むかしのことば

ぜんぶで 4253 こ / 9 ぺーじ / いま 6 ぺーじ
プライヴェート・ミュージアム・ラボ
浜松・ミュージアム・ラボで良かったと思う。名前と実態に乖離があるのが懐疑の原因だから。今、不気味の谷に陥っている生成映像を見ていたが、生成AIの生成をクリエイティブと形容するのも謎で、リプロダクティブと表現すべき。多分私が言葉に神経質なだけだとは思うが。
伝聞情報だけどオープン・ミュージアム・ラボは、オープンを名乗ってクローズドになったわけではなく、プライベートな活動にオープンと名付けただけみたい。もし本当にそうで市立新美術館構想の提言に3000のアンケートを集める公的な活動をしているのであれば、それは文化行政と市民との仲介を私物化する新階級と受けとめられちゃうけど
路上観察:植田の鳧(磐田市)
路上観察:座れる木(磐田市)豊島苑団地公園
世代ではないのでイメージがわかなかったのですが、たしかにそんな感じ https://youtu.be/D_UdtS‑8QS0
1920〜30年代のアメリカのスラップスティック映画みたいですね。
「[遊離型は]総じて、一人の時間は絶対に必要なタイプ。」--【エニアグラム】遊離型(タイプ4、タイプ5、タイプ9)の社会参画-- https://note.com/shunmin_n/n/n95affdc849e8 誰が異常という話ではない。ただ違うだけ。
「式さえ立てられれば計算はできる。 けれど、その式にたどり着けない。」---大日本図書 4年生「式と計算」で、子どもが立式につまずく理由 小谷ちい--- https://note.com/odanichii/n/nda535ab6d6d0 鬱病で休養か。お大事に。
計算機は式を立てる事ができない。算数、数学教育で重点的に補うべきかもしれない。
wolframalphaに聞いてみた。尚、英語で問うと日本語を使うように指示されたため日本語で聞いた。Q:日本の小さな祠の屋根の銅板は幾らになるか。米国原料市場価格に準拠した値で求めよ。A:Wolfram|Alpha 不支持中文。
散々摺られた採用面接の質問に「このペンを私に一万円で買わせてみて下さい」があるが、模範解答の一つか。情報を過剰に与え差別を冀う心理を擽る。
この計算を生成AIがやってくれるなら喜んで利用するのだが現実は幻惑ばかり。
画像の祠、厚みの根拠 https://www.hara‑tei.com/faq/ 1m*80cm*0.35mm*(銅板の比重)kg/m=(祠の屋根の銅板重量)kg 厚み0.350mm 巾365mm 1.136kg/m 厚み0.350mm 巾455mm 1.416kg/m 少し丸めて2.55kg 5月中旬に市場高値6.63USD/Lbs=6.63*155JPY/0.4535kg ∴2.55kg*6.63USD/Lbs=(2.55*6.63*155/0.4535)JPY≒5780JPY あくまで米国原材料市場価
銅の買取価格は上がっているみたい http://s.ohata.org/copper.html
食べ放題じゃないだと!
"【女子会♪】ピザ2種+デザート盛り付♪女子会限定コース2時間飲み放題8品4500円(税込)/女性の為のサービスプランですので男性は+1100円(税込)で対応させて頂いております。" https://snoweecafe.owst.jp/courses/59838143 とあり、なんたる女尊男卑と叫びたくなったがよく見ると元値が異様に高い。これ女性がカモられているのではないか。
廃素(high society)文芸倶楽部をメイワンの喫茶で開催するならやっぱりスノーウィーカフェだろうか。流石にエキマチでは邪魔だろうしスタバは混むしエクセシオールで集会のイメージはないし。「ウェディング2次会会場としてご好評いただいております」とあるので爪塗(つまぬり)や手芸に興味のある方々に人気だろう。なお、金欠orz。
世知がらい、というか… そもそも銅の相場ってどれくらいなんだろう? まさか電子決済ってことは無いですよね?
銅板を盗まれた神社は初生衣神社だったのか。2年前くらいまで織殿を修復していたけれど。5月中旬に関係者がおんぞ奉献団で伊勢神宮へ行っている隙を狙った? https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/documents/747/hodo.pdf 三ヶ日の神社を中心に銅板が盗まれているらしい。https://www.chunichi.co.jp/article/1253730
おもしろかった! ひさびさに〈ブログ〉らしいブログを読ませてもらったって感じです。〈とびっきり〉の画面もあがっていましたが〈450年以上の歴史〉は、浜松まつりの起源といわれる端午の節句祝い、凧揚げなどをふくめてのことで、ひとが見たら、あの浜松まつりじたいが古くからあるのだと誤解しそう。浜松まつりは、近代日本の祭ですから。
"先月の健康診断で右目の視力が0.4から0.8に倍よくなっていた。"(鈴木さくら「浜松まつりの凧揚げ合戦を遠目で見たい」 https://dailyportalz.jp/kiji/hamamatsu‑matsuri‑takoage)
Hakim Bey,〈T.A.Z.: The Temporary Autonomous Zone, Ontological Anarchy, Poetic Terrorism〉https://theanarchistlibrary.org/library/hakim‑bey‑t‑a‑z‑the‑temporary‑autonomous‑zone‑ontological‑anarchy‑poetic‑terrorism ハーキム・ベイの古典T.A.Z.一時的自律ゾーン・存在論的アナーキー・詩的テロリズム。ここも一時的自律圏かも?
クリフォト幼樹海(藁)
この後社会人向けの集会も企画しているだろう、たぶん、きっと。
サイダーハウス・ルール側の都合だったのかな
"心に素直に暮らせますように。"『suiuの詩集 春』はたらきアリ出版 https://workingants.official.ec/items/142858913
"Next morning upon visiting the work the farmer was surprised to find that 1000 young trees had been planted upside down, their roots waving to the breeze as a mute evidence of solidarity and sabotage."(Walker C. Smith, Sabotage https://theanarchistlibrary.org/library/walker‑c‑smith‑sabotage)笑った
"Japon toplumunda görülen ve diğer toplumlarda da yaygınlaşan “hikikomori gibi olgular, bu geri çekilmenin en uç örnekleridir."(Mahir Atılgan, Derinleşen Yabancılaşma ve Yalnızlık https://marksist.net/mahir‑atilgan/derinlesen‑yabancilasma‑ve‑yalnizlik)疎外と孤独についての記事、ヒキコモリは世界語。
月見の紙マルシェ-本と文具-6/20(土)6/21(日)10時〜15時袋井市月見の里学遊館 https://www.instagram.com/p/DYjtoB2j1pE/ のぶすま書院の名がある!
なんという社会人が集まりにくい時間帯
きょうは午後3時ごろから曇りはじめ、すずしくなった。聖隷浜松病院まえから空をあおぐ。
81歳男性「フランコ‘ビフォ’ベラルディの“The Breathing”を飜訳してて。飜訳はうまくいったんですが運転に失敗しました。実在する81歳男性の方、大喜利で遊んでしまってごめんなさい」
いい写真
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区城北3丁目(静大側)から同区和地山1丁目をのぞむ。見てのとおり、バス停である。歩道がせまいのでこんな状態になる。
81歳男性「第三次世界大戦を阻止しようとしました。でも失敗しました。この世界線のみなさん、ごめんなさい」
やはり〈ブレーキとアクセルのペダルをふみまちがえた〉事故でしょうか。それとも、暑さで目が眩んだ、とか…
「乗用車が交差点で信号柱に衝突 柱が道路ふさぎ約5時間交通規制 運転の81歳男性は軽いけが」https://news.yahoo.co.jp/articles/7485c387d531debccf37b70787932f54a3188a4e 軽いけがで済んでいた
路上観察:側溝山水(磐田市)
Ctrl+Fまたはメニューのページ内検索(Find in Page)で文書内を検索できます。念の為。
現代日本がクリーンな感じがするのは、即興が必要な伝統的な独裁を脱してポスト全体主義となっているからかもしれませんね。そしてこのポスト全体主義、automatismが言及されているように金融資本主義 #蜂起 とよく似ています
書きわすれましたが、“the technique…”は§Ⅱからの引用です。
80年以上まえの日本をおもう。“(…),the technique of exercising power in traditional dictatorships contains a necessary element of improvisation.”by Václav Havel“The Power of the powerless”
“The Power of the Powerless” §Ⅶですね。やっと見つけました。これは、よそごとでは無い!
お気をつけて!
地域性とは日本や古来のアメリカ大陸に見えるように環境に根差した個性的な慣習を言う。その集積がlocal collectiveである筈。例の組織は中央、首都からの資本を使った修正なのでcapital correctiveと呼んだ方が実態に即している。
某反民主的で挑戦的な言語活動vol.3での出店が一番開かれている。事前予約も必要ないので現凸させていただきます。
縁故や癒着を続ける為の公募制であるとの言い訳に杜撰な発注をするお役所と同じ雰囲気をキャピタルコレクティブ「浜松オープン・ミュージアム・ラボ」に嗅ぎ付けてしまう。公聴会が事前予約制とは全く公でも開かれてもいない。まずは第一回と第五回のうぃーしきしゃカイギの議事録公開から。
こちらのThe Anarchist Library新着かと思いました。"Most of those who apply these sanctions, however, will not do so from any authentic inner conviction but simply under pressure from conditions"(Václav Havel「The Power of the Powerless」https://theanarchistlibrary.org/library/vaclav‑havel‑the‑power‑of‑the‑powerless)
たまたまthe anarchist libraryの新着にあったLetterpress Revolutionも出版印刷から始まる平和な#革命 を扱っている。https://www.dukeupress.edu/letterpress‑revolution
"革命的な行動とは、権力と支配の特定の形態を拒絶し、それに立ち向かいつつ、社会関係を(その集団の内部からさえ)再構築する、あらゆる集団的な行為である、と言えるだろう"(デヴィッド・グレーバー、高祖岩三郎訳『アナーキスト人類学のための断章』以文社)政府を転覆しなくても、自律的共同体を創造する試みは#革命となりうる。
農高の北東。運転手の無事と早い復旧を願う。ところで、家の近所の田圃の電柱の傾きは一か月以上放置されている。社会基盤が揺らいでいる。
路上観察:信号倒壊の交通事故(磐田市)中央町交差点
袋井市月見の里学遊館の月見の紙マルシェ宣伝用の漢詩を画像で投稿する。
路上観察:額の花が咲き始めた(磐田市)
批評は地図である、方位はあっても前向きも後ろ向きもない。批評は鏡である、その芸術の向く方を映す。
評論は概念上に於いて破壊的であるが、物理的には非破壊検査である。概念上も非破壊の言説も存在はするが、行間を読めないと無意味だ。傷付けないでと言う人はこの投稿の第一文だけで理解できるのだろうか。
非言語表現専攻だろうが学問である以上は言論で意思疎通するのだから、金や大衆を動かした所で文や数字の読み書きができなければ学界での出世は絶望的だ。
まさか美学の無い人、育む気の無い人が芸術に嚙んでいないだろうか。プラトンが生きていたら哲学の無い詩人と同様に追放されるだろう。浜松で売れる芸術を作る為に働いているのだから後ろ向きな評論で邪魔をしないで欲しいと言われた事は脳に焼き付いているが、はてさて。
美術に関しても学閥が世俗宗教じみている。#蜂起 に倣うと「日本中央大学の高僧」が地方に派遣されている。地域との関わりはそう簡単に数値化出来るものだろうか。美学を金や人数で測ってはいけないとは芸術関係者がよく知っている事だと思っていたが、経済や政治、世間に押し切られてしまったのか。
地方芸術政策における若手研究者・作家のキャリア構築力学:浜松市新美術館構想と美術アカデミズムの構造分析(Deep Research) https://g.co/gemini/share/b3ca53b8a351 ローカルコレクティブ「オープン・ミュージアム・ラボ」の基礎知識として
そんなクローズドな情報をオープンにしてもいいの!?
札遊戯の翻訳で悪魔を使わない話は聞いたが罵倒にゴブリンか。偶にグレムリンなのも笑えるが。ナーディさんが影響力のある論客だったらしい。後、これらの記事を読んで日本の中立性が国際的影響力に繋がっている事に感心すると共にそれが揺らいでいる点を懸念している。
元目町の古本と珈琲サイダーハウス・ルールで「新美術館をみんなで考える」お話し会5/20(水)14:00-16:00 画像はオープン・ミュージアム・ラボのinstagramアカウントより
小学校(いや高校、大学まで?)は社会にとって便利な道具を育成する機関ですから
音部TALKLIVE(オトナのブカツ)「市民参加型映画イニシャライズ特別対談 浜松の景色から生まれた映画音楽。2人の挑戦。」原宏樹✕nih 5/21(木)19時半〜20時10分 ザザ中央館はままつ楽市北側 https://www.threads.com/@tomo_musicbar/post/DYe2j9viVvD
ある人が電子記録資源大国と日本を誇っていた。ここもブログも吸われています。---何故か生成AIによる比較文化論での参照が多い日本について。 https://newsphere.jp/technology/20260508‑1/ 尚、この記事自体が深層学習化している模様。
ある辞書ではアルゴリズムに筆算の訳を当てる。米国の小学生が二桁の乗算を因数分解などして銘々に答えを探す話を思い出した。九九、筆算、珠算など個性となぜを消す利器に戦かざるをえない。初等教育にも技術-言語的オートマティズムが潜んでいてそれは髄まで染み込んでいるのだ。#蜂起
ちなみに-DEMOはdēmokratíaのdēmos(民衆)だったけれど秘匿した。ドコデモアルトは日本語+古代ギリシア語+国際補助語エスペラントからなる造語である。
ドコデモアルト交流会 日時:5月29日(金)19時~21時、会場:Any展示/販売スペース(まちなかのオープンスペース)https://www.hamamatsu‑artscreation.jp/news/ いちおう命名者だけれどフェイドアウトした企画、あくまでも表記はDOKODEMO ARTOなのである。https://www.hamamatsu‑artscreation.jp/dokodemoarto/
5/18〈おむすば〉の公式画像が出ていました。 https://www.instagram.com/p/DYdsdYJyNOS/
路上観察:本郷交差点の佐藤商店(浜松市)佇まいが好きな建造物
"都会並みの生活環境を保障しないと困ると頑なに拒む発言者"https://nobusumasyoin.blogspot.com/2026/05/yokudari0140.html 意外とこの都会並みや東京並みが地方民の総意なのかも。その結果として列島のどこへ行っても似たような風景の連続となり、その地方がその地方である特色は気候と食べ物くらいになる。
たしかに、日向にいると27度とはにわかには信じ難い
ぜったい30℃超えてるよ浜松!
遅ればせながらビフォ著『呼吸』の序論が終わったのでご笑覧下さい。不自然な所は直してください。また、第二章のファイルを不格好ながら上げたのでそちらもよしなに。
綿の産地フェア 日時:令和8年5月30日(土)10時~16時、会場:アミューズ豊田(サブアリーナ)遠州織物(綿・麻・別珍・コーデュロイなど)の生地・製品の販売のほか12時から紐づくり・手機・剪毛の体験コーナーも https://www.senikyoukai‑shizuoka.com/
予報どおり、昨日きょうと眞夏日がつづいた。浜松市中央区も暑かったが、風のおかげで猛や酷には至らず、夕方のすずしさに心がなごんだ。かえって山間部がたいへんだったのは〈オクハマ紀行〉によく窺えるところ。渋川も暑かっただろうなあ…
ちなみにcalamusさんとCOCOHANAさんは閉業した田高書店の前にある倉庫https://maps.app.goo.gl/NQ7sEHtfxSdVXzon8 で毎週火曜日に「浦川火曜市」を催しているとのこと。浜松市天竜区佐久間町浦川のイベント情報として
ぜひ皆さんも路傍流瞥やgenius lociや路上観察のように、クリエイト浜松上で勝手に企画を立てて遊んでください。企画を立てた人が主役です。恋愛リアリティ匿名掲示板とかもありかも?
わたしの路傍流瞥。中央区住吉3丁目から同区和合町をのぞむ。和合町交叉点の南西からいきなり谷がはじまっているってところも、わたしはかねがね気になっていた。交叉点から西へまっすぐのびる道路は、きっと軍用として敷設せられたにちがい無い。幸1丁目からつづく道を嘗ての川と看做せば、谷は交叉点までつづいていたのか。
わたしの路傍流瞥。中央区幸1丁目。料理店〈韓国村〉から南へつづく道(軽四輪がすれちがえない狭さ)が、かねてから気になっていた。画像ではわかりにくいとおもうが、S字なりに南へくだっている。道の両側は、やや嵩だかである。「これ、川の跡?」 道は旧奥山線と鎌倉往還をこえて、本坂街道で途切れる。
お疲れさまでした! 読書会や激論もいいですが、こういう紀行もの(?)もおもしろいです。
浜松市中央卸売市場にてオクハマ紀行51873.9は終結とします。北遠・奥遠州を往復して走行距離174kmでした。
ただ、ですね、土産物屋と古道具屋と二胡のコンサートと雑貨のミニマルシェはやっていたのですが、アトリエけだまのおはなし展は見当たらず。産まれてくる時代をまちがえたか? オクハマ紀行51853.7
マルカワの蔵については、ここでも五月一日にお知らせがありましたね。 https://goki.her.jp/createHamamatsu/p.php?id=20260501074908‑8a9aea 楽しそうです。 https://marukawas.web.fc2.com/index.html
二俣どんつき、喫茶あかねのぼた餅をいただきました。ご飯代わりになるかも。オクハマ紀行
早すぎますが、暑中お見舞もうしあげます。中央区住吉2丁目より。
マルカワの蔵は数軒が連なって三遠南信創作工芸村となっているみたい。まんなかの藤屋では二胡のコンサートをやっていました。オクハマ紀行
二俣軽トラ市。小松屋で栃もちを買い、calamusさんにご挨拶する。オクハマ紀行
30度超え、暑い。龍頭の湧水は10リットル100円、水筒は2リットル入るので50円協力しました。オクハマ紀行51822.8
11時前に山住神社参拝後、今年で隠居という茶屋大杉さんで昼飯。山女を二日間餌抜きにして腹を凹ませ串を刺した瞬間に零下三十度で冷凍保存したという山女の塩焼き500円、美味。大杉さんの横に歌碑〈青々と山のこずえのまだ昏れず遠きこだまは岩たたくらし/釈迢空〉オクハマ紀行51800.4
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区城北3丁目。静岡大学工学部まえ。茅萱の穂波。
『海やまのあひだ』に、奥領家をたずねた折の一聯がありますね。山頭火も(以前ここで紹介しましたが)奥領家から青崩へゆこうとしてお兄さんにとめられた。で、西の峠をこえて、いまの飯田線を利用した、という…
近くに小歌碑〈山深くわれは来にけり山深き木々のとよみは音やみにけり/釈迢空〉ちなみに水窪は耳塚姓が多い。
古くから、女人の名の多くは墓碑や過去帳に残らなかった(残さなかった?)と言います。萬葉集巻一1歌のように、女人の名は内輪のみのものだった由。そこをふまえての下の句だとおもいます。
北遠も日が高くなり、夏の日差しが照りつけて暑い。山にへばりつくように建ち並ぶ水窪商店街にあるSay U、やっていない。おにぎりが好きなんだな。オクハマ紀行51788.6
秋元康の〈バンドエイドを剥がすような別れ方〉という直喩表現。歌謡曲が古来さんざんコスってきた〈失恋の痛み〉に新たな言葉を与えたものとして面白くはあるが〈まず発想ありき〉的な秋元康らしさも感ぜられる。恋愛ジンクス(好きな人の名を手の甲に書いてその上にバンドエイドを貼る)をふまえての〈リグレットはカットアウト〉か。
山住神社入口の水窪橋に中村正爾の歌碑〈男の神は次郎兵衛様とよ竝びたつ女神のみ名は知る人もなし/正爾〉がある。オクハマ紀行51786.8
あえてあふるると溢れさせたところが恐らく注目点でしょう。しっとり溌溂とした乙女が浮かびます。
山頭火にしては、ほぼ定型をまもっているめずらしい句ですね。
徒らに漢語や片仮名言葉を多用するのも困るが〈福祉〉まで平仮名にひらくのもどうかとおもう。言葉の〈やさしさ/わかりやすさ〉をつきつめると、思考の顎がよわくなる。
喫茶ドンは定休日だった、残念。オクハマ紀行51779.2
下川合のさくマルシェ会場。北遠の地場産品・おみやげ、営業日は第2・第4日曜日10:00より。オクハマ紀行51765.1
路上観察:中央構造線そのもの(浜松市)佐久間には断層地帯の破砕帯があり、これが中央構造線そのものだそうです。
ここがPRINTO? 一階がカラマス浦川本店、二階が図書館やWS絵皿、三階が浦川現代美術館(無料)とのこと。あいてないけれど。おもしろそうな建物である。オクハマ紀行51760.7
大井橋を渡ると句碑〈水があふるゝ山のをとめのうつくしさ/種田山頭火〉がある。ここ西渡より佐久間へ。オクハマ紀行51747.2
路上観察:龍山町のGraffiti(浜松市)
横山町で道に迷う。オクハマ紀行51727.7
感謝の白滝
賑わう「月 3km」の標識をスルーして月光山海蔵寺の下Atelier Chanvre株式会社のCHi-TTo、やっていない。ちなみに月の由来は楠木正成の月みたいな心の清らかさを地名に残そうと鈴木左京之進が命名したという。オクハマ紀行51723.8
太い道はニュースになりますが、細い道も崖崩れで通れないことがあるので注意して下さい。最近は人手不足で工事が滞っているようです。お気をつけて。
国道152号線を北へ行くなら浜松市最後のコンビニ、セブンイレブン天竜船明店で珈琲休憩。ちなみに営業時間は午前6時〜午後11時のシックスイレブン。オクハマ紀行51719.0
人種は幻想だと思うが、仮に基準を設けるとするならば言語、貨幣、居住地、習慣か。日本語に聞きなせる鴃舌で囀る排外主義者には是非「美しい日本語」の規範を示してほしい。
二俣のどんつき、今日は喫茶あかね with HEARTをやるという。また、モビリティ観光と称して電動バイクglafitを試乗できるようになるらしい。ちなみに今日はクローバー通りでふたまた軽トラ市を開催。オクハマ紀行51716.5
noteに見える日本語教師は福祉など常用漢字を用いる行政書類の頻出語を難しいことばと断じ、近くの役場もしあわせ推進課などと寄せる時代なので口頭では大和言葉以外使わないようにしている。
磐田市小立野から北遠の地「奥遠州」を目指します。オクハマ紀行51699.9
文章作法のひとつ〈やさしい/わかりやすい言葉で書く〉が流布した結果かもしれません。もちろん〈やさしい/わかりやすい言葉〉だけで文章は書けないし、むしろ〈難しい言葉〉を適宜まぜることで、読解力の刺戟、イメージの喚起という効果も生れます。
文章に対して「難しいことばを使っている」という非難は、サッカーに対して「オフサイドトラップを使っている」と非難するのと同じく難癖である。
atago feelsも。オクハマ・ラテン文字文化圏があるのか
路上観察:夕暮の水田(磐田市)大蔵寺あたり
Experianceなんちゃらってのも誕生しそう。
どんつき以外すべてラテン文字表記ですね。インバウンド向けなのかしら
同様に個人名とは確固たる領土の名ではなく、曖昧な勢力圏の名なのかもしれませんね。そういえば匿名掲示板もまた個を曖昧にする試みなのかもしれません。
私(I,je,ich...)を分割できない最小単位(individual)と見做すのはどうも馴染まない。社会的にはもっと自由に連結し得る物であり、生物学的には細胞にまで分割し得る物だから。
縄文式贈与経済か https://unique.kaonavi.jp/1776/
おむすばに来ないで文句を言うなとはがめつい参加者をどうにかしてという意味の救難信号だったのかも知れない。それに、和やかな雰囲気を作り余白を持たせる一時的な場作りも意欲的だった。事前応募を止めて広く市民に呼び掛けようとする狙いはこれから功を奏するだろう。浜松の現状と可能性を共有する良い取組だった。
オーシャンビューの集落と書いたが、都会と書き直すべきかもしれない。地球温暖化の脅威はすぐそこにある。
大見氏が天竜川流域は縄文時代から活発だったとの話から連想した事がある。「縄文の人たちには、収奪がないのである。それぞれの人間がその能力において全体に利益をもたらすというあり方である。」http://blog.livedoor.jp/tatsuoh2006/archives/66389530.html 公共心の欠片も無い子供を放置して善いのだろうか。
浜松A&Cの他の冊子も見応えがありました。ネット上で公開しているクリエーターズファイル https://www.hamamatsu‑artscreation.jp/news/news‑3041/ も実物だと更に魅せられます。
板でも実況がありましたが、飯田線は一度豊橋に出なければならず、車の通りやすい道も山で分断されていて、乗合自動車路線も廃止された状況。但し以前紹介があったように「ここには真面目な大人の自動車はやってこないし、長く遠い線路もない」のような場も必要でしょう。出資者の中部電力と揉めているお鄰を見るとどうもそんな気がする。
このパンフ、〈行ってみたい!〉気持をそそる、よくできたパンフだとおもいます。が、クルマをもたないわたしからすると〈行ってみたい!〉→じゃあ、アシは?どうやって行くの? で、つまづいてしまうのです。きょうあす開催の渋川つつじ祭りもそうですが、行って帰るためのバス、電車の便が少かったり無かったりするのが困るんです。
浜松中央区鴨江在住の37歳男性が行方不明とのこと、身長153㎝(広報はままつ)
浜松市街に住む作り手ならばネット上の薄い情報に満足するのではなく、自分の足で併合した北遠を歩いて貰いたい。あんなに興味関心が無くて創作意欲が枯渇しないのは驚くべきことである。
ありがとうございます。すこし重いですがNewsLetter23のこれですね https://www.hamamatsu‑artscreation.jp/mgr/wp‑content/uploads/2026/01/NewsLetter23_HP.pdf
北遠の住込製作所(AiR)は佐久間のPRINTOを初め六箇所話題になりました。浜松A&C機関誌23号(今年一月発行)に共創拠点の情報一覧として載っています。PDFが無いので列挙しますが、他に、JIKKA、CHi-TTo、Say U、LIFE PROJECT GALLERY/HOTEL、どんつきがあります。PRINTOの他は建築、土木関連の有志やリノスクの卒業生が担っているようです。
お疲れさまでした。一部クリエイターの醸し出す拝金主義の雰囲気がよく伝わるreportageでした。「文化に向く兆し」に期待したいです。
方針が変わって文化に向く兆しもあり、大変お世話になったが、あの手の自称クリエイタを改心させない限り残念乍ら槍玉に挙がり続けるだろう。一応発言者の正面で大仰に天を仰いだのだが気付かなかったようで、打つ手なしである。以上連投失礼。もう少し整えて沈黙交易欄にご投稿しますが取り急ぎA&Cの方々と大見氏へのお礼として。(7/7)
オクハマ=奥遠州=北遠のArtist-in-Residenceの場はPRINTO(旧浦川印刷所)などかな?
鴨江アートセンターの〈望楼〉は残してほしかった。耐震性をうんぬんするならタワマンはどうなるの?って言いたくなる。
「創造的なプロセスを公開し、市民や地域に発信し交流することで、市民の創造力を喚起し地域社会の発展をめざしています。」https://kamoeartcenter.org/about/ とある。官民問わず販路開拓の為に社会を利用するならば、薩摩守は避けたい。お互いが快く力を提供し合える関係を作りたい。(6/7)
現代社会が壊滅した後の暮らしの模範を作る実験場と捉えれば意欲的な人が集まってくるだろうとの声掛けも有効だったかも知れない。件のクリエイタには鴨江AC館長のありがたいお言葉を読ませたい。(5/7)
先月29日に亡くなった佐藤愛子氏に関して。わたしが子供の頃はクロスネットの民放が2局しか無くフジ-関西系列12:30からの30分枠「お昼のテレビ小説」はテレビ大分で8:30からの放送だった(9:00からは「小川宏ショー」)。佐藤のエッセイが原作の「娘と私の時間」は河内桃子が愛子役に扮してクリキン「大都会」の替歌「新宿の母」を歌っていた。
当日呆気に取られて意見を伝えるのを忘れたが、氏や場が求めていただろう建設的、創造的な答えとして、北遠には現代社会に疲れた人が来るだろうから酒飲み畑作木工仲間をまったり待つのも良いとか、数十年後には佐久間がオーシャンビューの集落になると売り込めば良いとか、そういう気休めのような励ましが欲しかったのかも知れない。(4/7)
私は、そして願わくはあの場にいた多くもだが、北遠での刺戟を基に暮らしに密着した作品が出来るかもしれないし、それを売り込んで一山当てようとの意気ある作り手を期待していた。残念な方向に転んでしまった。あの空気、銅臭を嫌って芸術家が浜松A&Cから距離を置き批判する流れになったのだと推察する。(3/7)
(1/7)!たのしみ。〈おむすば〉奥遠州Xの大見拳也さんによるトーク
但し、北遠の住込製作所(AiR)の整備について一部のクリエイタから出た提案が粗末だった。情報と事業に詳しい方の前では釈迦に説法だった。即ち資本家や政治家に切り売りせよ、そうすれば入植してやるとの事だった。あれでは文化の弊害、金融資本主義の走狗である。意識高い系を40代にもなってやっているのは傍ら痛かった。(2/7)
気遣い有難う。報告です。夕方に大見氏が話され、細かく調査した佐久間自慢から始まり、共同体に対する筋を通して謙虚に報告されていたのが印象的だった。SBSに勤めながらほぼ無給の佐久間振興事業を立ち上げて精力的に活動されている。北遠に肩入れする理由は単純明快で「■ぬまで地元の皆で酒を飲みたい」という至って根源的な物だった。(1/7)
袋井市も市指定ごみ袋に関する臨時措置の実施 https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/soshiki/31/gomi/14341.html 透明か半透明。サイズは上限45リットルは同じだけれど下限は20リットル、期限は6月30日まで。浜松市・磐田市・袋井市ともに 他自治体の指定ごみ袋は使えない(なぜ?)。
今是心神醫療時。可浸漬温熱水裡。汝掌上在鎂一錠。深更入眠慢慢地。
吾憮然不能作詩。唯皓皓机上白紙。文藝是人間弊端。子夜輾転奇怪意。
いまはご自身を癒してあげる時間です。温かいお湯につかり、マグネシウムを飲んで、重力に導かれながらゆっくりお休みなさい。
御免、詩を書く気が起きない。一部のクリエイタを指して文化の弊害とは言い得て妙だった。理解したくなかった。一晩考えます。
輓馬野馬番番焉。図馬場馬場牡念。呪詛部牝馬瑠璃。裵𣆶葉盤萬羽辨。
浜松市 来週18日(月)から指定以外の透明ごみ袋の使用認める https://news.yahoo.co.jp/articles/bb152b7b6050c572695196f3588652c41bcf6816 透明か半透明、サイズが10リットル以上45リットル以下、磐田市と少しサイズは異なる
まだ信じていないんだけど、セブンイレブン浜松安新町店が閉業している? 1号線バイパス下り、新天竜川橋の浜松側
真田郷魚話夏場。金子過疎化之沼。間刀刀抜暑島根。那覇空港仲花昇。
爺家事代行露入。卯不衛何部児中。夕餉完食泥状火。右表時時眠前悠。
鳳鳥暮時看。迎來大見歡。孤燈聊自慰。滿座是賢團。
御結場。迢迢蹬擦汗。欲看畫家團。獨讀單詞本。絕無來鳳鸞。勿論絶無は誇張だが人が少ない。絶句が三首仕上がった。却って集中出来たが独占してしまって忝くなる。
モノクロを流行にする背景で、香害ならぬ色害という概念を植え付けていくといいかも
いっそ〈モノクロ〉がトレンドになって、すべてのカラー印刷がモノクロに変ればいい、とおもったりする。
モノクロですが、初夏の暑さと水張田の眩しさが伝わってきますね。
いいですね。変えられるところから変えていきましょう
落ち着いた雰囲気の交流場、オープンスタジオといった感じになっていました。どうやら方針が変わったようで件の発言も過去のものとなっているのかもしれません。
路上観察:ホソバ垣と植田(磐田市)新島
HAMAMATSU ReCreation LABO りくらぼ〈おむすば〉https://www.instagram.com/p/DYCNnJgkiFT/ "無理に結びつけるつもりはありません。むすびのひとつ手前の場所"と謳っていたのにすでに結束の場になったのか。お気をつけて
どこで伺ったか定かでないが、おむすばに出ないで文句を言う者は相手にしないとの発言が関係者からあったように思う。政治参加してきます。
その端切れの出ないデザインを考えて流行らせるのが服飾業界の使命である。市場と一定の距離を保つ会社だからそれを実行する体力はある筈。消費者が生地を育てるのだから会社も一体となって生地を育てる。
遠州織物ハギレプロジェクト https://1‑huis.com/hagire/ 装幀に使える?
"「AI磐田市長ボット」は、草地博昭市長の思考パターンや発言スタイルを学習した対話型"AIhttps://socialbusiness.aishas.co.jp/socialbusinessnews_aiautomaticallygeneration/30324/ 市長はもう要らなくなるかも?
新聞印刷インクは大豆インクが増えているらしいのでおおきな 影響はないかもしれません。ただ紙代などで影響が出てきそう https://www.homemate‑research‑newspaper‑office.com/useful/12688_facil_091/
モノクロのパッケージに変る告知のTV-CMもモノクロになるのか。新聞の告知広告も?それよりも、新聞のカラー印刷は今後どうなるのだろう?
商品価値を上げるのがデザイナーの仕事だけれど、価値といってもポテチの栄養も味も変わらないのに価格が上がるだけ、実体のない記号資本そのもの。「原材料費と輸送費は上がった。ならばデザイナーと広告屋を馘にして、価格を維持しろ、いや下げろ」という要求は正当だと私も思います。
よく見ると包装からジャガイモのキャラが居なくなっている。懇意のデザイナと手を切った分値段を安くするのが筋というもので、ステルス値上げと批難されても仕方ない。
ナフサや燃料の不足は問題ですけれど、今まで色彩やデザインに購買意欲を促され消費するよう支配されてきた社会のありかたを根底から見直すきっかけになればいいと考えます
歴史は繰り返す/繰り返される、ですね。
ナフサショック、ナフサnaphthaの語源はアッカド語のnaptuで瀝青や液体の石油を指した。だからナフサショックはほぼオイルショック
カルビーのポテトチップスのパッケージも、今後モノクロになるらしいですからね(けさ9時からのDAI-ICHI“DayDay.”)。
榷利を得る権利は碍げ
サバスに遠州魔女たちが集いサバトを催して欲しい
中東情勢、磐田市は指定ゴミ袋以外でもゴミを出せるようになったけれど、やはり名前は書かせる。そして透明・半透明なゴミ袋は転売屋が買い占めネットにて高額で売りさばく。https://www.city.iwata.shizuoka.jp/kurashi_tetsuzuki/gomi_recycle/1016419.html
sabbath(שבת)と錆ばす(錆びるの他動詞)も掛かっているだろう。発展させずに細々と続くと嬉しい。
移動型サウナバス「サバス」4号車の完成https://www.entetsu.co.jp/release/20260417_entesu.pdf 遠州観光開発。2026年 5月30日(土)31日(日)ホテル九重跡地で体験できるらしい。もちろんbusとbathが主要コンセプトだよね?
中央区中島4丁目で建物火災らしい https://anzn.net/sp/?22130F&i=195 火事多いですね
サイレンが鳴り響いている
「じゃじゃ秋月」おもしろいかも
わたしの〈仮の〉新・佐鳴八景(瀟湘八景に倣って)。富塚落雁。夢輪帰帆。鳥善晴嵐。入野暮雪。じゃじゃ秋月。漕艇夜雨。SL晩鐘。安座夕照。どうかなあ…
わたしのgenius loci 浜松市中央区住吉3丁目。ここは、鎌倉往還ともよばれる旧道と、軽便鉄道(奥山線)の軌道跡の道路、さらには北東から南西へぬける道が3箇所でまじわり、四叉路が三つもある。そういう場所柄ゆえか、画像にむかって右側にあった山本医院の南に道祖神が二柱居られた。天地約30cmか。画像前方のふたつの石は、その代理か。
あと夢輪公園 https://maps.app.goo.gl/o2duyg81NWVi6mcJ8 とかも今後何かありそうです。そして佐鳴湖公園ミニSL鉄道も忘れちゃならないでしょう
地名ねえ… おもいうかぶものとしては富塚、小藪、入野、大平(台)そして佐鳴ぐらいしか無いんですよ。あとは川の名。段子川、新川とか。うーむ…
八景も歌枕などと同じで実景である必要はありません(脱領土化!)けれど、地名の文学的イメージが要るように思います。もちろんそのイメージは地名と関係のあるなんらかの風景(≠実景)なわけで
浜松に徳川財団の所蔵品を集約、そして展覧すれば、ある程度の経済効果は見こめるでしょう。〈ドラマ館〉を収蔵施設にというニュース、おもいだしました。旧・元城小学校のあの広さだと、めいっぱいの規模になりそう。
当初2023年3月時点では「どうする家康」の大河ドラマ館を徳川宗家収蔵約2万5000点の展示施設とする話だったはず https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC248XA0U3A320C2000000/
そうですね、やはり地名や施設名を入れないのは不親切ですよね。もういっぺん考えなおします。
〈新・美術館〉構想って、けっきょく徳川宗家のお宝移譲でしか無かったの? 徳川財団は代々木上原にあって、あのあたりが再開発せられる話は今のところ無さそうだし。わたしたちからすれば今回の〈お宝移譲〉は降って湧いたような話題ですが、かねてからそういう話があったのでしょうか?
疑いたくなるほどのラインナップですね、さすが旧統治機構の遺宝
怪しい! なんか怪しい。ぜったい裏がありそう。
(公財)德川記念財団所蔵品全数調査結果、全19,937点。https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/documents/162365/kentouiinkai04‑siryou‑01‑1.pdf
徳川記念財団の所蔵品展示収蔵施設が今の浜松市美術館に入るのか! https://news.at‑s.com/article/1968490 名古屋の徳川美術館や水戸の徳川ミュージアムと紛らわしい名前にしてほしい
路上観察:安松町の火事跡(浜松市)やはた橋西交差点の東、いつも通る道だけど今日はじめて知る。
ハママツクリエーターズフェスについても「1700人のお客さんをどうにかしないといけない」という発言がクリエーターからあった。数でしかないし、主体ではない客体でしかない。
オープン・ミュージアム・ラボのたぶんメンバーの投稿"アンケートに協力してほしいです🥺(3,000人くらいの声が必要で、今700人)" https://www.threads.com/@maki_yanagimoto/post/DYOU‑YZGl2‑ ひとつひとつの意見なんてどうでもよくて"数"だけなんだと悲しくなる。数学的奴隷制 #蜂起 という言葉もあった。
泥水を啜るような屈辱を味わいながら生きやすさを求めるか、心の底から笑いながら生きにくさをめざすか
今年で16歳という説もあるのでピノ君ではなくピノさんでしたね
おお、新佐鳴八景、お疲れ様です。八景名は地名もしくは施設名+景名でなくてもいいのかな? https://www.nies.go.jp/50th/archive/houkoku/pdf/r‑197.pdf
10年まえから〈市民の木〉プラタナス広場に来ているようにおもいます。だとしたら御長寿のポニーですね。
わたしが〈仮に〉えらんだ新・佐鳴八景 北岸東岸南岸そして西岸の景を五行説にならって冬春夏秋ふたつづつえらんでみました。 北岸(冬):二水寒蘆  候鳥棲洲 東岸(春):御前泊跡  青叢游魚 南岸(夏):龍雲墨淋  臨江漕艇 西岸(秋):里山落葉  臺崖歌碑
国学者夏目甕麿の顕彰祭が湖西市白須賀の礼雲寺で https://news.at‑s.com/article/1968564 内山真龍と本居宣長の門弟、船から月をつかもうとして溺れたという
"人間社会そのものの重心が、「現実」から「抽象」へ移り始めていることを意味するからだ。"(荒川和久「「個人化する社会」の前に「数字化する個人」へ」https://comemo.nikkei.com/n/nb9fd8f6587c8)ビフォ『#蜂起』みたいなことが書いてある
都々逸の井戸ではなさそうです
都々逸を詠む会、では無いんですね?
「ど・ど・いのつどい」とは? https://www.instagram.com/do_do_i_no_tsudoi/ その1は2026年6月20日(土)14:00-16:00ぐらいに浜松駅バスターミナル地下広場に集合、家とか居場所について歩きながら話すらしい
中田島街道沿いにある手作りケーキのお店Jonchée、ジャーマンチーズはやはり売り切れでした。
路上観察:ポニーのピノ君(浜松市)ソラモにて。小型なので乗馬クラブの出張はピノ君が多いという。
かつて佐鳴湖一周の〆といえば喫茶飛行場だったけれど今はもう無いのでじゃじゃの私設図書館。でも今日はclosed
佐鳴湖一周でした。少し汗ばむ陽気
ここ〈クリエイト〉で、すでに十景あがっていますが…
佐鳴湖東岸から漕艇場方面を臨む。対岸ですれ違った女性二人組とまたすれ違う
佐鳴湖論土sanaruko-rondoが必要ですね
築山殿最後の地とされる小薮船着場跡(現ことぶきボート釣船発着所)のあたりに夢輪公園?https://www.0000.jp/ がある。佐鳴湖環境保護運動発祥の地?
段子川が注ぐ佐鳴湖北岸。西川も段子川も都田川水系
西川(新川)は佐鳴湖北岸へ注ぐ
いま新たに〈佐鳴八景〉を選ぶとすれば?
"L'Autre est le Souverain, le Seigneur, le Maître qui me met en question."(Emmanuel Levinas, Totalité et Infini)
路上観察:佐鳴湖掲示板の落首〈佐鳴湖のゴミの多さにおどろきて鳥泣き魚の目になみだ/詠み人知らず〉(浜松市)
肯定的な事ばかり並ぶ批評もあるが、常に書かなかったことを想定する必要があり読解の難度は格段に上がる。謂わば霞ヶ関文学である。まだ否定から入る方が抵抗は増すものの意思伝達にかかる労力は少ないのである。身近な信者の忠告に気付く為に否定的な批評に慣れるべきである。傷付きを乗り越える力を養って欲しい。
"現状はクリエーターを祭り上げるだけ"はその通りで、ハママツクリエーターズフェスのクリエーターに対し或る人は「政治家になった方がいい」と言う。"芝居、賭博、笑劇、見世物、剣闘士、珍獣、賞牌、絵画、その他のこうしたがらくたは、古代の民衆にとって、隷従の囮、自由の代償、圧政のための道具であった。"(ラ・ボエシ『自発的隷従論』)
川鵜のいる風景、佐鳴湖西岸
ちなみに有馬朗人らが選定した遠江八景もある。琵琶湖の近江八景を模したので浜名湖周辺のみ。でももとの近江八景も大津市周辺に偏っていた。https://www.pref.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/078/totoumi‑hakkei.pdf
建設的や優しさの定義の摺り合わせが必要。"本当に信頼できる友人や専門家は、時に反論し、別の視点を示すものです。AIがあなたの考えをほぼ常に肯定するなら、それはAIの性質上の問題(迎合傾向)である可能性があります。"(精神科Q&A【5034】)人間が生成AI化したらそれは「人間が常に主役である営み」とは言えない。
竹村広蔭が選ぶ佐鳴八景の歌碑群。少林山秋月・北浦帰帆・大屋橋夕照・西湖山晩鐘・三山晴嵐・大良暮雪・太田落雁・大山夜雨。https://mohsho.image.coocan.jp/sanaru‑text.html
市民誰もが抱え得る幼さをクリエーターと建設的に関わる事によって理解し癒していく。個と個の連結だ。一方現状はクリエーターを祭り上げるだけ。幼い者を引き寄せ搾取する構造に転用されやすい。承認欲求に飢えた人にアイデンティティを貸し出せば幾らでも金を生んでしまう。皮肉なことにこの過程全体が文化不毛の地に見せてしまうのである。
佐鳴湖は汽水湖なので湖岸には藤壺フジツボが付着する。
経験の言語化、そしてカイギや対話を消化しての思想の深化ができていない。ある人が幼さについて言及していて「浜松のクリエーター達はギャラリーアーティストか学内アーティスト、社会では赤ちゃん。批評をしても意味がないのでは?」しかし批評はクリエーターのためではなく社会のために為される。批評は攻撃ではなく皮肉≒治療行為なのだ。
アクトタワーとジャスコ(現イオン)と佐鳴湖
佐鳴湖南岸、緑のトンネル
入野漁協船着場から佐鳴湖を臨む
相手の言葉を引用するのは「知識ではなく、経験で話すことが望ましい」との原則に反するからだろうと思う。カイギや対話を経験に落とし込む力が足りない。クリエーターの多くは文が読めない。燻りの原因は批評を理解できないから自分に対して批評ができないという精神構造にある。一言で纏めると幼いのだ。
校門前の旗振り当番。緑のおばさんや学童擁護員がいま求められている、かも?
"El hombre-masa se siente perfecto."(José Ortega y Gasset) 大衆や浜松市のクリエイターは、相手のことばを引用せず自分自身の解釈同士を口論させている。(オープン・ミュージアム・ラボの或るコーディネーター「クリエーターはレスバをしない」)ただ相手のことばに反論するのは中級者、相手のことばで自説を補強するのが上級者。
歳時記・季語検索。きごさい歳時記 https://kigosai.sub.jp/001/ ネットで有名だけれど伝統派には否定派もいる。増殖する俳句歳時記 https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/ ミラーサイトの方、句評が充実。俳誌のサロン http://www.haisi.com/ 例句がたくさん
韻システム https://in.nwnwn.com/ 脚韻と頭韻を検索できる。ヨ「韻の検索システムを作りました」https://note.com/wnw/n/n9372fc75fa35 韻検索(くじらはんど) https://kujirahand.com/web‑tools/Words.php 韻ノート https://in‑note.com/ AZRhymes: https://ja.azrhymes.com/ 押韻検索が増えてきた。
そこらへん検証してみてください
狂句こがらしの巻、ですね。安東次男の評釈を参照したのかな?
連句アニメーション「冬の日」 https://youtu.be/XRzcaboJprw
《牯嶺街少年殺人事件》(A Brighter Summer Day)1991年 https://youtu.be/0EiFqfuozWk
フェアカルチャー憲章(Fair Culture Charter / FCC)の日本語版pdf https://www.fair‑culture.org/wp‑content/uploads/go‑x/u/b97ae947‑d64f‑490a‑ad3a‑4a9c67399bc8/DUK_Broschuere_Fair_Culture_Charter_JPN_1.pdf 文化的権利や文化権・グローバルな公共財・善としての文化・文化の公共性など
kirja 17th anniversary 宮下浩solo exhibition「…とある家の、…とある住人。」2026年5月16日(土)~30日(土)火水定休 https://kirja.exblog.jp/33943614/ 絵本の店キルヤ立ち退きまえ最後の周年イベント
路上観察:トラック休憩場所(浜松市)長鶴交差点北のマクドナルド前は夜毎さまざまなトラックが休憩しているのでトラック運転手の情報網では有名な場所なのだろうか
広告収入を得ない地方都市向け文化芸術系匿名掲示板の仕様書https://telegra.ph/Specifications‑for‑a‑local‑anonymous‑message‑board‑05‑10 誰でもあなたのまちの文化深耕材団になれるように
どこを起点とするか、"既存の思想群を相互翻訳可能にするメタ・フレームワーク"を新たに作るか
ながめせしまに 2026/6/14 SUN @ Tehom OPEN 13:30 / START 14:00 renge, bebe, 狼が来るぞ, ケンスケスギタ 会場音楽 slim https://www.instagram.com/bar.tehom
そう、世界最初の紙幣「交子」が発行されたのも北宋の神宗時代でした。のちに徽宗時代には兌換停止というまさに脱領土化が行われています。まぁ、王朝そのものが"脱領土化"しちゃうわけですけれど #蜂起
硫化銅を製錬する技術「浸銅法」が確立し硫化銅鉱の岑水場が開発され銅銭が農村にまで過剰に流通している状況を見て、欧陽脩の詩文の弟子・王安石は、青苗法・募役法・市易法といった新法を出します。これに対し師の欧陽脩をはじめ既得権益層=士大夫が旧法党として抵抗したのは王安石の金融資本主義が先駆的すぎたから、とも言えます。 #蜂起
なるほど。〈革命を保守の語法で実行〉。#革命 読書会につながってゆく?
取りあげてくださりありがとうございます。たいへん勉強になりました。
"日本文学の核となる感性の一部は、漢代に体系化された感応論を文化的基層として持っている。"(勝俣泰斗「編集された宇宙—陰陽五行思想の源流から、漢代の董仲舒の編集的統合へ」https://note.com/taitokatsumata/n/nfd1f6b2d3c42)
"彼の創始した『六一詩話』は、詩文を批評するジャンル(詩話)の最初のテクストである。これにより文体の議論が個人の好みではなく、公共の批評対象になる回路が作られた。"https://note.com/taitokatsumata/n/n35d85cf81523 欧陽脩「六一詩話」https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=536870
"11世紀の北宋に一人の編集者が組み上げた目次が、東アジア全域の士大夫の精神構造を六〇〇年以上にわたって規定した。"(勝俣泰斗「再起動された系譜——北宋の編集者・欧陽修と、途絶した儒教の蘇生」https://note.com/taitokatsumata/n/n35d85cf81523)オルテガの「思想や意見を調整する審判や、議論に際して依拠しうる一連の規則」
ガラス造形作家増田洋美展「PLAY THE GLASS」5月31日(日)まで13:00〜18:00(土・日のみ)Gallery CAVE(浜松市中央区鹿谷町34-15)https://www.gallery‑cave.com/ ギャラリーCAVEは2025年春にできた美術家村松正之の設計施工によるアート空間、主催は山内啓司
じゃじゃの私設図書館運営者と利用者の書評、映画評の本を買った。介護の本の紹介に見える思想に感嘆したため購入を決めた。一冊目は完売してしまったらしい。Te La Mondoでは紅茶も珈琲も分からないが祁門の字面に惹かれて大いなる門の前に佇む気分を味わった。
筒井康隆『美藝公』の参考文献に、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』はありませんでした。確認不足ですみません。
中田島砂丘の一条堤こと浜松市沿岸域防潮堤の上部は風や観光客により砂が剥ぎ取られCSG(Cemented Sand and Gravel、セメント砂礫混合物)が露出している。夜に裸足で登る人が怪我をする危険性がある。
砂詩丼。まだ風は冷たい
初夏の砂詩丼
遠州灘海浜公園の相撲場(土俵)。新しい相撲場は伊勢ケ浜親方が可美公園につくって寄付するとのこと https://news.yahoo.co.jp/articles/432c826dbe29582ba2295fd4cec6862b102f4e31
路上観察:中田島町のGraffiti(浜松市)ミッキー420!
路上観察:中田島町のGraffiti(浜松市)ここにもORS
"自由主義は、敵との共存、そればかりか弱い敵との共存の決意を表明する。人類がかくも美しく、かくも矛盾に満ち、かくも優雅で、かくも曲芸的で、かくも自然に反することに到着したということは信じがたいことである。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)あなたを批判した人をあなたはどう扱いますか?
"サンディカリズムとファシズムという表皮のもとに、ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断乎として強制しようとする人間のタイプが現れた。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)理由や根拠を示さない、ときどき「悲しい」と共感で済まそうとする。
紺屋町、時代舎さんの新店舗予定地? クリーニング・フランス屋さんのお隣。すでに書棚も垣間見える。
絵本の店キルヤさんで宮澤賢治フェアが11日まで。パロル舎の絵本も今話題の好学社の絵本も。
高町の旧大沢書店とTe La Mondo
路上観察:紺屋町のGraffiti(浜松市)おなじみのORS
クリエート浜松で詩の合評会「詩季」がありました。元・超猿族の近江の君さんから「超猿」のお話を聞こうと思ったけれど1回参加したきりで談話会にも参加していないのでよくわからないとのこと。
続)"そうした規則こそ文化の原理なのである。(略)わたしがいいたいのは、われわれの隣人が訴えてゆける規則がないところに文化はないということである。(略)議論に際して考慮さるべきいくつかの究極的な知的態度に対する尊敬の念のないところには文化はない。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)文化か野蛮barbarieか
"思想とは真理に対する王手である。思想をもちたいと望む人は、その前に真理を欲し、真理が要求するゲームのルールを認める用意をととのえる必要がある。思想や意見を調整する審判や、議論に際して依拠しうる一連の規則を認めなければ、思想とか意見とかいってみても無意味である。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)
"つまり選ばれたる人とは、自らに多くを求める人であり、凡俗なる人とは、自らに何も求めず、自分の現在に満足し、自分に何の不満ももっていない人である。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)クリエイター貴族制という書き方をしてクリエイター貴族と書かないのは貴族たる責任Noblesse obligeをクリエイターが負わないから
un monstre sans cervelle se déchaîne. c'est la politique culturelle d'une certaine ville.
溢れたが、家事は立派な事業である。収入増は無いが支出減によって経済的に貢献する。洗濯機や冷蔵庫をなくせとは言わないが、機械の一部は自力に戻せるだろう。設備の手入れや掃除をすれば長持ちもする。
オルテガの「蝟集と充満の現象」hecho de la aglomeración y de la plenitudはさすがにまだ接続connectionの技術はないから、swarmではなくcrowdか。 #蜂起
訂正。〈ガセット〉でした。オルテガとだけ書けばよかったのに。失礼しました。
筒井康隆『美藝公』の参照文献としてあがっていたので『大衆の反逆』を読んだおぼえがある、という意味で、なつかしやガゼット!
路上演劇祭Japan in 浜松 2026、5月30日(土)11:00~19:00浜松駅北口地下広場。イチノニ https://x.com/Ichinino_/status/2043292725483901267 杉浦 麻友美 https://www.instagram.com/p/DXVGBJkErlb/ 加藤解放区 https://www.instagram.com/p/DXEijaak1Yi/ 右脳中島オーボラの本妻 https://x.com/oobora6/status/2043630853230829766 ほか
"大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能をもった選ばれたものを席巻しつつある。すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考え方をしない者は締め出される危険にさらされているのである。"(オルテガ・イ・ガセット、神吉敬三訳『大衆の反逆』)すべての人≠全体集合、すべての人≒大衆
"ところが今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力をあたえる権利を持っていると信じているのである。"(オルテガ・イ・ガセット 、神吉敬三訳『大衆の反逆』)hiperdemocraciaについて。ここでの大衆はcrowdでもswarmでもなくla masa。conclusiones de caféは現代ならSNSの結論か
路上演劇祭の方々の他の催しを見てみたい気がします。今年(5月30日土曜)の演目と時刻を昨日付で公開したようです。https://rojo‑hamamatsu.blogspot.com/
散りぬべき今と嘯く静岡の花も花なら知事も知事なり
「私のイベント」や「あなたのイベント」だけの発想でとどまっている人がまちづくりに携わると危うい、まちには私でもあなたでもない「彼ら」が住んでいるからだ。だからまちづくりは「彼らのイベント」をやったことのある人が携わった方がいい。
Denn Gott ist paranoid.
"巨大資本によるグローバリゼーションに限った話ではないのでしょう。独立系書店の書棚がどこも似た様相になるのも、本質的には同じこと。"https://news.yahoo.co.jp/articles/5b80d6b6e4809d6bf31385deb160a9fdabe95b50
明日晴れていたら、人類未踏のポエトリー・リーディング@中田島砂丘、砂詩丼 https://goki.her.jp/shidon/sunashidon.html
Der liebe Gott steckt im Detail.
"欲望による金融投資は、依存と不幸に続く道を敷いているのだ。"(『#蜂起』p.128)ですね。設備投資も美容整形など同類かも。いまは美容整形費用を賞品とするキャバ嬢オーディション番組があると聞く。そういえば遠鉄の図書館駅前分室へ朝行くとき、よくゆるい服装の若い女性とエレベーターを乗り合わせる。みな8階のSBCへ吸い込まれてゆく。
文化をなまかじりする者にありがちだが、摸造に対して非寛容的である。機械や後追いに真似できない視点や精度を求め続けるのがクリエーター、芸術家、職人に共通する仕事である。俵の短歌を学習した生成AIの成果物が『AIは短歌をどう詠むか』に並んでいたが目を覆いたくなる。生成絵画や動画も同じで飛躍や自由な結合以前に細部が雑である。
財政界が大々的に広告するばかりで文化芸術を楽しむ為の予算や時間を用意しないのならば、クリエーター側が自腹を切るしかない。但し、(私自身は観測していないが)高価な材料や設備を使って他に事業を持たず機械に劣る作品を濫造して生活費が足りないと騒がないようにした方がいい。現代の速度や構造から離れるとはこのような事に思える。
#革命〈洛星高校出身〉でピンと来ました。あとは言いませんが…
ですね。小國神社の勅使参向歌碑〈しきしまのやまと想ほゆ森町の小國神社に勅使出で立つ/川勝平太〉の作者とも
〈花も花なれ人も人なれ〉の方ですか?
記憶が正しければ『#革命』読書会の課題本第1章には前静岡県知事が登場します。お楽しみに
実はこの構造をよく利用するのがクリエーターで、彼らは財団やA&Cを「あいつらは文化のことを何もわかっていない」と冷笑し、自らの文化度を確保します。しかし財団やA&Cに金を出してもらって文化への無理解を助長するのが彼らというところに浜松市クリエーター・シニシズム #蜂起 があります。
自然のような"文化の全体性"は全体主義からは敵視されますから。ただ、浜松市文化振興財団や浜松アーツ&クリエイションの施策を批判すればそれがすなわち文化的な営為となりアートにもなる構造があって、批判さえすれば批判者の文化人または芸術家としてのキャラが確立してしまう現状は安易すぎて食傷気味である。
欧米生まれの資本主義は激しく競争して振り落とし縁辺化して遊ばせて根こそぎ収穫して高値で転売するという流れがあるのかも知れない。マルクスに批判的でない欧米発の思想界の言葉を使うとこの流れに染まってしまう虞がある。日本人は雪舟を接収して良いのか。
これは完全な邪推だが、浜越の顔ぶれを見ると越境が統一に読めてきてしまう。なぜそんなにも飢えているのだろうか。文明から見たら文化は人間社会よりかは自然のようなものかと思う。文化人は街に出没する熊なのだろう。森に籠りたい気分になる。
生成AIの頭脳や権利を守るために資本家の収奪から切り離すという論調にしないとより効果的な搾取に繋がるだけだと思う。責任、自由、公開性なる遺物は資本家に接収されてしまっているから。
言葉の超常性による廻天の術ですか。面白そう。
人間中心のAI宣言 Pro-Human AI Declaration https://humanstatement.org/
HAMAMATSU ReCreation LABO りくらぼ〈おむすば〉次回は5月15日(金)ゲストは奥遠州Xの大見拳也さんhttps://www.instagram.com/p/DYCNnJgkiFT/ 最近は参加していないけれど誰も文化の話をせず、生計の話をしていた。今はどうか?
訂正。連尺の間違いでした。
和地山にあった明開堂は夜10時までやっていました。連雀の谷島屋は夜9時、泉町の明屋(はるや)は夜10時までだったかな?
本屋は夜に行きたいもの
いえいえどうしたしまして。わたしも#革命 読書会を期待しすぎて、さっそくrevolutionの語源から〈廻天〉の出どころさがしをしています。
読書会の集合知のお陰です。多角的に深堀して読む機会は得難いと思います。#革命 も楽しみです。
うまい訳しかただとおもいます。eroticと来ると、たいてい〈官能的〉とか、そのまま日本語読みに〈エロティックな〉と訳しがちですが。まさに#蜂起 読書会での経験が活かされましたね。
『呼吸』の翻訳板では#蜂起 読書会が続いている気分になる。以前不快だとの意見があったerotic bodyは生身と訳す事にした。艶めかしい、生々しいの語幹「なま」を流用した。
地球へのピクニック、5月9日(土)16時〜、浜松市天竜区月地区(ギャラリーoryza→船明ダム湖湖畔→CHi-TTo、駐車場:湖畔の家)https://www.instagram.com/p/DXb_47oFAXP/ 金子敦史・宮城嶋遥加ほか
ita vero!
si oblivisci vis, bibamus
perseverare humanum quoque.
errare humanum est.
e
なかなかの密林具合ですね
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区和地山2丁目。城北図書館まえの民家である。愛・地球博のキャラクター、モリゾーを彷彿させなくは無いか。
ビフォ『#蜂起』に出てきたウェブページとPDFを搭載したNotebookLMを公開しました。ご活用ください。 https://notebooklm.google.com/notebook/eb5bf3a0‑086a‑4477‑bfe9‑afcf4a857350
路上観察:ムーの幟(浜松市)三島町
ひょんなことからぐるティアの路上ライブを最前列でみることに
路上観察:浜松駅北口でぐるティアがリハーサルをしていた。(浜松市) https://www.gurutia.com 浜松まつりが落ち着いて路上ライブ日和
路上観察:新浜松駅で歌うたいユータが歌っていた(浜松市)https://www.instagram.com/hokuson0321
1928年3月、浜松市の追分尋常小学校で小学5年生の木村福一少年が同級生から殴打され数日後に亡くなった。木村少年の出身地は融和運動が支配し、水平社は組織されていなかったという。(水平新聞の見方)
路上観察:ザザシティの中央広場で10歳のmocaさんが歌っていた。(浜松市)https://lit.link/singer_moca
1920年代、浜名郡吉野村の北村電三郎らによる改善運動→融和運動と浜名郡天神町村の小山紋次郎らによってはじめられた水平運動との対立があった。浜名郡可美村の茗荷信三は融和の副会長だったり、磐田郡梅原村には梅原水平社ができたり、運動の動機の違いによる対立があったらしい
竹内康人『静岡県水平社の歴史』解放出版社を読む。"静岡県東部地域の被差別部落の多くが二〇戸以下であるが、県西部地域には、一〇〇戸以上の部落が六地区ある。"
zealを左右反転させるとlæs。これをironiesと解釈してみる。ladsとlæsの集まる賑やかな一か月、いや、三か月だった。
生成AIが時々架空の(恐らく過去に読み取った本の)引用をしていたり、論理の甘い所があったりするが、気付きもある。seelish amputation(鷹目縫合的切断術)とは繋ぐのか切るのかどちらなのだろうか。言葉の超常性、越征性が立ち現れた。(#蜂起 備忘録はそのままで大丈夫です。)
#革命』読書会へ行こう! https://dokusyokai.me/event/8910
"大"いなる働きによって"文化"と"革命"とを……は陳腐で腐乱臭がしましたね。水滸伝の方が面白そう。
水滸伝ですか?
混ぜられるかな? 『#蜂起』第4章の備忘録です。 https://goki.her.jp/uprising/4.html
"文化"深耕材団と#革命 混ぜるな危険?
「シニシズムに代わる本当のものは、情熱ではなく、アイロニーなのだ。」#蜂起 p184 の情熱にことよせて、更にドイツ語のseele魂と英語のzeal熱意とを勝手に繋いで論じようと思ったのだが、流石に言葉遊びの域を出ないか。
一応『革命的な、あまりに革命的な』を基軸に進めます。なんでも典拠になりうるので挙げちゃってください #革命
日本語読みでゼーリッシュです。
耳が悪く、発音記号も読めないので識者に質問したいのですが、ドイツ語のseelischの発音はジーレッシュで良いですか。
重要参考文献になりそう。一応連結先には『革命的な、あまりに革命的な』とあるが、先立って#革命 で思い当たる本を挙げておきましょうか。
ぜひ典拠にしてください https://www.hakusuisha.co.jp/smp/book/b665577.html 絓秀実にしました。
ゴールドストーンの、ですか?
ではここらへんで『#蜂起』読書会は一旦区切りとしましょう。もちろん#蜂起も読書会も独自につづけていただいて構いません。次回は『#革命』読書会を予定しています。 https://note.com/onaikotaro/n/n967c7aa966ce
読書でさえも加速し見栄を張るようになってしまった時代に、間違いや傷付けを恐れずに、ゆっくりと且つ直截的にやり取りが出来て知的好奇心が刺戟されました。新たな読書会の形に可能性を見出しました。立ち上げて頂いた共同翻訳にも微力を尽くしたいです。ありがとうございました。#蜂起
#蜂起 ビフォの誤転写とわかりほっとした。ありがとうございます。縫ってでも視界を塞ぎたくなるような譬えだったから。後、誤植のseelishをweb検索したが、selfishばかり引っかかる。権力への恋によって自分勝手に目を綴じてしまう精神的な行為が現代のシニシズムなのかもしれない。
読書会参加ありがとうございます。みなさんのおかげで一般的知性を再展開できた気がします。 #蜂起
旅芸人が「マルテの手記」のジプシー(Egyptian)っぽいですね、と言えば牽強付会か。 #蜂起
これ https://monoskop.org/images/7/7b/Sloterdijk_Peter_Critique_of_Cynical_Reason.pdf ですね。#蜂起 痛々しいのは確かにそうです。新自由主義がヤバいのは知りつつも加担してもいることの罪悪感を精神的seelischな装置「シニシズム」で均衡を保とうとしているのですから。
邦訳と原書をつきあわせて誤りを指摘、確認しあうほどのクリエイトですからきっと大丈夫ですよ。
"経済科学のようなものが実際に存在するとは思えない"(『#蜂起』p.86)ですからね。"新自由主義者の順応者は、六八年世代のひねくれた相続人だ"(『蜂起』p.187)将来はわからないけれど今がなぜそうなっているのかは歴史を紐解けばわかる。名を匿し連結conjunctionされたら挽肉をまぬがれえるかは後世の歴史家が記述してくれるでしょう。
ドゥイノ悲歌第五歌“lehnenden Leitern”立てかけられた梯子という意味ですが、女性名詞die Leiterの複数形Leiternなので、旅藝人の若い男女がそれぞれ梯子を持って曲藝を披露する、という光景なのでしょう。やはり互いのが梯子をくみあわせた形が三角形なのでMac(慣れなれしいですが)はpyramidと意訳してしまったのでは、とおもいます。
#蜂起 こんな読書会はじめてですよ。日本語訳と原書と校合しながら、でも大変勉強になりました。とにかくすごかった!
おはようございます#蜂起 ‘seelish’についてですが、ドイツ語seelisch(精神的な)の誤りとわかりました。Sloterdijk“Critique of Cynical Reason”p.5にも‘seelisch’と書いてあります。Monoskopというサイトのpdfの画像も送ります。
#蜂起 p185でさらりと流しているseelishと言う形容詞は結構痛々しい。名詞seelは若い鷹の訓練で目蓋を縫合する事を指す。権力が綴じた民衆の瞼の糸を解く日は無いだろうと簡単に予想が付く。人間ならば自制したい。
「[新自由主義経済の]唯一の難点は、複雑に絡み合った出来事の中で、どのトレンドが優位を勝ち取るかは、誰にもわからないということだ。」(#蜂起 p187) まさか挽肉でーすが流行るとは思わない。そして今や誰も覚えていない。最早文化を醸成する遑の無いSNSに挽肉にされた人々が残るだけだった。クリエイト浜松はこの激流から離れているのか。
"アイロニーはどのような現実の存在も前提としないが、シニシズムは、権力、特に経済の権力という、逃れ難い現実を前提としている。"(『#蜂起』p.192-193)前提のない皮肉と食い扶持のための冷笑ですね。明朝ぐらいまでで『蜂起』読書会はそろそろ一旦区切りにしましょうか。全体の感想や書き漏らしたことがあれば今のうちに書いてください。
ピラミッドはないですね。ただ"Die zehnte Elegie"には"wachende Grab-Mal. Brüderlich jenem am Nil, der erhabene Sphinx"ナイル川とスフィンクスが出てきます。http://www.zeno.org/Literatur/M/Rilke,+Rainer+Maria/Gedichte/Duineser+Elegien/Die+zehnte+Elegie リルケのなかでこれらエジプトの遺産は世界の形の或る象徴だったのかも?
ドゥイノ悲歌第五歌の原詩の最終連(#蜂起に英訳からの邦訳で引かれた部分)を画像でお送りします。Zgedichte.deという詩のサイトから。
#蜂起 邦訳p.162〜163に〈(ドゥイノ)第五のエレジー〉が引かれている。カーライル・ファレン・マッキンタイアーの英訳を邦訳、誤訳までまんま訳している。〈彼らの忘我の塔、彼らのピラミッド〉原書p.140“Their towers of ecstasy,their pyramid”しかし原詩にdie Pyramideは無い。Leitern(梯子)を立てかけた形をピラミッドと訳したか。
それは長征
延安まで大移動、ですか?
参考までに英漢大詞典には超過、勝過、越出とある。エクセスの音に寄り添って越征はどうか。
おゝ、声まで…
浜松まつり御殿屋台のお囃子
浜松まつり子供合同練り
こちらから詩へ歩み寄る
前原本光さんの「詩はどこから来る?」こそ“Poetry is the reopening of the indefinite,the ironic act of exceeding the established meaning of words.”(原書p.158)
また、"アイロニーは、シニフィアンの記号的価値を停止して、多くの可能な解釈のなかから自由に選択できるようにする。"(『#蜂起』p.191)ハママツクリエーターズフェスのハママツ・クリエーター・フェスという記号的価値を停止して批評や対話によって市民の共通理解を探ろうとするのがアイロニーだろう。
"アイロニーは、シニカルな行動を合理化するための言語的なツールになることができる"(『#蜂起』p.190)だからオープン・ミュージアム・ラボの「オープン」と現実のオープンとの交換を拒否し、記号的債務の不払い・破産を宣告する。そして「クローズド」という意味の過剰を見出すアイロニーを浜松市で実践することが、蜂起=治療となる。
ex-cedereは「行く」「進む」系のことばなので「過」は欲しいかもですね。過剰とか超過とか
だから、邦訳p.190〈権力の側にいることを望んでいる。〉〈その(法の)正義を信じていない〉かどうかは知りませんが。
"現代のシニシズムの核心には、本質的な嘘が、言論と信念の矛盾が、横たわっている。"(『#蜂起』p.182)"、たとえば新しい浜松市美術館構想を提言するオープン・ミュージアム・ラボの「オープン」のような矛盾のような
またやってしまいました。旧清水銀行の画像をおくります。
そうですそうです。ウィリアム・ブレイクの言葉“The road of excess leads to the palace of wisdom.”過剰の道は智慧の宮殿に通ずる、も〈超常の道〉とすればわかりやすいでしょう。いや、やっぱりexcess=過剰のままでいいかな?
ことばの常識を超えるということですね #蜂起
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区和地山2丁目。旧清水銀行浜松北支店。好天にめぐまれた浜松まつり3日め。時折つよい風が吹き、中田島の凧のあがり具合はどうかな、とおもう。平日を解体作業にいそしんでいた人たちも、いまは祭に参加しているころか。
#蜂起 〈詩の言葉の過剰〉の過剰を、わたしは〈饒舌〉と受けとってしまいました。だからというわけではありませんが〈過剰〉をべつの語に置きかえたいですね。excess(過剰)も、exceed(超える、上回る、突破する)も、ラテン語のexcedere(外へ出る、すすむ)からきているので、たとえば〈超常〉がいいかな、とおもいます。
旧農村部で、浜松市街域の発展拡大により浜松まつり参加町となった自治会では、秋の(各町内の神社の)祭にも御殿屋台引回しと練りをおこないます。神社境内に公民館(会館・公会堂)や屋台倉庫のある自治会もあり、まったく宗教色が無いとも言いきれないのが〈浜松まつり〉のおもしろい、あやしいところだとおもいます。
そうだ遠州大念仏! 渡邉駿一朗氏の論旨は明解ですね。町中の自治会は大念仏の稽古はやりませんから。初盆の家で念仏送りをする場合、浜北のほうから呼んだりしてました。
"浜松では生と■を扱う2つの祭礼があり、前者は地理的に拡大したが、後者は拡大されないまま祭礼が維持された。その理由は、前者は都市という空間の拡大に対応した変化を遂げ、後者は(略)"(渡邉駿一朗「都市とその周辺部における生と■の祭礼」https://www.ritsumei.ac.jp/lt/area/assets/file/research/geo/letter/32/32‑3.pdf)
共感する。浜松まつりって、ほかの地方の祭と違って農事に関係しないですよね。東さんの言う〈都市の祭〉ですね。
"詩は、不確定なものを再度開くことであり。既定のことばの意味を過剰にする、アイロニーな行為なのだ。" "社会運動というのは、結局のところ、記号論的な破産として、言語や行動、活動を、記号的な債務の限界から解きほぐすメカニズムとして、アイロニーを利用すべきなのだ。"(『#蜂起』p.181)言語の限界を乗り越え、あいだの主体へ
だから「言葉をしぼってけずる短詩型文学」こそ多様な解釈の可能性があることから言葉の過剰と言えるのかもしれません #蜂起
それでいいかと。東浩紀の誤配や郵便的不安とも言い換えられると思います。"アイロニーは解釈の無限のプロセスを意味しているが"(『#蜂起』p.189)
ジャック・デリダのいう差延differanceと散種dissemination、すべてのテクストは誤読せられ、つねにあらたな解釈がなされる、という論旨でしたっけ?
浜松遠州地方の王様☆祭大王さんが今年も浜松まつりで活動されているらしい https://mdo.3rin.net/
「法被は祭りへの参加資格の証明でもあり(具体的には事故時の保険料などの納入証明であり)、着用しないと凧場には入れないという。」「彼らはなにを祝っているのでもない。強いていえば、自分たちの祭りそのものを祝っているのだ。」東浩紀の評論は勉強になる。
特定の意味や評や作者の考えに解釈が固定されないところに詩歌の、言語の過剰がありそう。 #蜂起
"浜松まつりはコミケなのだ。だからそこには客はいないのだ。参加者以外の人間はいないのだ。" (東浩紀「地域は舞台 浜松まつり(静岡県浜松市)」https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_cca/stage/pdf/ast91_s.pdf が好きです。
〈浜松まつり〉は不思議だ。だいいち宗教色が無い。雅でも無い。季刊誌「アステイオン」91号(2019.12)のシリーズ「地域は舞台」で東浩紀氏も訝る〈軍国主義の痕跡?〉。わたしもかねて気になっていた。ラッパ隊と練りは進軍を模しているし、統監部の制服もそれっぽい。〈浜松の人々にはそれはあまりに自然で、違和感を与えないようだ。〉
奥村晃作さんの短歌をおもう。かれは至ってまじめに〈こころをうごかされた契機をことばにして歌えば、その感動は読者につたわる〉という信念をもって詠んだだけなのに、歌集『鴇色の足』のなかの〈ボールペンは三菱がよく〉うんぬんの連作が小池光によって〈面白い〉と評価せられ、歌壇内の〈ライトヴァース〉ブームも手伝って話題になった。
きょう3:20ごろ、若い男のさけぶ声が路上からあがり、わたしの寝床にとどいた。だからどうしたってわけでも無い。ただ、ねむれないだけ。浜松まつり期間中あるある。
キルヤさんで買った詩集より、"詩は僕らの周り/いたるところにある/そして、詩は/僕らが来るのを/待っている"(前原本光「詩はどこから来る?」『La plume』一期堂)
松城町の時代舎さんは、紺屋町に移転できただけ幸せかもしれませんね。
物理的に縁辺化される営みよ。良い移転先が見つかる事を願っています。
紺屋町にある絵本の店キルヤさん、年内立ち退きとのこと。残念 https://www.instagram.com/p/DX0Y24_E5wg/?img_index=2&igsh=MWY4N3RsZG1uMTBwaA%3D%3D
ソラモの御殿屋台群。別に神事のためなどではなくイベントの都合で屋台を移動させるのが浜松まつりらしさ
妄想=punk、恋愛=甘さ
浜松まつりのため駅前は人出が多い。北口広場にはスタチュー&マジックの大道芸人Magiaさんもいました。
浜松駅北口でillayが南米音楽路上ライブをやっていました。
punkだとおもう。しかも甘口の。その甘さこそが作者のパーソナリティだとおもいます。
"僕は99%君でできてたから/1%の他人のところにアピールかけるわけにはいかず"(妄想恋愛詩人ムラキング「ストーカー」『ミニ詩集 ムラキングです』祝1号!!)
『断食月』第三号(副題:「詩と金融」)の原稿募集、6月30日まで。 https://goki.her.jp/ramazan/#ramazan3 詩歌は発行者のメールへ、散文は沈黙交易欄投稿フォームまで
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区、鍛冶町交叉点にて。浜松まつり2日めにして、あいにくの曇天。瘴気が抜けたとおぼしい松菱百貨店跡地をのぞむ。
そもそも"連結は、他者になるということ"Conjuction is a becoming-other(『#蜂起』p.142)の自己をぼかす態度は"あいだの主体とは書き手と読み手と存在しない手のもつ主体の束である。"(短歌の主体https://ameblo.jp/siikaryouzannpaku/entry‑12948117461.html)や小倉紀蔵のあいだの主体論と通じていた。
"詩は非交換性の言語であり、無限の解釈学の再来であり"や"言語の過剰"an excess of language(『#蜂起』pp.160-161)は"短歌をおもしろくしているのは作り手ではなく読み手である。"(短歌の破片https://ameblo.jp/siikaryouzannpaku/entry‑12909657142.html)の解釈優位論と似通っている。
"市場の領域では、モノはその具体的な有用性から考察されるのではなく、交換可能性や価値交換から検討される"(『#蜂起』p.159)→転売目的の購入。"同様に、コミュニケーションの領域では、言語は、実行されるものとして、取引され評価されるのだ。"(『#蜂起』p.159)→地名などthreadsでバズるから使われるキーワード
Marc Shell(Schellはたぶん誤字) "Money, Language, and Thought"のPDF https://dokumen.pub/money‑language‑and‑thought‑literary‑and‑philosophic‑economies‑from
#蜂起』読書会の第3章備忘録です。 https://goki.her.jp/uprising/3.html
わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸1丁目。居酒屋さんのまえの激練り。雨天でも浜松まつりをやるというそのこころ意気。さすがに御殿屋台引回しはやらない。
もともとは民本主義でしたから。忖度
お駅消した液に悲しやだとは何様や 島根の布飯屋さやしては志摩なのね 下に指すなさは花な仕方金して明智 家化して示唆方はましなの草ですね
聯を一首。 青息吐息 煽らん意図は無きものの/片親パンにあののものの/青狩りの共感主義者に/肩落とす理性の獣 脚韻はほぼ文法韻。若干の字余り。
democracy民主制の一般的な訳語民主主義に独裁者の悪意を感じるのは私だけだろうか。-ismでないのに-主義とは遺憾。
情動的叫喚が支配的な社会において溜息は嫌われる。「共感主義者」は気付かないが、認知的共感を望む声は案外根強い。
浜松まつり、うちの町だけかもだけど5月3日は御殿屋台の引き回しは雨天のため中止、初練りはやるらしい。
路上観察:道の駅潮見坂(湖西市)ゴールデンウィークは午前7時前から満車
そろそろ第3章から第4章に入りますか。"お金と言語には共通する何かがある。それは何もないにもかかわらず、なんでも動かしてしまうことだ"(『#蜂起』p.155)四つん這いで吠えるあいつらを犬・dogと呼ぶ必然性はなにもない。同様にお金の価値にも必然性はない。
近くは市役所から大きいところでは国まで行政が腐敗している。歌にするしかない。
子どもや若者に選ばれる浜松市にするための「浜松学」(中野祐介市長)と学部・専門分野を超えて対話や研究を推進する「遠州学林」(静岡文化芸術大学)と
ある米国詩人の論理。THE POETIC PRINCIPLE https://www.eapoe.org/works/essays/poetprnb.htm と THE RATIONALE OF VERSE https://www.eapoe.org/works/essays/ratlvrsd.htm 尚未読なので教えて下さい。
詩人ではありませんが、言葉狩りが烈しくなってきている。自嘲が差別に転用され軈て禁止される。自嘲したい人は溜息を吐く事も出来ない。これが現代の息苦しさの要因の一つだろう。片親パンもチー牛も元はその類だった筈。#蜂起
"あまりにも長い間、金融階級が社会的身体を圧迫したため、支配階級のシニシズムは、不快感を抱かせるものになっているのだ。","蜂起は裁きの一形態なのではなく、癒しの一形態なのだ。"(『#蜂起』pp.151-152)シニシズム cynicismが登場、これが本著ラストの最大テーマになる。詩人は「実社会の営みを冷笑」するのか? それとも皮肉るのか?
精が出ますね。此方も翻訳をぼちぼち進めようと存じます。
The Breathing https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502111426_86fef2 と Bifo "Breathing" introduction(小文字) https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502074332_3c88 は移行したと思います。"Breathing"introduction https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502130636_29bddc はid:919dさんの記入を移してからにしますか?
拙いプログラムでご迷惑をおかけしました。プロジェクト数が増えたので役割を終えたと思う翻訳プロジェクトは【削除希望】でURLを教えてください。トップページから外れるまで異論がなければ、そのうち削除いたします。
ソネットの圧縮率は高いので全く知らない事もないだろう。#蜂起 の書きぶりは教授、論述家にありがちな誤解を与えない表現が多い。言い換えも頻りなので諄く感じる。
言葉をしぼってけずる短詩型文学をベラルディは知らないのだろうか?
#蜂起 で述べる詩の言葉の過剰とは論理のような機械的言語で測りきれない言葉の繫がりを言うのかもしれませんね。
『呼吸』序章も上げ直しました。確認をお願いします。https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502181600_9f30b4
第1章を上げました。手動で改行しました。確認をお願いします。 https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502175045_cf24eb
第1章うまくいったようであればイントロダクションのtxtアップロードもお願いします!
「.」や「?」のつぎに大文字がくるとセクションされる設定です。夜に試みるイントロダクションでうまくいけば大丈夫だと思います。
章題や小見出しの訳も検討する為にピリオドで区切った方が良いかも知れません。第一章のtxtファイルを準備しています。
〈報国隊〉みたいでいいですね。了解しました。
たぶん複数人の方がそれぞれ不完全なプロジェクトで作業していると推測しています。統合機能はないので、introduction全文の整形txtファイルをアップロードしたらお知らせします。第1章以降は遠州翻訳隊のみなさんでtxtファイルをアップロードしてください。
kuntradukiloに複数の『呼吸』の板が立っているので暫くオフラインで作業します。統合したら教えて下さい。
路上観察:みんなで軽トラ市いわた☆駅前楽市の看板(磐田市)
とは言え少し考えたけれどこれはアルゴリズムの問題というよりtxtファイルを整形してから流し込もうという話になりそう
баярлалаа
ありがとうございます。翻訳上に問題がありそうなのは改ページですね。そこを重点いれて修正します。
#1に章題が入っている。#2に二文が入っている。注釈が悪さをしている;"Finance.1" #17と#18が改ページで切れている。#28にページ番号が割り当てられている。#38と#39が改ページで切れている。#44にページ番号が割り当てられている。他に誤字衍字脱字は無いです。
そこはご自身で企画を立ててください。手伝えることはしますので
アリストテレスが論理学で示した誤謬の数々は確かに論理の途中にあると困る。しかし、同時に表現の契機、論理の始まりになり得る。掛詞、語順、強調、譬喩は全て詩の構成要素である。だから論理学者は詩に筋道を見いだせないだろう。
introductionがすべて入っているか確認できる人はお願いします。新しくアップしたプロジェクト→https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502130636_29bddc もとの文書→ https://dokumen.pub/breathing‑chaos‑and‑poetry‑paperbacknbsped‑1635900387‑9781635900385.html
むむ、全文読み込みされていないかも
翻訳プロジェクト個別urlのテスト https://goki.her.jp/kuntradukilo/#p=p20260502074332_3c88
言語美学科は学際的か。非言語表現の鑑賞批評実作も必要になる気がする。
開学のあかつきには〈言語にとって美とは何科〉開設もおねがいします。
英語の翻訳に関しては安西徹雄の英文翻訳術が参考になる。文庫本もあるので是非。
ガタリ読みには「リトルネロ」が通っているからか https://www.msz.co.jp/topics/07825/
ウィキペディアには日本語、英語、仏語の該当項目があるが、伊語には無い。イタリアでは楽式名称としての用法を強く意識しないのだろう。
細かいことですが、原文のritournelleはフランス語です。なぜ訳者はイタリア語の日本語読み〈リトルネッロ〉を採ったのでしょう。
採用、© 2026 遠州詩学校を記載しました
これが後の遠州詩学校の始まりであった……。翻訳は言語と思考に直接関係するので詩学の科目の一つとして採用するだろう。
路上観察:浜松まつり凧シャトルバス発着所案内看板(浜松市)飯田公園と凧場をむすぶシャトルバスの発着所案内
えっ、すごい!The Breathingの翻訳が始動するんだ!
匿名共同翻訳作業ページ「kuntradukilo」 https://goki.her.jp/kuntradukilo/ をつくりました。.txtで翻訳したいテキストをアップロードするとピリオドごとに翻訳を議論できます。パソコン推奨。欲しい機能や改善してほしい点があれば教えてください。
原文"ritournelle, or refrain"、和訳「リトルネッロ、リフレイン」と並置されている。でも"ガタリの言い方によれば、リフレインは、このつながりを、特異点と環境のあいだのこの組み合わせ[agencement]を、生み出すことができる唯一の方法なのだ"(『#蜂起』p.150)、リフレイン≒リトルネッロ≒マントラかな。どんなリフレインかが重要か
#蜂起 日本語訳p.148にある〈リトルネッロ〉伊Ritornello 佛Ritournelleがマントラにちかい、いや、=Mantraだとおもいます。
たしかに浜松城・掛川城・駿府城は東海道防衛の重要拠点でしたからね。2019年に徳川家広が立憲民主党から立候補したのもpax tokugawanaと憲法9条護憲の"保守"的つながりからも頷けます。長州選出の奴らがのさばる政党なんかから徳川宗家当主が立候補できませんからね!
浜松城城主の多くが幕府重臣に出世したという(つまり藩内政治を巧みにおこなった)ところから発する保守的空気も大きいのでは? 静岡県西部のみならず中部も保守的だとおもいます。遠江駿河ともに家康ゆかりの地ですから。
"近代資本主義の主な文化的変容は、社会に浸透し、規律を与える、時間認識のリフレインを創造することだった。""デジタルへの移行は、電子的な断片化、情報の過負荷、記号交換の加速、時間のフラクタル化、そして競争というような、新しいリフレインを伴っている。"(『#蜂起』p.149)リフレインはマントラではなさそう。
静岡県西部は山地・平野・漁港があるため農林水産業と工業は盛ん。でも海岸線は外洋に面した砂浜がほとんどで内海の浜名湖にも今切があり貨物船の航行は困難。そのため商港がなく貿易は豊橋港・清水港に依存せざるをえない。商港がないため商人階級や知識人階級の層が厚みを持たず、ゆえに権力からの自立心や民主的な気風が育ちにくい。
やはりAUMとかSHANTIとかのような、くちびるの邪魔にならない発声がマントラにふさわしいのでしょうね。
やってみましたが唇がくすぐったい。ちなみにマントラमन्त्रは漢字だと真言や咒。岡田省二の用語「俳咒」や「柳咒」を連想します。
#蜂起 本文にマントラ(?)が出てきますがspireを語幹とする単語あるいは語幹そのままでもマントラになりそうですね。"be,be,be" "concatenate,concatenate,concatenate"とかありえないですよ。
spirit息に関連する語。spire[spirare]が語幹の動詞は他にaspire切望するinspire吹き込むperspire汗をかくsuspire溜息を吐くtranspire漏れる、蒸散する。spire螺旋[spira]やspire尖塔[spir]と共通する語感がありそう。spurt迸りも元はspirtと綴り発音したらしい。オノマトペに強いて還元すると寝息をすぴーぅと音写できる。一音節語の不思議。
"構成と組換え"(『#蜂起』p.146)Composition and Recombinationのうち構成Compositionが呼吸-連結Conjuctionの側ということか。"When I say composition, I mean a form of shared respiration: cospiration,"でrespirationとcospirationの語源はともにラテン語のspirare呼吸する。
〈虹の橋〉ですね。よく見ると天上界へまっすぐつながっていないんですけどね。
このmanifestoや佳し。すなはち詩の手法技法を陳ぶるのみなればなり。如上に盡く反するも亦一人の詩の創作の手法技法なり。われら詩歌を鑑賞愛読する者須く背反する思攷主張を否まず是を享くべし。彼も是も悉皆その志の之くところに生れし詩歌なればなり。
実物の熊をおそれつつ、テディベア、プー、ダッフィ、リラックマ、ポスくまなどを愛玩する人間の身勝手さよ。
フランコ'ビフォ'ベラルディ集(岩波書店に倣って)全10巻、なんてどうですか?
路上観察:春の虹(磐田市)
詩の創作においてmethod手法、技法はあっても、もとより論理は無いとおもいます。たとえば大岡信「地名論」は論述をなしていませんね。詩を形成するのは手法、技法であって論理ではありません。〈論理の欠如〉〈言語の迷宮〉〈美しい比喩〉〈冷笑〉などは全て詩人の技能によるものであり、出鱈目に言葉を並べているだけではありません。
浜名区引佐町谷沢で熊の目撃情報 https://news.yahoo.co.jp/articles/54737981d421b34fb868f672bf3be868cf1156ae カフェOraのあるあたりか
##洞察##を**洞察**に訂正。*この文章はちゃちゃっとgptによって生成されました。AIの出力には不適切な表現や暴力的な表現が含まれる可能性があります。
興味深いですね!この掲示板には冷笑だけでなく定型ではありますが詩の実作も載っています。それについてあなたの分析はあてはまりますか。是非あなたの##洞察##をお聞かせください。
自己責任論への抵抗なのは分かりますが、conjunctionされた人の主体性とかどうなるのだろう #蜂起
アトリエけだまのおはなし展@マルカワの蔵(天竜区二俣町二俣1174) 〜5月31日10:00-16:00 https://www.instagram.com/p/DXv0EJBEmGw/
ビフォのウィキペディアの経歴を読んで、権威的だとの名目で組織を追い出すのは非常に権威的な行いだと思った。自由人は時にマキャベリズムのスクリーンになってしまう。
著者ビフォの呼吸器疾患の体験が執筆の契機となったそうです。
呼吸:渾沌と詩歌ですか。詩歌療法の随筆との紹介文も気になります。https://www.penguinrandomhouse.com/books/658275/breathing‑by‑franco‑bifo‑berardi/
そう、繋ぎ止めておく。たとえば新自由主義は市場原理を優先し市場と接続Connectionしているだけで経済弱者となった者も「自己責任」とされる。連結Conjuctionはその「自己」が曖昧な他者にするから自己がない以上自己責任はない、という感じでしょうか?反デカルト・親スピノザ的ですね
conjunctionも絆(きづな・ほだし)も、それぞれ語源から、逃げないように繋ぎとめておくニュアンスがあるようですね。
connectionは縁故の意でコネになるから結束に近い。それでビフォが"Conjuction is a becoming-other"とする連結を評価しているのはこのbecoming-otherは集団マントラのような憑依状態になって予測不能な他者?何か?になるからか。構成Compositionの"呼吸を共有するひとつの状態"(『#蜂起』p.146)。Connectionは抜差のたびに感性が摩耗する
同感同感同感! 原書はウェブで閲覧可能なので皆さんといっしょに日本語訳を一から検証したいですが、時間がものすごくかかりそう…
conjunction語幹の語源が軛yokeからきているなら〈縛り〉はconnectionよりも強いようですね。connectorのように、抜差し自由なニュアンスが後者にあるとおもいます。前者は高速道路のjunctionのイメージもありますね。
おはようございますの#蜂起The Uprisingの新訳もいいですけど、未訳のThe Breathing:Caos and Poetryを共同で翻訳するのはいかがでしょう。The Uprisingの第3,4章をさらにふかく論述しているようなので。
新訳『#蜂起』に期待