むかしのことば

ぜんぶで 2672 こ / 6 ぺーじ / いま 1 ぺーじ
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今日おとずれた井伊谷。現在のスズキ精機工場に住友セメント工場があったとは信じがたい。井伊谷在住もしくは出身の中高年の原風景には、煙突とエンドレスのトロッコのある、粉っぽい井伊谷があるのだろう。6月は田植えの時期でもあり、谷あいのちいさな町は緑いろに染まる。
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谷川俊太郎も〈若い日本の会〉メンバーでしたね。小説、歌詞、戯曲等にも手をそめながら、戦後の国民詩人として大成。だって、国語の教科書にどれほどの作品が取りあげられたか。小学校低学年の「スイミー」(翻訳)、高学年の「生きる」、中学校では「朝のリレー」「二十億光年の孤独」など。わたしたち大人の原体験となっているかも?
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わたしの路傍流瞥。中央区幸1丁目、セブンイレブン浜松幸町店まえ。きれいじゃ無い場所でよく飲食できるとおもうが、いい思い出になるだろう。
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わたしも小学2年生のころ、国語の授業で習いました。谷川俊太郎の訳文は韻文のようで、朗誦のためにふさわしい。だからクラス全員で声に出して読まされた覚えがあります。noteじっくり読ませていただきます。
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e-じゃん掛川、SNSを取り巻く環境の変化や、システムの老朽化で今年9月30日でサービス終了とのこと。登録したばかりなのに https://e‑jan.kakegawa‑net.jp/
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ofと音節数を揃えてintoはinの方が良いかも知れない。swimと韻を踏む語を募集。by赤木躺平
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"But you can't just lie there," said Dummy. "We must SINK into something."/ Dummy was taught and taught and taught.
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井伊谷内山製菓まえ。〈あんぱん饅頭〉の幟がアンコのようにねっとりとはためく。
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「みそまん」も相まっていい写真
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井伊谷。県道303号新城引佐線も、クルマやトラック、バスなどの往来がある。鳥の声ばかりが賑やかな旧市街。
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わたしの路傍流瞥。浜松市浜名区細江町井伊谷。国道257号線は、クルマやトラックがさかんに往来する。
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路上観察:例大祭(浜松市)三組町の神明宮
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路上観察:佐鳴湖病院跡地(浜松市)更地になっていた
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だからってわけでは無いのですが、わたしの路傍流瞥。井伊谷遠望。
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路上観察:なにかの鳥の巣と貝殻(浜松市)蜆塚遺跡
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路上観察:蜆塚遺跡(浜松市)月曜日なので貝層は入れないけれど歩けば貝殻を拾える。
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布橋の奇策をおもうと、中七が生なましく感ぜられます。
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路上観察:〈岩角に兜くたけて椿かな/大島蓼太〉句碑(浜松市)犀ヶ崖
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桜の木が切られたんですよね。
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路上観察:犀ヶ崖(浜松市)浜松北高東交差点拡幅工事のため犀ヶ崖資料館は休館日で入れず
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ちゃんと読む人は、賛成する人ではなく反対する人
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サテライトでないちいさなあそびばの去年(六年目)のお知らせ。 https://kirja.exblog.jp/33702013/ 七年目の今年に関しては「いつものまちなかの “あそびば” も7月~11月にやります!」とのこと。 https://kirja.exblog.jp/33959530/
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ちいさなあそびばサテライト、2026.6.28(日)11時〜15時引佐多目的研修センター視聴覚室。2026.7.5(日)11時〜15時磐田市市民文化会館かたりあ創造活動室1 https://www.threads.com/@utozuka/post/DZlJoc9E6_P
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詩歌では無かったのだ… 寺山修司の才気煥発は演劇のみにとどまらない。高校生のころは俳句、大学に進学して「短歌研究」五十首特薦(「チエホフ祭」)、一躍時代の寵児となって件の〈若い日本の会〉。小説、歌謡曲作詞、競馬予想をからめてのエッセイ(特に晩年の「墓場まで何マイル」)等々ジャンルの壁を越えるoff the wallな青森の猫背男。
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やさしいせかい
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自分の為が序でに他人の為になる、それで結構。
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じぶんのためでした。
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最前とおなじ場所。バス停のベンチを拭いてくださっている。ありがとう、と、おもったら…
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区泉2丁目。朝の渋滞。バスがなかなか来ない。
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"寺山は政治を通してではなく、演劇を通して社会を変革する大きな夢を抱いていたのである。彼は演劇を大きな力をもつものとして構想していたのだ。"(扇田昭彦「市街劇への疾走」『日本の現代演劇』岩波新書p.151)
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"上位クリエーター"の存在が"下位クリエーター"に緊張や恐怖を抱かせるクリエーター階層、ハママツクリエーターズフェスが企図するようなクリエーター階層に規定されず、同時にその階層から追放された"二重の自由"(『#革命』p.31)を手に入れた場こそが「自己実現の場」「他者理解的な場」になりうる。
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もう直っているようです。きっと誰か……おやこんな朝早くに誰かkt
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確かに「食べた事がないものを食べる」は「無から有が生じる創造的行為」ではないとは思います。開催趣旨https://crefest‑hmmts.com/about/に列挙された例はすべて「自身にも他者にも変化が生じる」行為ではありますが「無から有が生じる創造的行為」は皆無です。そして、そもそもクリエーターの営為は無からではなく模倣からでは?
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"より端的にいって、それは「歴史の必然」という神話の崩壊であり、その必然からの「自由」である。"(『#革命』p.37)というわけで6月分の第1章については書き尽くしたかな。月の余りは第1章で言及された書籍や関連書籍の読書に当てましょう。そこからの引用や第1章で書き足りないことが出てくれば随時ここに書き込んでください。
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トップページの実行委員メンバーへ飛ぼうとすると孤木の写真が見られます。綺麗。
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「食べた事がないものを食べる」のは創造的か。勿論蛸や蝸牛や河豚を初めて食べる行為は創造的だろうが、インスタに上がる画一的な料理を味わうのは消費の範疇だろう。他も疑問符が付く。
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"自分らしく生きる充実感や喜びを得ることができる"との文言はアイデンティティ商法、肩書売りの典型である。創造的行為の例も殆どが消費と切り離せない。見栄を張る事を刷り込み、競争を持ち込み、商売と無関係な創造を抑圧する。従順な鬱屈したカルチャースクール生徒の促成栽培である。
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クリエーター・マッチポンプの爆誕である
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ゴールデンサークル理論は消費を促すのであって、創造を促すのではない。よく観察し常に疑問を持ち続ける事が創造そのものなのだ。
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開催趣旨に発表は"批判や嘲笑に晒される恐れのある行為"とあるが、それはクリエーターがいるから非クリエーターとされる人たちが「クリエーターではないのに発表する」心理圧を受けるため。学ぶべきクリエーターは不要、ハママツクリエーターズフェスのクリエーターがいなくなれば市民の発表は安全になる。 https://crefest‑hmmts.com/about/
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浜松だけではないが、クリエイタと呼ばれる人々の実体はプロデューサである。創造者ではなく前へ進める人である。その殊勝な進歩主義に相応しい肩書である。但し声明にあるような内発的表現を待つ態度ではない。
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李商隠の表現を形骸化したのが西崑体。渠等は何故典故を多用し婉曲的に詠ったのかを考えようとしない。説明されるのではなく自ら考える必要がある。
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"[クリフェスの考えるクリエーションの]意義を知識としてだけではなく実感をともなった形で一般化する事が私たちの目的です。"実感の持ち方は様々だから一般化出来る事ではない。一般化できるのは精々知識までだと思う。一般化された没個性的な表現を創作と呼ぶのだろうか。創造性賛美ではなく創造性の陳腐化ではなかろうか。
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おい、クリフェス実行委員メンバーのページURLのスペルミスが直っているぞ https://crefest‑hmmts.com/member/ まさか……おや、こんな時間に誰か来たようd
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中央区幸3丁目あいホールにて。日暮から雨がふるという予報だったのに…という、20時半まえのひと齣。
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creatorは中文で创造者と訳せられるので、とにかく何かをつくっている、あるいは能力があってこれから何かをつくろうとしている人をさすのでしょう。むかしから横文字に弱い日本人にとって、職能如何を問わない〈クリエーター〉という言葉は、カッコいい肩書としてこれまで長く機能してきたおかげで、そこに胡座をかく有象無象も居たりします。
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ハママツクリエーターズフェスの開催趣旨 https://crefest‑hmmts.com/about/ に述べられた「クリエーター」とはどのようなものか160文字以内で述べよ(おいらはわからん)
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三階建ての集合住宅か
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遺跡発掘か、神事か
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わたしの路傍流瞥。中央区和地山2丁目36番地。あした、何かが執りおこなわれる予感。
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リンクを探すのに一々ポインタを重ねるのが面倒な時はTabキーを押す。生成AIの作成が増えて隠しページに辟易している方へ。
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クリフェスの成果を話す時、クリエイタ階級制の下指導を受けた無名の表現者の作品に主眼を置くべきだと思う。広報された人々は自然に仕事が増えるだろうから。
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上位とされる人々は名前、権力、金のいずれかを捨てて自己表現する権利を手に入れる必要がある。誰が言ったかではなく何を言ったかで判断する人が増えればもっと自由なのだが。
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バンクシーは某国中枢の要職にある人物だったりして。
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ステイトメントはともかく、ではクリフェスでの成果をどうするか。売買するのか、公立文化的施設に買ってもらうor寄贈するのか、全国各地で巡回展を開催するのか、が知りたいです。
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警察、軍隊、政府、裁判所は自己表現をしない。内発的自己表現は下々の特権である。権力者、金持ちには社会を維持する為のお仕着せの個性しか許されないからだ。
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ハママツクリエーターズフェスの実行委員いきものだもの・桂川美帆・ 遠州天狗屋 坂田吉祥 https://crefest‑hmmts.com/menber/ いいか、絶対に指摘するなよ、スペルミスを絶対に指摘するなよ
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自己表現と宣伝とは切り離して考える必要がある。金が足りなければ表現を工夫する。アーティストはその手段を編み出した。クリフェスは原義でのクリエイションをする人々が爵位を割り振る人々に贈与する機会となるだろうが、為政者はアーティストの温情や苦悩に気付かないだろう。自身の声明を先ず実行すべきは実行委員各位である。
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欧米化した日本社会で英語のcreationの意味の再生産が見られるとは、言葉の力を思い知った。爵位授与式であるクリフェスには全員が首縛りと背広を着用すべきだろう。
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市場原理に巻き取られに行く創作者をクリエイタと言う。createには爵位を叙するの意味がある。其のaristocracyに金儲け以外の理念や企画はあるのか。
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ハママツクリエーターズフェス2026出展クリエーター:イノウエノイ 空閑渉 柴田智明 ねや楽器 林満里奈 マサダナナエ ムラマツアユミ YUMIMPO* 鷲見友佑https://crefest‑hmmts.com/artist/
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うんこちーんちん
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クリフェスのステイトメント、力が入っている。"これら広義の創造的行為に親しむ人全てをクリエーターと呼びます"と定義していて実行委員の学びを感じさせつつ"クリエーターという得体の知れない他者"とすぐさま定義を否定、"今まさにクリエーターになろうとしている学生"と階層化もしっかり。
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ハママツクリエーターズフェス公式ページ https://crefest‑hmmts.com/ 開催概要 https://crefest‑hmmts.com/about/ 実行委員メンバー https://crefest‑hmmts.com/menber/
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わたしの路傍流瞥。中央区和地山2丁目。ただ何となく撮ったひと齣。
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図書館が人気!
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わたしの路傍流瞥。浜松市立城北図書館。開館まえの光景。地下出入口まえにも人が並んでいる。
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"「苦悩教」を自称した高橋の深刻さは、赤塚不二夫のマンガ「天才バガボン」に較べれば、はるかに通俗的な代物として受け取られていたと断言できる。"(『#革命』p.36)高橋和巳の苦悩教は大衆を導けないと悩むクリエーター型、バカボンパパの「これでいいのだ」は大衆と現状の肯定 https://piccoma.com/web/viewer/15755/707785
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「薈蕞編」(中國哲學書電子化計劃)OCRでテクスト化したもの。https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=316441
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「全身小説家」、視聴1時間半くらいから!?の連続になりました。
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夏至も近づく砂詩丼
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路上観察:遠州灘海浜公園「風車公園」駐車場(浜松市)利用時間を過ぎても出庫のみ可能
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サイダーハウス・ルールもお話し会でした。「クリエーターはレスバをしない、怖いと思われてはいけない」などと云う発言が〈はなしてみる〉前後にもありました。幼子をあやすように御しやすい大衆との接点・関係のみを求めているのかもしれません。これは憶測ですが、有機的知識人や御しがたい市民は相手にしたくないのかも
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わたしの路傍流瞥。中央区和地山2丁目36番地。何ものかが埋葬せられる予感。
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〈お話し会〉⁉️なんでこういう言葉づかいなんだろう。〈お話し会〉は大人が子どもに児童文学や口承民話などを読み聞かせ/語り聞かせる会でしょう。〈議論〉〈討論〉といった言葉は堅いから避けたいのか。
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遠州灘海岸は中田島砂丘の防潮堤でポエトリー・リーディング、毎月第二土曜日19時~20時 https://goki.her.jp/shidon/sunashidon.html
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オープン・ミュージアム・ラボ「どんな美術館つくる?」お話し会、6月17日(水)18時〜19時半、ちまた公民館 https://www.instagram.com/p/DZeHA0BGrVt/
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸4丁目。クルマを自然に還すプロジェクト?
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そのPrivate Relations私的な関係とはPropotional Representation比例代表かと申したくなる。名簿に入らない人を想像する余裕が欲しい。脱中心が芸術家や表現者の使命であり、唯一の有効な生存戦略だと考える。
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路上観察:プロムナードコンサート、佐久間吹奏楽クラブ(浜松市)浜松駅北口広場キタラ
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路上観察:浜松ソラモ手づくり市(浜松市)涼風のぬけるソラモにて
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あの靉靆たるロゴは、書籍の装釘、レコードのジャケットやテレビのタイトルバックなどに用いられましたね。
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ハママツクリエーターズフェス2026の「クリフェスがしたいのは、クリエーションとクリエーターのPR活動(パブリックリレーションズ活動)です。クリエーターと世間の接点が少ない浜松では、まず社会(大衆)と良好な関係を築くための活動が必要だ」のようにクリエーターが自ら資本主義の手先になりたがると、商業に繋がらない批評を拒否する。
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そう、資本主義は芸術(販促の為のコピーやデザイン含む)の支えを必要としていて〈資本主義の手先〉である芸術家だからこそ資本主義を拒否・揶揄できた。故に芸術家が資本主義に回収されずちゃんと拒否・揶揄できているかどうかのチェックとして批評が必要だったし、芸術家側も拒否・揶揄できているという批評家のお墨付きを必要としたのかも
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〈激動の時代の芸術〉を担ったひとたちー横尾忠則、粟津潔、宇野亜喜良ほか多くのひとたちが、商業デザインからキャリアをはじめている。〈資本主義の手先〉がアートを生みだしたという事実。
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"やっぱり芸術家だけではダメなんです。批評家が作品を言葉にして、語って、批評していくというのが健全なあり方だと思っていて","コマーシャルだとか商業主義的な部分が、美術の世界に入り込んでくるんです。そうなってくると純粋な批評がだんだんできなくなってくる。"(静岡時代web https://shizuokajidai.or.jp/2019/03/031501/)
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「1968年 激動の時代の芸術」展は巡回展だったようです "LSDの幻覚体験から生まれた「サイケデリック」は、この時代を象徴するワードのひとつです。" https://www.museum.or.jp/report/1097
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静岡県立美術館「1968年 激動の時代の芸術」展 https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/44 #革命 ちなみに1968年静岡県で起こった最大の事件は金嬉老事件(たぶん)
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月見の里学遊館の芸術監督だった大岡淳も1968年に思いを寄せるひとり 「1968年革命とは「何」だったか?」https://web.archive.org/web/20260413110423/https://ookajun.com/news/2083/
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"六八年革命当時(略)当時の「文化的」背景は、唐十郎や寺山修司のアンダーグラウンド演劇であり、天沢退二郎や鈴木志郎康、吉増剛造らの現代詩であり"(『#革命』p.36)『日本の現代演劇』岩波新書の著者・扇田昭彦を師とするのが劇団有線の曽布川祐、鈴木志郎康の弟子が再詩丼出店のさとう三千魚など県西部と六八年革命は地続き
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"今問われているのは、システムが私たちに植え付けようとする諦念に、いかに抵抗するかだ。"(忘れられた「システム・アート」の復権https://artnewsjapan.com/article/75808)システム・アート Systems artは技術-言語的オートマティズムへ立ち向かう手段。 #蜂起 https://en.wikipedia.org/wiki/Systems_art
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"アルゴリズムやグローバル金融、サプライチェーンは、目には見えないながらも私たち全てに対して、ますます大きな力を振るうようになっている。(略)アートは目に見えないシステムを可視化し、それに立ち向かうための重要なツールになったのだ。"(忘れられた「システム・アート」の復権https://artnewsjapan.com/article/75808)#蜂起
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原一男のドキュメンタリー映画「全身小説家」https://youtu.be/Wp_6BhGZLiQ の井上光晴も吉本隆明の近傍にいた作家かも #革命
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"六〇年安保と六八年革命のあいだには、何か決定的な思想的転換が生起している"(『#革命』p.35)きっかけはスターリン批判なんだろうけれど第2章で詳述かな
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スペルを間違えました。すみません。genericですよね。
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ありがとうございます。 generic? どこかのクリエーターがつくったロゴより、市民一人ひとりに一ロゴの精神だと思います。
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「オクハマ」ロゴマーク ※ジェネリック のシャツ・トートバッグ・キャップ
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わたしの路傍流瞥。浜松市浜名区引佐町井伊谷。根っからの浜松っ子では無いので、井伊谷に磐城セメントがあったことなど最近まで知らなかった。井伊谷川と神宮寺川が落ちあう、日あたりのいい谷あいの小さな町ぐらいにおもっていた。井伊谷は寂れている。直虎ブームも遠く過ぎ去った。バスは1時間に1本。割烹庭園旅館鶴龜荘も庭園をつぶした。
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jenericー特定のブランド名をもたないというところ、匿名掲示板〈クリエイト浜松〉にふさわしいとおもいます。
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浜松市の中山間地域「オクハマ」のロゴマーク ※ジェネリック ジェネリックロゴという概念がおもしろくて→https://x.com/i/status/2064349428924948796 作ってみました。
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都田の勘四郎(豆腐)もそうですが、資材食材の価格高騰などやむを得ぬ事情があったことでしょう。食は、命のつぎにかけがえが無いですから…
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〈しがらみから縛られない〉というニュアンスだとおもいます。だからこその‘frei’でしょう。
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平田町の内藤製餡所が5月30日を以て閉業していた。残念 https://x.com/i/status/2063108319779397904
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〈切り離されている〉#革命 がいいですね。接続Connection #蜂起 との対比として
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富士市でも富士川ふれあいホールもホール機能を廃止する方向ですしね。
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静岡県文芸団体の総会場所の定番〈あざれあ〉や浜松労政会館が集約か見直しか、時代だね https://news.at‑s.com/article/1990552
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これはわたしがわるいんです。ちくま学芸文庫版の訳文では〈自由〉と〈切り離されている〉に〈フライ〉と振仮名がふってありまして、この掲示板にはそもそもルビをふれない。じゃあ、訳者がフライと読んでほしいなら、ドイツ語に替えようとおもって‘frei’にしたのです。恣意に文章を替えてすみません。お詫びします。
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敢えてfreiを和訳しない、だと! #革命
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(承前)、労働力を現実化するために必要な一切のものから切り離されている‘frei’という意味だ。〉ちくま学芸文庫版『資本論第一巻上』2024, p.315
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ちくま学芸文庫版『資本論第一巻上』ではこうなる。〈貨幣が資本に変容するためには、貨幣所有者がfreiな労働者を商品市場で見つけねばならない。このfreiには二重の意味がこめられている。一つは労働者がfreiな人間として自分の労働力を自分の商品として処理できるという意味であり、もう一つは彼が労働者以外に売るべき商品を持たず(つづく)
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路上観察:梅雨晴間の雲(磐田市)
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聖隷クリストファー大学2号館1階学食にて。コンパクトとはいえ、学食にグランドピアノがおかれてあるのはめずらしい。退官した教授から贈られた由。
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浜松市中央区三方原町、聖隷クリストファー5号館1階〈聖隷歴史資料館〉まえ。以前は2号館2階にあった。はじめて訪れたのは15年以上まえか。長谷川保の骨格標本が展示してあったことに感歎させられた。2号館では、歴史資料館に入ってすぐの場所に設置せられてあったが、いまは順路と反対側にある。骨になっても聖隷を見まもろうとする執着か。
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『オクハマ!佐久間のむかしばなし』https://www.suac.ac.jp/topics/education/2026/03972/ みんなが知っている小説(大きな物語)がない現代では三国志・戦国末期安土桃山江戸初期・幕末・大東亜戦争などの歴史物語が現在の問題へ対処する際の共通参照先となる。民俗学として採録すべき"民話"もやがて変容するだろう
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正規の介護職とほぼ変らない手取りの安さ。まさにessential works。
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#革命』p.34で言及されている吉本隆明の講演音声のアーカイブが糸井重里のほぼ日刊イトイ新聞にある。https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/
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"Tutti gli uomini sono intellettuali."というグラムシのことばはヨーゼフ・ボイスの"Jeder Mensch ist ein Künstler."・リチャード・フロリダのcreative class・つじむらゆうじ「あなたはアーティスト」などにつながりそう
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大日本帝国の最期 第壱幕https://youtu.be/5aowyJM8Cpc 第弐幕 https://youtu.be/sZCp0iOUivo 第参幕 https://youtu.be/BB6weGn1qk4 60年安保闘争の15年前までこんなんだったから無理もない
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様々な求人票を読む度に仕事人の超人性に圧倒される。頭が下がります。
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ここは弱音も書き込める匿名掲示板だから
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体力以前に服薬と視力の関係で自動車の運転が不能です。一日最低八時間は働けません。自転車で業務を少しずつ分担出来れば嬉しいのだが。まず「一般的な労働」ではない。それに自分自身に欠格がある。こんな弱音を書き込むべきではないのだろうが。
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米中ソ、また、岸信介による日本そのものも含めてあらゆる支配を拒否し自治するのが同盟の目標だったのだろう。
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"六〇年安保を総括するジャーナリズム上の文書の多くは、その「国民的な」高揚を、「反米ナショナリズム」の発露と捉えている場合が大半"に対し"ブントにとって安保闘争は民族独立闘争ではなく、反帝闘争でなければならないとされる。"(『#革命』pp32-33)反米ではなく反帝
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"全学連に代表されるそのスチューデント・ムーヴメントを、当時の韓国やトルコのそれとアナロジーしている。"(『#革命』p.32)韓国の4.19혁명 https://theme.archives.go.kr/next/419/viewMain.do http://www.1960419.com/、トルコの555K https://x.gd/sYIsH https://x.gd/nncBI
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日本最大のブラック企業で働きませんか? https://js03.jposting.net/jp‑post/u/job.phtml?job_code=78
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男系だか分からないけれど皇室は現行通りの継承をして天皇のなり手がいなくなれば日本国解散!でいいと思う。
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グラムシやクロポトキンと親和性のある論ですね #革命
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一般的な労働ではなくて、労働に対する最低対価や基準値と命名して論を展開すべきだったと思う。但し私なら、お互いが得意なことを融通し合う労力の無駄の少ない方法で協力すると論を展開する。基準を定めれば例外ばかりで進めなくなる。
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肉体の改造や教育の殆ど必要ない「一般的な労働」が資本論の理論の根柢にあると思うが、そんな仕事は存在するのだろうか。存在したとして日本社会ではそれにお金を出してきただろうか。私にはコンビニの業務も接客業も名ばかりの倉庫内軽作業も無理である。
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英訳『資本論』にいう‘free labourer’は、文字どおり、どこにも所属していない(働き口をさがしている)労働者なのでしょう。precarious labourerとはちょっとちがうかもしれませんね。
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すなわちタイミーやUberの労働者は所詮自由に見えて金融資本主義に組み込まれているだろ、という指摘ですね。 #革命
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いまの日本に、そういう〈自由な労働者〉は居るんでしょうか?不安定な‘precarious’労働者は多いでしょうけど…
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「MIRUIプロジェクトVOL.52|本屋を取り戻す。地域の文化拠点と店長の挑戦」戸田書店リブレ菊川店の店長だった鈴木祐輔さんによる菊川本屋のクラウドファンディング https://camp‑fire.jp/projects/935082/idea "本屋は“本を売る場所”ではなく、 人が集まり、話し、学び、支え合う「まちの居場所」 だと信じています。"
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磐田ここ惚れインフルエンサー https://www.facebook.com/share/p/18X5nkBd9e/ まる氏、かな氏、ごっち氏、アニとら氏、SHUN.M氏、toshi氏。インフルエンサーをつくるプロジェクト?
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区住吉1丁目。ヒトの記憶というものは厄介なもので、たとえばこの風景をみると、クルマが停っているあたりに〈萩の湯〉という銭湯があった、遠方左手の建物は、かつて三階建の木造の茶葉倉庫で、老朽化のため今のかたちに改めた、とか、いろいろ思いかえされる。
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宮崎恭一氏がサミュエル・ムーアとエドワード・エイヴリングによる英訳を日本語に訳した『資本論』は、たしかに読みやすいです。
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「ジャーナリズム上では全く無名に等しい民間の思想家」(#革命 p27)が社会を考えて生きていたと思う。巨大情報集積に埋もれる此処もそのような人々だろう。
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複数の方がたから御教示をたまわり嬉しいかぎりです。安藤昌益の稿本『自然真営道』の大半が失われたのは惜しいですね。
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皇族は日本で唯一憲法に人権を否定されている方々ですから仕方ないのかも知れません。市場から疎外されて文化の守り手となる事を期待されているのでしょう。血筋以外の正当性を認めても良いと思う。民主制の瑕疵。
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静岡県西部でも、公的な文化芸術システムと利害関係が一致していない人や周辺へ追放された人しかクリエイター・ファシズムを批判するラディカリズムは可能にならない #革命
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村上春樹の小説『ノルウェイの森』に登場する永沢さんはエリートとみなされる学生を描いているような気がします。逆にワタナベやキズキは二重の自由を生きる/に苦しむ側を描いているような。『ノルウェイの森』はあの当時からの空気感を読み取れるような #革命
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資本論を引いて史記貨殖伝を論じた漢学の論文があったと記憶しています。
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〈資本〉ではありませんが『管子』は他国をモノカルチャー化して経済的支配下におくような経済戦略が書かれています。
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匹敵するかはかわりませんが『自然真営道』の安藤昌益はどうでしょう
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西のKarl Marxに匹敵する思想家が東に居なかったか。支那数千年の歴史における〈資本〉を論じた書は無かったか。
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けさの全国・地方紙の第1面の見出しの〈皇族(数)確保〉という言葉が気になる。〈確保〉とは、必要なものや状態を確実に入手・保持すること‘keep’、安全をたもつこと‘save’、身柄を拘束すること‘secure’と、おおきく三つに定義せられる。皇室存続の危機にあるとはいえ、もうすこし上手な言いかたは無いものか。
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西欧の論者は社会の欺瞞を暴く意図があったのだろうが、却って知識を利用されてしまっている。論理は盗賊を利するだけだと実感する。漂白、剽窃、投票、標語、飄蓬。西が示すまやかしに東の言葉を以って諫めたくなる。#革命
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マルクスの資本論を部分的に読んで、自然の持つ特殊性、不均一性の漂白が資本主義の機能のような気がしてきた。漂白された人間が二重の「自由」に苦しむのだろう。#革命
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資本主義システムに接続されずシステムの維持に利害関係のない自由と周辺のアウトサイダーとしての自由という二重の自由をもつ学生ですね。ですが60年安保では学生の数はまだ少なく社会のシステムに接続されたエリートとみなされていた。その対比 #革命
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"彼の貨幣を資本に変換するためには従って貨幣の所有者は、市場で自由な労働者に出会わねばならない。自由には二重の意味がある。自由な人間として、彼は、彼自身の商品である労働力の処分ができる。そしてもう一つ、彼は売るための他の商品を持たない。彼の労働力を実現させるために必要なものが全く足りていない。"https://x.gd/Fspv1 #革命
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西欧では自由は勝ち取るものとの意識が強い。日本では享受するもの、安堵するものとの意識がある。束縛を逃れる為の権利、恐らくlibertyと、伸び伸びとした心の在り方、恐らくfreedomとで異なるから鉤括弧が付くのだろう。人間の根源に還る力が二重の「自由」にはあるのだろう。#革命
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下部構造はマルクスの用語なので、前者の自由は思考が生活条件に規定されないと言う事だろう。後者は社会から干渉を受けない、群衆や権威に集られない裁量を持てる状態を言うのだろう。樗櫟散木。蔑まれることは却って自由だ。#革命
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"本質的に二重の自由である。つまり、思考が現実的な下部構造に規定されない自由であると同時に、現実の社会から追放されてあるという自由である。その二重の「自由」こそ、現実の資本主義を批判するラディカリズムを可能にした。"(『#革命』p.31)どういうこと?
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"60年安保の際には、安保反対の劇団四季の学生もいて、寺山修司は「安保反対のデモに行きたいという劇団四季の学生をぶん殴って、デモへ行くな、俺の演劇こそ世界を変える」と語ったと、自身の著書で述懐している。"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E5%88%A9%E6%85%B6%E5%A4%AA 身長182cmのボクシング経験者のパンチは痛い #革命
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みらいらん(18号)洪水企画 特集「動物の位相」https://books.rakuten.co.jp/rb/18668415/
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共産党からの世界初の独立左翼ブントが1958年なのでそのあたりですね
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安保改定の1960年を視野に入れての国家による統制の強化。このあたりから、ソフト路線をすすむ日本共産党を見限るように、一部の学生運動の先鋭化がはじまる?
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警職法の改正案に対する国民的反対運動 https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030437_00000 改正案の職務質問の強化・保護検束(予防拘禁)・令状なしの捜査はなかなかの警察国家
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のぶすま書院二周年展:8/21(金)~31(月)8:30~17:15 袋井市役所二階市民ギャラリーhttps://nobusumasyoinbekkan1.blogspot.com/2026/05/exhibit02.html のぶすま書院とは袋井市の惣合文藝家・鼯鼠之丞による教育研究機関
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"「若い日本の会」"(『#革命』p.29)は1958年の岸信介内閣の警察官職務執行法改正に対する二十代前後の詩人・作家・劇作家の会。石原慎太郎と谷川俊太郎と大江健三郎が一緒に参加しているのがおもしろい。
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中央区住吉3丁目にて。THE FLAG PROJECTに、さっそく遠鉄グループ某社がエントリーしました♪
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸1丁目から同3丁目をのぞむ。旧カメラのキタムラ跡。改装のための足場がくまれている。あたらしい何かが生れる予感。
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〈日本最古〉というのが日本共産党員のプライドの由ってきたるところかもしれませんね。急いでつけくわえると、太平洋戦争中のrésistance。大多数が転向したらしいですけど。
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いまや百年以上の歴史をもつ日本最古の政治団体ですからね。
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路上観察:雨だけど北西は明るい(磐田市)
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お手数をかけました。そのうちフィードバックを送ります
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フォームでお送りしました。ありがとうございます。
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いえ、フォームでお試しください
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恐れ入りますが、部門名の字数制限がもとに戻っているかもしれません。フォーム作成は難しいですね。メールでお送りしても良いですか。
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私もそのような気分になって嬉しいです。文章を見直す度に段々焦点が定まって来て勉強になります。ありがとうございます。
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活動名の文字数制限は取っ払いました。ともにつくっている感じがして熱いです(突貫手抜き工事すみません)
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お手数かけますが、もう一点。活動名の字数設定も恐らく逆です。
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ありがとうございます。纏めると、第10回浜松「私の詩」コンクールの企画応募フォームは部門名が8文字以内、下二つの設問が1200文字以内です。以下の記事にリンクがあります。 https://note.com/onaikotaro/n/n174b0da337b3
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部門名も8文字以上だったのですが、8文字以下に直しておきました。
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迅速な対応ありがとうございます。あと一点、部門名は何文字迄にすればよいですか。
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1200文字以上だったのですが、1200文字以下に直しておきました。
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第10回浜松「私の詩」コンクールの企画募集面白そうです。書き込んでみたのですが、応募フォームの文字数制限が不明です。各項目何文字以内でしょうか。また、一度溢れると収め直しても受け付けないようです。ご確認の程お願い致します。
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逆に企画が上手で非言語情報の扱いが下手なのが大手報道機関。それぞれの分野に時間を均等に割り振ろうとするが、医療の話題の映像に救急車の音や医療機器の警報音を混ぜてしまうと視聴者の注意力の分配に偏りが生じる事が判っていない。重犯罪に於いても同じ。不穏な世の中になったよねという噂に繋がる。
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アナ派はменьшевики́と判っては居るが、ディズニープリンセスというまやかしは好きになれない。царицаの牙城を十個の太陽で溶かしたくなる。それでもズートピア等、平等、博愛の精神を籠めた作品を送り出し続けるアメリカのクリエイタに敬意を表している。
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アナ派と雪のцарица?
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ありのままの受容を期待する事は時に格差の再生産になる。エルサの振る舞いは帝王学を欠いた言語道断の蛮行である。アナに譲位して出奔すれば良いのである。
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日本共産党は1950年代からのたびかさなる路線変更、指導陣の暗闘などで、一貫性はもとより無いし、若年層からはそっぽを向かれる。「赤旗」も、かつてのような発行部数では無い。けっきょく〈日本共産党〉ってよくわからない、というイメージがあるとおもいます。六全協のときに解党してしまったら良かったのかもしれませんね。
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六八年革命の前史として→六〇安保のニューレフト(全学連)による大衆運動のヘゲモニーの掌握という"先駆性と学生インテリゲンツィアが対抗運動総体を領導するという「後進国型」のスタイルが混在"(『#革命』p.29)「ヘゲモニーの掌握」と「領導」の混在、これが21世紀に日本共産党がLGBTqやフェミニズムの側に回るという怪奇現象につながる?
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なにごとも、事前のリサーチが必須ですね。いやあ〜恥かしい!
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ハワイ歴50年のエディ鈴木さんが店主なのか。ハワイ歴とは?
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前言撤回。〈エディのハワイアンカフェ Hula〉は、ちゃんと営業していました。エディさんごめんなさい!
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中央区松城町、市立中央図書館にて。茅萱の穂も大分ほうけた。別れをつげるように風にゆれている。時折穂綿が風に舞う。
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わたしの路傍流瞥。中央区城北3丁目、静大工学部正門まえから同城北2丁目をのぞむ。自転車屋の隣の、ごく狭い短冊状の敷地に理髪店があった。〈理容ワタナベ〉という。あの短冊状の場所でよく営業できたものだとおもう。理髪・洗髪用の電動椅子を2台置いて、勘定台と待合場をしつらえたら身うごきも取れないくらいだったろう。
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AKIRA YAMASHITA Solo exhibition「Fractal Story」7/11-26 West Goat Coffee、玉城博香個展「心のスキマ」6/12-17ツインギャラリー蔵、それと、ねもともとこさんの旭川での展示
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題壁を日本の寺社で行うと顰蹙を買うので、絵馬を奉納するのが良いかもしれない。算額の変型だから詩額や歌絵馬だろうか。自宅前に詩歌掲示板を置くのは管理が面倒なので場を借りる。旅行やお参りの楽しみも増える。
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遠州一時的自律圏Z.A.T.E.@Te La Mondo
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中央区和地山2丁目にて。民家敷地から樹の枝が張りだし、緑のトンネルを形成しつつある。住人が緑を愛護したいのはわかる。じっさい野鳥の慰憩と棲息の場となっている。しかし大型車輛通行のさまたげになっているのは事実なので。なんとかしてください。
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第一回浜松私の詩コンクール(応募総数136)浜松市長賞:吉川愛「メイクアップ」、浜松私の詩大賞:中村玲子「詩」、中日新聞社賞:熊谷文昭「地球儀」、静岡県詩人会会長賞:池本哲郎「一緒に走ろうぜ」、遠州灘賞:ヒメ巴勢里「寒の妄想」、詩季賞:中津川久子「かあさんのね」、審査員特別賞:木俣史郎「新春雑感」
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中央区和合町にて。その〈ひとりひとり〉に、在留外国人や外国ルーツの人たちも数えられるのか。〈和合〉でこのポスター、という皮肉。
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わたしの路傍流瞥。中央区住吉3丁目。旧浜松市中消防署高台出張所。ちかく取りこわされるだろう。
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ひところ柄谷ブームがあって、わたしも周囲の熱にうかされて『日本近代文学の起源』『内省と遡行』『探究』Ⅰ,Ⅱなどを読んだり中途放棄したりしたものです。読みかえそうかな…
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人文科学と自然科学とを一緒くたにしたのが問題だったかも知れません。人と社会の変化は小さな選択の積み重ねというのが実感に近い。その選択の偏りを生じさせる力を記述し、時に偏りを生むのが歴史なのでしょう。#革命
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きょうの幸児童遊園。George Harrison“All Things Must Pass”のジャケ写に似ていなくも無い。
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路上観察:FM Haro!のUP-ONスタジオ(浜松市)
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第10回浜松「私の詩」コンクール——自由詩以外の部門審査員と企画を募集 https://note.com/onaikotaro/n/n174b0da337b3
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#革命』p.19で言及されている『マルクスその可能性の中心』は詩幣に参加したとき参照した。https://note.com/onaikotaro/n/n290c7fc58af2 "いったい私たちはなぜ「書く」のか。「話す」ことによっては、もはやいい足りぬ何かをもつからだ。それこそ、ひとが「内面」とよぶものである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』講談社文庫)
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そのようですね。フィリピンでマグニチュード8.2の地震発生、そのための静岡県沿岸の津波注意報 https://www.data.jma.go.jp/multi/tsunami/index.html?lang=jp
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わたしのスマホにも9:06と9:07の2回。避難訓練では無いのでニュース記事をひらくと8:30すぎ(現地時間?)フィリピン近海でM8クラスの地震発生とのこと。来るかなあ津波。
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静岡県沿岸に津波警報
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わたしの路傍流瞥。中央区住吉1丁目。外観が暑苦しいだけのHawaiian-cafe。とっくに廃業したのかもしれない。ちなみに以前は中華料理店だった。
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実はマルクス主義の「歴史の必然」は偶然の積み重ねで階級闘争としての#革命 が起こるという大きな物語なのです。そして、それを否定したのがイタリア共産党のグラムシ
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護憲派が憲法9条的徳川保守の新撰組かられいわ新選組を名乗り、改憲派が朝鮮出兵的豊臣革新を継承する長州閥による明治維新から日本維新の会(大阪!)を名乗るのは日本の左右を考える上で参考になります。
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また画像を送りわすれました。すみません。見てわかりますが、聖隷浜松です。
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宗教への帰依も〈納得できる筋書きを求める〉からですよね。よくわかります。
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おなじく中央区住吉1丁目。まさに一点透視図法。vanishing-pointは‘CAT’か。
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人は何にでも納得できる筋書き(récit/narrative)を求める。偶然の積み重ねであるという歴史・物語(histoire/history&story)そのものは棄却される。地史、生命史等知悉し難い物をありのまま受け入れる準備が出来ていない為に適当な声明に流される。止揚しようとする気が無い。#革命
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わたしの路傍流瞥。中央区住吉1丁目。遠鉄バス和地山上停留所。わたしが子どもだったころにはありえなかった、日傘をさす小学生。
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アカデミズム「左翼」と鉤括弧を付けるのは、このように揺らぎ難い歴史観に則った権威的な傾向は寧ろ右翼的、保守的と呼ぶ方が適切だからだろう。日本では欧米の右翼と左翼で分類できるほど明確な態度をとる者が居ない。#革命
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わたしの路傍流瞥。おなじく住吉2丁目。スカイラインがきれいだったので撮った。おなじ朝7時半受附開始で、診察待ちの人たちを開始まえから施設内で受けいれる聖隷浜松と、保安のためなのか、季節気候の如何にかかわらず施設外で並ばせて待たせる医療センター。
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区住吉2丁目から。雨あがりの朝空に。
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こういうデータ、いままで無かったですね。ありがたいです! adolescenceからの応募、県外からの応募が多いのが意外です。
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"今日カルチュラル・スタディーズやポストコロニアリズムといったアカデミズム「左翼」の左翼性を保証している、アントニア・グラムシのヘゲモニー論が最初に脚光を浴びるのは、このようなコンテクストにおいてであった。"(『#革命』p.24)→グラムシの『獄中ノート』https://goki.her.jp/createHamamatsu/p.php?id=20260528055417‑2505cb
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第9回浜松「私の詩」コンクール応募者データ https://goki.her.jp/watashi/9data.html
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"トロツキー『裏切られた革命』"(『#革命』p23)の英訳。https://www.marxists.org/archive/trotsky/1936/revbet/
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再詩丼の出店者(2025年8月23日)もくたくも・あいめと仲間たち・藤原蛍・浜風文庫 さとう三千魚・ムラキング・ものの本企画・零久舎・品田まむ。・cieliste・浜松オンライン読書会・Yukicma https://goki.her.jp/shidon/saishidon.html
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詩丼の出店者(2024年8月24日)タケウチマイ・たなかこむぎ・nairi.・ムラキング・cieliste・乾久子・浜松オンライン読書会・合作俳句の会・零久舎・参加型インスタレーション展示「詩幣」 https://goki.her.jp/shidon/shidon.html
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言語デザインは企画そのもの。その企画そのものがあやふやだと非言語デザインが目眩ましにしかならない。ハママツクリエーターズフェスが県アーツカウンシルの助成金を一度もとったことがない事実が物語るように、県西部クリエーターの目眩ましは見透かされている。
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浜松には非言語デザインの手練は多いが、言語デザインの手練は少ない。非言語デザインを更に高める為には正確な批評と市民の読解力が必須である。デザイナーへの注文や生成AIの命令(プロンプト)は自然言語に拠るのだから。
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流石に身内のボランティアだろうが、廃素な雰囲気を前面に押し出す東京のコンサルが嚙んでいないかと疑う余地を残してしまう。その身内が世田谷レディの威光に縋りたい人々であるとの誤解も与えかねない。そうすると純粋な市民運動が首都の資本の修正(capital corrective)であると見做されてしまう。
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この程度の事は専門のライターならば事前に相談する事なのだが、件の記事 https://note.com/open_museum_lab/n/n95b504a54269 の文責は誰なのだろうか。幾らかかっているのか。あらぬ疑いが湧き出てしまう。
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個展のための自己紹介と市民活動のための自己紹介のちがい、なんのための自己紹介であるか
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変えようのない個人の属性について攻撃するのを止めてと言う前に、必要のない情報を出さない自衛が必要。嫉妬や警戒心を煽らないように。例えばOML桂川氏が美術館の話をする時に世田谷周辺の生まれ育ちや、母が華道茶道の経験者と言う情報は自慢(マウンティング)と取る人も多い。「実家の近くにあった美術館の民藝を楽しんでいた」で充分。
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和漢朗詠部門(絶句一首とその反歌を短歌で一首か二首)を創りたいと思うが、審査員も応募者も集まる気がしない。詩客でさえあの規模なのだから。一人審査・運営態勢で始めるか。
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路上観察:гэрもしくは包(磐田市)中田
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肩書を持つと身動きが封じられる。それでもあなたは出世や名声を求めますか。そこまでしてやりたいことは今できることではないですか。
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株式市場では風説の流布、寡占、価格操作は違法行為である。浜松におけるクリエイタの創作についても同じ原則を適用するのが倫理的な判断。文化度が低いとの言説の流布、創作の寡占と価格操作は創作の供給を減らす方向に動かし、質も落とし文化を痩せ細らせもする。
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ドクターイエロー、引退したと思ったらまだ走っているのか「6/7 ドクターイエロー のぞみ検測下り」https://dr‑yellow.com/6‑7‑%e3%83%89%e3%82%af%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%83%ad%e3%83%bc‑%e3%81%ae%e3%81%9e%e3%81%bf%e6%a4%9c%e6%b8%ac%e4%b8%8b%e3%82%8a/
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ドクターイエローが東海道新幹線下り磐田市前野付近を浜松駅方面へ向けて走行するのを目撃
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中央区幸4丁目。幸児童遊園にて。小雨。
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イベントやフェスがなくてもこの地域についてを匿名掲示板に書き込む姿勢に希望を感じています。それは、何事もなくても何事かを見出そうとする態度だからです。
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区にて。小豆餅二丁目東三叉路に〈セブ島〉というカラオケバーがある。30数年まえからフィリピンパブとして営業。いつからカラオケバーに転換したのかは不明。フィリピンパブじたい、もう流行らないのかもしれない。
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たぶんその議論は三島由紀夫と東大全共闘の討論会で芥正彦らが話した時間と解放区の話やここで引用された一時的自律ゾーン(https://goki.her.jp/createHamamatsu/pages.php?p=2#p‑20260520215420‑514f96)、そして東浩紀『観光客の哲学』の観光客などを参照にイメージできると考えます。
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いま現在浜松市に住んでいる、もしくは旅行や商用などで来ているだけ、あるいは鉄道・道路で浜松市域に居るだけのひとたちをひと塊にした状態、をイメージすればいいですか?
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異なるかどうかはハート/ネグリのマルチチュードと題された書籍群から読み解いて教えてください。ただ、サイレントマジョリティも無告の民もサイレントや無告という同一性をもった集団というイメージがありますけれど、マルチチュードはそのラテン語からして多い、多様なイメージがあります。 #革命
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#革命 で引くハートとネグリのマルチチュード(群衆)はサイレントマジョリティや無告の民と異なるのでしょうか。
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ある時までの全詩集だったと思います。出版社は忘れました。
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何かの折に千種創一詩集『イギ』青磁社をもらったけれどこれでしょうか?
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"人類のこれまでの歴史は、人々の思いや意図が必ずしもその通りには実現せず、むしろその思いや意図とは裏腹に、場合によってはそれらに反する形の現実がもたらされてきたということであり、こうした厳しい現実を直視する必要があるということだ。"(田上孝一『疎外論入門』集英社新書)このような疎外があるから批評と#革命 が必要になる。
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しろくま古本市のお薦めの一冊では千種創一の詩集、某イタリア料理チェーン店に関する文集、浜松市美術館民藝展の記録が気になった。後、「偏読家のつぶやき」に関しては、忙しなくしてばかりでは狂気を内包した生身の人を見過ごしますよと伝えたい。
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駅八階の谷島屋の郷土出版物が一層充実していた。以前買いそびれた「ことばのまわり 10年目を歩く」乾久子作を手に入れ、電車に揺られ乍ら拝読した。
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訂正。 https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/artmuse/conference/record/20251106.html によると令和7年度第2回浜松市美術館協議会(2025年11月6日)は傍聴者が一人だった。そして当時用意してあった傍聴席は5席だったという。二桁は物理的に無理か。数字でしか語れないならば数字を残す事も重要かもしれない。
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それだけのことをなしうるcuratorが浜美に居るのか。そこが問題です。
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豊橋市ならでは、春夏秋冬叢書のブース
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いやあ豊橋のほうがたくさん古本があつまってるなあ〜
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湖西市のbooks cicalataさんも出店中
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書肆猫に縁側さんでさとう三千魚『山崎方代に捧げる歌』らんか社を買いました。
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豊橋市emCampusの雨の日商店街2026豊橋まちなかアンティークマーケット&ブックストリート。静岡県の書店さんも参加しています。
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ソラモの格闘技イベント「アクティブルファイト」は13時から、今は練習中? https://sites.google.com/view/activle‑fight‑2025/home
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ヒッピー文化ですね。芸術的センスの有無が政治的主張より大事だという感性は高円寺の素人の乱に引き継がれています
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プスプスと so good booksの部屋、日差しもなく涼風が吹きいい古本市日和
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オープン・ミュージアム・ラボのブース@しろくま古本市、付箋に書いていろいろ貼れます
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oort cloud coffee・ムムム・村上製本所など、北田町公会堂の飲食スペース@しろくま古本市
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しろくま古本市がはじまったばかりの北田町ロビー
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1968年の#革命 に関わった学生たちは、過去の禁欲的な〈学生〉のイメージを脱するようにサブカルチュアを愛好した。音楽、文学、マンガ、そして映画。日本の全共闘世代が任侠映画に熱狂したみたいなことは海外でもあったのでしょうか(ヨーロッパの革命的学生たちがマカロニ・ウェスタンに熱狂したとか…)。
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古本市のモノ(古本)をみれば出店者のセンスがわかります。いや〜仕事が休みだったらなあ。
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そうですね。早大では民青(日本共産党ゲバルト部隊)はやや弱く、革マル派が勢力を持っていました。そんななか村上春樹にも影響を与えたと言われる川口大三郎事件が起きます。 #革命
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中野翠のエッセイで(うろおぼえですみません)。1960年代後半の早稲田の学生のあいだで〈民青センス!〉は最悪の罵言だったとか。日本共産党(代々木)の指導・影響力のありようがうかがえる。
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プスプスbyZING@しろくま古本市、準備中
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概ねそうだと思います。水平方向の運動体はリゾーム状とも。政府転覆を目指す機動戦の革命から文化芸術の諸分野でのヘゲモニーを獲得するための陣地戦の革命への移行ということです。creatorとは活動家なのでしょう #革命
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1968年の〈#革命〉は、コミンテルンや各国の共産党ほか政治組織・団体によらない/たよらない(失望したから!の)同時多発的運動だったといえる。top-downの統率では無く水平方向の運動体? だからこそ、多方面に影響をおよぼし、当時の活動家が転向して一般社会のcreatorたりえた? ちがっていたらごめんなさい。
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国際日本文化センター紀要「日本研究」58号(2018.11.30)に載る内田力の論文「一九五〇年代の網野善彦にとっての政治と歴史」がよかった。網野が日本共産党の活動に関わった経緯をさぐるなかで、昭和20〜30年代の日本共産党の方針転換をめぐる混乱の顚末が明快にのべられる。網野は共産党に失望して離脱。かれ独特の史観を形成するにいたる。
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ほのかにcelebrityが香る、いや臭う。無作為に〈子育て世代〉から選んでいないですよね?
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オープン・ミュージアム・ラボ界隈(しろくま古本市・ハママツクリエーターズフェスも含め)は街に必要なことではなく縁故からできることだけをしてそれ以外の人たちを排除しているのに、卓越したイラストやデザイン性でその暴力性を包み隠して公共性を帯びさせるのがお上手
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スターリン批判 (『#革命』p.21)フルシチョフによる「個人崇拝とその影響について。ソ連共産党第20回大会への報告」ロシア語全文 https://x.gd/1y1uJ
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「アンケートを開始してすぐの頃、回答者の年代分布を見ていて気になったのは、30〜40代の声の少なさ。/これからの美術館を考える上で、子育て世代の声を聞きたいと思いました」https://www.instagram.com/open_museum_lab/p/DZJM8K‑j0GT/ 少子高齢社会において三、四十代の代表を労働者でなく子育て世代とするのは抽出法を誤っている。
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風待ちロマンですね〜
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チラ見せ。『蜂起』か『革命』の読書会に参加した人なら実力はついているはず
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打ち上げ数が多いので時々風待ちするのも恒例。のんびりと夜空を見上げましょう。
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何度か行ったことがあります。たしかにスケールは大きいですよ。猛・酷暑対策をしっかりしておけばたぶん大丈夫とおもいます。
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区住吉5丁目。住吉北交叉点にて。ここに南京櫨があった。かつて交叉点南東に〈椿ハウス〉という園芸店があり、日当りがいいので南京櫨の生育もよかった。数年まえに伐採。木の根はまだ地中にある。
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ふくろい遠州の花火大会、7月25日(土)19:20~21:00(予定)原野谷川親水公園https://www.fukuroi‑hanabi.jp/ 日本煙火芸術協会による全国花火名人選抜競技大会、県内最大規模らしい
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"政治性を一切脱色したアイデンティティ探究"の近年の流行りはMBTI擬き。アルファベット四文字を唱えれば誰でも現状の不満に理由が見つかる。若者のアポリアの大体は制度の行き詰まりなので与えられた回答は的外れでほぼ無意味なのだが。#革命
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「"承認"をめぐる不全感や飢餓感が、日本の"68年"を駆動させていたことは確かですね。それが敗北していった果てに、政治性を一切脱色したアイデンティティ探究が青年たちの間に広がって、それが"自分探し"と呼ばれるようになる。」(笠井潔・絓秀実『対論1968』集英社新書)1968年もトランプ現象も「都市群衆の主体性の空虚が暴力を生む」#革命
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浜松市美術館協議会は秋野不矩美術館も検討するのか https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/artmuse/20260224.html 「浜松発の企画展が全国を巡回することで、当館の活動を広く全国に発信する機会となるだろう。」に浜松市美術館の気概を感じる。
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浜松市美術館協議会は常に傍聴者無し。OMLが発足した後の令和七年度第三回(2026年2月24日)もゼロ。第一回は毎年八月半ば過ぎに設定してあるが、次は二桁になると面白い。少なくとも1人にはする。
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詩歌の世界で最も主体的な表現はやはり自由詩だろう。今回も浜松私の詩コンクールに応募できなそう。自らの主体性の欠如を痛感する。
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ここでも文化空間の定義とその作り方、現れ方を議論しました。オープン・ミュージアム・ラボとは別に動く方針を考慮して判断材料を集めます。
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丹青研究所(ほぼ)決定をどう受けとめているかは知りたいですね
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明日はしろくま古本市Vol.3でオープン・ミュージアム・ラボ他を拝見するが、乳白色(m!lky white)の情報泡沫を構築された人には最早市民の声が届かない不安がある。どまんなかセンターでお茶と生演奏をずっと楽しんでいたい。同類に堕する訳には行かないし以前宣言した以上は参るが。マルチチュードとして何か伝えたい事があればどうぞ。
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#革命 p20でoccidentalismを東洋中心主義に、orientalismを西欧中心主義に振っているのが面白い。日付変更線が欧亜大陸を真っ二つにしている図が思い浮かんだ。
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"そして、本書の目論見の一人も、われわれを「マルチチュード」として再定義するところにあるからである"(『#革命』p.20)p.21までが第一章の序みたいな部分。さて『革命』読書会も5日が過ぎて、「ここまでわかった」「言葉の意味がわからない」「なにこれ?」など意見・疑問・質問があれば書いてください。通りすがりの人が答えてくれるかも?
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収蔵展「浜松市民文芸」70年の歴史、2026年7月1日から2026年10月12日https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/odpf/event/v1.html?m=show&x=221309_hamamatsu_event&t=N&y=20260407570 どういう基準で陳列するのかな。名物投稿者とか名物選者とか並べるとおもしろそう、年代ごとの投稿傾向とか
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こんどの浜松文芸館の収蔵展おもしろそう!
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なるほど。世間的には〈養護〉〈療育〉せられているイメージがありますが〈精神的には主体的に生きている〉。たしかにそうおもえます。アートもabsoluteですしね。
#
たしかに国家・共同体(それらも人々の集まりとしても)に依らず生きている人は皆無に等しいですね。ただある種の勤労を免れている人たちは肉体的には共同体に依存しながら、精神的には主体的に生きている気がしました。主体とは精神の主体なのですから
#
小豆餅のCO-OPにて。コースケにほっこりしてしまう。
#
先日投稿した〈緑のトンネル〉を撮りなおしました。
#
学校で言われるような、誰かから言われるまえにじぶんから行動するというような平易な〈主体的〉〈主体性〉は、ざらにあるでしょう。厳密な意味での〈主体的〉〈主体性〉は、誰かの手をかりず、言ってみればすべて自給自足というか、何なら国家権力にたよらず生きてゆく。そういう生きかたをしているひとはほとんど居ないとおもいます。
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THE FLAG PROJECT BASE LABOの「BASE LABOでは、文化の成果を単なる成果物ではなく、「関係性の変化」「街の空気の変化」として捉えています。」https://neufstudio999.wixstudio.com/the‑flag‑project/blank‑2‑1‑1‑1 イベントの成果を数ではなく関係性の変化としたところにポエデイや詩丼の精神が受け継がれている。
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THE FLAG PROJECT(浜松アーツ&クリエイション)エントリーページ モール街・浜松駅バスターミナル地下・ザザ中央館 https://sites.google.com/view/the‑flag‑project‑entry
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#革命 の主体の話が出たとき、令和で本当に主体的に、または主体として生きている人はいるのか? と疑問に思いました。というのは現代の日本社会でよく使われる主体は接続されたautomatismの主体、(学校・受験勉強のしくみで)「主体的に学べ」(会社のなかで)「主体的に動け」といった主体だからです。主体的に生きている人、いますか?
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"大内田 規約のなかから「前衛政党」「社会主義革命」という言葉がなくなりましたね。"日本共産党も2000年前後に前衛を名乗らなくなった。https://www.jcp.or.jp/jcp/21th‑kaigi/21‑7tyuso/201001_n_fuwa.html
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"六八年の「勝利」とは(中略)いかなる意味でも「真の前衛党」なるものが不可能であることを現実的に実証してしまったところにある"(『#革命』p.18)スターリン批判による前衛の失効。ここでは西欧-(リ)オリエントの構造を前衛-民衆にあてはめているのだろう。県西部の文化芸術で言えばクリエーター-市民という構造の失効とも言える。
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"網野善彦の歴史学"(『#革命』p.16)と"柳田国男の民俗学"(『#革命』p.17)が"マルクス主義的「前衛」からの離脱が民俗学的下層「民衆」への転換によって保証され癒される"際の転換先であるパターンに興味、そういえば作者・絓秀実は自称ルンペンプロレタリアートだった。
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自由回答をちゃんと読むかどうかはともかく来館者に「書いた」と思わせる気がないのは手抜きですね~
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静岡県立美術館の〈美術館をひらく7つの扉〉展で残念なのは、感想ノートが置かれておらず、代りになのか、アンケート用紙があったこと。自由回答欄ゼロ。数値化を前提とした代物。今回のテーマがユニークなだけにホント残念!
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東海道本線菊川ー掛川間。進行方向左手の車窓から牧場をのぞむ。榛葉賀津也の山羊たちが居るのはここだとおもう。
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16:50草薙駅。〈帰心矢のごとし〉では無いが、もう帰ろっと。
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静岡県立中央図書館。1年も早く移転したほうがいいとおもう。立入禁止区域が多くて、湿気も多い。そもそもここは図書館に向いていなかったのだ。
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もはや空気人形の世界観
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透明な股間。
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路上観察:遠江国分寺跡(磐田市)原っぱに台があるだけだったのに道ができている。
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静岡市駿河区谷田、県立美術館にて。ただいま開館40周年記念展〈静岡県立美術館をひらく7つの扉〉開催中。1階フロアを占める「空気の人」という巨大な作品。さわってみたら子ども用ビニールプールだった。
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見るための目をつくるためには目のかたちを見なければ
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朝9時まえの草薙駅南口広場。雨は止んでいる。
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8:14草薙着。小雨。
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焼津の朝比奈川をわたる。あれ?雨やんでない?霧雨に変った?
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藤枝駅7:48発。雨は本降りとなる。
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島田市金谷町。小雨が降りつづいている。
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美しい国の理念には賛同するが、それを名乗らないで済む日本が一番美しい。大道廃有仁義なのだから。それに、発議によって結局は経済成長の文脈に回収されてしまったことは残念である。
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愛野ー掛川間の、わたしなりのview-pointです。22世紀まで残っていてほしい風景。
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遠州は朝から雨が断続的に降りつづいていますし、視界もよくありません。事故が起きやすい条件だったのかも…
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いってらっしゃいませ!
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東名高速道路・下り線、磐田IC→遠州豊田SIC間で通行止めhttps://news.jp/i/1435010819393651356 トレーラーの積み荷散乱か、時間かかりそう
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6:58浜松発ホームライナー静岡4号静岡行に乗る。座席背もたれにあったはずの切符のポケットが無い!
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浜松市中央区砂山町、JR浜松駅にて。通常運転の朝がはじまった。みなさんが無事に過せますように…
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モグリが居たりして。ふだんは中卒の勤労青年。人文系の書籍を読みあさり、時間を見つけては学生になりすましてデモや学内紛争に参加。けっきょくバレるんだけども、知識豊富なところに一目おかれて〈特待生〉としてひきつづき運動に参加。なんてこと無かったかなあ。
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新宿騒乱事件にも「金の卵」労働者はいたはず。https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030082_00000 ちなみに記事中の「反日共系全学連」は反日共とあるなら全共闘のはずですがこんなところに当時の混乱が伺えます。
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第一次安倍内閣の〈美しい国づくり〉企画会議委員になったくらいですから、そっち寄りの経済・歴史学者だったのでは無いか、と…
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"川勝平太や入江隆則といった人物によって近年流布されている日本文明論、環太平洋文明論なども、この「リオリエント」的視点展開の一変種と見なすことができよう"(『#革命』pp.15-16)いまも時々言及される前静岡県知事、富国有徳とか主張していたけれどどのような経済学者だったのだろう?
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「コピーライターが"資本の手先"以外の何者でもないことは明白である。だがそうであるがゆえにコピーライターの作品は"何らかの大義"をいずれ招き寄せるに違いない"自己表現"であることを必ず免れることができる。」外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス #革命
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#革命 いや、1968年当時の中卒の若者のなかに、職場の労組で〈闘争〉した者も少からずあったはず。高校・大学内の〈闘争〉の目的と重ならなかっただけ? これは詳しく調べなければわからないですよね。〈逮捕歴〉といえば、高橋源一郎も横国学生のころパクられて、拘置所での体験から約10年間、一種の失語症になった由。
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断食月【第二号】https://f27.base.ec/items/146010396 白昼堂々堂
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金の卵のような労働者はマルクス主義では革命の主体のはずですが1968年の#革命 ではなぜ主体が異なっていたのか。また、はっぴいえんどのようなノンポリのアーティストがなぜ絓秀実の言う革命を担いつづけてきたと言えるのか、たとえば中核派活動家として逮捕歴のある人がノンポリを装い「おいしい生活」などのコピーを書いてきたのはなぜか
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#革命 1968年の〈全世界的な〉〈同時多発的〉革命に参加しなかった/できなかった若者たちが居る。わたしの両親は中学校をでて労働者となった、いわゆる〈金の卵〉世代なので、革命をめざす若者たちをどうおもっていたのかが気になる。そして、のちに〈はっぴいえんど〉を結成するあの方がたのような〈ノン・ポリ〉の学生も居たのである。
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時代舎さんはけっきょく松城町内を2回移転してるんですよね。そこは詳しく、たとえば〈中央図書館下に移転〉とか書けばよかった…
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訂正。低層の雲は北から南へ移動していました。すみません。
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中央区住吉4丁目にて。颱風一過の夕景。雲がおもむろに空を移る。低層の黒い翳は南から北へ、高層の白い影は西から東へゆっくり推移する。午後の暑熱は北の風に吹きはらわれたらしい。
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またしても画像を送りわすれました。すみません。旧齋藤塾跡地です。
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中央区松城町。地中にしみこんだ雨水は、かならず地表への出口をもとめる。どれだけセメントや敷石、コンクリートで地面をかためても、ちいさな隙間から水は滲む。そういうしぶとさが、わたしはほしい。
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わたしの路傍流瞥。中央区松城町。颱風一過の夕景。
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中央区松城町から〈こんどの店舗は奥行があってたくさん書籍が収められそうだけどジャンルごとの書棚の位置をまた覚えなおさないといけないよなあー〉的愛をこめて…
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中央区松城町に移転、restartしたばかりの時代舎さん。わたしがお邪魔したら先客が3人居た。restartをお花も祝っている。
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中央区高町から〈むかしの本屋さんってタバコも販売してたんですね知らなかったー〉的愛をこめて…
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中央区三組町から中山町へくだる坂道。女三人の親子づれ。こういう光景も好きだ。
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わたしの路傍流瞥。中央区三組町。高町の杏林堂で買物するつもりが、清水坂から路地に迷いこんでしまった。わたしはこういう場所が好きだ。
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典昭堂だ!
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わたしの路傍流瞥。中央区池町。いまも、浜松の街なかに残る数すくない土蔵。空襲で焼け残ったのかもしれないし、戦後のものかもしれない。
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区池町。台風一過の暑さ。遠州で三代つづく古本屋はめずらしい。わたしは、いまの大将はもちろん、愛煙家だった先代、そして帳場で時折お見かけした先先代(つまりこの店の創業者)も知っている。
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鬼スキャンかな。
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無いですねー、自炊かBOOKSCANかCZURのブックスキャナーといった手段しかないですねー
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東海道本線上りは通常のダイヤでうごいているらしい。下りは依然浜松ー豊橋間20分間隔の往復とみえる。
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もしもそこに吾々に身近な生物がいたら、その潮の海で死ぬだろうか、例えばそこには、酸のような物質が含まれて。 あなたは何が見たかった?
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#革命 電子書籍が欲しい、無いすよね?
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昼正午にメイワン、エキチカ、エキナカそろって開店。チャンミーさんは東海のかなたへ立ち去られた御様子。空は晴れてきたが、まだ雲が多い。浜松市中央区砂山町メイワン8階エクセルシオール・カフェにて。
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東海道本線熱海〜豊橋間は10:26運転再開。しばらくは上下とも20分間隔で運行するらしい。
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磐田駅南のFamimaにもゴワゴワ新聞ありました!
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さきの投稿で〈切通り〉と書いてしまいました。正しくは〈切通し〉です。失礼しました。バスの運転手👩。ひとりごとのようにアナウンスしながら終点のバスターミナルに入ってゆくと、同僚の運転手をみつけて左方向に目一杯の笑顔で手を振った。わたしが降車するときは何の会釈もしてくれなかったぞ!
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中遠の空、雨もやみ、晴れ間が見えてきました。
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11時8分浜松駅バスターミナルに着く。浜駅のメイワン、エキチカ、エキナカの店舗が閉っている。遠鉄百貨店は11時から開店。客足まばら。地階サブウェイでメキシカンミートタコスフラットブレッドとアイスウーロンMをたのむ。
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左右田双蛇操舵‼️
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厚い雨雲が切れはじめ、小雨となる。かつて天林寺本堂と庫裡のあった切通りをバスが通るところ。
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濡れたら100円引きにしてほしい
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朝にくらべて雨風は弱まったが、時折つよい風が吹く。東から、あるいは西から。ここ聖隷浜松の建物のせいで余計風向きがわからなくなる。肌ざむいので聖隷浜松1階のロビーでホットの罐コーヒーを買う。
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近所の某〈ローソンではぴろー〉出入口附近。雨にぬれたスタンドの新聞がパリッパリに乾いている。買う気がしない。店員の誰かが、雨風のつよい日はスタンドを移動させようって気づけなかったのか。
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磐田のまちなか、ふつうの強い雨
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磐田市内で浜松駅行きのバス2台とすれちがう。朝は続行便があるのか
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浜松市におけるネーミングの流行はやはり「南はかなに開き、北は英字」novel box in INASA https://www.hamamatsu‑artscreation.jp/news/news‑4598/
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バスは天竜川を渡りました。台風6号は志摩半島沖
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創業1877年の豆腐専門店「勘四郎」運営須部商店が事業停止・自己破産申請って、ミニ浜松古本市in都田のとうふ勘四郎を開催したところじゃんかhttps://news.yahoo.co.jp/articles/b831c312305a9a7d18d2014f23713099e307a62a
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ゴダール監督作品「東風」から、というのが通説ですけれど北京の影響も大きいという説も
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YMOの「東風‘Tong Poo’」ってここからきている?
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〈やめていただき〉でもいいでしょう。〈やめて〉って、まさか禁句?
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東海道線が運休なので浜松駅↔磐田駅のほぼ唯一の公共交通機関となった遠鉄バス80中ノ町磐田線に乗ります。
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バスを利用される方がたもですけど、運転される方がたも大変でしょう?突風にハンドルを取られたり、車内車外で転倒された乗客の対応もあるかも。道路に落ちたり倒れたりしたものが通行の妨げになったり。とにかく無事を祈ります。
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路上観察:SBSによる台風6号レポートの画角決め(浜松市)雨風と閉鎖された改札口とを同時に画面におさめたい
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路上観察:東海道線は、始発列車から16時頃まで上下線で運転見合わせます(浜松市)浜松駅
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がぞうはカルチュラル・スタディーズ学会による2022年成城大学でのカルチュラル・タイフーンのポスター。"カルチュラル・スタディーズやポストコロニアリズムといった今日流行のアカデミズム"(『#革命』p.14)ちなみにガタリは #蜂起 のビフォらによるラジオ・アリーチェなどの社会センター運動を「文化台風の目」と評した。
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大丈夫かなあー。体験リポートしてみたいけど眠くて… それにやっぱり危険⚠️
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午前1時半。雨に強い風が強く加わって台風らしくなってきた。そしていま。雨風めっぽう強い。やはり予報は的中した。甚大な被害が出ないことを祈る。
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6月3日の一般遠鉄バス路線バスは今のところ始発より通常通り運行 https://bus.entetsu.co.jp/
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潮がいきものそのものだもの、道虧けて
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台風6号は和歌山県に上陸。静岡県西部は暴風警戒域に入り横殴りの雨が窓を打ちつける
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未明に緊急速報メール。庄内地区に土砂災害警戒レベル3高齢者等避難発令
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満ち欠けは。道駆ければ。潮のなかには生物がいますか?
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月の満ち欠けは月そのものが潮であるという証
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月の海はやがて本当の潮水が湛えられるようになるものと存じます。
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浜松市役所環境部一般廃棄物対策課の「市民のみなさまの安全確保のためにも、荒天時は無理なごみの排出を控えていただき、次回以降の収集日に排出するようご協力お願いいたします。」https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/ippai/koutenji.html 「控えていただき」だとゴミを出していいのか出しちゃダメなのか迷う
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ちなみに1968年は1966年から続く文化大革命(「东风压倒西风」『#革命』p.14)で最も激しい武力闘争である清华大学百日大武斗も起きています。全世界的な革命の一年
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鋭角。1913年のタゴールから50年以上も欧州の言語(含むヘブライ語)のノーベル文学賞受賞者が続いていたからこそ敢えて1968年に東アジアの川端康成に決まったのかもしれません。候補の三島由紀夫が落とされたのも同年の楯の會結成や1969年東大全共闘との討論に見られるような新左翼との親和性を疎まれた?のかも
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#革命 そんな1968年のノーベル文学賞受賞者が川端康成だとは。世界情勢から遠いところで銓衡がおこなわれた、ということでしょうか。
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遠鉄バスの一般路線はいまのところ計画運休の予定なし、6月3日午前5時に発表するとのこと。ただハイウェイバス・e-LineR・e-wingは今晩から運休
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浜松駅にて。台風6号接近により6月3日は東海道本線は上下線ともに始発列車から16時ごろまで運転見合わせ。
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路上観察:磐田駅北口(磐田市)台風6号の接近に伴い東海道線で帰る。明日6月3日(水)の東海道線は16時ごろまで運転見合わせとのこと
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1968年の#革命 は明治維新100周年を迎える日本の全共闘もそうですが、テト攻勢・キング牧師暗殺・ロバート=ケネディ暗殺などを背景とするUSAのベトナム反戦運動、そしてシチュアニストらも参加したパリ五月革命ことmai68が念頭にあると思いました。 https://www.archives‑mai68.com/
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このクリエイト浜松は、公の災害用伝言板としてお使いいただけます。休校・バス鉄道の運行・河川の氾濫・浸水の情報などを書き込めます。
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明日6月3日(水)は休校となる小中学校も出てきた。台風6号、外れて欲しいですね
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朝から小雨。雲は南から北へ移っているようだ。いまのところ平穏。午後から大雨との予報だが、はずれてほしい。
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"すくなくとも日本においては、六八年革命はあまりにもおとしめられ過ぎている。"(『#革命』p.11)や"挫折"(『#革命』p.12)という六八年革命の負のイメージはある。その挫折をカジュアルに「喪失」という形で表現し、受容されている作品が「鼠」の村上春樹初期作品や『ノルウェイの森』となるかな
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"演奏がない時間帯は お客様ご自身で自由に弾いてOK"らしい https://www.zaza‑chuokan.com/event/6/
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宮沢博行元自民議員「創生党」結成 https://news.yahoo.co.jp/articles/08e81f7cc61a44bb6df228310b04e813a78d4645 静岡3区を捨てて下村博文の東京11区から出馬か、さようなら
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ザザ中央館でストリートピアノウィーク https://www.threads.com/@tomo_musicbar/post/DZCM3dbCbkA でも「浜松で活躍するピアニストたちが、毎日日替わりで演奏。ぜひ聴きにきてください」であって、ストリートピアノなのに「ぜひ弾きにきてください」ではない。これは一箱古本市の流れを汲みながら公募をしない〈しろくま古本市〉と同じ技法。
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中上健次が「犯罪者永山則夫からの報告」(kindleで無料で全文読める https://www.amazon.co.jp/dp/B078N16349)で永山則夫に共感しているのも〈マイノリティ〉性に通じるものがあったからでしょう。 #革命
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"永山自身も『無知の涙』(合同出版、七一年)をはじめとする一連の獄中ノートを刊行して「貧困」を告発した。"(絓秀実『1968年』ちくま新書)と言及されています。"おのれの〈マイノリティ〉を見出した"のかも。永山則夫を題材にした風景映画「略称・連続射殺魔」上映&足立監督トーク@青猫書房 https://www.youtube.com/watch?v=mHdAnhdGHdc
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baby boomersやgeneration Xという英米の言い方は見たことはありますが、当然ながら日本の年代とはすこしずれています。
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1968年といえば連続射さつ事件のおきた年ですが、あの事件によって犯人永山則夫という〈無として排除されてきたマイノリティ〉が見出された、いや、永山則夫じしんがあの事件によっておのれの〈マイノリティ〉を見出した、とも言えないでしょうか。
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このようなポツダム的戦後民主主義を否定することで六八年は"無として排除されてきたマイノリティーを見出していく"(絓秀実『1968年』ちくま新書) #革命 今の県西部でいうならオープン・ミュージアム・ラボが「市民」を名乗り市民全体を僭称するのを否定することで、排除されてきた市民を見出していく試みと似ている。
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"日本の六八年における戦後民主主義批判は、このような意味でも、今なお思想的有効性を失っていない。"(絓秀実『1968年』ちくま新書)六八年の全共闘は六〇年安保からの全学連を「ポツダム自治会」と否定する。当時自治会≒全学連は、学生は自治会に"「全員加盟」というたてまえのもとに「全体」を僭称"していた。これをポツダム的と否定 #革命
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そりゃあ〈団塊の世代〉ですからね。(団塊という言いかたは日本だけでしょうか)。#革命
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いい露地裏
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気賀四ツ角路地うら。ここは以前おとずれたときからあまり変っていない。
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気賀四ツ角交叉点に、気賀関所本番所の一部がのこっている。わたしがはじめてここに来たのは10年以上まえか。街道に面して、本番所をかばうように家(商店?)が立っていたが、いまは駐車場になっている。本番所をみるには、小路をはいって井戸端に立たなければならなかった。
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わたしの路傍流瞥。きょう午前中は、気賀を散歩していた。浜松市浜名区細江町気賀。気賀駅東から井伊谷川右岸にかけて、旧・二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)の高架がつづいている。御覧のように、華奢である。かつては貨物車輛を牽引する蒸気機関車も走った。いまは、たった1輛の気動車がほぼ30分おきに行き来する。
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中央区住吉5丁目、ファミマと城北工業高校の交叉点から空をあおぐ。北だけ晴れている。かの‘장미’の嵐の裳裾が迫っているような空もよう。
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浜松市教育委員会より、台風6号(チャンミー)接近に伴い6月3日(水)は浜松市市内一斉に給食を中止するとのこと
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詩丼改(9/27)出店者募集中です。https://goki.her.jp/shidon/
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「一九四五年革命説」(『#革命』p.11)一般的には憲法学説としての宮澤俊義「八月革命説」か。日本列島唯一の革命は承久の乱と御成敗式目という意見もある。日本史に革命なんて起きたのだろうか?
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路上観察:かじ町バス停(浜松市)大平台行きのバスがずっと停車して、救急車と警察官。急病人か?
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路上観察:晴好雨奇のGraffiti sticker(浜松市)蘇軾!?
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わたしの路傍流瞥。中央区住吉2丁目。聖隷浜松病院にて。あす朝から雨だとか、台風6号静岡に接近だとか言う予報がウソみたいな晴天。そして暑い。
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勢いのある年なのかぁ #革命
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第二次ベビーブームは1970年代前半といわれるが、1966年(丙午)に出生率が激減、翌年から70年代前半にかけて増加する。1968年は(あえて言う)性交と妊娠の年。
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お祝い申しあげます。こんどの店舗は鰻の寝床みたいなので、たのしみでもあり、ちょっと不安。
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紺屋町の時代舎さん、今日6月1日に移転・新規開店とのこと
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月見の紙マルシェのチラシは浜松文芸館で入手できます。(がぞうは配架予想図)
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浜松文芸フォーラム https://www.hamamatsubungei.com/ とは?事務局住所は株式会社オフィスホリウチhttps://www.hamamatsubungei.com/ と同じ。
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路上観察:Graffiti sticker(浜松市)広小路通り
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お隣がつちや餅店さんだ!
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単純化するなら1960年安保闘争を指導した全学連へ反発した全共闘の時代。党派から反党派へ、と変わる際に連帯は破壊され弱い紐帯となった
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸5丁目から同区泉2丁目をのぞむ。古本屋の丸(がん)書房。最近休業がつづいている。
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Bifo"Breathing"序の"Should we conclude that Occupy was a failure? Yes and no."ですね! グラムシの機動戦と陣地戦の違いと通じるかも #革命
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とば口となる名前は代えても良いと読めるので最近の読書から。この時期に精神科に転向した中井久夫は一人でできる仕事を探していたと『最終講義 分裂病私見』で語っている。1968年前後の社会情勢は必要な紐帯を破壊したのだろう。#革命
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‘ビフォ’ベラルディがOccupyについて言ったのと似ている気がします。
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創作界隈で「辛口批評」の是非が議論に https://x.com/i/trending/2060720521981936098 想定されている批評がほぼ対・作品だった。作品を材料にした対・社会の批評もある。批評は創作者のためではなく、社会のために書かれるといいな
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絓秀実の引用では後略されているけれど、1848年の革命も1968年の革命も歴史的失敗であるけれど世界を変容させたとウォーラーステインはいう。失敗したのに変えた? #革命
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"There have only been two world revolutions. One took place in 1848. The second took place in 1968. Both were historic failures. Both transformed the world."(Antisystemic Movements https://files.libcom.org/files/giovanni‑arrighi‑terence‑k‑hopkins‑immanuel‑wallerstein‑antisystemic‑movements.compressed.pdf) 『#革命』p.10
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わたしの路傍流瞥。中央区幸3丁目。四ツ池の森のうえに満月がかがやく。blue-moonなのだそうな。
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区住吉4丁目。フェンスから顔をのぞかせる紫陽花。
#
明日から『#革命』読書会 https://note.com/onaikotaro/n/n967c7aa966ce 毎日1~2ページのペースになると思います。理想はひとり毎日1投稿、ぜひ読書会の話題をかっさらってください。
#
名古屋からは撤退し日本はおろか東アジアからも撤退しそうですが、静岡県西部のほうがラテンアメリカ料理を受け入れそうな気もします。遠鉄旧館地下のサブウェイ跡地に入ってほしい
#
ホームページをひらいたらTACOBELL.おいしそう。今年ぢゅうにも静岡県に進出するんじゃ無いんですか?
#
5/20附の投稿〈今日は100cafeにオープン・ミュージアム・ラボのハガキが置いてあるのを見ました!〉。わたしはてっきり、アンケートか何かの、切手無しで投函できる〈ハガキ〉かと勘ちがいしましたが、じっさい手にとってみるとなぁーんだ、ポストカード型のチラシでした。
#
地方の「ある・ない」論争は不毛。「静岡県西部にゼッテリアはある」と言うときその言葉にはタコベルの不在も含意されている。大都市にあるものが静岡県西部にないことが多いのは当然なのだから、「ある・ない」や「ないからつくろう」ではなく、現状をどう感じるか・捉えるか(詩と批評)へ全振りすれば低予算で文化深耕は可能となる。
#
つまりヴィレヴァン式美術館とは、水の溢れんとする用水路の如きものなのかも
#
ヴィレッジ・ヴァンガードにいだくわたしのイメージはパンク・ロック。とにかく物量の音圧がすごい。
#
名古屋市天白区植田西のヴィレッジヴァンガード本店は閉店らしいですねhttps://news.yahoo.co.jp/articles/c4eaa6ab7085660f3c6b870887e9a8e4aeafe12b
#
〈ヴィレヴァン式美術館〉について質問します。これは、たとえば油彩画をむき出しで、パネルに隙間無く展示するんですか? 写真だったら、パネルを埋めつくすように貼ったりできそうですが…
#
路上観察:とうもろこしの幟(磐田市)
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長鶴から下飯田の国道1号線バイパス下り沿いのコンビニに強面のバイク乗りたちが集っている。なにかの集会か?
#
掲示板は便所の落書きと思って構わない。壁に窮状を訴える詩を書く農村も世界にはある。伝わるべき人には伝わるし、時には返事もある。
#
非常食にしてしまえばよいと思います。もうそれくらいしか手が無いでしょう。動物愛護法なぞ飢えの前には無力。
#
浜松駅北の地下広場について。〈負の遺産〉として改修するよりもまず、土鳩を退治してほしい。いろいろ対策を講じているようですが敵もさるもので、さいきん、地下広場からバス乗場へあがる階段にも糞をおとしています。
#
〈幻出〉! いいですねえ。いや、これはいいヒントを頂戴したかも… 〈文化空間〉って、容れもののある無し、容れものの形状にかかわらず、つくれちゃうのかもしれませんね。
#
取りこわすにしてもコストが発生するでしょう。いまの‘Green Park’のままでいいとおもいます。
#
十分に文化的な空間でした。不動産や商業に関わる人々主導で「負の遺産」として取り壊されるには惜しいです。浜松には余白が無いと思っていましたが、私の観察不足でした。
#
観客が〈文化空間〉を幻出させたのかも
#
路上演劇祭も、浜松駅北地下広場に〈文化空間〉を現出させた?
#
寧ろ癒しです。無力感に苛まれる瞬間もあり、同時にそれを意識する事で今何が出来るか今何が残っているのか考えるきっかけとなる劇でした。路上演劇祭では観客に楽器を持たせる人も居たり、観客を劇の一部としてしまう人も居たり劇とは無関係に表現や遣り取りをする人が居たりで前評判の通りただの傍観者には収まらせないように出来ていました。
#
路上演劇祭の観客を皮肉ったタイトルかも…
#
伝わりましたー! 行きたかったなー…
#
一応他の方々のtwitter上の反応。雰囲気が伝わると思います。 https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=%E8%B7%AF%E4%B8%8A%E6%BC%94%E5%8A%87%E7%A5%AD
#
お疲れ様です。「遠くから見てるだけ」タイトルが切ない
#
賑やかな演目も好きでしたが、個人的には静かなものが印象的でした。イチニノは街角ですれ違う二人の静かな語らいでしたが、涙の零れる作品でした。屋外を想定しての構成で不自然さが全く無かったです。https://www.instagram.com/ichinino_ib/p/DY8XNqfEqPx/
#
路上演劇祭、無事故・成功裡に終ったようで何よりです。今日はどうしても外せない仕事があって参戦できず、残念です。
#
路上演劇祭in浜松2026。早くリポート、ツイートが読みたい!
#
磐田市は市民ギャラリーの新設が相次ぎ文化振興の機運が高まっているのを感じる。立体から文芸まで一覧すると圧巻です。
#
「はらいずみ」が「げんせん」に見えました。里山という文化の源泉。全く違和感がない。
#
無事終了しました。浜松駅北地下広場を利用した演目が多く活力に溢れた一日でした。暑かった。
#
アミューズ豊田のサブアリーナで開催の綿の産地フェア。手織機や剪毛機の体験をできます。
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磐田市のアミューズ豊田に新設された〈みんなのギャラリー〉にて開催中の芸術祭公募部門委嘱作家特別展に来ました。〈雨音のあをくしづみぬ手を組みて羅漢一体ひるの真ん中/小笠原小夜子〉〈星飛んで村に仔牛の生まれけり/鈴木誠〉
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月見の紙マルシェ関連のチラシブース
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袋井市の月見(やまなし)の郷にある月見の里学遊館では伝統芸能祭が開催中。オセロやお手玉や剣玉の体験、久野城址や澤野医院記念館について知ることができます。
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掛川市大和田のしばちゃん牧場ことしばちゃんランチマーケットで休憩、山羊がいます
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里山という文化空間としての原泉
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EXHIBITION HARAIZUMI AIR 2026 SPRINGの昌光庵では時間の流れが異なる歪みと出合いました。
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EXHIBITION HARAIZUMI AIR 2026 SPRING、旧原泉第2製茶工場では折鶴が千羽鶴に増える秘密を知りました
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田植えを観ながらEXHIBITION HARAIZUMI AIR 2026 SPRING(掛川市の原泉)に来ました。
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同じく祈る!
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路上演劇祭Japan 2026 in Hamamatsuの無事故と大成功をいのる!
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わたしの路傍流瞥。中央区萩丘2丁目。緑のトンネル。道の両側は空家。だから生垣がトンネルに成長するのだろう。
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たけし文化センター田町 https://cslets.net/wp/project/project‑7433
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すみません。〈たけし文化センター田町〉でした。〈わかりあわないまま、/ともにいる/街をつくるよ〉にも惚れた!
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浜松市中央区幸3丁目あいホールにて。たかし文化センター田町が再来年オープンするそうな。〈60坪からはじまる/新しい福祉〉というキャッチコピーがcatchyなパンフをいただく。
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産業図書館跡地ですね、ここ。
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浜松市美術館と丹青研究所は豊橋の普門寺収蔵の重要文化財である木造釈迦如来坐像・木造阿弥陀如来坐像を通じて繋がる。https://www.instagram.com/p/DW6M5sOE0ZG/
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「文化はひとつ」の多自然主義とも通じる話です https://goki.her.jp/createHamamatsu/p.php?id=20260523111844‑212d6f
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#蜂起 に書いてあった連結が先立ち、その潤滑油の一つが銭であるとも言える。銭の為に接続する、即ち個性を消しては味が無いのだろう。
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銭のための文化ではなく文化のための銭、ですね
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交流が無いと文化とは言えないのは確かです。但し、人と人とに限定する必要は無いかもしれません。アメリカ大陸のトーテムは人とグリズリーの間の交流とも言えますし、アフリカ大陸では人とミツオシエとを繋ぐ歌があります。猿の芋洗いや入浴も文化でしょう。有情無情の区別は無関係だと思います。
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江戸時代の〈文化空間〉といえる芝居小屋。これは〈デザイン・レイアウト・工夫〉をこらして建てられ、当時の経済力ゆたかな町人たちを大いに魅了した場所でしょう。さきのコメントと矛盾しますが、銭は文化の肥しでもあります。
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人と人とのつながりが無いところに文化は生れない。たとえ〈文化〉がそこにあっても、人が居なければ死んでしまう。烏亭焉馬の〈咄の会〉は、すでに笑いの文化があり(焉馬の本業は大工棟梁だが狂歌師、浄瑠璃作者でもあった)、〈三升連〉という人のつながりがあったから、江戸近郊の料理茶屋をかりるだけでも〈文化空間〉が成りたった。
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選択ではなく集中が肝ですね!
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他者性とはおもしろいです。そこの場にいないかもしれない残りの者たちreliquiの関係、まさに「空気の問題」。ありがとうございます
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何か異質なものがあって、それが注意を惹き、集中しなければならないと思わせるという力学だろうか。文化的空気を感じる物を出し合って帰納的に論じるしか打つ手がなさそう。此処では詩の話が多いので、例えば俳句を詠みたくなる瞬間を挙げてみて下さいと尋ねるのが近づく方策か。
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空気の問題なのでその現場に行けば歴然なのですが、敢えて表現すると、ここで屢言及する他者性ですかね。晴れと褻で表そうとした人も多いです。祝祭性とかも。なかなか論じ難いです。
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粋ですね。たとえ曠野であってもその場にいる人の心構え次第で文化空間にもある。形式・仕来り・所作はどのような力学によってその場に出現するとお考えですか?
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その場を文化空間と規定するのはその場にいる人の心構え次第である。常設の設計だけが心を切り替えるきっかけになる訳ではない。形式を整えた言葉遣いや音楽、仕来りや所作があれば態々高い金や専門家を使う必要は無い。私はそれさえ要らないとは思うが。
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文化施設が文化空間になる条件がデザイン、というビジネスをするのが丹青社なのでしょう。一方で料亭の座敷など生活空間が"そのまま"〈文化空間〉となる考えを対抗として述べるのであればデザイン・レイアウト・工夫ぬきでなぜ文化空間たりえるかの攻めの理由を述べる必要があります。
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また、画像を送りわすれ、しかも結婚式場のスペルをまちがえてしまいました。ただしくは‘musée’です。
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わたしの路傍流瞥。浜松市中央区幸4丁目から同3丁目のMusée四ツ池をのぞむ。夕方のつよい西風にもまれる生垣。手入れをおこたっており、枝えだが歩道をさえぎるようにのびている。ヤマハ四ツ池センター跡地である。
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この引用文の前半〈美術館や劇場〉からが辞典的定義。後半〈展示物や公演〉からはビジネス。〈内容を引き立てるデザイン〉が無い/要らない/そもそも求められていない場合もある。江戸落語の濫觴といわれる天明年間の〈咄の会〉は江戸向嶋でおこなわれたが、料亭の座敷がそのまま話藝の〈文化空間〉となることだってある。