
劇団有線第0回公演「野良猫と片腕」5月16日(土)浜松市街地にて。出演:曽布川祐・塚本千花・タテイシヒロシ、料金2,200円 https://x.com/i/status/2036243204790771907 上演の演って練習という意味もあるんでしたよね
そりゃあ、戦後すぐに愛知大学が開学した豊橋とくらべて、浜松は〈車と楽器〉あと、染色と糸瓜ぐらいしか無いような街かもしれないが、板屋町の泰光堂、池町の典昭ほか、市街地にいくつもの古書店を擁してきた。元目町にも近年オープンしたし、浜松も文化的で無く無いですか?
熊野の長藤もいいけれど、野箱と白拍子の境にある千寿前の墓にも藤の花がすこし咲いています。〈一樹の蔭や一河乃水皆これ他生乃縁と云ふ〉
books cicalata(湖西市鷲津)が明日4月19日(日)開店!BEST PAGE COFFEEは珈琲だと分かるとしてKOSAI CITYグッズって? https://www.threads.com/@books_cicalata/post/DXQPjPZgYEd
二級河川である旧仿僧川の起点、源流ではなさそう
鱷がワニで、櫮がたくさん花の咲いた木というのがステキ
口×4で構成せられる漢字の音読みはkをふくむものが多い。口×2の漢字の音読みももkやgではじまるものが多く、サイ(口)は会意よりも形声、音符としてもちいられたのでは、とおもいますが。それにしても口×4の漢字が21もあるとは。字づらがこわすぎる!
『断食月』を販売するとき、ブログ・SNSなどのurlを貼り「『断食月』の感想(批評)を書きます」または「次号の『断食月』に寄稿します」とクリエイト浜松に投稿してくれたら割引とか無料で渡すとかあっていいかも。字数や期間は特に決めず。文芸の贈与経済として。
口は弥生時代の石包丁と若手の漢字学者が言った事を思い出した。長方形ではない甲骨文の字形はくちよりも石包丁に近く、右や石、谷が解釈し易いと補足していた。ブログのリンクが見つからないので貼れない。
白川靜は〈器〉字(大では無く犬)について、祝詞をおさめるサイ(口)を四つならべたなかに犠牲の犬をおく、と解して〈うつは〉と訓んだが、白川漢字学は畫解き学ゆえ、藤堂明保ほかからの(言葉“音と意”からのアプローチで)異論もある。わたしも〈哭〉は〈泣く〉意なのにサイ(口)が2個ふえて〈うつは〉なのはなぜ?とおもう。
空回り空騒ぎ街騒に不在の才
on airとundergroundとon the groundとの共存はon airが浮かれ過ぎてはいけないし、undergroundが埋もれ過ぎてはいけない。政争の結果広告気球が成層圏を彷徨っている。人は空ばかり見てる。
良かれ悪しかれ浜松は車と楽器の街。轢かれた文化に惹かれる物好きは少なくとも商業的規模に成り得ない。却ってそれが住民の誇りと癒しに繋がる。保存研究は必要だが宣伝の為の税金投入は不要。性急に社会に還元しなくても十分に機能している。
𫐃し開くと器の異体字ですね。似たような漢字はこちらからどうぞ。https://kanji.jitenon.jp/kousei/%E3%97%8A/ 田を含む漢字は以下。https://kanji.jitenon.jp/kousei/%E7%94%B0/
噐 infecto.以外でその字をはじめて見たかも
ひょっとして噐からたくみを追い出したが轢かれた結果が車?
「余白を追い出す」で脳が捻じれそうだけれど負*負=正みたいな感じだと思う
器から犬を追い出すと畎。㗊から余白を追い出すと畬畠。
私八開放的文痞候。遠州最高也。
"大いなる必要性(競争と成長)に従わない者たちは、ゲームから退場させられることになる。ゲームに残りたいものは、どんな罰でも、どんな拒絶でも、どんな苦しみでも、大いなる必要性が要求するものはなんでも受け入れなければならない。"(『#蜂起』p.74)そこまでして残る価値があるのか? 価値とは?
デイリーポータルZの鈴木さくら氏、静岡県西部みがあるhttps://dailyportalz.jp/writer/kijilist/53 と思っていたら出身は掛川市とのこと。 https://dailyportalz.jp/kiji/kyusyoku‑miso
"クリエイティブ・クラスの概念は、したがってエリート主義でも排他的でもない。事実、私は主に「知識労働者」「情報社会」「ハイテク経済」という概念に対する個人的な不満の結果として、これを創出したのである。"(リチャード・フロリダ『クリエイティブ・クラスの世紀』ダイヤモンド社)クリエイター階級の固定化はフロリダの理想と逆行する
袋井市だと2961や315などポケベル時代のような数字の語呂合わせをやりがち
浜松市のクリエイターは芸術の諸分野を隔てる壁を築き、芸術を有用なジャンルと無用なジャンルとに分断させた。そして有用なジャンルのみで器を作ろうとする。すると無用な空間がないため、オープンな器にならない。しかしオープン・ミュージアム・ラボと言い張ろうとする。そこに無理が生じる。
"この場所は、土地に刻まれた記憶という点では、ほとんど無に等しかった。地霊的なものは何もなかった。"(坪内祐三『靖国』新潮文庫)地霊的なものがないから新たな地霊を人工的に仕込みやすいという江戸→明治期の感覚がおもしろい。
"Aiunt enim multum legendum esse,non multa"とは謂うけれど、精読する冊数:多読する冊数=1:10にして精読回数:多読回数=1:2くらいの方が理に適う気がする。
"破産する権利という、新しい概念が生まれつつある"(『#蜂起』p.67.l.1)"「わたしたちは借金を返すつもりなどはない」"(『#蜂起』p.69.l.2)現状の社会をめちゃくちゃにしてやろうという強い意志を感じる。
"新自由主義の概念操作"『#蜂起』pp.55-59として5つの概念操作が述べられています。①富裕層減税→雇用増、②定年延期→若者雇用増加、③民営化・市場競争→サービス向上、④労働者の給与は多すぎ、⑤インフレは危機、など。市営バスの運転手は高給だから下げろや郵政民営化など日本でも似た主張はありました。その結果はどうだったでしょう?
馬込川にかかる楊子橋近くの青い水道管にはよく川鵜がとまっている。川鵜は離水や着水の距離を長くとる。https://www.youtube.com/live/E1Ee27IczxY
〈みち〉で一首。はるやまの変電所よりささやぶへいざなふごとしひとすぢのみち
石田千みたいな。
シカクナキ四角四面ノひらがなにとぢるちまたにみちをさがして
テーマ「みち」。やっぱり平仮名に開くの好きだなとの偏見を深めた。
じゃじゃの作文大賞、創刊予定のZINE(小冊子)に掲載とのこと https://jaja‑lib.com/news/%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%96%87%E5%A4%A7%E8%B3%9E‑%E3%80%86%E5%88%87%E8%BF%AB%E3%82%8B/ 入野町のじゃじゃの私設図書館
"かつて商業主義のカウンターとしてあった「関係性」への希求が、いまやマネタイズの手法として主流化し、大衆化している状況です。"(まちづくりと「地域アート」──「関係性の美学」の日本的文脈https://www.10plus1.jp/monthly/2014/11/issue‑02.php
"「地域系のアートってこうだよね」とみんながぼやっと抱いている疑問が、じつはアーティストにとっても自分自身の活動を保存するための方便になっているところがあるような気がするんです。"(「地域アート」と共同体――芸術の固有の領域とは何か? https://synodos.jp/opinion/culture/18972/)#蜂起』訳者の杉田敦の弁
中泉のcoffee echoU/philllllにはブックカフェではないのにセネカ『生の短さについて』岩波文庫が置いてあり好きになりました。
"このようなアートプロジェクトが、批評など他者からの言葉を排除しがちである傾向があることもまた指摘されている。"(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)この本じゃないけど「地域アート」https://bijutsutecho.com/artwiki/18
【ふじいろフェスティバル】4/19(日)10:00-16:00 磐田市新造形創造館 https://www.iwata‑souzoukan.jp/news/fujiiro‑festa2025/ 熊野の長藤にちなんで。
浜松から磐田の中泉(磐田駅北)にくると、風通しのいい町、のんびりとあくびしているような町だなあ、とおもう。再開発で〈風通し〉がよくなりすぎてスカスカになってしまったが、さいきんカフェがふえている。
不安定なのは未来ではなくて彼らの考え。貨幣制度は既に崩壊している。金や物資や頤指気使への依存を意識して減らせば悲しむ暇は無くなる。この皮肉をパリの思考停止と評するも良い。最早他人への言葉は無力。出来る人はやる、出来ない人は教える。#蜂起 矛盾ばかりだが情熱は伝わるだろうか。
"わたしは、彼らがアーティストになりたいと言っているのは、アーティストであるということが、悲しい未来から逃れることを、悲しみとしての不安定な未来から逃れることを意味しているからだと考えている"(『#蜂起』p.54)浜松市におけるクリエイターという存在もドイツのアーティストと同じように未来からの逃避なのかもしれない。
【出品者】4/18+19 TATA PRESS(札幌リソスタレーベル)/石引パブリック(金沢リソスタレーベル)/cocoromo store/しじょう(新作漫画)/吉田省念(新作カセットテープ)/そろそろart in progress(アーカイブブック) https://www.instagram.com/p/DXHCl4pkewj/
プスプス市2026春 ●4/18(土)10:00-17:00 阿萬aman/昨日刊行/Wounded Amazon/cieliste/筆談コーナーと見せびらかしライブラリー/hi&森のJKのお菓子屋さん ●4/19(日) 10:00-17:00 装幀室白亜/もちみかん/ブックカフェ四次元/昨日刊行 https://www.instagram.com/p/DXF1hj2El8W/
春の轍
第59回小熊秀雄賞決まる 浜松市の生駒孝子さんの『光る轍』に https://www.asahikawa‑np.com/digest/2026/04/015039850/
その科は遠州詩学校かも
〈言語にとって美とは何〉科。あらゆる文藝のジャンルに挑戦することで言語表現をみがき〈言語表現美〉を考察する。〈目先の実学〉では無いが、好きなひとは好きだろう。
静岡文化芸術大学でまかなえない分野をたとえば「遠州美学校」で担うとしたらどんなカリキュラムやどんな科目が考えられますか?
文化政策とデザインしか学科が無い。がっかり。典型的な目先の実学。卒業生よりも中退者を弱い紐帯で拾えればと思う。
後生可畏,焉知來者之不如今也?四十、五十而無聞焉,斯亦不足畏也已。漸く一期生が四十を超える頃なので刮目して相待たれよ。
2000(平成12年)開学の静岡文化芸術大学。これまで何人の〈アーティスト〉〈栗瑛太〉が輩出しただろう。女性タレントと女性アナウンサーぐらいしか居ないみたい。
駆け出しのクリエイタが負けているのは機械や資本主義に対してではない。人類の歴史の積み重ねに負けている。これに気付かず離脱するならば独学で自己を高めるには向いていないから一流に弟子入りするか企業兵士になって扱き使われれば良い。
現代美術を称する場に出展する3分の2はそうだが、この発言を期にクリエイタが安直に現代美術やアヴァンギャルドを名乗る未来が見える。エピゴーネン且つ下手の横好きも良い所なのだが。アーティストにしては何も考えない感じないし、職人にしては覚悟が足りない。六十は鼻たれ小僧と思って技術を磨かない。世知辛くなるだけ。
古本・珈琲の店「サイダーハウス・ルール」にて「オープン・ミュージアム・ラボ」の方をお迎えして、「新美術館について話す会」をお店で開催予定、日程未定(5月?)https://www.threads.com/@negitoronyanko/post/DXJw30iEoU5
営業中という意味のオープンかも
磐田の"外人アパート"とも呼ばれる彩輝にて
浜松に、社会に対する疑問の提唱者、アーティストは何人いらっしゃるかしら?
TBS「プレバト!! 」では、きっと低評価だろう(夏井先生の添削がはいる)作。
花園吟句より抜粋。〈どんぐりの 大地に星座を つくりけり/後藤繁雄〉〈暖かき ふとんに宿る 寝しょうがつ/後藤繁雄〉〈木蓮や 節分きたかと 鬼が園/後藤繁雄〉(後藤繁雄「三ヶ日 仮の家だより 春よこい」『ART'S』vol.90公益財団法人平野美術館)分かち書きと謎の季重なり。
"詩人たちは、グローバル経済や、人生における日常的な事柄の軌道を、予期し、見通してきた。"(『#蜂起』p.45)そんなことはない。けれど引用されているWilliam Butler Yeats<The Second Coming>の"When a vast image out of Spiritus Mundi/Troubles my sight:"のSpiritus MundiはAIを予見したものかも?
けさの日本経済新聞32(最終)面〈氾濫するAI小説〉上の回。星新一賞一般部門受賞作4篇のうち3篇AIを利用して執筆したと判明。人力かAIか区別がつかないとのこと。詩作にもおなじようなことがおきないともかぎらない。
専門用語よりも身近な言葉の方が却って厄介な事はよくある。日本人が英語で意思疎通する時はラテン語が多い方が通じる。中国語でも画数の多い熟語の方が通じる。セレンディピティは誰も間違わないがオープンはそうではなかった。不幸な行き違いだったとしておく。次は無い。
レオンカヴァッロについての段落の誤字が気になって論旨が頭に入ってこない。地域に居住する字の読めない人々へ意識を向ける為の仕掛けだろうけれども。
疑問の提唱者としてのアーティストに作品の説明責任はないと私も考えます。ただクリエイターの特権要求のために公的な権力を行使して作品を社会へ陳列し、芸術の諸分野を序列化するような政治活動は説明してほしいと考えます。「有名になってプレイヤーとして盛り上げないとね」(第3回ゆーしきゃカイギ議事録より)→実は文化の弊害なのに
アウトノミアをはじめとする、1970年代のイタリアの「運動」は、資本と市場によるスペクタクルの支配に対して、これに対抗的な自前のスペクタクル空間の構築を常に模索し続けた。(伊藤公雄「空間の政治学に向けて」)https://situationniste.hatenablog.com/entry/20091120/p1
有難うございます。アーティストに説明責任がある事は稀。社会に対する疑問の提唱者だから。説明は作品を見る個々人が考える必要がある。私も未だに解釈できない作品があるが、思索の合間に割り込んできて急に意味が通る経験がある。尊い瞬間である。芸術に対して一時的に挫折する機会を奪ってしまうのは果たして優しい事なのだろうか。
AIが出したそのままの議事録なら、オープンミーティング「はなしてみる」2026.2.1議事録(鴨江アートセンター) https://x.gd/O3wM2
オープンで思い出したが、二月頭のはなしてみるの議事録や纏めはありますか。(この街の人仮名に開くの好きだな……)
シチュアシオニストと俳句・短歌の吟行って近いんですよね、スペクタクルを客観写生で塗り替えるという意味で。ちなみに『#蜂起』のビフォはシチュアシオニストのスペクタクル批判を〈記号資本〉批判として継承している節もあります。第一回は議事録をとっていなかったのかリンクが無いです。第五回はこれから?
第4回のまちなかの話を見て、現役シチュアシオニストがほぼいない事に気付いた。路上観察学会が活発になると面白そう。携帯を家に置いて散策する自由を獲得できればいいのだが。車相手のデザインが五月蠅いのはそうだが、宣伝等の背景音楽も中々堪える。第5回と初回の公開もお待ちしています。
やらかしまいか! https://yarakashimaika.jp/ のページが「このサイトにアクセスできません」になっていた。アーカイブしていてよかった。https://web.archive.org/web/20260311105651/https://yarakashimaika.jp/
この会議で一番初めに定義すべきだった言葉がオープン。お互いが理解し合っていると思わないようにしましょう。
"数学的厳密さの獰猛な支配から、社会生活を解きほぐすのは、詩的な作業だと主張することができるだろう。なぜなら、詩は言語の過剰であり、象徴の負債に直面した破産の宣言でもあるからだ。"(『#蜂起』p.44)飛躍が過ぎるぞ
新浜松市美術館構想を考えるローカルコレクティブ 「オープン・ミュージアム・ラボ」のオープンではない会議の議事録。第二回 ゆーしきしゃカイギ https://x.gd/qmOff 第3回ゆーしきしゃカイギ議事録 https://x.gd/CHSao 第4回ゆーしきしゃカイギ「(私の)まちのつくりかたを識る」https://x.gd/v7zoh
マナー講師みたいで嫌ですが、愛識者懐疑の作法でも作りますか。
ゆーしきしゃカイギ第三回の方の調査法から盗める技術は多い。令和6年度の浜松市美術館年報の発掘や収蔵品検索器の発見は脱帽。
ゆーしきしゃカイギの「(議題)」の部分から遷移します。これを公開したと呼んで良いのか非常に懐疑的になっていますが。
ありがとうございます、リンク見つかりました。「SNSでカイギの内容を公開する場合は、グループに確認をして許可をもらいましょう。許可がもらえないものはアップしないでください。」第二回ゆーしきしゃカイギ2025.11.21より
青字や下線は無いですが飛べるはずです。
さすがにゆーしきゃカイギの編集権限はくれなかった
知識で語らず経験を語る為に経験を共有する必要がある。
種は保存したので葱でも出荷しましょうかね。さすがに隠蔽には走らないと期待しますが。
議事録のリンクが消えて作業中のようですね
ひとまずうぃーしきしゃの仕事を待ちながら読み進める。興味深い。
五回に亙るゆーしきしゃカイギの議事録は何処かにありますか。と思ったらドキュメントから第2~4回の議事録に飛べるようになっていた。勿論「クローズドなトークの部分もあってもいい」(カイギの作法より抜粋)がオープンを騙らない事。https://docs.google.com/document/d/1mwp1IGLvUA8Kiu4aDNsPXWRIaFtlB‑Us‑ERoELNaIws/edit?usp=sharing
参加者が自発的に井記号を付けて呟くだけでも風通しが違う気がする。勿論本物の公開ではないが余りにも具体が見えてこない為それでも満足してしまいそう。
元目町の古本屋サイダーハウスルールさんで新美術館について話す会があるらしい https://x.com/i/status/2044272584221671609
なるほど安東次男は東京帝国大学経済学部経済学科か
おもしろいです。ただ、浜松市のクリエイターたちはその手のアート的趣向を解しないんですよね。解する能力があれば現状にはなっていない。疎外感を得るどころか、「やっぱり私たちの方がオープン」と開きなおるのが関の山かと
いっそのことクローズド・ミュージアム・ラボを勝手に名乗り情報を公開する事でオープン・ミュージアム・ラボの構成員に対して疎外感を与えてしまうのも一策か。
#蜂起 p.37〈詩人は、貧しすぎて、株式市場にお金を投資することなどできないのだ。〉安東次男は、かつて〈株式市場にお金を投資〉。本人曰く、他者へのアドヴァイスが図に当ることはあっても、己れの勘が当ったことはあまり無かった、と。
ひと昔前に老後2000万円問題がありましたね。今では幾ら必要だということにされてしまうのかhttps://newsdig.tbs.co.jp/articles/‑/2324671 #蜂起
「オープン」がぜんぜんオープンじゃないんですよね。オープン・ミュージアム・ラボなのに既存メンバーとの関係性でメンバーを決める閉鎖性があります。誰のための浜松市美術館の構想を考えようとしているのか、甚だ疑問です。
高齢者向けのテレビ宣伝では保険の話ばかり。不安を煽る演出は減ったが、読み上げる原稿や引用する数拠自体が不安を煽る誇大妄想。老いを楽しむ余裕を奪う。#蜂起
「これまで[の]月一回のオープンミーティング」の概要さえ見えてこないのにオープンを名乗ってしまう図太さ。
そうですね。強いて言うなら新しい投稿に「問い続け、対話とリサーチを重ねてきました」https://www.instagram.com/p/DW_SlU2D0tA/ とありますが、閉鎖的なクリエイター・デザイナー集団の内輪で問い続け対話とリサーチを重ねる前に、情報をオープンにして自由回答のアンケートを募るべきでした。何かに誘導しようと疑われて当然です。
わたしが〈オープン・ミュージアム・ラボ〉のアンケートをきらって答えないのは、すでに設問があって誘導尋問のような気がするから。自由解答(言いたいことを言う)でいいでしょう。そういうなかから良いヒントやアイディアが生れるとおもいますよ。
言わんとしていることはわかります。"クライアントもパートナーも一種の〈数学的奴隷〉"のクライアントとパートナーっておもしろい用語ですね。何を示しているのか曖昧なままにしている。
新しい浜松市美術館構想を考える「オープン・ミュージアム・ラボ」のアンケートで、構想をまとめる力量がラボにないのは明白。そこを隠さないのは美徳だ。ならば焦点はプロセスとなる。ラボは、統計的に処理する前に回答を全文公開とすべきだろう。あらぬ疑いをかけられないようにするために。 https://www.instagram.com/open_museum_lab
訂正。「君に薔薇薔薇…という感じ」は1982年1月リリース。その前年に当用漢字表をあらためた〈常用漢字表〉が公布せられました。常用漢字表は現在にいたるまで何度か改訂せられましたが〈薔薇〉の2字はありません。
#蜂起 さいきん、TVやネットなどで〈マネードクター〉や〈マネックス〉、FXやNISAなど資産運用に関するCMが多いですね。物価上昇や低収入などによる生活不安につけ入られて、資産運用で市場の至上な高等数学に関わらねばならないところから、わたしはクライアントもパートナーも一種の〈数学的奴隷〉だとおもいますが。
"彼らはサディスティックな杀殳人者には見えない。けれども彼らは、ヨーロッパの人々を、平和裡に、数学的奴隷制に服従させようとしている。クリーンに、スムーズに、そして完全にだ。"(『#蜂起』p.43)日本でこのような数学的奴隷制を感じますか?
田原俊彦「君に薔薇薔薇・・・という感じ」https://youtu.be/uC6vKa‑T3aE rosa・roseの語源はギリシア語のρόδοでその語源は古代ペルシア語のwrd・vrd系の音とされる。万葉集〈からたちの茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自/忌部首〉の茨(ウバラ)は薔薇の古称とされている。ウバラの語源もvrdならペルシアの響きを歌うトシちゃんだ。
"債務は、ある言語行為、約束なのだ。債務が絶対的な必然性に変質するのは、今日の世界を、野蛮主義や社会的荒廃に導く、新自由主義信仰がもたらす効果なのだ。"(『#蜂起』p.41)債務(借金・ローン)なんてただの約束? 新自由主義や市場the Marketsの信仰に過ぎない?
訂正〈葛藤〉では無いですね。惚れすぎて五体がバラバラになりそうな気持というべきでしょう。
ビフォの論を読み進めるとロウズ、ロゼ、ばらの音から湧き上がる感覚に言及している気がする。それはランボーが書いた母音の詩の感覚に通じるかもしれない。あるいは、意味や慣習から離れた意表を突く韻の踏み方や音の並びを楽しんだのが象徴派だと捉えているのか。#蜂起
作詞家三浦徳子の(田原俊彦が歌った、と言ったほうがいいか)「君に薔薇薔薇…という感じ」。女の子の美しさと、男の子の〈バラバラ〉な葛藤を掛け合せたのか。〈薔薇〉は当用漢字表に載っていないにもかかわらず、歌番組のリクエストなどで10代の子が書けるようになった、という話題をおもいだす。40年も前のことですが。
よく言われるように、女性的、あるいは女性そのものの象徴としての薔薇ですね。
わかりやすい文を読むのに慣れると詩の意味の圧縮度について行けない時がある。朗読の中で薔薇は結構重大な意味を持たされる事が多い。情熱とか棘があるとか五月の朝だけの馥郁たる香とか。他には何を思い浮かべますか?
#蜂起 小林秀雄の〈美しい花がある。花の美しさといふ様なものはない。〉に近いかも。わかりやすいようでわかりにくいフレーズですが。
It is the effect of a pragmatic displacement of expectations.なので「期待を語用論的に置き換える効果」が精確か。薔薇の生物学、辞書上の定義だけでなく個人的経験や感覚、象徴的意味も一緒に無から立ち現れる事を言いたいのだろう。言葉を用いる時の様々な含意を調べる言語学の分野が語用論。言語の実際的(pragmatic)分野の一つ。
発声行為の効果って、どういうこと?"象徴主義の言葉は、事物を表現しようと意図するものではなく、想像力で世界を喚起させようとする。"."わたしが薔薇と言い、そして薔薇がそこにあるのは、それが指示対象を現しているからではなく、わたしの発声行為の効果なのだ。それは、期待を、現実に置き換える効果なのだ。"(『#蜂起』p.39)
"文化やアートは特別なものではなく、日常の中に息づくものだと気づいたのです。"(前原本光「04 日常の中に潜むアートの芽」浜松市鴨江アートセンター広報紙vol.11 2026年3月31日発行https://kamoeartcenter.org/vol‑11/)
3000倍超のインフレですね。"人生は、形而上的な債務を返済するための時間に変わったのだ。"(『#蜂起』p.35.l.12)債務は掴みどころのない雲ですが、人生が家・車・奨学金のローンを返済するための時間に変わったのというのは実感できます。
DEBT CLOCK 日本の借金時計https://www.takarabe‑hrj.co.jp/debtwatch
タイムズスクエアの電光掲示板に債務の膨らみ、通貨の暴落を見るのはアメリカ人エリートの感覚。日本の庶民は財布の最高価値の紙幣のゼロの数で分かる。日本円が誕生した頃は一円札だったのが、十円、百円、遂には一万円となり、やがて千円になるだろう。通貨の電子化は度重なる改鋳を厭っての事だろう。一部は円の暴落を隠す為と騒ぐが。#蜂起
わたしが読んだのは、田中美知太郎の『ソクラテス』(岩波新書)なんです。〈文学〉なのかなあ(作者の弁)。
図書館俳句ポスト〈読初や電子書籍のソクラテス/川野睦弘〉〈チェーホフの「シベリアの旅」冬の雷/袴田一博〉海外文学俳句
千歳町のWest Goat Coffeeの2階から。ゴールデンウィーク明けにはHIKARUさんのSOLO EXHIBITION MY ROOM mental apartmentがあるらしい
いつ見ても(聞いても)イントロのカッティングがおなじなんですよね。BPMは45ぐらい?陽水は「傘がない」に似ている。
わかりません! でもオリジナルのアウラauraはあります。よくよく考えたらレッツのスタッフさんかも、気のせい?
旬の味・採れたてバザール@ソラモhttps://www.instagram.com/syunnoazi_toretatebazaar マルシェではなくバザールに好感。もうすぐ新茶の季節
歌はオリジナルなんでしょうか?
浜松駅北口広場でアコースティックギターの金髪あんちゃんが弾き語りをしていました
浜松市新美術館のオープン・ミュージアム・ラボって、浜松市のクリエイターたちが「意味と言葉の規制解除」を使い、一読するとオープンなことをしながら、社会活動や文化芸術活動を技術-言語的なガヴァナンスに服従させようとしていると言える。
アーティストはアートの名を奪われ、オープンな活動はオープンの名を奪われる浜松市
浜松アートフェスティバルはアートという言葉をならず者から職人artisanに戻そうとする点でアーティスティック。4月18(土)~20(月)まで、ギャラリーモールソラモにて。
アルチュール・ランボーの「意味と言葉の規制解除」dérèglement des sens et des motsと新自由主義の規制緩和との類似はビフォの発見かも。そして新自由主義≒"金融資本主義は、政治的統治の束縛から解放しながら、社会活動を、技術-言語的なガバナンスに服従させるのだ"(『#蜂起』p.38.ll.11-12)
Landmark′s Coffee&Baker浜松駅南スタンドのクロワッサンは皮がパリパリでおいしい
▼上にある「むかしのことば」から過去のことばへ飛べます。また、「むかしのことば」のそれぞれのことばカードにある「#」から個別ページに飛べるようになりました。noteやSNSに貼る際にご活用ください。(トップページからだとめっちゃ重くなるのでやめました)
脱領土化deterritorializationをdeteriorealizationと読み違えていた。to deteriorate the realityの造語かと思った。目が滑る。#蜂起
欧州知識人的言説を装う手法を実践したのだろう。お金が価値を装う事を詩的表現で指摘したのだろう。好意的に見れば。
"ここで問題にしているのは、ことばとその記号的指示対象を、お金と商品を分けてしまった、脱領土化という効果だ。"(『#蜂起』p.37.ll.6-7)脱領土 deterritorialization ドゥルーズ/ガタリの用語、つまりエディプスコンプレックスという父子関係みたいな文脈がない、勝手に増殖する金融ということかな。でも敢えて言い換える必要ある?
買取専門店は、確かにモノを作らず〈価値の交換〉のみを行っています。"経済が、モノの製造に取り組むことをやめ、その代わりに、お金の循環から世界を喚起させるようになると、債務の肥大化は避けられなくなる"(『#蜂起』p.40)買取専門店がやっていることはお金の循環であり、抽象化する金融のすがたの或る一端なのではないでしょうか?
「本来の有用性がハッキングされている」が痺れます。"技術-言語機械、つまり金融のネットワークは、生きている生命体のように振る舞い、その使命は世界を枯渇させることなのだ。"(『#蜂起』p.36)
#蜂起 〈一層加速し抽象化する金融〉。一方で〈お宝や〉〈大吉〉〈福ちゃん〉なと、家庭に眠る〈お宝〉の買取業がふえている。スーパーマーケットの空きスペースにちゃっかり居すわったり。〈価値の交換〉は依然とある。
真善美の内群体の自動反応で最も捉え難いのは真である。現在の生成AI動画は細部が拙いが、人間側即ち暫定の真実側が模倣しだしたら収拾がつかない。そんな動画芸術もあるかも。偽標識や手品の手法などの活用は誰でも思い付く。斯様の表現が皮肉にも真を考えるきっかけになるだろう。非善且つ非美の真を。
錬金術ではないですが、金銀に前近代人はなんらかの魔力を感じていたのかも
金の光は太陽の光の紛い物なのかもしれない。銀の光は水面に反射する月影の紛い物かもしれない。貴金属は熱や水を求める本能に只乗りしているのだろう。
好ましい感情を呼び起こすから。本来は好ましい感情を呼び起こす理由と共に伝えるべき事柄なのだが大体失伝する。無用の美とは紛い物。本来の有用性がハッキングされている。だからビフォは一層加速し抽象化する金融を社会的ウイルスに譬えるのだろう(#蜂起第一章金融、ブラックホールと消えゆく世界、第2段落)。通貨はいつも美しく見える。
ふるさとの四季を描く鈴木儀一スケッチ(水彩)展2026年4月22日(水)〜5月5日(火)旧赤松家内蔵ギャラリー
高南の公園と高尾の道端の垂れルピナスが見頃だった。熊野もそろそろか。
地域や時代によっては、肥えた人の方がお金持ちそうとか安産しやすそうとかいう理由で美人とされることがあります。価値あるものの用の美はたしかにあるとして、無用の美はなぜ美なのでしょう。
混乱してきたので往生し未-在Ⅱを見て考えながら読み進めます。連結先(アットエス)は開場が金土日となっているが、公式を確認する限り月曜も開いているはず。https://www.at‑s.com/life/article/ats/1947110.html
更に質問を重ねます。銀に貨幣価値がなくなったのは何故か。白金本位制に移る可能性はあるのか。
金(aurum, gold)はそのものが美だから価値があるのか? 希少性・保存性などの価値があるから美なのか? #蜂起
黄金の美に感化されたからこそ、それから距離をとって冷静になる為の格言や逸話が宗教や伝承に残っているのかも。五色使人目盲とか色即是空とかミダスの手とか。
金の価値は採掘のしにくさ・純度の高めにくさ・保存性に因るものでしょうか。江戸時代は石高制(米本位制)で江戸の小判(金)が米を仲立ちしていましたね
金よりも錬成が難しいが軽くて軟らかい金属、一円玉のアルミニウムが古代に精錬可能だったとして金の代わりになっていたかどうかと問うてみるのも面白そう。
強いて抽象度の低い物を挙げると人の目や手を刺戟する力そのものと、それに付随する感覚の媒体ですか。光、柔らかさ、重さなどなど。
金本位制の時代なら貨幣は金の媒体で、やがて電子マネーが媒体だった貨幣の媒体になっていますよね。おおもとの金は何の媒体だったんだろう
老子の国は恥を受けるものや、事が終われば代表を退くとの言及は至って民主的で、即ち情報公開して主体性のある人々による財産や文化、生活や仕事の共有を目指しているのではなかろうか。そこで盗賊の利益となるだけの理知、極度の抽象性を排除したかったのではなかろうか。欧州の崩壊の章を読む前の雑感でした。
仲立ちの壁が立ち開かるが為に所謂中抜き(本来は中間搾取とすべき中「が」抜く行為)が容易になる。また、牆に鬩ぐ仲良し達が其の諍いを幾重もの仲立ちの牆に隠すが故に非民主的になり得る。
言葉は思考や感情の仲立ち(媒体)だが、金融は何の仲立ちなのか判然としない。仲立ちの仲立ちと入れ子になっていそう。或いはそれ以上の次元か。
#蜂起 いま、金融業にたずさわる人で、じっさいに貨幣にふれている人は少いのでは? 貨幣は財務省造幣局の工場で作られ、貴重品運搬警備員が現金を輸送する。ぢかに土や作物にふれる農業よりよほど抽象度がたかい。高学歴の人が多いのも特徴のひとつかも。
「胃に穴が開きそう」「内情の不潔感」はマルクスの言うところの具体的有用労働に対する"抽象的労働"(『#蜂起』p.33.l.3)に由来するものなのかな?
華仲慥夜坐。畝潟差種魔。端核耶蘇濱。笹塚妣他馬。
浜松市中央区古川町の古川交差点には鈴木勝平・保徳医事文庫の看板があり、ときどき変わる。今朝見たら「古川町には古川音頭がある」と書いてあった。どこを目指しているのか気になる。
中田島砂丘今昔これから展2026年5月3日(金)~5日(日)10:00~16:00 遠州灘海浜公園風紋広場(浜松まつり会館前)https://www.threads.com/@hamaweb/post/DXBzlK4DzCS
窓口の清潔感と、内情の不潔感。
体制としての金融に対するぼんやりとした嫌悪感はあるが、実は殆ど知らない。従業員に対しては胃に穴が開きそうで大変だと思う。
序を終え第一章に入りましょう、もちろん蒸し返しは歓迎です。"金融は、経済的象徴化の最も抽象化された段階である。"(『#蜂起』p.33.l.1)金融には3つの業態、銀行・証券・保険がありT.S.エリオットのように金融と詩を兼業?していた人は金子兜太・石垣りん・ウォレス・スティーヴンズなど、実は私もかつて。みなさんが抱く金融のイメージは?
暴走族といってもコールとジグザグくらいしかしない改造バイク・ツーリングの方たちは20時すぎに安新町のセブンイレブンあたりから、バイパスを西へ向け出動する。
埒破競贏輸。多言聳厥軀。君知神髄否。辣賦拉姦夫。沢山の音訳案に感謝。
あるいは自動化された言葉なのか #蜂起
名物のシャバさ
vol.2は「今回限りの」「豪華メンバー」ありですか。
やらまいかMC battle https://youtube.com/@mcbattle7031
2011年の浜松駅前サイファー動画 https://youtu.be/e5AzfCd2H0s
浜北サイファー? 2022年夏のやらまいかMC battleなど https://x.com/hamakitasaifa
#蜂起 偽メールが毎日たくさんくるんですが、無駄に言葉が費やされているなあとおもいます。いや、送り手は言葉を〈言葉〉とおもっていないのかも。だから厖大な量の言葉を送れるんでしょう。
threadsで似たような生成AI画像や文章が金太郎飴みたいに並ぶのもインプレゾンビのswarmっぽいかもしれません #蜂起
源泉旱至盡。紙魚翰字敏。蕭何當然落。閑荘鬼合臨。
然り、つじむらゆうじも赤瀬川原平の「模型千円札」「復讐の形態学(■す前に相手をよく見る)」「大日本零円札(本物)」に言及していました。https://bijutsutecho.com/artwiki/126
赤瀬川原平の〈千円札〉ですよね。オブジェとしての紙幣(通貨)っつうか。
溂賦。潑溂の溂だからピッタリかな、とおもいます。
拉普
饒舌、説唱の音訳は何か。辣賦、辣譜、拉夫などを考えた。良い案募集中。
#蜂起』の副題「On poetry and Finance」が詩幣なのが読書会をはじめた動機で、詩幣2024への反応は「下衆」「下品」https://note.com/onaikotaro/n/n7b3d4d843111 これらはクリフェス批評の反応「下品」「下劣」と通じる。つまり浜松市のクリエイターにとって批評は地図ではなく上下関係でしかない。上下関係にこだわっているからつまらない。
晴れわたる遠州
春日旺旺灼鋪石。著風衣背汗滴滴。群体在転瞬即逝。吾倶集読布拉迪。
歴史に強いレペゼン袋井
ええっ、漢詩ですかいきなり。
原川暖氣臻。子女喚慈親。橋下公園角。寒傖嘻哈輪。
原野谷川はサイファーだったのか。日本では政府による監視は少ないが住民による監視が過剰なので、周囲に家が建たない事を願う。不動産会社や住宅会社が脱法の為に置く空き地は猫の額で何の文化も生まない。軟弱地盤の上に非正規に育ってほしい。
福澤さんの演題が面白い。私なら皮革三原則なんて捩るだろうけれど。
天竜ジビエフェスVol.4 https://tenryugibier.localinfo.jp/pages/3541051/page_202001280754 2024年4月21日(日)10:00〜15:00森のマルシェきころ&クローバー通り商店街協力店舗
#蜂起 サイファーで、言葉はどんなふうに磨かれ鍛えられるんだろう。disってもいいけどユーモアと節度がほしい。
ブルデューっぽい用語なので引用、"記号資本の圏域では、社会生活は、ひとつの群衆になると言うことができるだろう"『#蜂起』(p.22.l10)記号資本の圏域semio-capital shpereのビフォ本人による定義はhttps://libcom.org/book/export/html/45057の「I Semio-capital」にて、おおよそ記号資本の圏域≒複雑系として再構成された生産形態
森町サイファーだけど袋井市のあけぼのふれあい公園など、MY Life MC battle(2025/12/6)の会場は上貫名せせらぎ公園の原野谷川。https://www.youtube.com/@mylife‑h1u 細島サイファーは静岡県西部地区を拠点とするラッパー集団https://www.youtube.com/channel/UCaifKvaDS4EPZR4sOaBoWBA、2021年に結成。磐田サイファー・掛川サイファーは不明
croyance(信仰)ではなくvoyance(見通し)だと面白くなりそうだ
作品の価値を生み出すのは作者の才能などではなく、信仰の圏域としての生産の場le champ de production comme univers de croyanceであること
浜松サイファーは2025年10月まではあったのか。美薗中央公園や中央1丁目の浜松東ふれあい公園などhttps://x.com/hamamatsu_rap
"L’enjeu n’est plus tant de capter les regards que de médiatiser la parole et l’écrit."『#蜂起』p.24で言及されているFrédéric Kaplan"Quand les mots valent de l’or" https://www.monde‑diplomatique.fr/2011/11/KAPLAN/46925
遠州灘海浜公園(風車公園)の駐車場、20時すぎでもゲートが開いている!
エチカの定理みたいですね。どう証明しましょうか?
4月になり明るくなってきた砂詩丼
確かにニーチェの善の人der Guteを持ち出すまでもなく善い言葉は新しい価値を創造しないからバズる。相田みつをの言葉は善い言葉である。
亡者の詩を消費させて終わらせるのではなく、交換不可能な言葉として奪還するにはどうすればいいのか
バズる文字列や朗読は善い言葉である。#蜂起
今日の浜松駅北口広場の様子です。旧天竜林業高事件の北川好伸さんのお名前が書かれています、
〈2021年〉では無く、2011年ですね。訂正します。
1980年代さかんに議論された〈消費される言語〉〈ポスト・モダンの文学〉をおもいだします。2021年に書かれたリファアト・アルアリイールの詩“If I must die”も2023年のガザ侵攻・爆撃、そして作者本人の■によって世界ぢゅうに拡散・共有される(buzzってしまう)ことで、本来の作者の意思をこえて大衆crowdのなかに消費される言語となった。
浜松まつりの「ひろがる手ぬぐいつながる町」設営作業中。中部協働センター、クリエート浜松にて
バズる詩は良い詩なのか? #蜂起
浜松オンライン読書会さんのランチ会@ザザシティ西館に参加しています。
“If I must die”は2011年の作だそうです。いわゆる〈アラブの春〉の年。となると、詩ほんらいのニュアンスも違ってきますね。
一頭の象と一群の蟻は等価値である。
ソラモで金のストリートピアノの演奏をやっています
続けると、戦争が激化する十年以上前の作であり差し迫った危機は無かった。となると、本来は天やその使いを妄信したり乗っ取ったりする体制や人々によって苦しんでいるとの告発にする事も出来たので、heavenやangelに捻りが欲しかった。凧(kite)の譬えは陳腐だがすっきりしている。このような詩は抽象語彙を尽く廃した方が強く訴える。
buzzもshareもビフォの用語なら接続記号The connective signです。リファアト・アルアリイール رفعت العرعيرの詩については拡散の方法は確かに技術-言語的な順応主義を活用して(誰が拡散させた?)ますが確かに共感Compassionに訴えるものがあります。しかし自律的な他者はその共感させようとbuzzるswarmに乗れるのだろうか?
「私が■すべきならば、貴方は必ず生きねばならない」これは人間としてごく当然の事を話している。それとも戦争の最中では「私が■ぬなら貴方も■ね」との怨嗟が渦巻いているのだろうか。エリュアールの自由や谷川の生きるに比べると多分に政治臭さがある。heavenやangelの使い方も規範的で面白みに欠く。なんて反応は抹■されるからswarm。
それって、替歌で〈原発反対〉を歌う人たちのことでしょうか?アコギのおにいさんは、わたしもよく見かけます。「あいっかわらずチューニング狂ってんな」とおもいつつ。
浜松駅のストリートミュージシャンといえば金髪でアコースティックギターの弾き語りをするお兄さんや最近は新浜松駅で日本語のあまりうまくないアコーディオンのおっちゃんがいますね
ガザの詩人リファアト•アルアリイールRefaat Alareerの詩“If I must die”が全世界で共有されたのも群衆swarmの動きってことですか?buzzとshareの違いって何なんでしょう?
毛糸で編んだような帽子をかぶっている方でしょうか、ときどき観ます。「私は才能があって~」みたいなこともおっしゃっていました。本人がそう思っているかは別としてポエトリー・リーディングといえばそうだと思います。欲望や交換不可能性を感じます
#蜂起 本筋から逸れるかもですが、浜松駅北口前や旧松菱前で毎日(?)訴える女性が居ました。年齢不詳、服装のセンスも然り。はじめはジャニーズ関係のゴシップや社会問題などを訴え、松田聖子「あなたに逢いたくて…」を歌ったりしていました。最近見かけないようですが、あの人のパフォーマンス(?)も一種のポエトリーリーディングなのか?
「バズる」って"技術-言語的な順応主義"(『#蜂起』p.28.l.14)の動きだから本書で批判的にとらえられているswarm群衆の動きなのでは?
#蜂起 SNSによる発信でじゅうぶんだとおもいます。ルピ・クーア、餘秀華といった女性詩人も、SNSでバズりましたから。
"わたしたちは、言葉を脱自動化するプロセスを開始し、社会的コミュニケーションの領域における感覚性(発話の特異性、声)を再び活性化させるプロセスを始めなくてはならない。"『#蜂起』p.28「詩と言語の脱自動化」、直示δείξιςがparoleの現場要素ならば、つまりまちへ出てポエトリーリーディングをしろってこと?
フランスの象徴詩人ボードレールのmodernitéは松尾芭蕉の不易流行と通じるものがある。 "Il s'agit, pour lui, de dégager de la mode ce qu'elle peut contenir de poétique dans l'historique, de tirer l'éternel du transitoire." https://fr.wikisource.org/wiki/L%E2%80%99Art_romantique/Le_Peintre_de_la_vie_moderne/IV
ロシアの象徴詩人といえば2025年2月にはままちプラスで開催されたポエデイ2でロシアにルーツを持つ方がアレクサンドル・ブロークの詩(Rose?)を朗読していましたね
やっと詩の話題、フランスやロシアの象徴詩人がおもかな。 "シニフィアンの自律的な喚起という実験"や"言語の含意的な能力を、爆発し、超含意的であるようなところまで強化している"『#蜂起』p.25 といった象徴詩人の試みは俳句における季語の喚起力・超含意的と似ている。
そうですね。しかもたぶん吉本隆明『共同幻想論』と同じ手法です。"単純化すれば、国家が幻想であるなら別の、より強固な幻想によって打倒できるはずだからである。"(絓秀実『1968年』ちくま新書)のように金融資本主義が詩ならより強固な詩によって打倒できるはずだ、みたいな #蜂起
#蜂起 牽強付会ですみません。ベラルディのいう"poem/poetry”も〈これまで見過ごされてきた価値を掘り起こす〉〈自身の思考や違和感を表現し、社会に問いを投げかける〉手段/手法かもしれません。
アーツカウンシルしずおか発行の『アートではじめる空き家活用ガイドライン』https://artscouncil‑shizuoka.jp/news/11441/ "アーティストは、身近なものや場所に目を向け、これまで見過ごされてきた価値を掘り起こす存在です。"や"アーティストは、自身の思考や違和感を表現し、社会に問いを投げかける存在です。"が沁みる。クリエイターと真逆
"言語的および情動的な視点から言えば、破産は、言語を交換に還元してしまうことから逃げるための道筋である。"『#蜂起』pp.24-25 破産のすすめ。言語を交換に還元する「言葉の自動化」は貨幣化・金融サイクルへの服従とインデックス化の2段階により生じているという。職業ライターの仕事や映画宣伝の「全米が泣いた」を連想しました。
サイバネティクスについては消化不良だけれど、サイバネティクス(フィードバック→情報)を張り巡らせた結果が技術-言語的なオートマティズム(AIや検索エンジン)であり、制御されたswarm群衆化なのだろう。だからビフォのいう〈詩〉はサイバネティクスの外側にあるもので、身体感覚や欲望は〈詩〉の結果なのかも? #蜂起
句例その2。墓はなかなかの煮立たせたわ真似せ
"フィードバックには, 機械を定常に保つようなフィードバック, 動的に目的を達成するためのフィードバックがあると指摘し, ウィーナーは後者の存在を強調する. 生物と機械の振る舞いにみられるフィードバックだからである."https://repository.kulib.kyoto‑u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/e7328ae5‑02df‑4bf1‑b899‑8589e0b08cfb/content
戻るけれど『#蜂起』p.18で言及されているノーバート・ウィーナーのサイバネティクスとフィードバックが気になる"ウィーナーは、動物と機械に共通するフィードバックの概念を提唱し、これを「世界が自らを計算する姿」と定義した。"(落合陽一「計算機自然の系譜:フィードバックから惑星的知性へ」) https://note.com/ochyai/n/n417ff0f92225
西の県の夏休みプレゼント主義る祭りの濃度を4倍にした感じ。
句例。間に多々何のたる羽田さんかな貸し。こんなン出ましたけど。
ゴリラのガールズバー
ざっと調べた。牧歌メロンの句は音読をすると意味が垣間見える時がある。不思議。声に出して言語を再構築する所は確かにビフォの想定に沿う気がする。http://morisakikazuo.web.fc2.com/sambo/aizo/bokka.htm
"詩的表現に変換したプロンプトはベースラインのプロンプトと比較して、大幅に攻撃成功率が高くなることが判明しました。"「大規模言語モデルへの攻撃において「詩」が有効であるとの研究結果」https://gigazine.net/news/20251121‑adversarial‑poetry‑llm‑jailbreak/
加藤郁乎『牧歌メロン』は如何?
詩度テスト/ランキングを試してビフォの言う詩の言葉を列挙するのも面白そう。上位百件だと耕すゴリラ、けったいな涅槃、走る辞書辺りが私の実感を喚起する。https://goki.her.jp/shido/result.php?
自由な繫がりが詩には必要と捉える一方で、余りに意味を解体してしまうと検索エンジンと認知が変わらなくなるのでピラカンサの句はビフォの目指す表現ではないかも。ホイットマンは身体感覚や欲望から強いて遠ざかろうとしなかったのでビフォの想定に近そう。
序章の最後の段落で引いているのはブレイクの地獄の格言の一節。"The road of excess leads to the palace of wisdom." https://poets.org/poem/proverbs‑hell 箴言集の為散文的。「詩と言語の脱自動化」では繰り返し今ここ、身体、感覚と述べているので頭でっかちや観念的な表現は退けるだろうと思う。#蜂起
まだ詩が出ている箇所まで読んでいません! ただ読んだ箇所までで予想すると形式ではなく、語彙体系をぶっ壊すような表現をする詩なのかなと思っています、〈サイゼリヤ近親者らがぴらかんさ/鴇田智哉〉みたいな。ビフォのいう〈詩〉はどういうものだとみなさんは捉えていますか?
雨の去った遠州
#蜂起 ベラルディのいう〈詩〉はどういうものか。定型律? 自由律? ラップのライム?ウォルト・ホイットマンのようなやつ?
磐田は雨のピークは過ぎたか
落雷もありましたね
浜松はいま線状降水帯の真下にあるらしい。
浮世離れした中央銀行責任者や、煽る株売人、即ち現代市場の弁護士(avocat)から言葉の鰐梨(avocat)を取り上げ焼き払え。#蜂起
言葉の簡素化に抗って伝統や芸術の立場から嘗ての又は斬新な意味を付与する。意味内容の偏在を搔き乱す所が富の再分配に似ている。詩人や論客はえぐい、だるい、エモい、すごい等蘞怠族の連帯語に結果的に挑戦する羽目になる。身体的な感覚を呼び起こす為に感情の形容詞ではなく客観写生を徹底するのもこの一環か。#蜂起
他著引用感恩。詩的言語はたしかにことばと意味の一対一のindex的対応を外して境界線を超えるだろう。でもコスモス(世界)は誇大かな
crowdがGoogleのような技術-言語的なオートマティズムによってswarmとなり #蜂起(Noや批評など異議申し立て)できない現状について述べていると思います。swarmは蜂起しないmobかと
#蜂起 ベラルディ『第三の無意識』The Third Unconscious邦訳版p.37コロナ禍にある人びとが記録しつづけた事実から著者は言語による〈調和のとれた変化形態〉を予言する。〈書くという行為は、煎じ詰めればコスモス〔世界〕にかかわる詩的活動であり、われわれに境界線を越えていくことを可能にしてくれるエネルギーにほかならないからである〉
#蜂起 crowdをswarmとすることによってmobとなり蜂起できる、という理窟でしょうか?swarmは蜂起しないmob?
"デジタル時代の権力は、要するに物事を簡単にすることだと言うことができるだろう。"(『#蜂起』p.22.ll.1-2)や「共通の認知パターン」などはユニバーサルデザインにも通ずる。crowd群衆+過密でいて簡単な情報ネットワーク=swarm群体・畜群という構図が見える。
群体いいですね、群生・群落、いずれもネットワークでつながる感じがあります。ただビフォはswarmをその中にいると全体の動きにNoも言えないと批判的に捉えているのでswarm≒畜群という訳もありでは? #蜂起
原文発掘感謝。遅いので落ちます。
swarmは素早く動く集団、crowdは統率下にない集団らしい。中国語のwikipediaでは前者を群体、後者を群衆と訳しているので倣うべきか。
ここではcrowd群衆のほうがてんでバラバラに動く有象無象のニュアンスでしょうか。ネットワークによって蜂の群れのように一斉に動く方がswarm群衆とされています。そんなswarm群衆の動きのなかにいたら「No」も言えない、まるてまどこかの国のように。#蜂起 crowdの訳語は群衆でいいとして、swarmは群衆以外の訳語が欲しいところ。
いや、これswarmを群衆と訳した次の段落でcrowdも群衆に訳して、その次の段落のswarmも群衆に訳している。引用のマルチチュードを補完するのはネットワークとswarm群衆。マルチチュードそのものはcrowd群衆として説明されている。
#The uprising p.14ですね。swarmは〈群衆〉というより〈有象無象〉というニュアンスがあるようにおもいます。
swarmでは?
群衆の元の言葉はcrowdかmobかcommunityか混乱する。網絡と並ぶ語だから共同体だろうか。
"現在の社会的な主体性についてもっと理解したいならば、マルチチュードの概念を、ネットワークや群衆の概念で補完する必要があるだろ。"(『#蜂起』p.20)ここらへん翻訳の問題だと思うけれどマルチチュードと群衆がごっちゃになっている。群衆のほうが調整された存在?
ブルトン提唱の自動記述は自由だが、確かに規範的且つ羈絆的な自動反応に従っていたのか。習慣から抜け出る為に類義語を考えたり調べたりしている心算で政治的適切さの囚われに向かっていたのか。でも、自分では使わないと決めている語はある。後、個人的に差延を大和言葉で隔たりとしたくなる。
作品に添えられる著者名は責任の所在を示す以外にはあまり意味はなくなり、作品はおおきな人類という作品の一部として生成AIの糧となる未来。それもまたおもしろい未来なのかも
差延différanceみたいですね。イタリア自律運動とフランス脱構築は親和性ありそう #蜂起
エロティックやセクシーなどの言葉を額面通りに官能的だととらえることも、ビフォの言う技術-言語的なオートマティズムが、社会的身体の隅々まで配線されてしまっているような状況なのかもしれません
#蜂起』p.19.l.15のマウリツィオ・ラッツァラート『借金人間』、同じ橋本努による書評。 "すると資本主義は、絶対的剰余価値を求めて、労働者を搾取するほかない。そんな過酷な現実を、借金に対する「負い目」の倫理によって正当化しようというのが現代の経済倫理ではないか。"https://toyokeizai.net/articles/‑/9814?page=2 ありがちな理屈
さらにさかのぼればダダイスト新吉。
#蜂起』p.19.l.14に出てくるクリスティアン・マラッチィ『資本と言語』、橋本努による書評。"金融の動きは、私たちの言語活動とその身体性に深く結びついている。私たちはその動きを削ぎ落とすのではなく、むしろ新たな言語慣習を産出していくべきではないか。" https://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Book%20Review%20on%20Marazzi.htm
小泉環境相の「クール」「セクシー」発言は環境問題=印象論という揶揄だと当時捉えていたなぁ
体を動かしてとか身体的なとか此の身に根差したとか自らとか幾らでも適切な形容が思い付く。態々官能語彙に暴露する必要がある程市民は耄碌していない。それとも爆発的に増殖する電妄人は実際に愚かなのだろうか。
尾張町のみかわや|コトバコさんの前を通りました。
セクシーに解決すると仰った当時環境相の息子の事も思い出す。ただただ下品で無意味。
1970年のイタリアAutonomia運動の人なので周回遅れもいいところでしょう。ただ「芸術家がなぜ政治的発言をするのか」という問いがまだまだ有効なほど政治と芸術と学問が接すれど噛み合ってこなかった日本でどういう意味が生じるのかは興味があります。特に、似た趣旨の詩幣が半ば嫌悪や違和感とともに迎えられた地方都市・浜松で
もとを辿れば外山恒一「私には建設的な提案なんか一つもない。今はただ、スクラップ&スクラップ、全てをぶち壊すことだ!」
フランコ“ビフォ”ベラルディの発想は〈遅れて来た青年〉ならぬ周回遅れのbeatnik poetという感じがします。
#蜂起 立花孝志的(もっと言えば2001年の小泉純一郎的)な発想でしょう。壊しゃあいいってもんでも無いんですけどね。
"一般的な知性のエロティックな身体を、意識的に動員したり、詩的なかたちで言語を再活性化することだけが、新しい、社会的な自律性を出現させる路を切り拓くことになるだろう"(『#蜂起』p14.ll.14-16)あたりかな。HAMAMATSU ReCreation LABO りくらぼ〈おむすば〉で「言語と社会の秩序をぶっ壊す!」と叫んでいたけど、詩作より詩的発想かも
生成AIの書いた詩が、人間の書いた詩を凌駕してしまう未来もあり得なくは無いでしょう。もっと言えば、人間の詩作のオリジナリティは、どれほど優秀かつ独創的な生成AIを所有できるか否かにかかる未来もあり得なくは無い、と言えませんか?
#蜂起 フランコ“ビフォ”的には、詩作こそがわれわれのもとに主体性を取戻しうる唯一(?)の手段だ、ということでしょうか。
"技術-言語的なオートマティズムが、社会的身体の隅々まで配線されてしまっているような状況のなかで、わたしたちは主体化のプロセスをどのように考えることができるのだろうか?"(『#蜂起』p19.ll.11-13)の技術-言語的なオートマティズムはGoogleの検索結果やいまの生成AIを指すとしたら、この問いかけはまさに今の問題かも
元浜町の平野美術館で遠州南画の200年を観ました。趣味をとおしたネットワークを地域で切りとる。
ありえますね。コロナ禍後のウクライナ・パレスチナ・イランなどの紛争、日米伊などの政権交代は"混乱に対して混乱の強度が増していくような反応は、システムが正のフィードバックを示しているということになる"(『#蜂起』p19.ll.12-13)昨夜の浜松駅北口広場での平和憲法を守るための緊急アクションin浜松もまた反応でしょう。
遠鉄新浜松駅。ひさしぶりに赤電に乗りました。
#蜂起 2020年からの新型コロナウイルスのパンデミックにより、さらに〈新しい枠組〉が設けられた、というか、地球民のわれわれが設けた。いかがでしょう?
惑星上の日常生活における新しい枠組みを示唆するという東日本大震災についての記述"福島の影響が社会生活に混乱をもたらすようなことはなく、毒は日常生活の通常の機能となり、わたしたちが暮らさなくてはならない第二の自然となったのだ。"(『#蜂起』p17.ll.5-7)
#蜂起』p.14.ll.8-11に「マーストリヒトの規則」EUのマーストリヒト条約?を「ドグマ、アルゴリズム的な公式、魔術的な呪文」と呼んでいるのが数値化でしょう。「欧州中央銀行の高僧」というのが丘の上の牧人Hirteっぽいですね。
数値化して治める事が問題。人間全体はまだまだ数値化出来ない具体的な課題に溢れているのにそれを無みして利益を貪る。壟断。丘の上からは人々の顔や体の一々など見えない。それこそ見ろ、人がごみのようだとでも言い出しかねない。
"金融権力は、不安定な認知的労働、つまり身体から乖離させられた今日の一般的な知性を搾取することに基づいている。/今日の一般的な知性は、断片化されていて、自己認識や自己意識を疎外させられている。"(『#蜂起』p.14.ll.12-14)搾取や疎外がむずかしいですが、商業活動のためにほんとうに自分がやりたいことを見失っているという感じかな
Liebe zum Fernstenですね。"最も遠くにある未来が、君の今日の原因となるべきだ。"(フリードリヒ・ニーチェ、森一郎訳『ツァラトゥストラはこう言った』講談社学術文庫)
遠州人には遠人愛を持つ人も居る。鄰人愛と遠人愛が共存する社会になれば良いのに。 #蜂起
#蜂起 ごめんなさい。〈2021〉を2011と訂正します。〈ぽぽぽーん〉〈こだまでしょうか〉など一連の公共広告機構の音声と映像に〈蜂起〉の気をそぐサブリミナル効果があったのでしょうね。
そういえば2011年の今年の漢字は「絆」でしたね。絆も"精神的オートマティズム"のひとつだったのかも。同時にそういった絆や繰り返し流れる「ぽぽぽぽ~ん」のACのCMへの反発があって、そういった反発は"一般的な知性"が再活性化された兆候であったのかも。もちろん蜂起には至りませんでしたけれど。 #蜂起
#蜂起 いや、日本も2021年の震災後、蜂起すべきだったのです。1968年、同時多発的に当時の学生たちが〈蜂起〉したように。しかし日本は〈がんばろう!〉〈上を向いて〉〈花は咲く〉などと国民の心の柔らかいところに訴えかけるメッセージの発信が甚しく、蜂起の芽が削がれたのだとおもいます。
そうですね。"五月、六月のスペインのアカンパーダ、イギリス郊外の八月の四夜の暴動、そしてアメリカのストライキやオキュパイ運動の波"(『#蜂起』p14)と列挙していますが、震災と福島原発でまったく記憶にありません。ウォーラーステインの1848年や1968年に匹敵する革命≒蜂起の年だったのでしょうか?
#蜂起 日本人としてはやはり東日本大震災、それしか無いって感じで、世界の動向に関心をむける余裕は正直なところ殆ど無かったと記憶しています。
月見の紙マルシェ~本と文具~場所:袋井市月見の里学遊館 文字文/ものづくりワークショップルーム/市民サロン/日時:2026年6月20日(土)21日(日) 10時~15時(予定)/内容:書籍・ZINE・文具の販売/ワークショップ/ギャラリー/カフェなど
#蜂起』読書会はじめます。まずは序から。2011年が"ヨーロッパにおける蜂起の元年"(『蜂起』p.13.l.1)2011年後半には欧州債務危機とデクシア銀行の経営破綻とギリシア・イタリアで政権交代などがあったらしいから蜂起。2011年ってなにか記憶あります?
"遠州地方の方言で「とにかくやってみよう」を意味する「やらまいか」にかけて、掲げるコンセプトは「つながらまいか!」。"https://news.yahoo.co.jp/articles/8136c3c897d18777195c9340b167f28b0d29d16f?page=2
明日からここで『#蜂起』読書会をはじめます。もちろん、ふだん通りのことばも書かれるといいな。理想は読書会のことばへふだんのような返事が書かれ、ふだんのことばへ読書会の返事が書かれるような、書物と現実の生活とがつながり、混じり合う匿名掲示板
閉店間際のスズキコーヒー焙煎所(磐田市森下)へ珈琲豆を買いに。書棚のほかに陶器の展示も
駐車場から県立美術館と県立中央図書館まで歩く道沿いにあるところですね!
静岡市駿河区谷田の県立大学芝生園地。お弁当どんどんTV CMの撮影地。
法枝町の香港さんの餃子です。ご査収ください。
普遍的設計対象外甘茶
県乳を買えました。
ユニバーサルデザインは多くの人へ情報を伝えられる。けれど単に表現が幼稚になることがある。そうなると言語で思考しない層にしか響かず、言語で思考する層は物足りなさを感じる。ユニバーサルデザインは、ときに異論を唱えない畜群を率いる牧人の道具にもなる。
いえいえ。どこの街も、駅前を再開発すると似たような感じになっちゃいますよね。
こちらこそすみません。タイルの感じが似ていたもんで
なんかここ、素敵な場所な予感
ごめんなさい、JR草薙駅南口です。
北口のクスノキ広場?
自由律。けふは仏教の日無料で聖書が学べます
〈無料で聖書が学べます〉。然り。図書館にこもれば好きなだけ〈無料で〉まなべる。
静岡県西部で花祭りに花御堂を出して甘茶をふるまうところ、鴨江寺のほかにあります?
8時すぎ、ホームライナー静岡4号、安倍川橋梁てまえで減速。徐行して終点静岡駅構内に入る。浜松から乗って鈍行(って、いま言わないんだっけ)とほぼ変らない速さ。8:07着。
市井の日記・エッセイといった記録は大切ですよね。でもわざわざ書かれていないこと(トイレや食事作法とか)が文化として重要なこともあります
自由律。川いきいきと流るる桜をあびて
自由律。寝ぐせ半日さらに夜風にみだるる  何日ぶりの星冴えわたる  吹き荒るるこの風はあくる朝の寒さ
つくづくおもう。山頭火がマメに日記をつけたおかげで昭和初期の日本の状況がよくわかる、と。ただ、昭和5(1930)年以前のものが存在しない(山頭火本人が焼却した由)のは惜しい。
自由律一句。餃子大蒜二日臭うてまた喰ひたい
1号線バイパス米津東交差点の東に、天府という中華料理屋がある。むかしは香港という店名で、餃子が福みつみたいな揚げ系でニンニク臭くて食べると二日は臭いが抜けなかった。もういちど食べたい
山頭火が誤って五月二日と記録しており、正しくは五月三日です。
1939(昭和14)年5月2日附の日記ですね。朝、西渡(久根銅山で賑わっていたであろう頃)から徒歩で水窪まで。奥領家までの徒歩はあぶないと勧められて白神(しらなみ。今はダム湖)までの峠越え。途中雷雨にあうもどうにか白神駅まで辿りつき、まだ新しい三信鉄道(今のJR飯田線)に乗り満島(今の平岡)駅で下車、宿泊した日に詠んだ句ですね。
山の上まで家があつて畑があつて青々/種田山頭火
佐久間駅に隣接する佐久間図書館。佐久間地区の裏鹿(浦川)に蘭方医・三輪見竜がいたおかげで尾上栄三郎が吉田(豊橋)から飯田を経てこの地へ来て病没、浦川歌舞伎がはじまったとのこと。三遠南信のつながりを感じる。
天竜区は佐久間駅のちかくにある大学堂さん、たこ焼きは羽根付きで紅生姜が効いていて蛸もぶりっぶりに大きい。
世にもてはやされている「文化」とはLand der Bildungの「文化」なのかもしれない。教養の国とも
無理しないでくださいね。あ、そうそう、西渡といえば、かつてその近辺に久根銅山があって、西渡から佐久間方面へ斜面づたいにゆくと(集落は、かつての鉱山の町でした)、鉱業施設の跡があるはずです。