『蜂起』読書会・序

匿名掲示板「クリエイト浜松」での読書会記録
2026年4月9日(水)〜 4月12日(土)

Franco "Bifo" Berardi — The Uprising: On Poetry and Finance(2012)
杉田敦訳『蜂起 詩と金融における』水声社(2023)

2026年4月9日朝、匿名掲示板「クリエイト浜松」でフランコ・"ビフォ"・ベラルディ『蜂起 詩と金融における』の読書会がはじまった。特別ルールはひとつ、読書会のことばにはどこかに#蜂起と書くこと。匿名の参加者たちは序章(Introduction)を読み、翻訳の問題から浜松駅前のストリートパフォーマーまで、本の内容と遠州の現実を往復しながら対話した。以下はその4日間の記録を7つのトピックにまとめたものである。

読書会の趣旨については読書会概要(note)を参照。

① 読書会開始:2011年と日本

序章冒頭でベラルディは2011年を「ヨーロッパにおける蜂起の元年」と位置づける。参加者たちはただちに、日本人にとっての2011年——東日本大震災——との関係を問う。

These texts were written in 2011, the first year of the European uprising, when European society entered into a deep crisis that seems to me much more a crisis of social imagination than mere economics.
— The Uprising, p.7
2026-04-09 06:00:22
#蜂起』読書会はじめます。まずは序から。2011年が"ヨーロッパにおける蜂起の元年"(『蜂起』p.13.l.1)
2026-04-09 06:52:29
#蜂起 日本人としてはやはり東日本大震災、それしか無いって感じで、世界の動向に関心をむける余裕は正直なところ殆ど無かった
2026-04-09 07:33:47
#蜂起 いや、日本も2021年の震災後、蜂起すべきだったのです。1968年、同時多発的に当時の学生たちが〈蜂起〉したように
2026-04-09 07:51:42
遠州人には遠人愛を持つ人も居る。鄰人愛と遠人愛が共存する社会になれば良いのに。 #蜂起

読書会初日から、本の内容と自分たちの経験が交差する。2011年のヨーロッパの蜂起を、日本人は震災の向こう側に見ていた——あるいは見ていなかった。ベラルディが「経済的なものというよりもむしろ社会的想像力の危機」と書いたものは、震災後の日本にも当てはまったのではないか、という問いが浮かぶ。

② 翻訳問題:crowdとswarm

序章のswarm(群れ)の節で、翻訳書が「crowd」と「swarm」を同じ「群衆」と訳していることが発覚。原文を参照した匿名の参加者たちが集合知で問題を解明していく。

A swarm is a plurality of living beings whose behavior follows (or seems to follow) rules embedded in their neural systems. [...] In conditions of social hypercomplexity, human beings tend to act as a swarm.
— The Uprising, p.15
2026-04-09 21:53:41
"現在の社会的な主体性についてもっと理解したいならば、マルチチュードの概念を、ネットワークや群衆の概念で補完する必要がある"(『#蜂起』p.21)
2026-04-09 22:10:57
群衆の元の言葉はcrowdかmobかcommunityか混乱する。網絡と並ぶ語だから共同体だろうか。
2026-04-09 22:30:30
swarmでは?
2026-04-09 22:38:00
crowdっぽいですね
2026-04-09 22:45:06
#The uprising p.14ですね。swarmは〈群衆〉というより〈有象無象〉というニュアンスがあるようにおもいます
2026-04-09 22:48:19
いや、これswarmを群衆と訳した次の段落でcrowdも群衆に訳して、その次の段落のswarmも群衆に訳している。引用のマルチチュードの概念を網絡や群衆の概念で——の群衆はswarm
2026-04-09 23:14:48
swarmは素早く動く集団、crowdは統率下にない集団らしい。中国語のwikipediaでは前者を群体、後者を群衆と訳している
2026-04-10 05:17:10
群体いいですね、群生・群落、いずれもネットワークでつながる感じがあります。ただビフォはswarmをその中にいると全体の動きが見えないものとして捉えている

翻訳書が異なる概念を同じ「群衆」と訳したことを、匿名の参加者たちが原文を参照しながら突き止めていく過程は、この読書会の白眉のひとつ。ベラルディは序章p.14-16で multitude / crowd / network / swarm を明確に区別している。swarmは神経系に埋め込まれた規則に従う生物の集団であり、crowdは意図なく方向もばらばらの集団。この区別は本書全体の論旨に関わる重要な概念だが、翻訳ではその差異が消えていた。参加者の一人が提案した中国語訳の「群体」は、swarmの訳語として有力な候補となった。

③ 言葉の脱自動化:まちへ出てポエトリーリーディングをしろ?

序章末尾の「詩と言語の脱自動化」節から、実際にまちでポエトリーリーディングをすることの意味が問われ、浜松駅前の実在のパフォーマーの話へと展開する。

We have to start a process of deautomating the word, and a process of reactivating sensuousness (singularity of enunciation, the voice) in the sphere of social communication.
— The Uprising, p.21
2026-04-11 08:53:37
"わたしたちは、言葉を脱自動化するプロセスを開始し、社会的コミュニケーションの領域における感覚性(発話の特異性、声)を再び活性化させるプロセスを始めなくてはならない。"『#蜂起』p.28「詩と言語の脱自動化」、直示δείξιςがparoleの現場要素ならば、つまりまちへ出てポエトリーリーディングをしろってこと?
2026-04-11 09:04:55
#蜂起 SNSによる発信でじゅうぶんだとおもいます。ルピ・クーア、餘秀華といった女性詩人も、SNSでバズりましたから。
2026-04-11 10:27:49
#蜂起 本筋から逸れるかもですが、浜松駅北口前や旧松菱前で毎日(?)訴える女性が居ました。あの人のパフォーマンス(?)も一種のポエトリーリーディングなのか?
2026-04-11 10:36:35
毛糸で編んだような帽子をかぶっている方でしょうか、ときどき観ます。「私は才能があって~」みたいなこともおっしゃっていました。欲望や交換不可能性を感じます

ベラルディの「言葉の脱自動化」を読んだ直後、参加者は「つまりまちへ出てポエトリーリーディングをしろってこと?」と問う。すると別の参加者が浜松駅前で訴え続ける実在の女性を持ち出す。理論が具体的な身体に着地する瞬間であり、匿名掲示板ならではの知らない人の目撃談が交差する。ベラルディが直示(deixis)と呼んだ「発話の現場性」が、まさにこの掲示板上で実演されている。

④ バズる詩は良い詩なのか?

「バズる」ことは、ベラルディが批判するswarmの動きではないか。ガザの詩人リファアト・アルアリイールの"If I must die"を巡り、詩の拡散と消費の問題が深く掘り下げられる。

2026-04-11 09:10:24
「バズる」って"技術-言語的な順応主義"(『#蜂起』p.28.l.14)の動きだから本書で批判的にとらえられているswarm群衆の動きなのでは?
2026-04-11 10:42:41
ガザの詩人リファアト•アルアリイールRefaat Alareerの詩"If I must die"が全世界で共有されたのも群衆swarmの動きってことですか?buzzとshareの違いって何なんでしょう?
2026-04-11 10:59:30
「私が■すべきならば、貴方は必ず生きねばならない」これは人間としてごく当然の事を話している。heavenやangelの使い方も規範的で面白みに欠く。なんて反応は抹■されるからswarm。
2026-04-11 11:07:02
buzzもshareもビフォの用語なら接続記号The connective signです。リファアト・アルアリイール رفعت العرعيرの詩については拡散の方法は確かに技術-言語的な順応主義を活用しているが確かに共感Compassionに訴えるものがある。しかし自律的な他者はその共感させようとbuzzるswarmに乗れるのだろうか?
2026-04-11 12:53:36
バズる詩は良い詩なのか? #蜂起
2026-04-11 15:23:07
1980年代さかんに議論された〈消費される言語〉〈ポスト・モダンの文学〉をおもいだします。2021年に書かれたリファアト・アルアリイールの詩"If I must die"も2023年のガザ侵攻、そして作者本人の■によって世界ぢゅうに拡散・共有される(buzzってしまう)ことで、本来の作者の意思をこえて大衆crowdのなかに消費される言語となった。
2026-04-11 17:41:26
亡者の詩を消費させて終わらせるのではなく、交換不可能な言葉として奪還するにはどうすればいいのか

この一連は読書会の中でもっとも長く、もっとも深い議論となった。ベラルディはswarmを「その中にいると全体の動きが見えない」集団と定義する。「バズる」はまさにswarmの運動であり、詩が拡散されるとき、その詩は「交換不可能な言葉」(poetry as nonexchangeability)から「接続記号」(connective sign)へと変質するのではないか——。ガザの詩人の具体例がこの抽象的な問いに切実さを与えた。ベラルディの原文では "the connective sign recombines automatically in the universal language machine"(p.17)と書かれている。

⑤ 象徴詩人と薔薇:言葉の超含意

序章のフランス・ロシアの象徴詩人への言及をきっかけに、薔薇の象徴性、俳句の季語の喚起力、そして田原俊彦の歌にまで議論が横滑りする。

I say the rose, and the rose is there, not because it is a represented referent, but because it is the effect of an act of my voice. It is the effect of a pragmatic displacement of expectations.
— The Uprising, p.29
2026-04-11 07:28:15
やっと詩の話題、フランスやロシアの象徴詩人がおもかな。"シニフィアンの自律的な喚起という実験"や"言語の含意的な能力を、爆発し、超含意的であるようなところまで強化している"『#蜂起』p.25 といった象徴詩人の試みは俳句における季語の喚起力・超含意的と似ている。
2026-04-14 14:29:17
発声行為の効果って、どういうこと?"わたしが薔薇と言い、そして薔薇がそこにあるのは、それが指示対象を現しているからではなく、わたしの発声行為の効果なのだ。"(『#蜂起』p.39)
2026-04-14 15:20:22
朗読の中で薔薇は結構重大な意味を持たされる事が多い。情熱とか棘があるとか五月の朝だけの馥郁たる香とか。他には何を思い浮かべますか?
2026-04-14 15:50:32
作詞家三浦徳子の(田原俊彦が歌った)「君に薔薇薔薇…という感じ」。女の子の美しさと、男の子の〈バラバラ〉な葛藤を掛け合せたのか。〈薔薇〉は当用漢字表に載っていないにもかかわらず、歌番組のリクエストなどで10代の子が書けるようになった、という話題をおもいだす。

ベラルディが象徴詩人の薔薇を引いたことで、参加者たちは俳句の季語との類似性を指摘し、さらにはアイドル歌謡の「薔薇」にまで話が及ぶ。一見脱線に見えるが、ベラルディが書いた「発声行為の効果としての薔薇」は、まさに田原俊彦が歌った「君に薔薇薔薇…」でも起きていた現象だ。指示対象(referent)なき言葉が世界を喚起するという象徴詩の原理が、浜松の匿名掲示板で1980年代のアイドル歌謡と接続する。

⑥ 金融と戦争機械:浜松の現実

ベラルディが金融資本主義を「戦争機械」と呼んだことへの驚きと、日本でのNISA・FXなどの資産運用CMとの接続。「数学的奴隷制」の議論。

The financial semiotization of the economy is a war machine that destroys social resources and intellectual skills on a daily basis.
— The Uprising, p.78
2026-04-15 07:06:28
#蜂起 さいきん、TVやネットなどで〈マネードクター〉や〈マネックス〉、FXやNISAなど資産運用に関するCMが多いですね。わたしはクライアントもパートナーも一種の〈数学的奴隷〉だとおもいますが。
2026-04-15 10:26:20
"クライアントもパートナーも一種の〈数学的奴隷〉"のクライアントとパートナーっておもしろい用語ですね。何を示しているのか曖昧なままにしている。
2026-04-15 11:12:53
高齢者向けのテレビ宣伝では保険の話ばかり。不安を煽る演出は減ったが、読み上げる原稿や引用する数拠自体が不安を煽る誇大妄想。老いを楽しむ余裕を奪う。#蜂起

ベラルディは序章で "war machine"(戦争機械)という語を使う。これはドゥルーズ=ガタリの概念だが、ベラルディは金融資本主義を戦争機械と同一視する。参加者は即座にこれを日本のテレビCM——NISA、FX、マネードクター——と接続した。原文p.33-34で "they want to peacefully submit the European population to mathematical slavery" と書かれた「数学的奴隷制」は、日本の老後2000万円問題と地続きである。

⑦ 自動化された言葉:生成AIとフィッシングメール

ベラルディの「言語の自動化」が、2026年の現実——生成AIによるインプレゾンビ、フィッシングメール——と重なる。

The word is drawn into this process of automation, so we find it frozen and abstract in the disempathetic life of a society that has become incapable of solidarity and autonomy.
— The Uprising, p.17
2026-04-12 15:48:16
threadsで似たような生成AI画像や文章が金太郎飴みたいに並ぶのもインプレゾンビのswarmっぽいかもしれません #蜂起
2026-04-12 16:49:10
#蜂起 偽メールが毎日たくさんくるんですが、無駄に言葉が費やされているなあとおもいます。いや、送り手は言葉を〈言葉〉とおもっていないのかも
2026-04-12 19:34:52
あるいは自動化された言葉なのか #蜂起

ベラルディが2011年に書いた「言語の自動化」は、2026年の現実では生成AIとフィッシングメールという形で現前している。1977年にローズ・コーン・ゴールドセンが予言した「機械から母親よりも多くの言葉を学ぶ世代」は、もはや到来どころか当たり前になった。「送り手は言葉を〈言葉〉とおもっていないのかも」という投稿は、ベラルディの connective sign(接続記号)の概念を見事に要約している。原文p.19では "the word is no longer a factor in the conjunction of talking affective bodies, but a connector of signifying functions transcodified by the economy" と書かれている。

序章を読み終えて

匿名掲示板での読書会という形式は、ベラルディが本書で展開する議論そのものと共振している。誰が書いたかわからない言葉が、翻訳の誤りを暴き、理論を浜松駅前の風景に着地させ、田原俊彦の歌謡曲とフランス象徴詩を接続する。これは「発話の特異性」(singularity of enunciation)が匿名性のなかで逆説的に活性化される場面だった。

参加者たちはベラルディを「ビフォ」と呼ぶ者と「ベラルディ」と呼ぶ者にわかれ、ある参加者は「周回遅れのbeatnik poet」と評し、別の参加者は吉本隆明『共同幻想論』との類似を指摘した。こうした読みの多様性こそが、ベラルディが「解釈の無限のゲーム」と呼んだものの実践にほかならない。

次章「1. ヨーロッパの崩壊」へつづく