第2章「言語、経済、身体」は、経済学への根本的な懐疑から始まる。ベラルディは経済学を科学ではなく技術——利潤・蓄積・権力のための手続きの集合——と断じ、成長の終わり、不況と金融独裁、時間・お金・言語の三角関係へと論を進める。参加者たちはこの章を、やらかしまいか株式会社の常識、袋井の書店の変貌、ミヒャエル・エンデの『モモ』、そして浜松の路傍の風景と交差させながら読んだ。
第1章のまとめは1.html、序章は0.htmlを参照。読書会の趣旨については読書会概要(note)を参照。
① 経済学は科学ではない
第2章冒頭「経済の終わりの後の未来」節で、ベラルディは経済学を教条(dogma)に縛られた技術と断じる。参加者たちはこの挑発的な主張に対し、教条化の速さこそが問題だと応答する。
It is difficult to believe that something like "economic science" really exists. [...] economists are beset with dogmatic notions like growth, competition, and gross national product, and they determine that social reality is out of order when it is not matching these criteria.
— The Uprising, p.72
2026-04-20 10:05:33
そろそろ『#蜂起』第1章を終えて第2章に入りましょうか。序や第1章への蒸し返しは常時歓迎。"経済科学のようなものが実際に存在するとは思えない"(『#蜂起』p.86) それはdogmaやdogmatic notionsなどの教条主義に縛られている経済学は科学ではないとの主張。ケインズが金を野蛮な遺物barbarous relicと断じ、挫折したのもその一例か。
2026-04-20 10:36:42
経済にも科学的な発見はあると思う。但し、其れが教条化する期間が短い。新指標は直ぐに学閥の装飾品や政治家の宣伝文句に陳腐化されてしまう。未来での客観性を保てないので結果的に科学的たりえない。#蜂起
2026-04-20 14:30:20
経済学者の拙速な主導権争いを見せさせられているような #蜂起
② つつましい文化的な期待:frugalityの翻訳
第2章「未来の疲弊と幸福な倹しさ」節のfrugalityを巡り、翻訳の問題とクリエイター経済批判が交差する。「つつましい」か「倹しい」か、それとも「遺産」か。
But it could become a blessing if we redistribute social product in an egalitarian way, if we share existing resources, and if we revise our cultural expectations to be more frugal, replacing the idea that pleasure depends on ever-increasing consumption.
— The Uprising, p.77
2026-04-20 21:35:11
第2章ちと難しい。金融経済の崩壊は"社会的な生産を平等なやり方で再分配し、既存の資源を共有し、文化的な期待をつつましいものに修正し、喜びは常に増加する消費に依存するという考えを思い直すのであれば、恩恵になる可能性もあるのだ。"(『#蜂起』p.90)つつましい文化的な期待cultural expectationsとは?
2026-04-21 00:29:42
日本国語大辞典には贅沢でないとの意味も載ってはいますが、慎ましいではなくて倹しい(frugal)ですね。お金のかからない楽しみを摸索する事です。#蜂起
2026-04-21 05:35:36
expectationには〈期待〉の意味もありますが〈望まれるもの〉から来たのか〈(相続の見こみのある)遺産〉の意味もあります。なのでp.90の一文は〈当然のごとくさ受けとれるはずの文化的遺産〉と解せられるとおもいますが。
2026-04-21 06:09:03
ありがとうごいます。写しまちがえていました。「文化的な期待をつましいものに修正し」(『#蜂起』p.92)でした。expectationですが、遺産関係は前後の文脈にそぐわないので「お金のかからない文化的な期待」あたりにします。"商品化された文化、高額なクリエイター作品を買うのをやめよう"ですね
③ 暴力と戦争機械:基準なき世界の決定手段
第2章でベラルディはニクソン・ショック以降の「基準なき世界」で暴力が唯一の決定手段になったと論じる。ドゥルーズ=ガタリの「戦争機械」概念の転用を参加者が指摘する。
There can be no financial economy without violence, because violence has now become the one single method of decision in the absence of the standard.
— The Uprising, p.88
2026-04-23 20:29:40
"暴力抜きの金融経済はありえないのだが、なぜなら、暴力は今や、基準のない状態における、唯一の決定手段になってしまっているからだ。"(『#蜂起』p.104)時間が価値だった時代は終わり、金本位制も終わった。最近のUSAが行使した暴力は金融経済を維持するためだったと思えば納得がいく。
2026-04-21 14:53:44
"金融による経済の記号化は、社会的資源や日常における知的技能を、破壊する戦争機械である。"(『#蜂起』p.92)ここで戦争機械 a war machineが出てくる驚き。ドゥルーズ・ガタリ読みなら戦争機械=解放の力だけど、ビフォの文脈だと戦争機械=金融資本主義
2026-04-21 16:44:20
#蜂起 "war machine"原文ではカッコ無しで出てくる。英和辞典では〈軍隊〉を意味する複合名詞(?)として載っており、ドゥルーズ=ガタリ共著を典拠とするなら""くらいつけてほしかった。さいきん話題のNetflix"War Machine"は、文字どおり〈戦争機械〉がアメリカ軍と■闘をくりひろげる近未来SFらしい。
2026-04-21 17:37:49
そのくらいa war machineという言葉は流布しているのかもしれません。日本でもまちがった文脈で戦争機械ということばはよく使われています #蜂起
④ ファシズムと女性性:木下惠介『陸軍』の母
第2章「ファシズム・女性性・未来主義」節でベラルディが論じるイタリアと日本の文化的女性性について、参加者は木下惠介の映画を引いて反論する。
One cannot understand Italian fascism if one doesn't start from the need for a defeminization of cultural self-perception. [...] The feminine perception of Japanese identity is, in many ways, similar to the Italian one.
— The Uprising, p.91–92
2026-04-24 13:49:37
"明治維新による近代化は、何よりも日本文化の脱女性化に基づくものだった。"(『#蜂起』p.108) "女性的な自己認識"から"攻撃的で滑稽な男性性"へ、単純な二項対立は措くとして日本文化は木下惠介『陸軍』の母に見られるような女性性を残していなかったか?
2026-04-25 05:42:29
"新自由主義はファシズムの最も完璧な形態ということになる。競争とは、日常生活のあらゆる隙間に戦争機械が隠れていることなのだ。競争の王国は、完璧なファシズムなのだ。"(『#蜂起』p.111)"Il y a fascisme lorsqu'une machine de guerre est installée dans chaque trou, dans chaque niche. "(Mille Plateaux)より。ファシズムは隣人
2026-04-25 06:30:44
狂騒の竞争から竟争し協奏へと凝想する
⑤ 金融の横断的機能:ガタリとラ・ボルドと浜松のレッツ
ベラルディがガタリから借りた「横断性」概念を金融に適用したことから、ガタリの原点であるラ・ボルド病院が議論に登場し、浜松のクリエイティブサポート・レッツとの類似が指摘される。
Those who have invested their pensions in private funds, those who have signed mortgages semi-consciously [...] have all become part of the traversal function of finance.
— The Uprising, p.80
2026-04-21 22:13:58
"年金を民間のファンドに投資した人、あまり意識することなく住宅ローンにサインした人、簡易金融の罠に落ちた人、彼らはみな、金融の横断的機能の一部になってしまったのだ。"(『#蜂起』p.94)金融の横断的機能the traversal function of financeの「横断」はすべてのものを記号資本に換算して支配している状態。ずっとこれの言い換え陳列棚
2026-04-22 06:15:28
「横断性」もガタリかも
2026-04-22 07:03:20
そのようですね。フェリックス・ガタリのいう医療現場の〈横断性〉をベラルディが流用(わるい言いかた?)したみたいです。
2026-04-22 07:59:22
ガタリが関わっていたラ・ボルド病院ですね。"従来の治療モデルから想像される治療者−患者という二者関係の固定的な役割の乗り越え" 浜松のレッツっぽい。金融独裁に敵がいないというのも役割が乗り越えられているからか
⑥ 競争 vs 協働と共有:やらかしまいかの常識
ベラルディの「競争は愚か」というテーゼを、浜松のまちづくり会社「やらかしまいか株式会社」のnoteと突き合わせる参加者たち。
Competition is stupid in the age of the general intellect. The general intellect is not based on juvenile impetus and male aggressivity—on fighting, winning, and appropriation. It is based on cooperation and sharing.
— The Uprising, p.81
2026-04-25 13:18:59
一般的な知性の時代においては、競争は愚かなものと見做されるため、やはりエネルギーは衰退していくことになる。一般的な知性は[…]協働と共有に基づくものなのだ。(#蜂起 p95最終行)
2026-04-25 13:54:13
競争competitionと協働と共有 cooperation and sharingの対比 #蜂起
2026-04-23 22:23:03
やらかしまいかのnoteに「常識にとらわれない新しい発想」とありましたがそのすぐ次の行に「新しい成果を生み出す」と金融資本主義の常識内におさまっていてズッコケました。
2026-04-25 14:34:21
読書会で出た概念を浜松市のクリエイターややらかしまいか株式会社などが常識=金融資本主義に従って使えば、直ちに無情の装置に回収されるでしょう。たとえば「オープン」という言葉がすでに無情の装置に回収されたように。
⑦ 時間銀行とミヒャエル・エンデの『モモ』
第2章「時間、お金、言語」節でベラルディが「時間銀行」を同語反復と評したことから、エンデの『モモ』、スペインのBanco de Tiempo、ドイツの労働時間口座制度が次々に接続される。
What do you store in a bank? You store time. In a sense, you are storing your past, and you are also storing your future.
— The Uprising, p.82
2026-04-25 13:36:40
ドイツの銀行が私たちの時間で一杯になっているからなのだ。(#蜂起 p99)時間(貯蓄/地方)銀行Zeitsparkasseの概念を生み出した国がその暴力に酔いしれる現状が皮肉。この本や読書会で出た概念も無情の装置に回収されるのだろうか。
2026-04-25 14:55:24
ミヒャエル・エンデへの言及まだないね #蜂起
2026-04-25 15:31:06
『モモ』ですか? 気になってはいたのですが『モモ』を読んでから、とおもってそのまま時間がすぎてしまいました。
2026-04-25 19:37:47
ビフォが同語反復と評する時間銀行は#蜂起 を書いた頃、スペインから広まった社会運動です。混乱させました。社会運動の四十年前に児童文学に記載がありましたとの紹介に留めておくべきでした。
2026-04-25 20:09:07
労働時間を銀行にあずけて、休暇等につかうため銀行から引きだす、という… でしたっけ?
2026-04-25 20:40:28
"時間銀行では、金銭のやりとりはない。サービスを提供した人は、お金の代わりに時間をもらうのだ。"これですか。Banco de Tiempoはおもに工藤律子さんが紹介記事を執筆している。
2026-04-25 20:51:26
ありがとうございます♪ わたしが言いたかったのは、ドイツでおこなわれている労働時間口座制度でした。これは、残業時間をあずけて余暇等につかう、一種の時間調整で〈時間銀行〉とはちょっとちがいますね。
2026-04-25 21:11:46
ドイツのもおもしろい制度、ありがとうございます。"従来の均等配分時間原則とは大きく異なり、通常の労働時間を変動的に配分することを可能にする。"(ドイツの「労働時間貯蓄制度」)
第2章を読み終えて
第2章は「成長の終わり」を宣言する章だった。参加者たちはその宣言を、袋井の江崎書店(「専門書の棚がビジネス本になっていた」)の変貌や、やらかしまいか株式会社の「新しい成果を生み出す」という無意識の教条主義に見出した。ベラルディが引いたマリネッティの未来主義を木下惠介の『陸軍』で反駁し、ガタリのラ・ボルド病院を浜松のクリエイティブサポート・レッツに接続した。
ベラルディは原文p.101-102で "at the point of disconnection between language and the body" と書いた。言語と身体の切断点——そこにプレカリアスネス(不安定性)が始まる。この掲示板での読書会は、匿名の身体なき言語でありながら、路傍流瞥という写真や暗渠めぐりという身体的実践と並走している。言語と身体の再接続の試みは、まだ続いている。
次章「3. 一般知性は身体を探している」へつづく
ベラルディは原文p.72-73で、経済学が科学の三条件——教条なき知、現実からの法則導出、パラダイムシフトの理解——をいずれも満たさないと論じる。参加者の「教条化する期間が短い」という指摘は、ベラルディが書かなかった時間軸を補う。経済学の発見は、発見された瞬間から政治的道具に変質する——これは序章で議論した「言語の自動化」の経済学版と言える。